は が き 通 信 Number.53---P1
POST CARD CORRESPONDENCE 1998.9.25

《ごあいさつ》

特別税制によって保護されているにもかかわらず、病院の倒産が相次いでいます。看護婦、OT、PT、福祉士、療法士など、たくさんの関係者のチームワークによる医療、予防、介護が期待されます。   

編集委員 向坊弘道




暑中お見舞い申し上げます

日頃のご活躍のほど嬉しく思います。体調にも十分気をつけられ、この厳しい夏を無事に過ごされますようお祈りいたしております。
YSさん(トドのおっさん)はいまだ床ずれ完治せず、トドのように横たわって執筆活動をしておられます。                
広島市 HO



ラグビー事故で人工呼吸器に

「はがき通信」№52から購読させていただけたらと思います。お手数ですが、ぜひよろしくお願いいたします。主人が昨年9月半ばにラグビー競技中に頸髄損傷を負い、現在は大阪労災病院でお世話になっています。固定手術を受け、リハビリも進めていただいて、ようやく朝6:00 ごろから夜の 0:00 ごろまでは人工呼吸器に頼らなくてもいいようになりました。

「はがき通信」を読ませていただくことで、「手足が動かなかったとしてもいろんなことができるんだ。ひょっとすればあんなことも可能かもしれない」などと思うことができ、積極的に生きてゆく意欲が持てるようになるのではないかしらん? と期待しています。また退院して家で暮らす上で、いろいろと教わることもできるのではないかしらん? と、やはり期待しています。どうぞよろしくお願いいたします。
大阪市 T家内



映画観賞が転機になって

「はがき通信」のみなさん、はじめまして。
障害は頸損で、レベルはC4なんで手足はまったく動きません。今から12年前の高校2年のときに、体育の授業中の事故で受傷しました。
趣味は映画鑑賞です。映画を好きになってからまだ3年くらいなんですが、今では月平均4本のペースで映画館に足を運ぶほどハマってます。映画を好きになったことが僕にとってはひとつの転機になりました。「映画館で映画を観たい」という思いが外出する意欲につながっていますし、ボランティアとの出会いもありました。

これからもいろんなことに興味を持って、何事にも前向きに生きられるようにがんばっていきたいと思ってますんで、みなさんどうぞよろしくお願いします。
大阪府 HA : HGA03301@nifty.ne.jp



人工呼吸器を装着して在宅

7月も終わりますが、不安定な天候が続いております。御多忙中のところ、突然お便りしいたしますことをご容赦くださいませ。
「はがき通信」№52を拝読いたしました。アイリーンさんの人工呼吸ケア指導報告をぜひ参考にいたしたく送付をお願い申し上げます。私は、夫(63歳)が人工呼吸器装着のまま在宅治療をしております。94年11月にC2、3を損傷して以降、人生が一変してしまいました。

毎日約40回の吸引と15回の給水の合間に全身の清拭などのケアに追われています。7月上旬に、未知の夢運び人さんがビデオテープ(クリストファー・リーブ氏のインタビュー)を送ってくださいました。ありがとうございました。

東京都杉並区 MH内・M



「はがき通信」の懇親会に出席します

今から約4年前の9月15日に事故にあい、頸椎損傷(C4)になりました。1969年4月4日生まれ、29歳。現在、静岡県伊東市の「国立伊東重度障害者センター」という施設に入所していて、家庭復帰に向けて訓練をしています。

自宅は愛知県名古屋市で、10月にはこちらを退所したいと思っています。このたびは「はがき通信」の懇親会に出席するご縁をいただき、非常に楽しみにしています。いろんな障害を持った方々との情報交換や、交流を保つことがまず自分にとっての「社会参加」の第一歩という意味づけをして挑みたいと思っていますので、よろしくお願いします。
静岡県 F



