は が き 通 信 Number.28−P1
POST CARD CORRESPONDENCE 1994.7.25
ごあいさつ

夏本番です。私の家の前の海を見ていると、いつもこんなに平和な夏の海だといいだろうなあとつくづく思います。でも時には荒れ狂うので、海は手ごわいです。
私たちの体調もそのようですから、しんぼう強くつきあって行きましょう。  
                     
向坊弘道 1994年7月25日
横隔膜ペーシングで6年ぶりに外に出た夫

MM

暑い夏を前に如何お過ごしですか。
主人ですが、事故後、6年ぶりに酒田市内のデバートに行きました(療護施設より片道車で40分)。
横隔膜ペーシング(簡易呼吸装置)をつけて、携帯用吸引器(内部バッテリー)、吸引用セット(ガーゼ、カテーテル、消毒液、他)を車イスのテーブルに乗せて、私と施設の職員・西方(にしかた)さんとの3人道中です。西方さんは他の入所者を数回連れてきている関係で、歩道での車イスの押し方、デパート内でも寿司屋さんでも手慣れたもので、私は驚くばかり、なんとか無事バス旅行を終えました。
とは言っても主人はバスには乗れないので行きも帰りもライトバンの後部に布団を敷いてもらってしっかり寝たままです。車イスで実質4時間(昼食も含む)散策したところ、主人はなんと車イスに酔ってしまったのです。寮母さんに聞かれるたびに「くたびったあい」(疲れた)と言っていましたが、その後体調も崩れないところをみるとかなりタフになってきたのでしようか。
CD売り場でCDを買ったり、生寿司のにぎりたてを食べたり、西方さんがよく気の付方だったので、本人にとってははじめての体験ながら不安なく終えることができました。私も楽でした。はじめの日程計画では主人の付き添いは私一人だけでした。私はとんでもないと抗議しました。
嬉しそうな入所者とは対照的に職員の方々は皆疲れたような顔をしていました。車イスを押すには、酒田はけっこう坂が多い街です。
病院ではできなかったことが施施設では仕事としてやってくれます。ありがたいなと思いました。1994/5/13


元気になるのも気から

福岡県 ST


                 
はがき通信の愛読者の皆さん、お元気でお過ごしでしょうか。
私は、昨年の夏頃から尿の出が悪くなり、11月から約2ヶ月間、総合せき損センター(福岡県飯塚市)に入院していました。
はがき通信の皆さん、助けてください。もう身体がポロポロです!(突然すみません、少し大げさですネ!)というのは、昨年の夏頃から尿の出が悪くなり、入院(総合せき損センター:福岡県飯塚市)して検査した結果、手術もしないでよく落ちついたもんだと喜んでいたら、今度は目と舌の調子が悪くなり、目の方は手元がかすんだり、二重に見えたりして本や新聞の字が見えにくくなり、眼科に2ヶ月ほど通院しましたが、近視、遠視、乱視、全部が悪いと云われ、現在はこの歳(今年30歳)で遠近両用眼鏡をかけています。みんなから笑われていますけど、「笑いたい奴は笑えばいい、誰のためでもない自分のため、自分が辛い想いをしなければ誰が何を言おうとそれでいい」と思っています。

舌の方は、味覚がなくなり、この時も週に1回通院していましたが、味覚は戻ったけど、食事はスムーズに喉を通らなくて水分無しでは喉につかえて食べれません(水分なしでは食べれないのは私だけでしようか?)。
というわけです。受傷して7年過ぎましたけど、7年目にして急に泌尿器、目、舌と次々に悪くなり、また肝臓(C型肝炎/受傷時の輸血のため)の方も年々悪くなってきているので、今年に入って1〜2ヶ月ほど病院通いが続きました。しかし病は気からという言葉があります。元気になるのも気からと思い、くじけずに頑張っています。

