No.184 2020/12/10
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  ◆緊急事態宣言中の通勤 

 2020年4月9日緊急事態宣言から2日目。前日は休みだったので、宣言後の初出勤となった。世間ではテレワークだ、何だと言っているが、庶民の労働環境にはあまり関係ない。テレワークが可能な職種よりも、そうでない職種のほうが多いように思える。医療機関や鉄道交通機関、それに宅配業者、コンビニをはじめとした小売業も営業。あと警察も消防も。どれもライフラインには欠かせぬものだ。なかなかテレワークしますとはいかない。


 そんなライフラインの末端にある葬儀社に私は勤める。不思議なもので、人が亡くなれば宗教者を呼ばねばと考えたのは一昔二昔の世代で、今は即葬儀社、あるいはそれすら飛び越え火葬場へ連絡しようとする。本当に世間の流れは目まぐるしく変化している。
 葬儀社にはテレワークをしている人はいないのか?と問われれば、ごくごく一部は存在する。そのことに対して、障害者である私もそうだが、勤め先で批判めいた発言をする社員などほとんどいない。こんな状況下だからこそ、我々が必要とされる。むしろそのことを誇りに感じている社員も、少なからず存在していると信じたい。だが内心はこんなときでも、雇ってくれていることに感謝している方が多いのかもしれない。
 ともあれ、いつも通り電動車いすで電車通勤のため乗車駅へと向かった。始発から2番目の近鉄電車で大阪へと向かう。いつもこの時間帯は乗客が少ないので、緊急事態宣言の影響はわからなかった。大阪天王寺でJR環状線に乗り換えると、乗客の多さに驚いた。時差出勤に切り替えている人が多いためなのか、緊急事態宣言の影響を全く感じさせなかった。むしろ乗客が増えた。
 人が増えると車いすユーザーにとっては、なかなか辛くなる。「緊急事態宣言の中、何で電動車いすのおっさんがウロウロしてんねん」という暗黙の敵意ある視線をいつも以上に強く感じる。そうだと思う。逆の立場であれば、「こんなときの満員電車にデカい電動車いすで乗ってくるなよ」と思ったであろうから……。
 そんな緊急事態宣言期間が終わると、乗客数も徐々に落ち着き始め、寿司詰めに近い満員電車に乗ることもなくなった。個人的には、やれやれである。
 しかし予断を許さぬ状況へとなってきた。日本各地に感染者が再び増えはじめている。感染のリスクも去ることながら、再び緊急事態宣言が出され、また通勤時間帯が満員電車になるのでは……と個人的な不安を募らせています。1日も早く収束することを切にお祈りします。
 

奈良県:通勤マシリト



  ◆不要不急の外出と自粛生活 

 (30代、四肢マヒ者歴10年)
 まだ中国でしか新型コロナウィルスの感染が起きていないころ、ニュースでは解説者がそんなに心配しなくてもいい、ヒトヒト感染は起きていないとい言っていたころ、だいたいこの手のニュースの最初は心配しなくていいから、後々大変な事態になる流れになるんだろうなと予感していました。しかし、その後の大変な事態を具体的に想像できてはいなくて、一般の人とはかけ離れた生活をしている自分にまで影響があるなんて思ってもいませんでした。私がステイホームすることで何か社会に影響があるのか疑問でした。しかし、逆に自分ではかけ離れた生活をしていると思っていても、ちゃんと社会の中で生活していたんだなとも気づきました。人それぞれ情報の入手先が違っていること、信じている情報が違っていること、そして、感染症対策への考え方も事業所によっても温度差がさまざまで、中にはデマのようなことを信じている介助者もいます。そのようなこれまでにない状況に対応していくことに疲れています。

 私は重度訪問介護制度を利用しています。時間数では600時間程度を支給してもらっていますが、1日のうち1人になる時間が3、4回はあり、ヘルパー事業所だけでも11社に関わってもらっています。1つの事業所から1人のヘルパーさんが週1回来てもらっているような状況です。1つのヘルパー事業所にいるヘルパーさんが少ないため、近い将来在宅で生活できなくなるのではないかと思っています。そんな状況で関わるヘルパーさんは週20人以上で、日々の生活も大変なのですが、関わってくれる方一人ひとりのコロナに対する意識が違うことで、かなり疲れました。

