油断大敵
コロナ禍にいかがお過ごしでしょうか。ワクチンの個別接種予約を町指定のアドレスにメールで申し込んだら、1時間も経たずに完了しました。個別接種の場合、医療機関からかかりつけじゃないからと拒否された……とかの報道に、心配になって問い合わせたら、大丈夫だとの返事にホッとしているところです。
さて本論です。車いす生活になって32年……初めて褥瘡の辛さを味わっています。部位は左大腿外側のやゝ腰寄りです。以下、日記風時系列に流します。
[1月]
☆今年(令和3年)元日の夜、就寝ケアのヘルパーが筋状の赤みを発見、日常茶飯事の引っかき傷用の白色ワセリンを塗布。
☆翌日、赤みの一部が水疱になって4日経っても赤い線状と水疱が治まらないので、訪看の判断でリンデロン軟膏を塗って、ガーゼを当てて防水フィルムで保護。
☆4日ほど経って、水疱が破れ訪看がそれまでと同じ処置をして、次回の付け替えは1週間後となる。
☆1/13、1週間後のチェックではかさぶた状になっていることを確認して付け替え保護。
☆1/20、浸出液が認められたためナースにより洗浄して軟膏をゲンタシン軟膏に変更、ガーゼ、防水フィルムで保護。
☆1/27、訪看による付け替え。浸出液があり黄色く盛り上がって中心部が穴が開いているように凹んでいる。傍で見ていたヘルパーが褥瘡になるのでは……と受診を勧める。
☆1/29、皮膚科医院の体制上、診察台に上げることは困難と思ったので、ヘルパーがいる入浴時間帯に往診してもらった。化膿しかかっているのでとリンデロンVG軟膏が出され1日2回塗布、1週間ほどで改善するはず……との診断にホッ!。
☆1/30、赤みがかった浸出液を認める。少しでも減圧のためクッションを敷いて患部を浮かせて寝る。
[2月]
☆2/1、全体が薄い赤茶色で中心部がクレーターのように凹み乳白色。この頃から左側臥位でエアーマットに当たっている患部に時々痛みが出始める。
☆2/15、入浴時に往診を受ける。黄色い部分は白く固まって大分改善しているので軟膏塗布は1回で良い、フィルムでの保護は湿りが抜けず雑菌などが繁殖して感染症を起こすので止めること。
[3月]
☆3/19、一進一退のため往診を受ける。淡黄色部を綿棒で穿(ほじ)りながら「この黒いのは局麻して切開しないと分からない」と、結局、軟膏塗布を2回にして乾燥させて観察することになった。
☆3/27、もう20年以上も使っていないウロガードを見付け、さっそく今夜から仰臥位で寝てみる。しかし、何十年振りかの体位に新鮮な心地よさで眠りに入ったが、長期間左側臥位で尿器を当てていて、急に体位が変わったせいか、夜中に排ガスと排尿がスムーズにできない不快感と、左側臥位から解放されて楽になったはずの左腕の肩甲骨から指先まで、我慢ができないほどの痺れと痛みに襲われて一晩で頓挫(とんざ)。
[4月]
☆4/3、訪看が主治医の指示で紹介された総合病院形成外科にて壊死組織除去術を受ける。局所麻酔しているとはいえメスで削るのは痛かった。ただ、ネットや「はがき通信の四肢マヒ小百科」では、ほとんどが数か月の入院とあって、不安とヘロヘロの覚悟はしていた。しばらく洗浄+ゲンタマイシン塗布+ガーゼとフィルムで保護する指示だけで放免され、気抜けするやら安堵するやら。術後の赤い肉が痛々しい。1週間ほどは訪看による付け替えが続き、3日間ほど出血があったが徐々に浸出液も出なくなった。
☆4/12、訪看からドクターへの状況説明で、付け替えなどの処置は不要になり、白色ワセリン塗布のみでOKとなる。
その後は痛みとの根競べで、5月下旬には、赤い肉芽もほとんど見えなくなり、痛みも大分軽くなったが、夜は左側臥位のため膝寄りに紙おむつを束ねて敷いて、創部を浮かして寝ている。幸いだったのは、部位が車いす生活に大きな影響がなかったことである。
元はといえば、元日の排便ケア時に、15分間ほどコンドーム型の収尿具のチューブを左側臥位の大腿部に敷いて気が付かなかったことが原因。それからは、水疱(すいほう)やベッドのしわ一つにでも気になるようになった。その間、いろいろ気遣いをしていただいた訪看さんやヘルパーさんに感謝である。
ありがとうございました。
(令和3年5月投稿)
佐賀県:天邪鬼
J2クッションを長持ちさせる工夫は?