ところで、私は、年内には自宅(福岡)へ帰る予定です。嬉しさと不安な気持ちでいっぱいです。受傷するまで5年間働いていたとはいえ、リハビリは厳しいと言っても今日まで温室で育ってきているために、社会に出れば間違いなくいろんな壁にぶつかることでしょう。しかし、私はどんな大きい壁にぶつかっても、私の好きな言葉「STAND UP」(立ち上がれ)で、頑張って行きます。皆さん、今後ともよろしくお願いします。
1994/5/17


to dear XXXX

TETSU-YA


ち−っすてことで、いきなり俺っちのちょっとした部屋の紹介です。
写真1の音楽用の机は引き出し付きの机の引き出しを開いて、その上に板を置いてその上にパソコンのキーボード(改造してコンパクトになったヤツ)、ecs(ボタン式、ベッドにあるのは呼気スイッチ)、マウス,telなどが置いてあります。
細い鉄の筒状のモノは口に加える棒をさして置いておく所。
こっちの机でも読書ok。ちなみにトロフィーはこのあいだ、今度はちゃんとしたロック関係の本に出てもらったモノ。超安っぼい。あと車椅子が机に入らなかったので、ちょっとした煉瓦系で机の高さを少し上げました。結構、考えているでしょ。手足なんか動かなくてもいいんだよ。ようは頭さ(笑)。説得力ねーな。

2の読書用の机も同じく高さを少し上げて机の上に少し角度をつけて板を置きました。食事はこっちで。自分は手で操作する電動車椅子に乗ってるんで、コントローラが邪魔にならないように入れるようにするのがポイントっす。
3はその他。ベッドには直接、お風呂に行けるリフターが上についています。あと鳥は俺の愛鳥、“CRAZY DANGER NANCY ボタン”氏(笑)。
かみついても感覚ねーからいたくないけど、クソされるのはFUCKだ。まだガキだから喋らない。
これらの改造で人の手借りないで自分の好きなことが出来るようになった。でもトイレ、風呂関係はダメだ。所詮、俺は障害者かっ(苦笑)。OK、OK。
まいっかってことで、SEE−YA!!

さようなら。TETSU−YA
l994/5/18
PS 写真は今お付き合いしている人と東京クワーにて××××動かない手はいつも腹ん中にいれてるんですよ(これはインプットしてはいけなかった?:松井)。


身体が茹だってしまう夏本番を前に

K


はがき通信の皆さん、こんにちわ!
お元気でお過ごしでしようか?
私は身体が茹だってしまう夏本番を目の前にして、それでもなんとかけなげに生きています。暑い夏が駄目な人はどうぞ気をつけて下さい。
さて、いままで通信の発行に!関しては、編集の皆さんのご厚意に甘えてきましたが、通信27号の浦田哲夫様の通信にもありますように、私たちの大切な「はがき通信」を末永く存続させるため、一日でも早く通信の発行に必要な費用の拠出を考え、実行するときがきたと思います。とは言うものの、私の頭脳はとても幼いため、その方法を考えるのは、会員の皆さんの明晰な頭脳にお任せしますので、どうぞよろしくお願い致します。ガンバッテ!
最近になってだいぶ、「はがき通信」の新しい仲間が増えたようでなんだか嬉しいような気になりますが、これって、本当は嬉しがるようなことではないですよね。怪我にせよ、病気にせよ、身体が不自由になってしまった人が増えた・・・ということで、悲しいことなんですよね。でも、この障害者としての生活も私たちの第二の人生と思えば、全国に仲間がいる私たちは考えようによっては幸せなんでしょうね。
これからもなにか困ったり、わからないことなどがあった時に皆さんに教えて頂ながら、これからの長い人生を無事に過ごしていけたらと思っております。どうぞ、これからも宜しくお願い致します。なんだか、好き勝手なことを書きましたが、この次は改めて好き勝手なことをミ書きます(ン?)。それでは皆さん、お身体を大切に。
1994/5/23


「うらめしや−」の原型は頚損?

