No.192 2022/1/20
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 失ったものを数えるな、残されたものを最大限生かせ!《後編》 

 ③3つ目は、コロナ禍での恩恵とは異なるのですが、ペットグッズのオンラインショッピングです。


 今まで、祖父母の家の犬を可愛がったりはしていたのですが、自宅に犬が宿泊したりという経験はありませんでした。
 しかし、近くに住む妹夫婦がコロナ禍で犬を飼い始めて、時々、家に預けたりするので、可愛くて、犬や犬用品への関心が俄然、強くなりました。
 犬が宿泊するので、犬を入れるためのケージやエサ入れをオンラインショップで買うことから始まり、YouTubeで、犬を飼っているYouTuberさんの動画を観て、知育玩具を買ってみよう!と、にんじん畑の知育玩具を購入し、YouTubeでやっていたようににんじん畑にエサを隠して探させたり、夏には、犬用の浴衣を買ったりもしてみました。


妹夫婦の愛犬と

 これまで、YouTubeのペット動画は、可愛いなぁ。くらいにしか思わなかったのに、実際に知育玩具などの購入を考えると、真剣に観てしまいますし、オンラインショップでも見たことのないお店を見ています。
 ロボットペットのaibo(アイボ)をペットで飼っている友達に共感できる部分が出て来たり、aiboの介助犬なら物を拾ってもらっても、よだれが付かないかしら?などと、世界が広がりました。
 「失ったものを数えるな、残されたものを最大限生かせ」
 これは、パラリンピックの父であるグッドマン博士が仰った言葉ですが、コロナ禍の今にも当てはまる気がします。
 StayHomeをしなければならず、自由に旅行をしたり、外食をしたり、友達と会えなかったり……と、失われてしまっていることがたくさんありますが、その代わりにこれまでのシステムが進化したり、今まで触れたことのない分野に楽しいことが、転がっているのを発見したり……。


幻のパラリンピックチケット

 コロナ禍でも前に進んで行けるし、まだまだ、世界を広げることができる!と、確信する今日この頃です。
 まだまだ、コロナ禍は続きそうですが、お互いに頑張りましょう!!

東京都:Y.F.

 小さなおじさん 其の6 

 順調に思えた工事だが、秋の長雨と重なり外周りが進まない。なにせ玄関からのアプローチができるようになるまでは寝室からの出入りとなり、お袋の介護ベッドを導入することができないのだ。そしてそれはお袋の退院日を決定できないことをも意味している。お袋が信頼しきっている方が調整してくれているので安心なのだが、この天候ばかりはどうにもならん。念のために1ヶ月みて欲しいと言われ、そこを退院予定日としてことを進める。
 それまでにすべきことは1週間の介護体制の構築。月水金はお袋が透析、それを見送ると今度はわしのデイサービス。入院前まではお袋の朝食、準備に送り出しをわしがして間もなく、わしの男性ヘルパーさんが来てわしの送り出しとなっていたのが、これがもうそれはそれは戦場だった。そこでお袋用におなごヘルパーさんにも入ってもらい、その間にわしはわしの準備をさせてもらう。そしてお袋が透析から戻り、わしがデイから戻るまでの空白の1時間は以前同様福祉村の方に話し相手をしてもらおう。さらに夕方にはお袋用にヘルパーさんに入ってもらい、多めの食事を用意してもらって2人で食う。前にも書いたがこれは名目上2人分の食事を作れないための措置となる。木曜のお袋のデイサービスもわしがやっていたのだがこれもヘルパーさんにお任せしよう。そして何もない曜日は寝坊したいのは山々だが、通院のたびに予定を変更するのは無理なので、朝は全てお袋用に同じ時間に入ってもらうか。日曜だけは朝食昼食兼用で少し寝坊させてもらおうかな。もちろん夕方にも。掃除と洗濯を別曜日にすれば90分で足りそうだ。火木土夕方のヘルパーさんはわしのままとして食事の量を増やしてもらおう。ここに訪看さんが加わると1週間が回りそうだ。さっそくこれをケアマネ経由でヘルパーのボスに伝えて調整に入ってもらった。と同時に病院関係者を交えての担当者会議も設定してもらう。このコロナ禍ではとてもできやしない。どうなっていたかと思うとゾッとする。この点だけは感謝せねば。

 間もなくして担当者会議となる。そのころには現場の調整はほぼ整っており、会議では病院側からの状態説明と注意事項が主な内容だった。ヘルパーのボスがその点を確認し、最終的に対応可能と判断してくれた。病院側もそれを聞いて納得。これにて双方の受け渡しが整ったこととなりホッと胸をなで下ろす。そうこうしているうちに玄関も出来上がる。予定より1週間ほど早かったか。すぐさまお袋の介護ベッド、ベッド横の支柱にトイレの手すりをレンタルする。これであとは叔母(お袋の妹)に手伝ってもらって予定日にお袋を連れ帰るだけ。それがいよいよ明日となった。

