No.192 2022/1/20
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 腸閉塞にはじまる闘病記&腫瘍が見つかる 

(頸椎損傷C4、受傷歴36年)

 全身マヒになって5年目に入った頃から食事後に吐くようになりました。救急車で病院に運ばれ、胃を洗浄し、2日間の絶食後に1分粥、2分粥、3分粥と増やしていき、1週間かけて通常食に。原因は腸閉塞でした。
 体調が回復したと思ったのに、退院後、1ヵ月ほどしてからまた同じ腸閉塞で入院。医師からは一度に食べる量を減らして、何回かに分けて食べるように言われました。が、それでも同じ腸閉塞を繰り返しました。いろいろな検査や心療内科にも通いましたが、はっきりとした原因はわかりません。
 何度か繰り返すうちに、1年後にはほぼ口から食べられなくなっていました。ひどいときには身長180センチに対して体重38キロまで痩せ細り、当時の写真を見ると、青白い顔にほほがこけて、生きているのがやっと、という顔をしています。
仕方なく毎日訪問看護を利用して在宅で点滴。でも、数年かけて2000回ほど点滴をした頃には、もうすべての静脈がつぶれて、針をさせなくなりました。主治医提案で中心静脈点滴(CVポート)を始めました。器具を体に埋め込み、そこから点滴の針を刺すため、静脈がつぶれていても問題はありません。しかも静脈点滴に比べて高カロリーな点滴ができるので、たちまち体力は回復しました。ただし、デメリットもありました。3年後にポート部分からウイルス感染。感染症を起こしやすいというデメリットです。高熱が続いたために抗生物質を投与して治療。一度ポートを抜いて違う場所に再設置しました。この後、しばらくは体調の良い日が続きましたが、3年後、またウイルス感染しました。前回と同様にポートを外して別の場所に設置し直すのか、と簡単に考えていましたが、今回はやっかいでした。ポートを体内から抜こうとしたら、管の部分が体内の血管と癒着して抜けなくなっていました。感染した管が抜けないため、抗生物質で解熱し、ウイルスを殺してもそれは一時的なもの。完全には死滅できないのでまた感染が起きてしまいます。
管を抜こうにも、血管外科の専門医にも手術はリスクが高すぎると断られました。感染した管が体内にあるかぎり、このままでは死を待つしかない状態です。「これまで何度も入退院を繰り返したが、このまま死ぬのか?」と諦めかけました。

 ところが、話を聞いた心臓外科の医師が、名古屋大学に心臓のペースメーカーの管の癒着を取り除く技術のある医師がいると紹介してくれました。わざわざ僕の入院する病院まで来てくれ、手術をしてくれることに。リスクの大きな手術であることに変わりはないけれど、そこに賭けるしかありませんでした。人工心臓や大量の輸血を準備した中、手術は成功しました。医師と現代医療に心より感謝です。ただ、それでも気は抜けませんでした。リスクが大きいのでもう静脈からの点滴はできない体に。CVポートも危険。医師の提案で胃ろうを作ることになりました。
 口から食べると吐いてしまうのに胃に食べ物を入れて大丈夫なのかと不安もありました。いきなり胃ろうは作れないので、鼻から管を胃に通して、そこから液体の栄養を入れることに。30年以上も胃をほとんど使っていないので、少量ずつ入れました。不思議なことに胃はちゃんと消化してくれました。
 月に一度の管の交換は苦痛でしたし、常に鼻に管が入っているのも苦痛でしたが、半年後には体重が10キロ増えるまで胃に入れる栄養も増え、体力も回復しました。いよいよ鼻の管が抜けて胃ろうの設置です。いくつかの検査をしなければなりませんでしたが、苦ではありませんでした。やっと鼻の管から解放される。
 ところが、数週間かけていくつかの検査をした翌日、病院から連絡があり、内蔵に腫瘍らしき影かあるので、胃ろうより、先にその検査をしたほうがいいと勧められました。せっかく回復したのに、と悔しさが溢れました。でも、生きるためには検査をするしかありません。最初は血液のガンの疑いでしたが、検査をするたびに体のあちこちに腫瘍が見つかりました。血液、腎臓、膀胱、前立腺、肋骨。次々に検査が増えていき、たちまち半年が過ぎました。幸いにもすべて良性で現在は経過観察中です。

 死を覚悟してから2年が経ちました。ずっと地の底を這うような毎日でした。そんな中で、やりたいことをやっておかないと後悔すると思いが膨らみました。全身マヒになって36年。結婚して、不妊治療の末に娘が生まれました。現在はYouTubeで動画配信中です。「せんのすけの車イス日記」というチャンネルで、これまでの出来事や日々の出来事を語る動画です。あと何年生きられるかわからない体。妻と娘に何か形のあるものを残したいと今は全力で取り組んでいます。もしよければご視聴ください。

せんのすけ

YouTube : せんのすけの車イス日記 

ブログ : 身体障害者パパのあれこれ

 電動車いすにウロバッグを固定する 

(60代、男性、受傷後20年、C5/6)


(写真1)

 18年間お世話になった今仙技術研究所のEMC-220から、英国サンライズメディカルのQ400Mに乗り換えた。自宅内で使うので、小回りのきく中輪駆動にした。
 デモ車にはシーティング機能として電動のリフト、ティルト、リクライニング、フットエレベーションが用意されていたが、電動ティルトだけを選択した。レッグレストは、両足を揃えるセンターマウントから両足を開くスイングアウェイに、アームレストは、跳ね上がるフリップアップから倒れるシングルポストに、バックサポートは、クッション付きから張り調節式背布に変更した。