KI


はがき通信のみなさんこんにちわ。嫌な梅雨に入ってしまいましたが、みんな元気で頑張ってお過ごしのことと思います。
私も元気は元気なんですが、一つ残念なことがありました。県福祉センターで障害者10人位でデイサービスを、週1回していましたが、職員の異動などで中止になってしまいました。いろいろと行事をしていましたので、少し寂しく思っています。

今年はパソコンを購入してチャレンジするつもりと、年頭で決心し本だけは何冊も読んでいますが、まだ買っていません。パソコン専門店も結構できていますが、車イスで入れるのはまだ2店しか見つけていません。数少ないその1店(NECパソコンショップ)では頭にきて帰ってきました。いろいろ機種を決める時から対応に腹が立っていましたが、それでも何とか機種も決め納期の話までして、また少し質問したら、カタログを読むだけで、何も調べずに「判りません」というので、「もう結構です」と言っちゃいました。私の友達も同じように腹を立ててその店より帰ったそうです。専門店ならもう少しは商品の知識を知っていて欲しいものです(たかが初心者の質問です)。でもそんなものですかね。
スーパなどの電気店は車イスで入れるし、安売りをしていいが、オプションの増設などをしてくれないのが残念です。車イスで入れるもう1店に下見に行さましたので、今度ころは購入するつもりです。

最近、はがき通信の部数が多いため、資金が話題になりますが、私もこの通信を続けていくために、ある程度の負担は必要だと思います。その方法は会費制がノーマルではありますが、入金の手続きなどが行いにくい人や、お金がかかるなら要らないという人も考慮が必要と思います。そのためには必要経費に少し上乗せした額を会費として、“カンパ”+“会費制”の精神での運営はどうでしょうか?

ちょっと変な話をさせて下さい。自分の少し動く右腕を上に持ち上げた時、手首より先は「テレー」と下に垂れ下がっています。この状態を見ていつも思うことがあります。怪談に出てくる「うらめしやー」の幽霊の手と同じだと。初めてあの格好を思いついた人は、きっと昔、頚損になった知り合いがいて、その頃はまず助からず、頭はしっかりしているのに体は動かず「うらめしやー」というのを身近で見たにちがいありません。

この変な話は思いついてから話したくてしようがなかったんですが、軽いジョークの気持ちで読んで下さい。
あと1ヶ月余りじめじめした日が続きます。身体の痺れも一段とひどくなる時期です。みなさんもそんなものに負けず、身体には充分気をつけてお過ごし下さい。それではまたさようなら。1994/6/12


「慌てずとも」NFさんへ

KN


朝夕は幾分、涼しくて未だに半袖にする勇気のない私です。ご無沙汰しておりますが、皆様お元気でご活躍なされているようで嬉しく思います。
前回のNFさんの通信は胸が痛みました。余りに私と似ていて、驚きました。
私は、4歳のときに暖炉裏に落ちて首から上を大火傷して幸い目と頭髪は無事でしたが、ケロイドが酷く子供の頃は苛められて悲惨でした。
父の気質の頑固さやアルコール、母や子供に愛情を示さず、毎日家庭は暗く人間不信で大きくなり、私も自分が嫌いで自殺願望が強くありました。
病気の進行と将来の絶望とから自殺を実行したのも、現実から逃避して楽になると思ったからです。
でも、人間はそんなに簡単には死ねませんね。どんなに嫌でも、若しくてもそれなりに生きねばならない使命があるために戻されたわけです。どんなに死にたくても、その時がくるまであの世とやらへは受け入れられず戻されてしまうようです。

他人も嫌、自分の嫌とウジウジしていたら、生きていても心が病んで楽しいわけがありません。どうぞ、ご自分は本当は大好きなはずです。気がついていないだけ、好きだから逃避や楽になれたらなんて思うのです。私にはそれが判りました。
君には君の価値があるし、死ねなかったのは生かされているからで、未だやらなければならないことがあるからです。
五木寛之氏の本に「自分を好きになれなくて、他人を愛せるわけがない」と書かれていたのを少し理解できる気がします。これは、自分の親にも置き換えて考えられます。

