は が き 通 信 Number.28−P2
POST CARD CORRESPONDENCE 1994.7.25


バンクーバから

カナダ KU

はがき通信の皆様、こんにちわ。カナダのBC州にあるバンクーバ市に住むKUです。
1942年大阪で生まれ、中学を卒業し、1959年1月家族移民でカナダにきました。4年遅れで1964年にハイスクールを卒業し、2年半銀行で勤めたとき自動車事故で頸損(右C4、左C5)になり、27年半の時が過ぎました。病院、リハビリ施設、グループホーム、そして今は世話してくれる人と二人でアパート生活です。
今年の春、社会事業大学の佐藤教授がバンクーバに来られ、ノーブルハウスを訪れ、ジャネット・アンダーソンさんに会われ、私を紹介され来られたことから、松井先生とのご縁が生まれました。

先日松井先生と“Working Quads”の清家さんと友だちの3人でバンクーバに来られる前、“はがき通信”を6号から全部送って下さったので、来られる前にと一生懸命全部読ませていただきました。
“はがき通信”の皆様は私のことをご存知ないのに私はなんとなくお友達のように感じています。同じ頚損同士だからでしょうか。これからも時々書かせて戴きます。皆様どうぞよろしく。 1994/6/1


頚損の娘とともに

TH


あじさいの花も終わりに近づき、夏の到来が感じられる今日、この頃です。
はがき通信の皆様、はじめまして…
私は、北九州市に在住のC4の揖傷で残存機能は首から上の機能と、左手が少し動く娘の母親です。
今から3年前の、当時高校3年生に進級したばかりの4月、学校でのクラブ活動での体操の練習中、跳馬の着地時に首から落下し、現在に至っています。
娘の名前はKHと申します。Kは、現在、大分県の国立別府重度障害者センターへ入所しており、百万分の1?の機能回復の可能性に夢を託してリハビリ中です。

昨年の夏、向坊様の「よみがえる人生」の著者に出会い、同じ北九州市に在住の方と知り、若松区のご自宅をKといっしょに訪問させていただきました。
短い時間でしたけど、お会いしていろいろなお詰を聞かせていただいているうちに、生きていく勇気と希望がわいてきました。そのときに、このはがき通信を教えていただきました。
先日、別府の娘からTELがあり、「成人式のことを書いて出したよ」との事で、娘は、すでにはがき通信に投稿させていただいていることを知りました。
事故から早いもので、もう3年経過しました。とにかく無我夢中の3年間でした。娘の将来を考えると、今でも不安でたまりません。私の耳の奥では、Kの足音が聞こえ、目をつぶれば、音楽に合わせて、床運動にとりくんでいる、元気だった頃の姿が浮かび、今、目の前の状況が夢ならば…。

でも生きていたからこそ、今年の1月15日に娘は、成人式を迎えました。色々と思い悩み考えて、1年がかりの計画でしたけれど、人並に、振り袖を着せてやることが出来、小倉の市民会館で執り行われた式典にも出席することができました。何事もなければ、当たり前のことが、今では、人と同じことが出来たときの喜び…、何もかも、ささやかなところで、全てが喜びに変わってゆきます。
着物は上はじゆばん風に、下は巻きスカート風に2部式に仕立てました。帯は前に当たる部分と後ろは結びあげて、ちょうとこどもの七五三の帯の様に作りました。多くの方々のご協力で、我が娘ながら、たいへん、可愛くて、清楚な、振り袖姿を見せられたことに感謝し、心から満足しました。

喜べは、喜びが、喜びながら、喜びを集めて、喜びに来る…人生は心ひとつのおきどころ…吉丸房江さんの言葉ですが、私は、この言葉に共鳴しています。
Kは明るく笑顔をたやすことなく、頑張っています。誰もそうでしょうが、ある日突然、四肢マヒの宣告を受け、どうして生きて行こうかと、思い悩んでいるときに、情報交換のはがき通信を手にしたときは、わが家だけではない、各地で同じ状況の方々が頑張って生きておられる、また娘よりもっと状態の悪い方も、しっかりと頑張って、おられることを知ると、本当に生きていく勇気がわいてきます。

