は が き 通 信 | Number.31---P2 |
POST CARD CORRESPONDENCE | 1995.1.25 |
前ページへもどる 36年前に首の骨を折る大事故を起こした頃は、旅行などは夢のまた夢…と思われました。そして、ふだんはほとんど寝たきりでも、ヨーロッパ仏教学会がオーストリアの首都、ウィーンで開かれると聞いて、私は無鉄砲にも意見発表を申し込みました。
その学会の前に5日間、パリを電動車イスでまわり、その福社をかいま見て、日本と比べてみることにしました。
旅行に手動車イスを使うか電動車イスを使うか、その選択は難しいのですが、今回はなにがなんでも自分で走り回りたいと思いました。そこで、90kgもある電動車イスを使うことにしました。しかし念のために小回りのきく携帯用車イス(全チタン製、4kg)を開発して持って行きました。 手作りの旅行は突発事故が伴います。国際空港から、どうやって約30kmも離れたパリ市内に行けるか、出発前から心配でしたが、それはすぐに現実になりました。
エレベータがないので地下鉄の利用はできず、途方に暮れました。空港職員が「パリにはリフトタクシーはありません」と平然と云うのにはまずびっくり。
パリのホテルではエレベータが小さすぎて電動車イスが半分しか入りません。合点!と携帯用車イスに乗り換えて部屋のベッドにたどり着きました。 ヨーロッパの8月は9時ごろにロマンチックな夕日が沈みます。北欧の白夜のような感じで、パリでとっぷり日が暮れるのは10時過ぎです。 2日目、駅に行き、ヨーロッパで乗る汽車を4回分まとめて予約しました。今回は汽車旅行が主になります。郵便局はあまりなく、小包を取り扱うという中央郵便局をやっと探し当てて、真宗学会のために日本から持ってきた40冊の本をウィーン大学のゾッツ博士に発送しました。 「速達にすれば、10日以内にウィーンに届きます」という係員の説明で、安心して発送したのですが、結果的に届いていません。おかげで私は原稿なしで発表する羽目に陥りました。宅急便や商品の流通機構は日本より20年は遅れています。 ヨーロツパの食べ物は保存食です。ハム、ソーセージ、パター、チーズ、パンなどすべて塩辛くして流通に乗せます。 コールドチェーンは未発達で、生鮮食品はほとんど買えません。スーパ、デパートもほとんどなく、電気店は皆無に等しいです。自動販売機も全くありません。こういう国で障害者に対する福祉を実施する前に、健常者に対する福祉を考えるのが精いっぱいのようです。 パリの大きさは東西がたったの16kmくらいです。そうなれば、時速6kmの電動車イスでくまなく行けます。パリは地下鉄が発達していますが、駅にエレベータはありません。エスカレータはありますが、車イスで乗ると危険なので歩くことにしました。3日間歩いたら行くところがなくなり、困りました。それでも調査をかねて、百年ぶりの猛暑というパリを5日間歩け、歩けでした。 パリは公園だらけだと誰が云ったのか、並木道は多いけど、公園はほとんどありません。無料の公衆便所は1ヵ所もなく、収尿袋の処置に困りました。絵になる石畳の道路を進んでいくと、ポルノ映画館や売春宿が両側にずらりと並んでいるところを通りました。ヨーロッパでは歓楽街は一般に駅付近など、いい場所を占めている重要産業です。 歩道の段差の解消は全体の約半分どまりで、それも不完全ですから日本より何十年か遅れています。解消されても半数は段差が5センチ以上も残っており、電動車イスではなかなか歩道に上がることは困難です。パリでは電動車イスがまだ普及していないという事情も関係あります。そのうち面倒くさくなって、赤い布を下げて、車道を堂々と電動車イスで来ることにしました。パトカーが一度、サイレンを鳴らしながら「歩道に上がりなさい」と注意してきました。 3日目、セーヌ川付近のホテルに落ちつき、夕方の散歩に出て帰ったとき、荷物が別の地下室へ移動されていて「元の部屋を使いたければ、6千円余分に出して下さい」と云うのには参りました。
フランスは観光の国ですから、不明朗なトリックは納得できません。しかし、タクシー代も示テル代もいろいろと理由をつけてふんだくられます。置き引きなどに遭わなかったのがせめてもの慰みです。なかなか手ごわい、観光都市です。