ビルの7階から落下

私は、1953年7月31日生まれで、45歳です。平成8年2月29日に、会社のオフィスがビルの7階にあったのですが、窓の開かないビルなので外の空気を吸おうと思って、非常階段に出ました。ところが、立ちくらみを起こしてしまい、下に落ちてしまいました。さいわい、下が駐輪場の屋根だったので、死なずにすみました。頸椎の3、4番と5、6番を骨折し、頸椎損傷(C4不全)となりました。

前述のF君らの助けを借りて「伊東市車椅子マップ」を作りました。今週の土曜日FM伊東にて紹介されることになっています。今回、懇親会に参加させていただきますのでよろしくお願いします。
2人とも「はがき通信」購読者やインターネットで活躍されている頸損の皆さんにお会いできることを非常に楽しみにしています。なにとぞよろしくお願い申しあげます。
静岡県 T



2年間の入院生活後の退院を前にして

初めてお手紙さしあげます。私は松井先生のご紹介で『Still Me』の訳を投稿させていただいたMYの妻です。
今、8月中旬の夫の退院に向けて家を改造しています。今月中旬にはできあがり、数回の外泊訓練をした後に退院となる予定です。
約2年間の入院生活にようやくピリオドを打って自宅へ戻れることは、夫にとっても私たち家族にとっても嬉しくもあり不安でもありますが、「はがき通信」に掲載されている会員のみなさんの明るいがんばりに、私たちも負けてはいられないと思う今日このごろです。

夫はものを書くことが好きなので、『Still Me』の翻訳とともに自己紹介などもこれから少しずつしていくと思います。
次号には自宅からの第1信を投稿できればと思っています。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
東京都世田谷区 KY



カニューレを使用

はじめてお便りさしあげます。私は広島県、Kの家内でございます。「はがき通信」をずーっとお送りいただきましてありがとうございます。喜んで読ませていただいております。
主人が四肢麻痺の頸髄損傷者になりまして7年めを迎えております。最初は本人も家族も分からないことばかりで大変でございましたが、現在は体の痛みもしびれも取れて、落ち着いたようでございます。ただ、合併症との戦いで肺炎に何回もなりかけて、入退院をくりかえしました。肺呼吸に力がないので、気管切開をしてカニューレを入れております。
残暑厳しゅうございます。充分御身御自愛くださいますように、ご発展と皆様の御健康をお祈り申し上げまして失礼いたします。
広島県福山市 K・内



施設への不満

「はがき通信」毎回楽しく拝見しております。52号の匿名投稿者の“現実に逆らって生きる”を読みました。私も延岡の身障者施設に筋ジスの友達がいますので、手紙やたまにその友達と会ったときに施設への不満などを聞かされますが、匿名投稿者と同じような施設職員への不満も述べてありました。私もショートステイで何回か施設にお世話になったことがあります。施設に心優しき寮母さんが多数おられても、やはり自宅での生活に勝るものはなく、できることなら施設にはお世話になりたくないというのが偽らざる気持ちです。

匿名とはいえ、このような施設生活者からの声が聞かれるのも「はがき通信」ならではと思います。暑さ厳しい折お身体ご自愛され、これからも「はがき通信」の編集にがんばってください。
宮崎県 RS



ヘッド・コントローラー型車いす

今年の夏はいかが過ごされましたか。東北は梅雨も明けぬままに夏に入り、暑い日があまりなく、人間は過ごしやすかったのですが、米をはじめとする作物への影響が心配されます。
主人ですが、6月に電動車いすがきました。本人の体にあわせるための調整に1ヶ月ほどかかりましたが、無事完成しまして、7月23日の外出訓練では車いすに乗って、遊佐町内を見学してきました。主人の車いすはヘッド・コントロール型です。