鈴木@横須賀

 海外通信 フィリピンでの自宅隔離生活 その後 

 今日は11月末日、ここフィリピンでは家々の庭に飾られたクリスマスの電飾が南国の夜空を照らしている。


●アルンディナ グラミニフォリア

 昨年のこの時期は新型コロナウィルスの影響で、近所でもクリスマス飾りを飾る家はなく外を出歩く人影も見られなかったが、今年は昨年と比べて近所の家々にクリスマス飾りも見られるようになり、マスクを付けて外出する人も増えている。

 ここルセナ市は昨年3月中旬から5月中旬までの2ヵ月間ロックダウンが行われ完全な自宅隔離生活となったが、その後は各地域の感染者数の増減に併せて規制の緩和と強化を繰り返しながら今年に入りワクチン接種が始まった。

 11月末現在、フィリピン国内のワクチン接種率は国民の40%。フィリピンで接種されている新型コロナウィルスのワクチンは種類豊富。日本でも接種されているファイザー、モデルナ、アストラゼネカの他に、シノバック(中国)、コバクシン(インド)、スプートニク(ロシア)、ノババックス(アメリカ)、ジョンソン&ジョンソン(アメリカ)がある。誰もがメジャーなワクチンを接種したいと思うが、ここでは個人個人が接種するワクチンを選ぶことはできない。


●バンダ ラメラータ

 先進国と違い財政乏しいフィリピンはワクチン開発国や国際機関からの寄付と援助でワクチンを確保しているから様々なワクチンが輸入されて使用されている。中には先進国ではまだ承認されていないワクチンもあるが、ここは背に腹は代えられずである。

 今年の8月初め、私と妻は近所のモール内のワクチン接種会場でジョンソン&ジョンソンのワクチンを接種した。ジョンソン&ジョンソンのワクチンは1回接種で完了する。接種後の副作用は注射部位の軽い痛みと接種した側の腕から指先にかけて疼痛が2週間ほど続いた。

●レナンセラ ストリエイ

 フィリピンの今年の新型コロナ感染者数の推移を見ると、今年の3月末に初めて新規感染者が1日1万人を超えた。その後4月~7月の間は1日平均5~6千人で推移していたが8月に入り再度1万人を超える日が続き9月に入ると1日の新規感染者数が2万人を超える日が続いた。連日右肩上がりで増え続ける感染者数と死亡者数、このときのテレビのニュースではマニラ首都圏の病院の病室がコロナ患者で満床となり、病院の外の駐車場に設営された臨時病床に大勢のコロナ患者が横たわる映像が連日流れていたが、ルセナ市内の主な病院も同様の状況であった。


●ホヤ インクラサッタ

 コロナ感染者が爆発的に増えた今年、私の義妹の夫の兄弟がコロナに感染して亡くなり、我が家と同じビレッジ内に住む男性がコロナに感染して亡くなり、同じケソン州に住むお付き合いのあった日本人の男性がコロナに感染して亡くなった。
 昨年から続く連日のテレビやネットでの新型コロナウィルスのニュースを聴き慣れて感染症の怖さと深刻さが薄れていた私にとって、身近な人がコロナ感染で亡くなるというのは正直ショックであったと同時に、健康であった人達が次々と亡くなっていく状況に、もしここで頚椎損傷者で身体機能が衰えた自分がコロナに感染して重症化した場合、まず助かる見込みがないことは容易に想像がついた。

 その後、フィリピンでは連日2万人を超えていた新規感染者数が9月下旬から減少を始め10月11月も新規感染者数が減少し続け、現在11月末の新規感染者数は1日千人以下までになった。
 日本は8月下旬から新規感染者数が減少を始めたから、フィリピンは日本より1ヵ月遅れで減少が始まったことになる。現在ワクチン接種率77%の日本と40%のフィリピンではワクチン接種率に倍の差があることからも現在の新規感染者数の急激な減少はワクチン接種だけが原因ではないであろうが、ワクチン接種後は重症化しにくいらしいからひとまず安心感がある。

 昨年の3月のロックダウン以降、現在まで私が外出したのは8月のワクチン接種の1日だけである。この話をすると近所の人や知人などは驚くが、コロナ禍での生活様式の変化により、ここルセナでも日本食材から日常生活用品、趣味の園芸用品などあらゆる物が通販やSNSの宅配サービスで事足りるようになった。時々妻が近所のモールへ買い物や金融機関などへの用足しに出掛けるが、未だ続くコロナ禍においてマスクをして私がわざわざ外出する必要性は感じない。
 元々コロナ禍以前から外出する機会が少なかった私にとっては1年や2年外出しなくても特に不便やストレスを感じることも無く、毎日早朝の庭に出て趣味の蘭や植物の世話をし、妻と一緒に食事をして夜は好きなオールディーズを聴きながらお酒を嗜むことができれば日々十分満足なのである。趣味においては今年はビカクシダの胞子栽培をはじめたが、これがなかなか面白くて夢中になっている。