パリでは水道の水は飲めないので、飲料水を買わなければなりません。これも結構高くつきます。街角を歩いていても、みんなミネラルウォータを片手に歩いています。私のような身障者が排尿浄化のために飲む水の量は毎日2500ccですから、500円かかる計算になります。障害者が住める町ではなさそうです。 石の家は隙間なく並び、人間が密集して住めるように工夫されています。敵が攻めてきた場合にも、それぞれの区画が砦の役目を果たすことが可能です。「いつでも戦えるように…」このことは数百年にわたる植民地政策を強行するために彼らが決して忘れなかった座右銘です。 5日目、スイスに向かう新幹線(TGV)に乗る日です。電動車イスが困るだろうと承知していながら、予約した箱型タクシーが来なかったのは残念でした(終わり)。
療護施設自治会全国ネットワーク正式に発足 12/10・11に東京都障害者総合スポーツセンターで「療護施設自冶会全国ネットワーク第1回総会」が開かれ、療護自治会ネットとして正式に、活動が開始されました。 外出など厳しい規則のある中で、施設入居者がどのくらい集まるのか心配でしたが、総会前に行われた自治会ネットと職員ネットの交流会の参加者もあり、入居者・職員合わせて約100人が集まりました。 北海道、青森、新潟、奈良、福岡などからの参加者もあり、関東近辺の施設入居者が集まれればよいと思っていた事務局は、全国の施設入居者のパワーを少々甘く見ていたのかもしれません。それだけ、地方の療護施設での生活は深刻で、このような集まりでもないと外出が困難なのだと思います。 頚髄損傷や脳性麻痺とか、障害別でしたら、たくさんの障害者団体があますが、このように施設入居者という「置かれた立場」での障害者団体は過去に例がない?ように思います。 これから、療護施設自冶会全国ネットワークの事務局員として、主に機関誌の編集・発行のお手伝いをさせていただく予定です。はがき通信の読者の皆さんは、在宅生活の方が多いと思いますが、皆さんから見た「施設の生活・施設入居者」などありましたらお話しいただけたらと思います。 初めての海外旅行 2月初旬フィリピン・ルセナ市にあります「グリーンライフ研究所」に一週間くらい行こうと計画中です。私にとってはじめての海外旅行で今から楽しみです。成田空港から約4時間、真冬の日本から急に暑いところに行くので、少々心配ですが“挑戦”という意味で、いろんな経験をして来ようと思っています。 現地での生活は、次回の「はがき通億」で報告できると思います。
障害を持った子どもの施設で自分が働いていた時のことを、10数年たったいまでもふと思い出すことがあります。現在は4年制大学の社会福祉学科で「障害者福祉論」の担当教官の仕事についていますが、現場実習の訪問指導ということで施設を訪れたり、学生が実習を終えて戻ってきてからの話を聞きながらも、しばしば同じような思いにとらわれることがあります。 それは、生活困難や障害を負った人々に接し、援助をすることのむずかしさ、こわさです.そしてまた、奥深さ、おもしろさといったようなことです。 夏の実習のあと、いま大学内で行っているゼミでは、個々の学生にさまざまな現場での体験を話ししてもらっています。いつも悩むのが、それになんとか普遍的な意味づけをして、やがて施設などの職員として実習生一人ひとりが働く場合の何かの支えにしてやれないかということです。 福祉の援助が具体的に展開される施設現場は、すぐれて倫理的な人間を形成するに役立つ面と逆に180度逆転して、救いがたい退廃に人間をおとしめる契機になる面をあわせ持っていますから、ずっとこだわってきました。でも、いつも考えては立ち止まり、あまり気のきいたことも言えないで、自分だけでもがくことを重ねてきたように思います。 また今年も秋口の実習ゼミ、障害者福祉論の講義のすすめ方をいろいろ考えなくてはならない時期がきたと思っている時に、「はがき通信」の編集を担当しておられる松井先生から、一冊の本を紹介してもらいました。向坊弘道さんが最近出版された「よみがえる生命」です。 私はこの本を読んでまず、高位頚髄損傷の方が車イスで、国内はもとよりフィリピン、ネパール、ブラジルなど海外に出かけて、人並以上のけた外れの行動力をもって活躍されていることに正直言って驚きました。私がこれまで抱いていた、重度の障害をもった人の生活行動に関する概念・範囲などについて訂正を迫れれました。 多分、この「はがき通信」を読んでおられる方は、向坊さんのことは既に直接・関節にご存じのことでしようから、何をいまさら新参者が驚き・したり顔をしてものを言っているのかとお思いでしょう。