は が き 通 信 | No.56 - Page. 1 . 2 . 3 . 4 |
POST CARD CORRESPONDENCE | 1999. 3. 25 |
もどる 私は昨年5月、知人から中日新聞の記事を頂戴し、7月からこの漢方薬を服用し、現在も続けています。効果は3ヶ月後の10月頃からよくなり、鹿児島に行って来る事ができ、ありがたく思っています。ついでにいいのは、車イスに乗っていて新聞を読んだり、電話をしても冷や汗をかかなくなったことです。参考までに記事を送ります。お元気で。 ★「漢方薬が効果・床ずれ治った」★手術でも治らないほどの重症の褥瘡(じょくそう=床ずれ)の治療に、江戸後期の医師華岡青洲(1760〜1835)がつくった体力増進や傷に効く漢方薬「帰貴建中湯(きぎけんちゅうとう)」が成果を挙げている。 このうち五年前に脳梗塞(こうそく)で寝たきりになった80代男性は、でん部に直径四cm、深さ八cmの床ずれが骨にまで達する重症だった。別の病院で二度の外科手術をしたが治らず、分院で1996年8月からこの薬を服用させたところ、半年で完治した。また、床ずれのため大学病院などを転院してきた60代女性も、直径七cm、深さ8cmの傷が8ヶ月で治った。 帰耆建中湯の原料は漢方で多用される薬ばかりのため安価で、治療を受けた患者の自己負担額は一週間で300円ほど。西洋医学の治療費の10分の1程度という。 研究グループは、帰耆建中湯の効果を裏付けるため、薬を服用した患者の傷口付近の体温変化をサーモグラフィーで測定。 薬の服用によって、患者の褥瘡の周辺の体温が下がっていることが分かり、「帰耆建中湯が傷口の周りの血行をよくし、新陳代謝を促したり、抗菌力を高めていると考えられる」と分析している。(寺沢捷年・富山医科薬科大和漢診療学教室教授の話) 帰耆建中湯は胃腸の働きをよくし、病気になりにくい体づくりを助ける漢方薬。副作用がほとんどなく、しかも安価にできるのも特徴。高齢社会が進め中、人間の持つ自然治癒能力を高める。こうした漢方薬の役割は今後ますます大きくなっていくだろう。(中日新聞)
愛知県 MI
春近しと吹く風にかすかに春の気配が感じられるようになりましたが、まだまだ不安定なお天気が続いて居ります。 今年はインフルエンザの大流行で大変な冬でした。みなさん、風邪は大丈夫でしたでしょうか? 案じております。 私は例年になく鼻、のどの風邪を引きました。朝、目がさめた時、声が出ず、電話の対応に大変苦労致しました。約4、5日でやっと声も出るようになり、今はすっかり回復致しました。本当に不自由な日々でした。 次は、どうにかして尿の管(膀胱の留置カテーテル)を外したいと云う事です。 今まで尿路感染と思われる発熱があり、抗生剤を飲んだりして身体には良くない状態でしたが、今は1日5回、家族の手による導尿をしています。 この方法により感染の危険度も少なく、良い状態を保っています。しかしこれから先、車椅子に乗って活動したり、社会復帰もしたい、会社へも行きたい、と思いますが、1日5回の導尿をしていると、これは大変難しいことです。それに、導尿の時間の間隔が空きすぎたりすると身体に悪いのではと心配されています。 どうにかして自然排尿ができるように、カテーテルが取れるようにと切なる願いのお手紙でした。 だめでも良い、良い方向へと向かえばと、毎日、毎日一生懸命に試しているうちに、顔のほほがぞくぞくするなどと、健二は尿意を感じて教えるようになりました。 初めは50cc出た、70cc出たと、だんだん尿の量が増え、本当に嬉しかった事をお伝えしました。そして退院する頃には180ccないし250ccと、自然排尿の形に持って行く事ができるようになりました。尿意のツボはおへそを中心に3cm下へ三角形を書き、両端の頂点を指圧します。丁度膀胱の辺りになります。 Kさんの息子さんはだんだん自発呼吸のできる状態に近づいています。尿管理も、より自然な人間らしい状態に持って行けるように、どんな小さな事にでも望みを持って挑戦してみたいと云う、熱意のこもったお話しでした。 「頸損」という大変な怪我について、経験した人でなければ分からない苦しみや大変さを、初めての方とは思えないほど心を開いてお話しする事ができました。 尿のカテーテルが取れ、呼吸器から離脱でき、自然体の人間らしい生活ができる事を願い祈らずにはいられません。遠方ながら応援しています。頑張って下さい。
埼玉県 HS