施設内にあごで操作する車いすを持っている人がいるのですが、どうも体がずれて使いづらいと言うので、主人の場合は頭の枕の部分にコントローラーのあるのを探してもらいました。車いすの業者が川西町にありまして、山形の北のはずれの遊佐町まで、南のはずれの川西町より1日がかりで数回通ってやっと完成しました。
アメリカ製の車いすの本体に体にフィットしたシートを張りました。頭のコントローラーの位置を固定させるためです。主人のような高位頸損者は首がグラグラするので、頭の位置があわないと疲れてしまって操作どころではないので、調整に手間取りました。しかし、業者の人が本人の納得のいくまでつきあってくれて、無事引き渡しとなりました。

業者の人はどこか職人気質のある人で、最初はこわそうだったのですが、主人の言葉に耳をかたむけてくれるやさしい人で、主人も自分の考えを伝えることができてうれしかったと思います。今では週に1回車いすに乗っています。本人いわく「初心者マークも卒業」だそうです。主人はトラックの運転手でしたので、事故より10年めにしてやっと車いすのドライバーになることができました。

主人の車いすの中に組み込まれたアメリカの技術の高さには感心させられます。ヘッド・コントローラー型車いすの欠点が1つあります。ワゴン車に乗った場合、道路上では頭の枕が固定されないので、車のゆれに反応してグラグラしてしまうことです。
頭での操作も、慣れるまではもう少しかかるようですが、疲れると言いながら楽しそうです。
またよろしくお願いします。

山形県 SM



社会福祉学部の学生です

私は聖カタリナ女子大学の社会福祉学部の学生です。先日、友達(頸損で首下完全麻痺)のところへ遊びに行き、彼のお母さんに「はがき通信」を見せてもらいました。
私も7月号の小松さんと同じように福祉の勉強をしていますが、少し違うのは、一度は(けっこう長い年月)働いていたのですが、福祉の勉強がしたいと思って再び大学へ入学した(まわりはみんな私より1回りくらい年下です)ことと、私自身が身障者だということです。

身障者といっても「はがき通信」の方々のように重症ではないのですが……。私は3年前に通勤途中、駅の階段で落下し頸髄損傷(といっても内出血程度)を負い、現在左手に軽い麻痺と左下肢に知覚、運動麻痺、硬直が残り、松葉杖歩行をしています。排尿、排便は利尿剤&自己導尿と緩下剤&浣腸液の処置をしています。
ソーシャルワーカーになりたいと思い大学へ入ったのですが、やはり松葉杖ではあまり歩くことができないし、不自由も多く、雇用する側は健常者を選ぶだろうし、就職も難しそうです。

これは夢なのですが、スウェーデンのようなケア付住宅を日本につくることができたらいいなと思います。老人や障害者が安心して暮らせるバリアフリー設計の住宅を。大学へ入りまだ4か月で、これからいろいろ勉強することもたくさんあります。
大学での勉強も大切だけど、実際に障害をもって暮らしている人に直接話を聞いたりするのも勉強になると思い、みなさまにいろいろお話やご意見、アドバイスなどいただけたら嬉しく思います。
このような私でも「はがき通信」を購読させていただけますでしょうか?
右手も力があまりなく、字を書くのが5倍くらい遅くなり、また力がないためだんだん読めなくなっていきます。

愛媛県 M



26歳でラグビー事故

毎日うっとうしい日が続いておりますが、お元気でお過ごしのことと思います。
先日は「はがき通信」を送っていただきまして、まことにありがとうございました。本人はまだ読む気がありませんので私たち家族で読ませていただいております。年月が経てばまた目を通すようになると思います。
名古屋の支店につとめていたころ、静岡の先輩から「いいラグビー・クラブがある」といわれ、チームに入りました。ところが、静岡草薙球場で1994年11月6日午後1時15分ごろ、ラグビーの試合が始まってすぐ(10分ぐらい)に頸髄損傷のケガをしました。