私も親として、少しでも娘のカになってやれたらと、考えています。娘が弱音をはかない限り、また弱音をはいたとしても、そのときに、対応できる母親に成長するためにも、はがき通信を読み続けたいと願っています。
1994/6/27
 (通信費として1万円と90円切手50枚のカンパをいただきました)


書きたくても読むだけの人もいる

福岡県 NI


私は、九州のとある施故に入居しています。
偶然読んだ新聞記事で向坊さんを知り、はがき通信を紹介されました。現在35歳の男です。今年の夏が来れば、怪我をして丸14年になります。私は、完全マヒではなく、不全マヒですから、四六中、激しいゴーストペインに襲われ、それを治すために当初はブロック注射、マイクロ、針、気孔などあらゆることを行ったのですが、結果として少しも良くならず、慢性の不眠症に加え、ゴーストペイン、それに排尿がこのところすぐれないので、必ずしも良い状態とはいえません。

C5とかC6とか言われていますが、同じ部位だとしても個人差があり、みんな同じ状態とは必ずしも言えません。手に装具を付け、左向きに寝た状態になり、なんとかワープロのキーを叩いていますが、体調が良いときでないと、とてもワープロなど打てず、ポウッとした日々を過ごしています。病院へは、延ベ10年以上も入院していましたが、居心地の良いところなどどこにもなく、それは大変辛い日々でしたが、施設と違い、措置費の心配がないうえ、頚損特有である突然の発熱の際などの対処に困らない点だけは助かったのですが、時間に追われ、苦悩する日々でもありました。
やっても良くならないリハビリをやらざるを得ない矛盾と闘いながら、過ごしてきましたが、今になって思えば懐かしくもあります。施設の日々と言ったら、寝ているか、電動車椅子で、建物や敷地の中をウロウロするばかりです。

私は、昭和55年8月、鹿児鳥県にあります与論島へ海水浴に行き、干潮時だけ現れる浜へグラスボードが着く直前に縁から飛び込み、海があまりにも浅かったので首の骨を折り、それで頚損になってしまいました。
怪我して、14年近くにもなりますが、頚損患者は年を取らなくて、今でも当時の年齢のままの21歳のつもりでいます。
通信を読んでいる知人がいますが、手紙を出す気にならないらしく、もっぱら読んでいるだけのようです。頚損の場合、手が駄目なので、口にペンを加えて書くか、ワープロを打つか、代筆のうちのいずれかで、病院に入院している場合、付き添いの人に代筆でもしてもらわないと、大抵の病院の場合、ワープロなどは禁止の場合が多く、また付き添いの人がいない場合、代筆も口で書くことも叶わないので、書きたい気持ちはあるのに、読んでいるだけの読者が少なくないことを在宅の方がご理解して下さることを願っております。健常でさえ、今日手紙などそう滅多に書かないのに、身障者の場合、相当無理があるのに、毎号のように書いて来て下さる方には驚きです。

身障者と呼ばれ、辛い立場になり、なかなか外へ出る機会はなく、ストレスが溜まり、イライラを募らせつつ、ポオッとしています。頚損の場合、暗くなりがちですが、「はがき通信」のみんなは一様に明るく、その明るさこそが人間そのものを表しているかの様で、さわやかです。日本中にどれだけの読者がおられるのかは知りませんが、これからはなるべく多くの方々にお金がかからない程度の情報を与えていきたいとそう思っております。あまり長くなって誠に申し訳ありません。
次回は、スポーツとかの話でもしたいものです。失礼しました。
暑い夏に気をつけて、皆さんお元気で
  