 どんなことがあったか一部をご紹介したいと思います。ヘルパーさんが熱を出して、肺炎の症状があるということがありました。これを私が本人が特定されないなら言っても大丈夫だと判断してしまい、別の事業所のヘルパーさんに話してしまいました。話を聞いたヘルパーさんは事業所の方に報告し、それを聞いた事業所の方は事業所間の連携を考えるなら連絡がないのはおかしいと思うと私に電話をしてきました。でも、これまでヘルパーさんの熱発状況を事業所間で共有したことはないし、感染力の違いはあるけれどもインフルエンザや他の感染症のことでも共有したことがないのに、なぜコロナのことだけおかしいと思われるのか共有する必要があるのか疑問に思いました。
 後日、訪看さんの説明によると厚生労働省では相手が感染症対策を行っている場合、私は濃厚接触者に当たらないと考えるそうです。しかし、このような基準は知らない間に変更している可能性があり、その時点での基準だと思います。結局、そのヘルパーさんは細菌性の肺炎で1週間、念のため休まれることになりました。
 その後も風邪症状のヘルパーさんが数人いましたが、熱発情報は共有されることなく日々が過ぎています。この出来事は他の頸損の方にも相談させてもらい、継続して生活するためには相手の不安や怖さをなるべく取りのぞけるような配慮をしていく必要があることを教えてもらいました。この出来事から他のヘルパーさんのことをわざわざ話さなければよかったと後悔しました。

●爪楊枝が用意してあるエレベーター
●爪楊枝が用意してあるエレベーター

 私自身は最大限できる感染症対策を行っている中で感染してしまったらもう仕方がないなと思っています。そして、ヘルパーさんの中にも自粛警察が潜んでいる可能性があるので、外出したことや外出先について聞かれても話さないようにしました。プロ野球も開幕し、観客を入れての試合も始まるようになりました。ヘルパーさんの中にもチケットが手に入りそうだけど、観戦は内緒にして、変装をしていかないといけないと言われている方もいました。やっぱり、内緒にして変装しても観に行きたいものは観に行きたいんだと思います。ニュースで人のいない街の映像を見ると腹が立っていました。きっと映像的にインパクトが強いので、うつしたいと思うのですが、ステイホームで我慢している中では見たい映像ではないです。自粛生活で新しい発見や学んだこともありますが、外出しないと出会えないこと、誰かと会ってどうでも良い話をしつつ何かを食べながらできることが私の中ではとても大切です。コロナが落ち着いたら不要不急の外出ならぬ不要不急の在宅を控えようと決意しています。

 一つ良かったことは新しい生活様式の一つであるソーシャルディスタンスです。お店は通路が広くなり、テーブル同士の間隔が広くなり、列で並ぶ際も列の間が空いているので、車いすで通りやすいです。このようなソーシャルディスタンスはぜひ続けてもらいたいです。しかし、いくらソーシャルディスタンスが必要であるとしても、その距離が命や生活への障害になることもあります。ひとまとめにソーシャルディスタンスを保ちましょうとは言わないでもらいたい部分もあります。
 

匿名希望

   

  ◆北海道の南端から(1) 

  (63歳、ロシア春夏脳炎罹患後27年)  「はがき通信」の皆様、お久しぶりです。いかがお過ごしでしょうか? 7月初めから日本各地で繰り返す豪雨による水害・土砂崩れなどで、被害に遭われていらっしゃいませんように。これ以降、どうか今以上の被害が起きませんように。心からお祈り申し上げております。

 毎年、津軽海峡と北海道の山の狭間で生命の躍動を伝えてきた夏です。ところが今年は例年のように季節の流れを楽しむ気持ちにはどうしてもなれません。言うまでもなく新型コロナウイルスのせいです。
 先日、「はがき通信」編集担当のFさんから「コロナを巡って」の寄稿のお誘いを受けました。折も折、私たちの会「With You〔前向きな障害者と仲間達〕」が6月に発行した会報90号で、それぞれの立場から見た新型コロナを取り上げました。そこで、「はがき通信」の皆様にWith You内外から会報90号へ寄せられた声の一部をお届けすることといたしました(今号のWith You会報原稿募集時期が5月でしたので、内容にタイムラグがございますがお許し下さい)。以下8名の文章を掲載させていただきます。全体では長くなりましたが、一人一人の投稿と思って読んでいただければと存じます。
    *  ◇A.S:北海道北斗市/ロシア春夏脳炎