(↓写真2)


 ウロバッグの固定については、EMC-220でバックサポート背面の水平バーにぶら下げていた方法を踏襲した。シャシ後部の車載時固定ポイントのネジを利用して金属製パイプを立ち上げ、門型フレームを設けることで水平バーを得た(写真1)。これに、ベルトでぶら下げる手間さえ省きたいという妻のリクエストで、上端に取り付けた布製キャップを介して水平バーから脱着できるプラボックスを用意した。これでぶら下げることなくウロバッグを置けるが、チューブが丸見えで見栄えが良くない(写真2)。自宅用である。

(↓写真3)


 座面のセンターマウントレッグレスト取付け用ネジ穴を利用して、金属製アイバー(一端が輪である棒)を2つネジ留めした(写真3)。これにカラビナでぶら下げるだけでは、ティルトから戻る際にシャシとシートの間にウロバッグを挟みかねない。レッグレストからアンカーをとることで前方に固定する(写真4)。手間がかかるので外出用である。

(↓写真4)

 妻の願望と私の発想を、義肢研究所の担当者が形にしてくれた。3人の間でのイメージのすり合わせは言葉だけではうまくいかず、イメージ図を多用した。今回の改良で特筆すべきは、電動車いすに穴ひとつ空けていないこと、ネジ留めしたパーツを外せば、オリジナルに戻せることである。

福岡県:DRY

 私の褥瘡対策 

(60歳代、C4-5、受傷歴28年)

 コロナ禍、皆さんいかがお過ごしでしょうか。どうされているのかなあと思いながら月日は流れ、今年も残り少なくなりましたね。ワクチン接種やマスク等コロナ対策が身に付いたようで、コロナ患者数も減り、皆さんにお会いできるのももう少しでしょうか。

 早いもので受傷してからもうすぐ28年になります。そして介護保険も近づいて来て、まあ!びっくり?!年が明ければ、なんと孫が5人になりそうです。Wびっくり!!『ばあば』と呼ばれるのも板についてきましたよ。はあ~。。。

 大抵の方が褥瘡の悩みを抱えているのではないでしょうか。褥瘡は一晩でできると言われますが、治るにはかなりの月日がかかり、時には命を絶たれてしまう厄介者です。私は入院中、仙骨に褥瘡ができて手術。それから退院までの約2年、褥瘡はできませんでした。
 退院後、ベッドでは褥瘡予防マットを使用し、車いすでの座位時間、吐き気も増え食欲減退。在宅生活1年が過ぎた頃、栄養失調と座骨や大きな仙骨の褥瘡で入院。入院嫌い派の私は、リハビリ科医の情報をもとに早速モルテンエアマットを購入、毎週の通院と指示通りの褥瘡処置・栄養管理を守るという約束をし、2週間で退院。わがままな患者です。体に合ったエアマットがよかったのと良い皮膚科医との出会いで、仙骨の褥瘡は医師も驚かれるくらいの速さ6ヶ月で完治。
 それ以降仙骨にできることはありませんが、座骨とは一進一退の日々。何度も繰り返すうちに、体の反応や状態に適した薬と処置が、いくらか分かるようになった気がします。たとえば微熱と共に、褥瘡からの臭いや日頃出ない汗をかき始めると、感染とか表面上には見えない大きなポケットに。浸出液増加または出血にはこの薬、状態に合わせて薬の量やガーゼ交換の回数、できやすかったり悪化しやすい季節、または治りやすい季節とか。褥瘡の薬も、同じ薬を使い続けると耐性ができ効果が薄れると知り、たまには変える。
 薬にも相性があるようで、同じような薬でもユーパスタは合わず悪化し、私はカデックスを使用。皮膚が弱い為、ガーゼはデルマエイド、テープはカブレステープです。どんなにひどくなっても入院嫌いなわがまま患者の私は入院せず、看護師・ヘルパー・夫の力を借りての在宅生活に付き合っていただいて感謝ですね。
 お陰様でこの数年褥瘡はありません。入院の時出会った医師には今も診ていただいたり、アドバイスをいただきます。何年か前、「年を重ねる度に、残念ながら何度か繰り返した褥瘡部位のお肉は少なくなる。お肉代わりとズレ圧の予防として、完治後も創傷材を貼っておいた方がいいよ。」と言われました。
 それからは褥瘡が治っても創傷材メピレックスを貼り、ズレ圧からもずいぶん救われているようです。リフトカー乗車後は、できやすいズレ圧による創にチェックはかかしません。背抜きや体の重心をかえること、体重コントロールも気を付けています。
 栄養も吐き気がある時は、食事の30分前に吐き気止めを服薬し、タンパク質に気をつけながら食事。補助食品としてアミノバイタル・コラーゲン・亜鉛服用。油断をすると亀裂や表皮剥離、油断は禁物です。免疫力アップに期待し、自律神経を整える深呼吸、きれいな景色を見たり映画を観たりとか楽しみを見つけ、好きな物をおいしくいただいて過ごしたいと思っています。

広島市:M.K.

 写真だより 

 今乗れる最高の車両に乗って来ました。


 E261『サフィール踊り子4号』熱海~東京
 とにかく、内装、乗り心地、最高でした。
 夜に乗る電車ではないですね。次回は、キラキラした伊豆の海を見ながらゆっくり乗りたいですー!

 2020/10/26

 東京都:T.F.

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