私は車椅子の座面クッションにJAY/J2クッションを使っています。
13年前に1台目の車椅子の完成用部品として組み込んで使い始め、それ以来J2クッションを使い続けています。1台目の車椅子の構成を決めてくれた業者さん自身が脊髄損傷で、自分の車椅子にはロホクッションを使っていました。ロホクッションの使用上の注意点について熟知していたことから、頸髄損傷の私へは、自分で空気量調節ができないことや、でん部の除圧をするのにプッシュアップができないため(背もたれと座面の角度調節ができる)車椅子のティルトダウンが必要なことを考慮して、J2クッションを勧めてくれました。
1台目の車椅子に乗り始めてから2年が経過したころ、坐骨付近に褥瘡ができました。車椅子からベッドへ移乗した直後にJ2クッションをよく見てもらうと、部分的に平らになっているところが見つかりました。流動体パッドの劣化によりでん部の体圧分散ができずに底づきを起こしていたことが褥瘡ができた原因でした。
それ以降は、時折、底づきがないか確認してもらうことにしました。
すると、新品を装着してから1年ぐらい経過すると底づきを起こし始めることがわかりました。徐々に底づきの面積が広がっていき、危険性が高くなったと思われる頃合いを見て、1年半前後のペースで新しいJ2クッションに交換してきました。
私は身長174cm、体重56kgで、標準的な体型だと思います。
車椅子へ移乗する前に、毎回、座面の流動体パッドのジェルを中央へ寄せ集めています。
J2クッションディープ型の改良版という位置付けのJ3クッションを購入して数ヶ月間使ってみたことがありますが、姿勢の微調整がうまくいかず、私には合いませんでした。
J2クッションの購入費用は5万6千円と高額なため、できるだけ長持ちさせたいのが本音です。
J2クッションをお使いの方で、長持ちさせるために工夫されていることがありましたら、是非とも、ご教示いただけますようお願いいたします!
[7月2日投稿]
札幌市:戸羽 吉則
JAY/J2クッション https://sunrisemedical-japan.jp/products/seating/jay-j2-cushion.html
支えられた37年に感謝
皆さんに読んでいただける原稿を書けるかなぁー。Fさんとの約束をし書き始めました。私は頸損6番7番完全マヒ、40歳のときバイクの事故で37年になります。F君は入院時から知っています。ご不自由な中で長ーい年月、他の皆さんと共に「はがき通信」に携わっていただき、皆さんへのお礼と私自身に親身になって支えていただいた方々へのお礼の気持ちがあり書かせていただきます。
(長崎県)五島では寝たっきりの状態になり、長崎大から来ていた先生がセスナ機で先生と主人と私の3人乗りで(福岡県の)総合せき損センターに送っていただいた。
1年半の入院生活で1年間は全く動けず装具を付けて、やっと食事ができるほどでした。私には5人の子供たちがいて貧困家庭で、これから社会人になる子供たちの足を引きずってなるものか、自分のことができなきゃ自宅には帰らないと強ーく心にとめました。トラスファーボードを使って車いすに乗れるようになってからは院内の坂を上ったり、自主特訓にがんばりました。
排尿は、自己導尿セットを泌尿器科の部長先生と2階病棟の看護師長さんが作ってくださって、現在もその型を使用しています。1年半の入院で退院の目処が付き、自宅も古かったのでせき損の医用工学のM先生に、バリアフリーの新しい家を設計していただき、車いすで生活できる家で現在一人暮らしをしています。
退院後から主人にも甘えず台所の仕事、洗濯なども一つ一つ時間をかけクリアーしてきました。これまでに孫たちも3歳と5歳から育て、現在大学3年と高校3年になり、長崎の九州本土の方に出ています。
退院後は主人に排泄の手伝いを受けていたのですが、7年後に亡くなり落ち込み褥瘡を作ってしまいました。再入院時に浣腸挿入機をM先生に作っていただき、排泄面もその後自立できました。車いすへの移乗用具は入院時PT担当のT先生が作ってくださって、現在もずっと使用しています。いろいろ考案して作っていただき自立できた現在の生活があることを決して忘れません。
日々の努力を怠らず、日常のこともお花が好きで室内には今年も胡蝶蘭が20鉢は咲きました。家の周りも1年を通してお花が切れることはありません。独立した息子がすぐ近くに住んでくれ、声かけやできないことは支えられています。他の子供や孫たちもそれぞれ成長し支えられています。支えていただき感謝の念で過ごしています。
長崎県:Y.S.