 新型コロナの猛威は留まることを知らぬどころか加速度がつくばかりです。北海道は日本の中では緊急事態宣言を出すのが早く、道内の状態は一旦は落ち着いて見えましたが再燃。そして全国緊急事態宣言→解除→クラスター再び。今後の新型コロナの動向は見当もつきません。第2波、第3波と襲ってくるであろう新型コロナに全世界が震えおののいています。目に見えない敵とどう戦えば良いのか、今はまだ分からないから……。

 27年前、私はロシア春夏脳炎ウイルスに罹患しました。障害を抱えることにはなりましたが、それでも生き延びました。私は国内初のロシア春夏脳炎患者でしたから病名が分かるまで半年、それからも対症療法しかなく、あのときも何もかもが闇の中で恐怖でつぶされそうでした。
 同じウイルスでも新型コロナウイルスとの決定的な違いは感染の仕方です。ロシア春夏脳炎はダニ媒介性でヒト→ヒト感染はありません。新型コロナは接触感染ですから人の移動・物流が途方もなく大きく速くなった現在、その脅威的な伝播速度は他のウイルスとは比較にならない速さで地球上に拡がっています。
 新型コロナを“厄介で邪悪”と表現したお医者様がいらっしゃいましたが、まさにその一言に集約されていると思います。
 過去に不治の病とされていたものが、今では医療の発達により治る、あるいは罹らずにすむ病へとなってきているものもあります(ロシア春夏脳炎ワクチンはヨーロッパにはありますが、残念ながら日本では国内未承認製剤です。ただし日本国内の一部の医療機関では輸入ワクチンとして接種が行われています)。新型コロナウイルスについても、世界中でワクチンや罹ったときのための薬品開発が急がれています。きっと英知に溢れ思い合うことを知っている人間は、この困難を乗り越える日を迎えるでしょう。ほとんどの人は全ての人が助かることを願っていると思います。医療・福祉関係を始めとして、多岐に亘る職種の方々が自身の生命を賭して最前線で、コロナウイルスと戦っています。
ただ、ニュースにも取り上げられることのない声なき声が溢れている戦禍の中にいる人々、貧しさや差別故に診療も受けられずにいる人々、情報のなさ故にコロナにも気付かずにいる人々、そんな同胞の存在がまだまだいるのに数字となって表れていないことを、私たちは忘れてはいけないのだと思います。
 そして、この悲惨な現状を私利私欲のために利用しようとしているクズのような人間も世界中に数多くいます。なんと愚かしく、腹立たしく、悲しいことか!
 こんな事態に陥るとは誰も思っていなかった去年の秋、ラグビーワールドカップでチームワークを表した言葉「one for all, all for one」(一人はみんなのために、みんなは一人のために)。私たちも毎日、コロナウイルスに負けないようにできる限りのことをして「感染しない・させない」を合言葉に生き抜いていきたいと思うのみです。

 ふだん私の生活はサラリーマンと主夫をこなしながら介助してくれる夫に守られています。また夫不在時に来てくれる居宅介護ヘルパーさん・重度訪問介護者さん・訪問リハビリのOT(作業療法士)さんも絶対に欠かせない存在です。コロナ流行以降も変わらずに訪問を受けています。なんとありがたいことでしょうか。
 けれどもコロナのせいで心身共に運動量が減っているのは確かです。月2回のプールへ行けないので筋力低下と拘縮が顕著です。また外出を控えているので電動車いすを操作することがなくなり、心身全体の適度な緊張による負荷が皆無になっていることもマイナス点です。感染回避のために今年度中の活動を中止したWith You、また市営プールの休館。仲間に会えないと心安らぐときが減ってしまい、情けないことに自分でも何故?と後悔するほどの言動が増えました。毎日やっているパソコン作業……と言っても今時、光回線が来ていない丘にある我が家では、YouTubeも音楽も電子書籍もまともに楽しめないし、ましてオンラインミーティングもオンライン飲み会もできません!(私、下戸ですが)。電波が弱く不安定ですが、この際、ガラケーをスマホに替えてテザリングしよう!
 脳みそも体も刺激がないと、あっという間に衰えを加速するものなのですね。今は週1回の訪問リハビリで身体の痛みや拘縮を緩和して、プール再開に備えています。
 ……でも、みんな、遠くに離れている家族、友達、近くにいても会えない仲間。みんな、どうしていますか? みんなとの他愛ない時間を恋しく思います。
    *