早々 1994/6/1

(NIさんの通信には、矢貫 隆著「奈美ちゃんの赤い靴」日経新聞社1500円の紹介記事が同封されていました。この本は、若い女性頚損を主人公に「動く」という人間の本質的欲求から障害者と社会のありようを眺めたユニークさがセールスポイント、Sさんも推薦しています)


ボランティアとして

東京都 MT


向坊弘道氏の「頸揖歴37年の健康管理」(神経研にて講演)の中で、さまぎまな工夫をし、生活をされてきたお話を聞き、もっと多くの方に聞いて頂きたいと思いました。そしてそれ以上に、一晩向坊さんの介護をさせて頂き、お話をゆっくりと出来たことに感謝しています。フィリピンや北九州に行ってみたくなりました。どなたか行く方があれば、介助スタッフとして行きます。ご連絡下さい。
さて、最近のはがき通信は自己紹介が多くて…という声を聞いたことがありますが、それにも懲りずに自己紹介させていただきます。

私は11年間、神奈Jllリハビリセンターの更正ホームで指導員として、C5.6レベルまでの方を対象に仕事をしてきました。運転免許や家屋改造、復職や復学、そして介護、健康管理とリハスタッフと共に仕事をし、その間にはがき通信に出会いました。
現在は、東京に3カ所ある療護施設の一つ、清瀬療護園に寮母として勤務しています。療護施設に入所されている方の中にはご存知でしょうが、60名定員で国基準の3倍の人員配置で、居住者(清瀬療護では、入所者をこう言います)1人に対し、直接介護職員は1.25人で、部屋は個室ないし2人部屋です。起床、就寝、外出、外泊、飲酒などはまったく自由であり、自分で主体的に行動できる方にとって日本国内においては、居住者の生活を重視している所と言われています(現実にはさまざまな問題を抱えていますが…)。
清瀬療護園について、もっと詳しく知りたい方、また施設の自治会ネットワークや職員ネットワークについて関心のある方はぜひご連絡下さい。

ところで、この文章を書くにあたって、バックナンバーを読み返したところ、書式も内容も随分と変化しています。今後どのような形となるのか分かりませんが、会報化するにしても、障害を持たれている方のみならず、家族や病院、施設のスタッフ、ボランティアなどにも広く読まれ、参加していく通信であってほしいと思っています。はがき通信を通じて多くの方々にお会いすることができました。
私としては、施設での生活のレベルアップと地域社会で、家族だけでなく、他人から介護を受けながら生活できる方法について考えていきたいと思っています。
こんな私ですが、交流したい方は、気楽に連絡して下さい。1994/6/25


頚損歴7年痛みで苦しむ

佐賀県 KN


はがき通倍」の皆様、こんにちわ
私は、KNと申します。よろしくお願いします。
簡単に自己紹介させていただきます。
頚損歴7年、現在歳、C5レベル、家の周りを電動車イスで散歩したり、指輪みたいな装具を付けて、時間はかかりますが、片手でどうにかワープロのキーをたたいています。痛みで苦しんでおりますが、皆さんは、どうですか?
今後ともよろしくお願いします。1994/7/1



広報部だより
広報部長・麩沢 孝

▲身体障害者スポーツ大会参加
5月22日上尾運動公園陸上競技場で埼玉県身体障害者スポーツ大会が行われ、カーサ・ミナノ代表として参加してきました。このような大会は、各都道府県で行われているようですが、群馬県の病院に長く入院していた私は、カーサ・ミナノに入居して晴れて埼玉県のスポーツ大会に参加することが出来ました。
結構、思ったより盛大で、若い車椅子の方も目立ち、視力や聴力に障害を持った人たちも多数来ていました。私は、電動車椅子スラローム(30m)に参加したのですが、この電動車椅子スラロームは、新しい競技で、審判もわかって無いようで、4.5kmも6km(電動車椅子のスピード)も一緒に走ることになってしまい不利でしたが、みごと!? 優勝しました。