 フィリピンも新規感染者数が減少し続けるなか、これから外国からの観光客の受け入れや学校の対面授業が再開されるなどの明るいニュースに先週までは喜んでいたが、昨日のニュースでは、オミクロン株と言う新しいコロナウィルスの検出により、フィリピンもアフリカとヨーロッパの一部の国からの渡航者の入国を停止すると伝えている。


●ホヤ プビカリクス

 なかなか終わりそうで終わらない新型コロナウィルス、来年はどんな年になるのであろうか?
 2022年が「はがき通信」の皆様に良い1年となることをお祈りします。

フィリピン共和国:ルセナの隠居

ブログ:「南国~車いす日記」

 『臥龍窟日乗』-73- ケネディ暗殺 

 10月23日、アメリカのバイデン大統領がコメントを発表した。ケネディ元大統領暗殺に関する機密文書の全面公開を延期する、という内容だった。あまり関係がないと気にとめなかった人が多かったかもしれない。
「えっ、なんでぇ」と私は肩透かしをくらった感じだった。ケネディ暗殺は、私にとって自分の人生にかぶさる大事件だったからだ。
 J.F.ケネディの登場は、中学生だった私には鮮烈なイメージを残した。ケネディの就任演説書を買い求め、何度も繰り返し読んだものだ。


 1963年11月、高校一年。昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。現代国語の授業が始まる。ぶよぶよにむくんだ顔の教師が教室に入ってきた。蒼ざめた顔で甲高い声をあげた。
「ただいまアメリカのケネディ大統領が暗殺された、というニュースが入りました」
 どおーっというざわめきが教室内を走った。信じられなかった。アメリカという国を、世界でもっとも民主的だと信じていた少年にとって、この事件は衝撃だった。
 実行犯はオズワルドという男だったが、直後に逮捕され、警察署内でルービーというキャバレー経営者に射殺された。射殺の瞬間の写真がデカデカと新聞紙面に掲載されたのも衝撃だった。そのルービーも刑務所内で肺塞栓症(はいそくせんしょう)で死んでいる。またケネディ暗殺現場で事件を目撃した関係者が、次々に不審死している。やがてオズワルドの単独犯行ではないことが明らかになる。
 大統領暗殺に関わる書籍を片っ端から読み漁った。当時から真相が不明で、推理小説のような迫力があった。ウォーレン委員会の調査報告書は、国家機密とされ、米国国立公文書館に、50年間、封印されることになった。50年間は生き続けなきゃあな、と考えたものだ。
 ぼちぼちケネディ暗殺の真相が公表される頃だなと考えていた矢先だ。黒幕としてソ連、キューバ、マフィア、CIA、FBI、軍産複合体などの名前がまことしやかに挙げられていた。
 キューバ、ソ連やマフィアはともかく、CIA、FBIなどは眉唾な話に思われた。CIAやFBIは巨大な国家機関で、現職大統領を暗殺するというのは、にわかに信じがたい。大統領を上回る闇の権力者が命じたとでもいうのか。


 アメリカという国家は、エスタブリッシュメントといわれる一団によって動かされている。国の中枢を牛耳るエリート集団とでもいおうか。その当時のエスタブリッシュメントはWASPと呼ばれた。
 アメリカは移民によって成り立っているだけに、各人種をまとめる強力なリーダーシップが必要だ。WASP(W=白人、AS=アングロサクソン、P=プロテスタント)にあらざれば、人間にあらずという偏見もある。
 イギリスからアメリカへ移民した人々の中心は、プロテスタントである。だからアメリカ独立戦争はカトリックとプロテスタントの宗教戦争であったという見方もできる。
 ケネディはなぜ殺されたのか?
 いろんな資料をあたっているうちに、思わぬ発見があった。人種差別にならないかなという危惧もあったが、敢えて書く。イギリス人だと思っていたケネディは、じつはアイルランド人であった。宗教もカトリックである。
 アイルランドはイギリスの西隣にある小さな島だが、大英帝国とのあいだの紛争が絶えなかった。われわれ極東の人間には理解しにくいが、アメリカにおけるアイルランド人は、イタリア系移民と同じような存在だった。
 だからこそケネディは少数移民の象徴的存在であったろうし、WASPには、疎(うと)ましい存在だったのかもしれない。それにしても暗殺せねばならないほどの動機って、いったい何だったんだろう?
 真相がわかるまで、あと何年生きなけりゃあいけないのかなぁ……。

千葉県:出口 臥龍

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