でも最初にお知りになった時は、私と同じように心底たまがった人もおられると思います。また向坊さんがこのように実際に行動しておられることが他の人にどれだけ大きな励ましになっていることかと改めて思います。 はじめに書いたこととも関連しますが、福祉の実践は価値の実現をめざし、また個々の場面での価値判断が求められます。「よみがえる生命」は福祉の実践に欠かせないこうした価値について、しっかりと考え、明確にしていくことの重要性を指摘するとともに、仏教の「平等思想」をもとにして具体的な展開について述べられた本です。宗教と福祉の実践という関係者の間でも十分に解明しきれていない課題に関連して、貴重な一石が投じられたように私には思えます。そしてまた、何よりも、読む人との間に信ずる宗教に差異が仮にあったとしても、障害とともにある日々の中で著者が思索をされ、行動され、記述されたことが、重度の障害を持つ人・家族のみならず、施設の職員、現場の仕事に就こうという学生、その後押しをと思う私のような者が揺らぎ、迷いを生じた時に方向を指し示して下さったもののように感じています。
TK---勤務先:鹿児島経済大学社会学部社会福祉学科
T先生は、前号に間に合うようにと速達で送っていただきましたが、一足違いで2ヶ月遅れの掲載となりました。お詫び致します。向坊さんにはフィリピンに出発する直前ファックスで送り、先に読んでいただきました。「褒めすぎです」と珍しく?向坊さんが照れていました。
松井
その前に5年の訓練、車イスマラソンにも挑戦し、脊損になってから大学を卒業し、立派な家庭を作り、他の脊損者のために資金を集め、そのお金で研究やリハビリ、車イススポーツ、リクリエーション・プログラムなどに使って人助けをしたということである。その上にパイロットの訓練を受けて、ひとりで飛行機を操縦したのである。 ■ 意義ある目標 ここで心理学的にいえることは、まずそれぞれの人に意義ある目標を決めることである。その目標はチャレンジするものでなければならないが、同時に現実的で、成し遂げられるものでなくてはならない。そして目標を立てる時に大切なのは、自分の能力とその限界をはっきり見極めること、そして目標は具体的なものでなければならない。というのは各段階で評価できるからである。 つぎの段階は目標を果たすことを約束し決意を明らかにすることである。 目標をはっきり決めたら、次に想像力を働かせて目標を達成した時のことを心に描くようにする。これはちょっとした技術がいる。簡単に言えば、心理療法を受けるときのようなリラックスした気持ちになることがまず必要である。 つぎに計画を細かく立てて実行に移すわけであるが、その時何かモットーのようなものを決めておくと良い。リックが世界一周したときのモットーは正直であることであった。 ■ 目標の重要な要素 つぎに目標を分けて、重要な構成要素をつくる。リックの世界一周の構成要素はつぎのようなものであった。
ことなどである。 それを細かい仕事に分けて、①では伴走者の役割と責任をはっきり決めること、人材を選ぶこと、それを訓練すること、それが移動する移動ホームを得ること、ユニフォームと装備にスポンサーを集めること、食べ物の必要なものを計画すること、医療品の支援計画、車イスとその装備についての計画、試走を完全に行うことなど、リックは綿密な計画を立てていたことがわかる。こうしておくと、自分がどの状態にいるかも容易にわかるからである。 ■ タイムスケジュール つぎに効果的に計画を立てるのに大切なのは、各構成要素について現実的なタイムスケジュールを立てることである。こうすればどこまで目標に近づいたか一目でわかる。計画を立てる時に積極的に他人の援助を求めることが大切である。自分一人では無いということを知れば慰めにもなるし、カが湧いてくる。一番役に立つ人は同じことをうまく前にやった経験のある人である。忠告も受けられるし、励ましも受けられる。情報をうまく利用することも必要である。リックの世界一周も彼一人でやったのではない。中央の事務所には、40人のスタッフがいたし、数千人のボランティアも活躍した。つぎにチームのメンバー一人一人に役割と義務と期待を与えることが大切である。 計画通りに進むのが理想ではあるが、予期せぬことが起こったり、コンディションが変わったりして、計画を再調整したり、修正する必要がある。弾力性と適応性が重要である。