あと2週間で27歳という時でした。これからまだたくさんやりたいことがあったと思います。静岡済生会病院へ運ばれ、最初は頸損5・6番と言われました。5日めの早朝4時30分ごろ苦しくなり呼吸器を付けるようになりました。それから今の状態のままです。ケガした当初は「殺してくれ」、「死にたい」の繰り返しでしたが、ここ1年ばかり言わなくなりました。
でも心の中での葛藤は大変だと思います。本人が一番辛く、苦しいことだろうと思うと、私たちも胸がしめつけられます。毎日悲しんでばかりいられませんので、前向きにがんばっております。
暑さにむかいます。お身体に十分気をつけてくださいませ。 かしこ
東京都練馬区 KN・母



退院を前にして

また1年購読させていただきます。昨年8月、失礼にも突然夜、子供の事故のことで電話させていただいたSI(昨年16歳、C3、4)の母です。
あれから1年、事故して1年5ヶ月です。このたび、8月9日(日)に、めでたくではありませんが長い入院生活に終わりをつげ、自宅へと帰って来ます。残念なことに回復は見られませんでした。

頸損にはめずらしく、右手指5本とも不自然ながら動き、右足も指は動き、そしてけっこう強い力で蹴れるのに生かせませんでした。結局、せめて右手で食事でもできるようにと願いましたが、それも夢で終わってしまいました。
本人も最初は何も分からず「そのうちに復活する」といってがんばっていたのに、時が経つにつれ頸損というケガの内容を知れば知るほど気力をなくし、今も意欲がまったくというほど何をする気もしないようで、今はまだ仕方がないのかもしれませんね。

この「はがき通信」も、もっぱら私が読んで勉強させていただいているだけで、子供に「いろいろな情報が載っているし、いっぺん見てみ」といっても、まったく受けつけません。
いつか子供が前向きに生きていける日まで、この「はがき通信」を大切においておきたいと思います。
いろいろ苦労されている方、またがんばっていらっしゃる方、読むたびに心うたれます。どうしてうちの子は……と思う毎日で、親としてこんな辛いこともありません。私自身割り切ったつもりでも、割り切れずに笑ったり泣いたりの毎日です。とにかく退院して来たら、2人で1からのスタートです。がんばりたいと思います。

どうぞみなさんも毎日暑い中、行動的でいらっしゃるので、お体には気を付けて、私たちに情報をお知らせください。子供みずから「はがき通信」に通信できる日を楽しみにしています。乱文、乱筆にて失礼しました。
兵庫県 KI



福祉車両のレンタルを利用して

7月、戸河内(広島市の北)で開かれる「広島頸損ネットワーク」の交流会に出席したいのだが足がない。太田川のアユも食べたいし、山の景色も見てみたい。こんなチャンスでもないと2度と戸河内のほうに行くことはないだろう。
いろいろと方策を考えていたら以前、新聞に「トヨタレンタカーに座席が外に出て下に降りてくる福祉車両を配置」と出ていたのを想い出した。運転をお願いするボランティアに話したら「それで行こう!行きましょうよ」とノリがいい。ところがそのボランティアの若い女の人は「大型の1BOXをまだ運転したことがない」という。できたら戸河内に行く前に1度練習をかねて広島市の養護施設「白木の郷(さと)」まで行って頸損の知人に試乗してもらい、うまくいけば戸河内へ一緒に行きましょうということになった。広島県内に1台しかないその車を借りて、練習のために、山陽高速を福山から西へ1時間白木町まで走らせた。

初めて運転する車なので、もしかしてもしかするかもしれないと、新聞に載った交通事故の悲惨な写真が脳裏をかすめる。道中安全運転、安全運転とうるさく念仏を唱えるが、彼女はすぐ車に馴れて時速120キロでぶっとばす。どうにか、無事に「白木の郷」に到着したが、のどがカラカラに乾く。
福祉車両の座席の動きはスムーズで車椅子の座席と同じ高さまで降りてくるので、女の人2人で車椅子から座席に移せる。座席は油圧でゆっくり上昇する。上まで揚がったら油圧のスイッチを切って、あとは人の力で座席を押してスライドさせて車内に入れる。90度回転して前向きにしたら自動的にピンが入って座席が固定する。