身体障害に合わせ、いろいろな競技があり、レクレーション的なものから、本格的な車椅子15OOmなどもあり、頚髄損傷者でも電動、手動共にいくつかの競技に参加できます。
このようなスポーツ大会のように、私達のような身体の不自由な者が、障害を全面に出すことに賛否両論あるようですが、今回参加して思うことは、障害者だからとか、身体が不自由だからとかは感じられず、みなさん楽しそうに競技されてました。


▲車いす総合賠償保険
最近、車いす保険というのができ、いろいろな障害者の機関誌にて紹介されてますが、私もパンフレット取り寄せてみました。損害保険ですから、褥瘡や肺炎、や障害を軽減するなどの手術などには支払れませんが、車椅子乗車中や、その他の外出時の事故に、死亡、入院、通院というようにそれぞれ払われます。そのほか他人にけがをさせた場合の賠償責任と見舞金、車いす利用者の携帯品損害などもついています。年間8300円です。
このような保険が出来ることは、障害者が外へ出る機会が増えてきたのかなぁなんて思いますが、やはり「身体が不自由とか」「車いすとか」わけることなどないのが、本当のノーマライゼーションだと思いますがいかがでしょうか?
この保険は、日産火災海上・大成火災などで扱っています。ご照会ください。


▲食事介助支援ロボット
国リハの研究所の研究員2名と、セコム社開発貝2名が、5月中旬にカーサ・ミナノに見えられ、2度目の食事介助支援ロボットのデモンストレーションを行いました。
前回の、指摘部分である、レーザーポインタの受光部を大きくする事と、少しでもすくいやすいようにスプーンを大きくする改良で、以前よりは、スムーズになりました。しかし、まだまだ改良の必要ありで、特にレーザーポインタの固定に、眼鏡を掛けるのですが、ふだん掛け慣れない私は、違和感がありその辺がこれからの課題です。7月中旬には、カーサ・ミナノに泊まり込みで見えるので、また完成に近づくと思います。



KF氏アンケートの回答


①ベッドで自分の手に持って読んでいる。
②今のままでよい。HS(広鳥県福山市)


①手関節支持装具使用して、オーバーテーブル上で読む。開きやすいように折り目がつけてあれば、自分でめくれる。
②今のサイズでOK。KK(群馬県太田市)


①介助者にページをめくってもらう。車椅子で読み板(横46、縦30cm)に挟んで一人で読む。
②今のサイズで良い。U(東京都大田区)


①ベッド上で手作り読み板使用。
②今のサイズで良い。KK(宮崎県延岡市)


①机に広げて読む、ただし冊子が自然に閉じないよう文鎮をおく。
②今のサイズで良い。H(広鳥県呉市)

その他、TETSU-YAさんは通信で、また一人で読めるKさん、AさんとHSさんから、②は今のサイズで良いと回答がありました。



世界最軽車イスの開発
全チタン製3.6キログラム安全ベルト付き(特許申請中)
イラストは渡辺

高速バスや特急列車の狭い通路も、飛行機の中もスイスイ、シートの下は収納バッグです。

背もたれを外してシートの部分を飛行機の座席の前方に置いて繋ぐと、寝台のように寝れるので長距離旅行も楽です。

通常の車イスの後ろに引っかけて荷物運搬のためのカートにも使えます。逆さに頭の上に固定できるので、傘の替わりにもなります。

電動車イスのサブとしてぜひ1台どうぞ ¥55、000

お問い合わせは
向坊弘道  (TEL:093−741−2413)
有園製作所 (TEL:093−692−0888)




お知らせ
編集部より
5.The essential components of
the LINGUAL-MOUSE
are a dental foil with integrated
senseor and microchip