最近、親を愛しく、自分もこのままの自分がたまらなく好きになってきました。
以前は、少しでも他人に良く見られようとか、褒められるようにと、片意地張って自分を繕ってばかりいましたが、疲れてしまいました。
有りのままで自然にしていたら、ずっーと楽になれたし、それだけで、他人が好きになり、自分もあかるくなってきたような気がします。
他人の視線も自分の判断で良くも悪くも受け取れます。他人がどうであれ、君は高価で尊い存在です。
若いのですし、一度きりの人生、生きて楽しみましょう。必ず入間には死が訪れます。慌てずともその時まで生きていようではありませんか。

生意気を言うようですが、死にたいと思う人は寂しくて優しすぎるのです。Fさんとお友達になれたらと思い書いてしまいました。
面会の親友の持ち来し紫陽花に
   爵なる梅雨も清(すが)しく思ゆ
              
 1994/6/24


福祉タクシーは自分なりの工夫が必要

A

久しぶりの通信です。皆さん元気ですか。
私が福祉タクシーを利用するのは、不真面目にも深夜、飲み屋から帰りです。車イスごと自動車に乗るのはたいへん恐いことです。急プレーキをかけられ、前にバッタリ倒れたまま起き上がれなくなったことがあります。
助手席に乗っているときは安定していて少々の急ブレーキでも急カーブでもなんともありませんが、車イスで乗ると、重心が高く不安定でとんでもなく恐ろしいことになるのです。

ちょっときついカーブで必死で車イスにしがみついていたところ、車イスを固定してある紐がゆるんで10cmセンチぐらい片輪が浮いたこともあります。もうそのときは体中からアルコールが吹っ飛んで行きました。
もしタクシーが追突でもしたら間違いなくスーバーマンのごとくフロントガラスを突き破り30mほどすっとんでいくでしょう。
福祉タクシーは便利ですが、身を守るため体を固定する自分なりの工夫が必要だと思います。 それでは皆さんくれぐれも体に気を付けて下さい。1994/6/15


福祉国家の福祉タクシー

福山市 HT

C5で26年目を経過中です。この夏は暑くなりそうで、気合いを入れてがんばりましょう。

先日、一度電動車イスで福山市街(家から12キロ、車で30分)に行きたくて、以前利用したことのある福祉タクシー(リフト付きワゴン)に電話したら、貸し切り扱いで片道6千円で良かったら行きますとの返事、一瞬止めようかと思いましたが、まあいいや…と迎えに来てもらうことにしました。

前に利用したときは大型車料金でメータ走行でしたから、そんなに無茶苦茶高いとは思いませんでしたが、このたびは普通の中型が3千円で行くところが6千円ですから驚きです。お迎え料、お帰り料をばっちり取られました。呉の細川さんが前回のはがき通信に利用を止めた、と書いていましたが、これでは福祉国家?の福祉タクシーが高嶺の花になってしまいます。
リフト付きは体をさげてもらわなくてもいいので、気が楽だし、電動車イスの場合、これしかありませんが、乗り心地は悪いし、視界も悪いので、やはりこれからも運転手さんの腰を気遣いながら多少お礼をはずんででも普通の国の普通のタクシー(これも安いとはおもいませんが)を利用することにします。1994/6/20


ちょっとうれしいできごと

横浜市 HS

職場でちょっとうれしいできごとがありました。職業倫理関係の論文募集が部内であり、課員全員がきくことになりました。その中から私の論文が最優秀で選出されたのです。警察という組織上、昇任試験には論文は必須で、その他の機会にも職業倫理関係の論文は書くことがあります。
警察職員としての信条などもあり、論文にはどのように書けばよいかという、パターンがある程度でき上がっています。
選ばれたことは嬉しかったのですが、私はそういう形式にとらわれず、うまく書こうなどと思わず、自分の言葉で車イスの今の自分の視点から率直な意見を述べました。それが上司の目に留まったことがうれしかったのです。素直な気持ちを飾らず誠実に訴えることが、やはり読む人に感銘を与えるのだということがわかりました。
これから暑さに向かいます。少しでも元気に夏を乗り切りたいものです(職場の空調が身体に合っているので助かります)。1994/6/22  