目的のH氏も試乗して1回りしてみたが「おれはこんなものには乗りたくない。戸河内には行かん」といって首を縦に振らない。「キャンピングカーを買ってベッドに寝ていく」と夢みたいなことをのたまう。結局、戸河内には同行しないことになった。せっかくの好意を拒否して、この計画を提案した若いボランティアの胸を痛める。
3ナンバーのエステマだから車に不満はないのだが、この車は年式が古くて座席の後ろに油圧機器があってリクライニングができない。最新のこの手の車はリクライニングができるように改良されているようであるが、長距離を走るときリクライニングができないとしんどい。車椅子を積むスペースは十分あるのだが電動車椅子は重くて積めない。電動車椅子を常用する頸損には向かない中途半端な福祉車両である。

交流会当日はとても暑い日で名勝三段峡をたずねる余裕はなかったけれど、初対面の人たちともお話ができて、なごやかで有意義な会合だった。あゆの塩焼きがおいしかったことも付け加えておこう。なお参考までにトヨタ・エステマのレンタル料は2週間前に予約したので、5%のOFFがあって12時間契約で14,000円だ。
広島県福山市 HT : tutiya@fkym.enjoy.ne.jp



みなさんの強靭な生命力に敬服
BOOK

拝啓 梅雨明けの待ち遠しい今日このごろです。4月29日、TETSU-YA君の結婚披露宴の日に『頸髄損傷−自立を支えるケア・システム』をいただき、ありがとうございました。

あの日、ご本をいただいたとき、読後の感想をなんて申し上げましたが、序の文を拝読しただけで圧倒されてしまいました。頸髄損傷という障害の具体的な事実に対して、私は何と言っていいか言葉を失ってしまいました。軽率にも感想を書きます、なんて申し上げた自分自身を深く恥じ入っています。あの日の車椅子の皆さんも筆舌につくしがたい苦悩の深淵を乗り越えてあんなに明るくふるまっていたのだ、と思うと浅薄な自分がただただ恥ずかしく思えてなりませんでした。
事故後20年にして、いまだに立って歩く夢を見るというNさんの告白が物語るように、自己の立場を受容することのむずかしさは、私ごときには想像だにできません。

「障害者、限度を超えればカヤの外」という現実にもかかわらず、強く生きている人がいるということは、人間の強靭な生命力というか、人間への思いの深さというものに畏敬の念が沸いてきました。
また、「カヤの外」といわれる困難な現状の中にいて、日夜心をくだいているお仲間の皆様にただただ敬服するのみです。
最後になりましたがみなさんのご健康を心から御祈念申し上げまして、ご本のお礼とさせていただきます。 敬具 平成10年7月30日
編集委員・松井先生へ(匿名希望)



この道のプロになれたら


私は2年ほど前まで、プログラミングは「難しいもの」と決めつけていました。理由は、大分前(10年以上前)に購入して読んだプログラミングの参考書で理解できないところが多かったためと、別の参考書にプログラミングは専門家に任せて市販アプリケーションを使うことを考えたほうがいいというようなことが書いてあったためです。
今考えてみるとパソコンもないままに参考書だけでプログラミングを学ぼうとすること自体、無理があったように思います(当時パソコンは高価でしたから)。 そんな状況に変化があったのは2年前にインターネットを利用してのデータベースプログラミングの講習を受けてからです。