 ◇N氏:北海道北斗市/高齢者施設介護職員

 私は高齢者施設で働いています。今回のコロナ対策は施設利用者様に、とても厳しいものとなっています。御家族様との貴重な面会を、お断りしており切ない思いをされている方がいます。
 ようやくオンライン面会の導入が始まり、会話が成立する方や御家族様が対応できる方は実施されているようです。が、先日看とり介護を希望されていた利用者様が施設で亡くなりました。コロナ以前は頻回に来訪されていた御家族様とは、最後、会うことはできず、静かに穏やかに逝かれました。亡くなってから、すぐに御家族様が来訪され、お会いになりました。
 今、コロナによって大変な思いをされ深い悲しみを抱いている方が世界で、日本でたくさんいらっしゃる。とは言っても、それは私に振りかかったものではなかった。
 でも、今回は私の目の前で現実に起こったことなのです。私にも衝撃的なことでしたが、御家族様の悲しみはどれ程のものだったのでしょうか。
 だからと言って、今、私に何ができる?私にできることって?
 私は私のできることを精一杯やろう、一生懸命にやろう。恐ろしいウイルスをやっつけるなんて私にはできない。だから簡単な手洗い、うがいから始まりマスクを手作りし、短時間で買い物をして、規則正しい生活をし、しっかり食べて眠る、笑って、たまに泣いたり怒っちゃうかも。
 目の前の家族に、仕事先の施設利用者様に常に真剣に向き合おう。働いていられる感謝の心を持ち、優しく穏やかでいる努力をしよう。今、この時間を大切に生きよう。実家で暮らす年老いた父母、離れて暮らす息子の顔を思い浮かべながら心に決める。これなら私は、できる。続けることができる。
    *

 ◇T氏:東京都青梅市/脊髄小脳変性症

 今年は、『セミ』が鳴く前に、多くの『ヒト』が泣く事態になってしまいました。世界中の人が、苦しい状況の中ちっぽけなことを記してしまいます。ゴメンナサイ!
 先日までの長期◆籠城時のことです。ヘルパーさんに同行を受け銀行へ……。途中、3人の親子(子供:3、4歳くらいの女児)に会いました。電車が来たと思ったら親子は、電車に向かって手を振っていました。それに気づいた電車の運転手も満面の笑顔&警笛を鳴らし&手を振り返していました。これもコロナの《ほっこり》のひと時でした。
 私の姉は、看護師をしています。この騒動の前までは、いつTELしても笑ってばかりでした。でも今は泣くのです。【死にたくない】と……。勤務の前に【仏前】に手を合わせて行くそうです。
 年々、できないことが増える私ですが《自粛》に参加できました。でも、東京で夏場のマスクはつらい。
    *

 ◇F氏:北海道厚沢部町/飲食店経営

 やはり、楽しい時、会いたい時、そして不安なときに当たり前に行っていた「人と人が寄り合う」ということが(少なくとも感染拡大期には)、世界中でできなくなってしまったということに衝撃を受けました。逆に言えば人と会うということの価値が高まったと言えるのかも。いろいろと考え直す良い機会と捉えて、この厄介な新型コロナウイルスともうまいこと共存して行かなければな、と思う日々です。
    *  皆、コロナに悩み苦しんでいるけれど、立場が違えばこんなにもさまざまな捉え方や感じ方があることを今一度、考えました。ふだんから人の力を借りて生きている私たちが、このコロナ禍の中でどうやって生きていけばよいか、With You会報90号から小さなヒントでも見つけていただけたら幸いです。
 皆様がこの「はがき通信」を手にしていらっしゃる頃には、ここ数年間繰り返している異常気象〈晩夏の変〉に見舞われることもなく、新型コロナウイルスにも何らかの解決策が見出されて沈静化の方向へと向かっていることを願うばかりです。
 (後編に続く)
 

北海道:A.S.