頚損者のグループホーム

MM


全国のはがき通信の皆さん、いつも通信の編集・発送をして下さっているスタッフの方々へ、大きな声を文字にして、暑中お見舞い申し上げます。
お互いの所へ通信が届く頃はいちばん暑い時期かもしれませんね。地球の周りをスペースシャトルが回っていますが、時期を同じくしてあの太陽系の木星に隕石のレビューすい星がぶつかるそうです。遠い影響がなければ良いのですが。

今回は良い情報が入ったので、お知らせします。それは大分県別府市で5人の頚掲者が共同生活をしているそうです。プライベートなこともあるので、聞いた話から少し書きます。
内容は、丸子さんが代表で、その生活は5人ともC5の人たちで、国立別府重度センターで訓練し、食事を除く、身の回りのことは自分たちで行っているそうです。入浴(シヤワー)などはまちまちで1〜3時間かけてするそうです。

共同生活の経費は約10万円でできるそうです。ご本人の了解を得ています。詳しく知りたい方は下記へ連絡して下さい。
ただでさえ出不精の私は、暑い間、たぬき寝入りを決め込んでいます。それでは皆さん、頑張って下さい。
1994/7/1

問い合わせ先:〒874 大分県別府市亀川浜田町33組18−4 サクセスハイツ
             丸子ヒロシ様方(電話番号は情報交換誌「はがき通信」に掲載)


昨年末、仕事中の怪我で

栃木県 MS(53歳)


どうぞよろしくお願いします。
私、昨年11月仕事中に車の荷台より荷物が頭の上に落ち、地面に倒れた事までは記憶にありますが、以後一週間ほどの記憶がなく、気がついたときには病院のベッドの上でした。手足は全く動かず、つねってもたたいても分からず、心停まで陥ったそうです。主治医は家内に身内の方を呼びなさいと言われ、目の前が暗くなったと。
けれど私は助かりました。入院2ヶ月後、C2〜C7のカタビラキ手術を受けました。ハローベストをつけることになりました。いろんな事がありましたが、経過が良く、ベストも3月にとれ、3月の後半に退院となり、現在家で過ごしております。けれど体全体にしびれがあり、特に両足腰のしびれはひどい。腕には激痛がはしり、一人ではうまく日常生活を送ることができません。でも家内の介護のおかげで何とかよちよち歩きですが、またこのように字もかけます。これも皆主治医や家内のおかげです。

以前の様にはいかないと思いますが、一生懸命努力して頑張りたいと思います。どうか皆様もお体大切に頑張って下さい。これからもよろしくお願いいたします。1994/5/20


手首に装具をつけて

群馬県 本島総合病院リハビリテーション科 KK


手首に装具を付けて、ベッド上でも車椅子でも、オーバーテーブルをセットしてもらい、食事をしたり、本を読んだりしています。
はじめまして YHです。
上の文章は、C5レベルのKさん(44歳)が、ワ山ープロで打ったものです。Kさんは、受傷後3年8ヶ月余り入院していますが、今ではワープロの達人で、手関節支持装具と簡単なディパイスを使って、一日に約1時間リハビリ訓練室でワープロを打っています。ちなみに今、ワープロを前に奮闘している私はKさんと就職当時から3年の付き合いになる作業療法士です。Kさんには、多種多様の文書や表を打ってもらい、まるで秘書のように、しかも無償で働いてもらっています。

しかし困ったことに、Kさんは、「文章を考えるのが大の苦手」と、通信に投稿を勧めても、嫌がってしまうのです。今回は、アンケートがあったのを良い機会に、ようやく上の2行を打ってもらいました。こんなシャイなKさんですが、どなたか、Kさんに励ましのお手紙をお願いします。尚、あて先はH宛でお願いします。
麸沢さん、私は秩父郡皆野町をちょっとだけ知っていますよ。東秩父村出身です。今は実家も花園町という所へ越してしまって、私自身、家を離れて群馬県で一人暮らししていますが、けして遠い距離ではないので、いつかお会いできたら…と思います。

これから暑い夏日、皆さん、お体には十分気をつけて下さい。  1994/5/26




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