私は、講習を受ける前からパソコンを利用しての請負い的な仕事はしていましたが、仕事の内容はワープロでの文書作成、打込み、データベース関連のデータ加工など、どちらかというとオペレーター的仕事が主でした。このような仕事を数年間続けました。この仕事も最初は、収入が得られるという喜びだけでも満足できましたが、仕事量が一定でなく、忙しい時とそうでない時の差が極端で、複数のクライアントからの依頼が重なる場合でも無理をして引き受けてしまうこともありました。そんな状況で考えたことは、自分(頸損)にはオペレーター的仕事は不向きであるということと、何か技術を身につけて創造的な仕事がしたいということでした。
インターネットによるデータベースプログラミングの通信教育を受けることができたのは、私の人生で大きな転機だったと思います。講習は約8ヶ月続き、1週間毎の課題提出がありました。途中思うようにプログラムが組めずに挫折しそうになったこともありましたが、勉強していて、あるところを境に「あっ、そういうことか」と理解できるようになった気がします。今考えると概念みたいなものを理解するまでが、プログラミングの1つめの峠ではないかと思います。
講習を修了して、しばらくして、地元のソフト会社に在宅勤務の形態で正式雇用され、1年ほどになります。仕事の内容は、データベースを利用しての業務ソフト創りで、パソコンにやらせたいと思うこと(業務)を、データベースソフトをプログラミングして実現させることです。入社して私が最初に手掛けたソフトは、顧客管理関連のものです。今のところ東北を中心に販売されています。
1年間実務を経験して感じることは、商品として売るものを創るということの難しさです。私は開発担当ですからお客様が使いやすい、そして役に立ち、導入して良かった(その会社の利益につながる)と思われるソフトを創らなければなりません。そのために要求されれる知識もたくさんあります。
私のばあいまだ覚えなければならないことは山ほどあり、日々勉強ですが、少しずつでもスキルアップし、この道のプロになれたらと思っています。
盛岡市 AO : okubo@echna.ne.jp


募金にご協力を!!

日本せきずい基金募金 : 残高¥1,569,611

せきずい基金のページへワープ!
ホームページはこちら

お問い合わせ先:準備事務局 TEL & FAX: 0423-66-5133



夏の思い出

タイトルだけはロマンチックにいきます。リハビリと呼吸訓練を兼ねて水泳を少しずつ始めて以来、水の中の気持ちよさと予想以上の解放感に、山登りが趣味でマリンスポーツにはトンと縁のなかった私は、一度スキューバーダイビングをやってみたいと思うようになりました。そして、この夏とうとう沖縄まで行って来ました(去年が冬山スキーで、今年が夏に海でのダイビング。麩澤さんから、「体育会系頸損」と言われてしまいました。そういえば最近、3輪の練習でますます頭を使ってないなぁ)。
何かをやってみようと思うとき、やはりそれなりに辛さや苦しさがあるのは当然で、でも、それが達成できたとき、その大変さが倍の喜びになって返ってくるわけですが、今回さすがの私も(?)船酔いにだけは勝てませんでした。もともと小さいころから乗り物酔いが激しかった私、頸損になってからどんなに酔っても吐けない(戻す力がなくて)と思っていましたが、まちがいだったのですね。9年近くにして大発見(?)です。船の上に仰向けに横たわり、何回上向いてゲロ吐いたろ……。“潮吹きクジラ”ならぬ、“ゲロ吹き女”になってしまった。

その日、台風1号の余波の影響で波浪注意報が出ていた。入り江の中は全然OKだったのですけれど、沖に出るにしたがって波がだんだん高くなり、上向きゲロピョンのはじまり、はじまりぃ〜(朝、なに食べたっけ……? うっ、まっこと汚い話で申し訳ない。^_^;;)。でも、この最悪のコンディションの中、ウエットスーツを着て海の中になんとか入るだけは入った私、結局潜ることまではできませんでした(一番の理由はお金がもったいなかったから? 気力・根性よりゲンキンだー?!)。
さてさて、復活が早くコリない私は、またチャレンジしてみたいと思ってはいるのですが(今度は事前にプールで耳抜きや呼吸訓練もして)、船酔いだけはまたしないとも限らず、どうしようもない問題だけに、いつもワクワクドキドキだけでけっこう行ってしまう私としても、ウーン〜……悩んでいます。 8月9日
横須賀 HS : h-sedei@ma4.justnet.ne.jp



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