☆5月30日から神戸で国際バラプレジア医学会が開催されました。次号でも紹介しますが、今回は、会場で注目を集めた「リンガル・マウス」Lingual-mouse について簡単に報告します。
開発したのは、スイス脊損センター職業リハのドクターです。
図のように口葢にセンサーとマイクロチップを取り付けてパソコンを操作します。マウススティックの使用も困難なベンチレータ使用の高位頚損が主な対象になっています。安全性のチェックなど検討課題はありますが、実用化されれば、マウススティックより使用価値がありそうな気がします。如何でしょうか。

問い合わせ先:
Michel Dieter,MD
       Swiss Paraplegic Center,
     CH-6207 Nottwil,Switzerland


☆ベンチレー夕依存頚損者と家族の方々へ
6月、阿部勇さんの紹介でTS氏が研究室へ見えました。お嬢さんが3年前、プールに飛び込み、頚損となり、今もベンチレータ24時間使用の状態です。Aさんに会って、初めて共通の問題を理解しあえる仲間に巡りあえた、できれば同じ状態の方々と交流したいと申し出がありました。よろしければ直接ご連絡して下さい。
柴田さんのご自宅の電話は(情報交換誌「はがき通信」に掲載中)

☆5月16日から2週間カナダ・バンクーバに出かけてきました。頚損者のベンチレー夕使用と管理について貴重な手がかりを掴んできました。8月には報告書を発行予定で準備しています。
頚損連絡会ではベンチレータ依存頚損の問題に取り組むと今年の総会で決定されたそうです。8月7日(日)午後3時から1時間の予定で、バンクーバの報告も含めて、ベンチレータ依存頚損について頚損連絡会の主催による勉強会をします。場所は新宿区身障者センターです。ご家族の方、関心のある方は出席してもよいそうです。


☆カンパと切手のお礼
通信の有料化について積極的なご意見やご提案をいただき、ありがとうございました。カンパや切手もたくさん送っていただきました。なかにアルバイトの貴重な賃金から多額のカンパを送って下さった看護学生の方がいました。たいへん恐縮しています。現在、通信の印刷・発送費は神経研社会学部門の研究費で賄っていますが、皆様のご厚志も費用の一部として大事に使わせていただきます。通信でお名前は公表しませんが、すべて記録に残しております。どうかご了承下さいますよう、お願いいたします。

あとがき

*TETSU-YAさんは使わなくても良い断り書きを入れて、たくさん写真を同封してくれました。Mさん、Mさんもたくさん写真を送っていただきました。紙面の関係でごく一部しか使えませんでした。HK氏から海外情報の原稿を早々といただきましたが、今回は掲載できませんでした。ご了承下さい。

*バンクーバでたいへんお世話になったKUさんが早速通信を寄せてくださいました。Uさんは通信と一緒にカナダ脊損協会の機関誌も送ってくださいました。次号で紹介します。

*鹿児島のGさん、猛暑のなか元気で張り切っていますとさきほど電話通信がありました。学生さんと外出出来るようになったのも、ひとえに高木邦明先生(鹿児島経済大学)を紹介してもらったお陰と殊勝なお礼の電話でした。5月には栃木の頚損連絡会総会に学生ボランティアと出席され、8月はまた鹿児島から北海道縦断の旅に出られる予定だそうです。宮崎の村岡さんから今年5月に就職されたと暑中お見舞いが届きました。

*栄養に配慮し猛暑を乗り切って、9月の通信でお会いしましょう。無理せず、気負わず、書きたい、伝えたいと思ったときに通信を送って、下さい。はがき通信の良さは、本音で交流できることですから。

*今回、12ページに納めようと10ポイントで割り付けをしましたが、やはり字が小さすぎて無理のようです。再度11ポイントで割り付けた結果、こんどは空きスペースができました。折角のスペースですから、MさんとTETSU−YAさん東京タワーの写真、これは後でトラブルを起きないようにTETSU-YAさんだけ)Uさん、Kさんの写真を入れました。



HOME ホームページ MAIL ご意見ご要望