  ◆ やはり差別の歴史は繰り返される 

 中国で発生した新型コロナウイルスはパンデミックとなり、一気に世界に蔓延(まんえん)し、原稿を書いている時点(7月2日)で感染者は1000万人以上、死者50万人以上となっている。飛行機等で世界が身近になった現代社会において、避けられない結果だといえる。亡くなられた方には心からご冥福をお祈りします。

 この新型コロナウイルスの恐ろしいところは人に感染するだけではく、人間が本来持ち備えている、優しさ、思いやり、寛容な気持ちまで蝕む伝染病といえる。最初にその症状を見たのは中東のパレスチナで日本人のNGO(現地の支援を行う団体)関係者が、現地の親子に差別的発言と暴力を振るわれるニュースだった。パレスチナ政府は即反応し、謝罪した。さらにアメリカやヨーロッパでも同じように、日本人を含むアジア系の人々が罵声と暴力を振るわれるニュースを見た。その時点でヨーロッパやアメリカでは新型コロナウイルスはまだ蔓延していなかった。感染源だった中国人(東洋人)を恐れた不安ゆえの心ない対応だったのかもしれない。しかし、今はどうだろう、その東洋人を差別したヨーロッパやアメリカが最大の感染地帯となっている。これには何かの意味があるのだろうか。

 今アメリカでは白人警官が黒人容疑者を窒息死させた事件があり、黒人たちやその支援者たちはBlack Lives Matter(黒人の命は大切)と叫んで全米でデモが起きている。ここで、アメリカで起きたコロナ差別事件のニュースを振り返り思い出したことがある。当時、東洋人を差別し、罵声を浴びせ暴力を振るっていたのは黒人だった。誰しも自分が被害者になると即反応し反発するが、自分が加害者だと、その愚かさに気付く者は少ない。相手の立場、気持ちになって考え、自分が同じことをされたらどんな気持ちになるか考えてほしい。不安という何かわからない恐怖がそうさせてしまうのかもしれない。そこに差別の根源があるような気がする。

 一方日本に目を向けると、患者やその家族や関係者、さらには新型コロナウイルスの治療にあたった医療関係者やその家族がいわれのない差別を受けている。患者の家に石を投げたり、ネットで調べ上げて患者の実名を明かそうとしたり、さらには患者や医療関係者の子どもが学校に来ることを拒まれ、家族が職場に来るなといわれ、凄まじい差別行為が行われている。自粛警察やマスク警察も同じといえるかもしれない。社会全体が差別容認し、差別を生み出しているようにも思える。これも、もし自分が患者や医療関係者になったら、つまり相手の立場が想像できたなら、絶対にありえない行為である。自分だけは感染しないとでも思っているのだろうか。感染すれば立場は逆転し差別される側となり、更には差別した医療関係者にお世話になるかもしれない。どんな気持ちだろうか。想像力を働かしてほしい。だが、それを想像できる者は差別しない。それができない者が差別を行う。
 人は未知の病により不安が増大し差別を生む。古くはハンセン病、ペスト、天然痘、スペイン風邪など、最近ではエボラ出血熱、エイズ、サーズ、マーズなどだ。まるで、今の新型コロナウイルスと同じように差別されてきた。人は同じ過ちを学ぶことなく、また同じ差別を繰り返す生き物なのだろうか。
 もしかしたら、人は病がもたらす不安によって常に試されているのかもしれない。そんな状況下で差別を容認する社会へ進むのか。それとも立ち止まって人間が本来持ち備えている寛容な社会へ進むのか。世間ではwithコロナともいわれているが、新型コロナウイルスがもたらす新しい生活、社会。その行方(選択)の先に待つ社会はマイノリティーにとって生きやすい社会になるだろうか。
 

匿名希望


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