リックも「EXPO86」をやっている間に帰ってくるため、そして遅れると気候が悪くなるため、十分な資金も人手もなしに出発した。 ■ 行動を起こす勇気 つぎはいよいよ行動を超こす番である。これには勇気がいる。なぜならこれは見知らぬ世界に入っていくことであり、それは不確かさを伴うからである。行動を起こすことは危険を冒すことである。新しいことをやることであり、知らない世界に入っていくことであり、失敗することもあるからである。保証はないのである。始めは十分な用意が出来ていないと感じ、恐ろしいと感じるかもしれない。でも行動を起こさなくてはならない。リックも始めは成功するという自信は無かった、とにかくやってみようという気持ちであった。 これだけしか出来ないという制限された思考にチャレンジすると、自分は可能な範囲を広げることができる。リックの場合は事故の後、全く何もできなくなったと感じるときがあったが、大学で体育のコーチにならないかと薦められたときにこの提案を受け入れるリスクを負うと決めた。新しい窓が開けたように感じた。 感情的にも自分が価値の無いものであると感じがちであるが、自分を信じなければ行動を起こすことは出来ない。リックは始め女性とデートすることなど考えてもいなかったが、ある日パティ・リュークという女性がリックに微笑みながらデートに誘った。最初は同情からであろうと拒否したが、やがてそうではないと知り、ついには彼にとって最も大切な人になった。 危険を冒そうとするときには、必ず恐怖とか、怒りとか、心配とか、憂鬱とか、フラストレーションというような否定的な感情に襲われる。これは目標に向かって進むときに今までと違うことをするのにしっかり注意しろという内部の信号である。だからそれらを良く聞いて、積極的に行動することが必要である。(次回このつづきをお楽しみ!)
*夢運び人さん、今回の通信は一段と読ませます。「病院は病気を治すところというのは昔の話しで、今はみんな死に場所…」とは!普段と違った体験がいつもの行動派から思索の側面を浮き彫りにしたようですね。「車イス一人の淋しさ…」のコメントにも若さとともに優しさが滲みでています。とても感動しました。次回どんな通信が寄せられるか楽しみです。Sさん、返信が必要ですね。ここは年上?の貫禄をみせて、大きな気持ちで反論して下さい。 *Nさんの2番目の歌集「彼岸花」が送られてきました。歌心のない私にはどれが傑作かわかりません。TNさん、次号の通信用にいくつか選んで下さいませんか。 *「行動には勇気を」とHK氏の抄訳もいいですね。赤い布を掲げてパリの車道を闊歩された向坊さんの勇気には、T先生の表現を借りて、“心底たまがった”。同行された太田さん、遠藤さん、ご苦労様でした。どうやら折角のヨーロッパ旅行が向坊さんに振り回されたようですね。私も予定通り参加しなかったこと、後悔したり、安堵したり、複雑な心境です。 *Fさんの連戦は次号で完結だそうです。福祉機器展で介助ボランティアされたMTさん、次号を楽しみにお待ち下さい。 *ぱったりと音沙汰途絶えた人、まだ書く気になれない人、車イスも受け入れない人、気になる人、心配な人もたくさんいます。とりあえず自分を表現できるようになった人たちで今年も通信を盛り上げて下さい。よろしくお願いします。
松井
今年もたくさんの年賀状いただきました。紙面の関係で、そのうちお二方の年賀状掲載します。
明けましておめでとうございます
●「短歌集」か「事故以降の記録」を出版したいこと 「あゆみ」は遅いですが焦らず、欲張らず、粘り強く進んでいきたいと思っています。気長く見守ってやってください. はがき通信を出そうと思いながら、つい、時期を失ってしまいます。今年もまたはがき通信の皆様にもよろしくお付き合いお願い申し上げます.
尼崎市 KS
あけましておめでとうごさいます 昨年はお世話こなりました。一昨年の「よみがえる人生」は1万2千部売れ、昨年の「よみがえる生命」(樹心社刊)は3ヶ月あまりで第1版の5千部が売り切れる好調さです。皆さんのご協力に感謝しています。 おかげで、ヒマラヤの連山を眺めながら、仏教を勉強できる宿泊施設ができました。一泊500円です。2、3階の建設計画はこれからです。新関西国際空港からネパールヘの直行便もできました。ぜひ一度お出かけ下さい。 色々お世話になります.今年もよろしくお願いいたします.
1995年元旦 向坊弘道
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