何を隠そう広島に生まれ育ちながら横浜ベイスターズのファン。夫は広島人=カープの熱狂的ファンで、カープが負けると機嫌が悪い悪い。 だから優勝は布団の中からちょっと控えめにお祝いさせてもらいました。(←夫がうそつくなと言っております) 子供の夏休み、5年ぶりの九州2泊3日の家族旅行に出かけました。元気な頃、マラソン中毒?だった私は毎年8月、家族旅行を兼ね、物好きな仲間たちと大分までマラソンを走りに行ってました。 おいしい物を食べさせてくれ、ゆったりできる温泉宿に泊まり、遅くまでお酒を飲みながら大騒ぎ。 子供のリクエストでスペースワールド経由(実は大人の方が楽しんでいた?)と結局何が目的か分からないような旅行でしたよ。(カカア天下だった・・・今でもどうもそうらしい?けど、いつも運転手役でマラソンに付き合ってくれたパパ、ありがとう) 今回さらに、カカア天下だったらしい私の"介護""朝晩ジョクソウ処置"嬉しい特典付旅行となりました。コースは、 1日目・・・国東半島の友人宅→別府泊 栄養失調に関しては、3月頃から生に限らず大好物のウニを食べると、数日間のひどい吐き気(術後差し入れのウニで、海の岩にへばり付いているフジツボのようなじん麻疹がでて、点滴経験あり)に悩まされたり、食べ物アレルギーが出るようになったり、お腹が下ったり、もともと少ない食が細くなり、と思い当たる点あり。 ジョクソウは栄養(特にタンパク質)が一番ということを先生から知らされ、食欲のないお腹に涙を流しながら詰め込みました。 "入院は嫌だ。家で絶対治して見せる(もちろん処置は夫ufufu)"と週1の通院付で退院しましたが・・・。 大きな2個のジョクソウの為、身体の片側だけ日頃出ない汗が流れ出ては乾き、氷のように冷たくなり、鳥肌が止まらない。(左半身に褥創の痛みがあると顔の右半分に生汗がでる=向坊さんと大竹さんから教えて頂きました) それなのに熱が毎日39°近くまで上がる。汗の出ないところは熱く、出るところは寒くてもう大変。少しでも服が濡れて寒くならないように、首にはタオルを巻き、腕にはうで抜きをはめ、すっかりおばさん状態。それでも行って来ましたよ。そのおばさんスタイルで。 徳山港からフェリーで2時間竹田津港着。このフェリーは車中から出れないが、2、3度 "変わりないか"と声ををかけてくれる夫の気配りがうれしかった。 港にはケイソンC6のとびっきり若い23歳の友人が車で迎えに来てくれていました。1人で・・・ 知り合った頃は車へのトランスファーができず、トレーニング中だったのに、驚きです。 今は車椅子バスケとかマラソンもやっていて、スゴーイ。彼のおかあちゃんがまた明るくて元気もりもり。さざえ、えび、たこ、鮎、かぼすなどをごちそうになり、国東半島をまるかじりしたようでした。 別府のホテルでは慣れないフランス料理に大爆笑。別府の湯に浸かりたいけど、この風呂では・・・と思っていたら、子供達と夫と3人で抱えて入れてくれました。嬉しくて涙ポロポロ。 感激一杯の思い出となりました。 2日目の湯布院。 お店にスロープを設けてあるのに、荷物を置いていたり、入れても段差だらけで悲しかった。この日はとても体調が悪く早めにホテルへ。 スペースワールドの真ん前のロイヤルホテル。 車椅子用にとても整備された部屋とサービスはよかったけど、"ここなら車椅子で行けますよ"とトラベル業者からのことでこのホテルに決めたのに、地下道は階段、道は陸橋でガックリ。余計具合が悪くなりましたよ。 でも部屋からスペースワールドが真っ正面に見えるので、花火付き夜景を堪能することができたので、ちょっと許そうかな。 3日目は子供達をスペースワールドに残し、夫と私は向坊氏宅へ。向坊さんから頂いた地図(大きな塀の大きな家)を片手に迷うこと1時間半。「あった!大きな塀の大きな家。さすが、社長!」と感動。 警備付の門でどこから入っていいか分からず、お向かいの家の方(太田さん)に尋ねたら、「うちが向坊ですよ」とのこと。よく地図を見ると、"大きな塀の大きな家の前の小さな家"。向坊さん、ごめんなさい。明るいヘルパーの太田さん、海が真下に見える家、アイデアいっぱいの部屋、とても還暦には見えない向坊さん。迷ったせいでお昼時間となり、ごちそうになることに。 太田さんのソーメン、手作りのおはぎ、とってもおいしかったです。ごちそうさまでした。 スペースワールドに再び戻ると、どの駐車場もいっぱいで、たらい回し。暑さで係員も不機嫌、不親切。そんなとき、加藤晴彦君に似た(個人的ファン)係員の茶髪でピアスの笑顔の可愛いお兄ちゃん。 「ちょっと待って」と入場ゲートの駐車場を走って探しに行ってくれた。汗だくになりながら、「空いてますよ。どうぞ!」と笑顔で呼んでくれた。人は見かけじゃあない、つくづくと教えられた。ちなみに、我が家の娘も茶髪のピアス・・・。 待たせ過ぎた娘達にブウブウ怒られながら、全身プリクラを"ハイ、ポーズ!" 10月18日、3ですが5年ぶりにマラソンを完走しました。次回に報告します。それでは。
広島県 : MK
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