No.180 2019/12/25
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 山あり谷ありの頸損人生35年 

75歳、C6-7、受傷歴35年

 「はがき通信」のみなさん、こんにちは。私も頸椎損傷者の一人ですが、入浴サービスとヘルパーさんに支えられている面はあるけど一人暮らしで、ほとんど自立した生活ができています。投稿するのも迷っていたのですが、Oさんの訃報を知り、誌面の上でみなさんと共にご冥福をお祈りしたい気持ちと、編集を担当してくださっている方々にご苦労の気持ちで原稿を書きました。

 私は頸椎の6、7番、バイクの事故後35年、現在75歳になります。福岡県のSせき損センターに1年半入院させていただき、先生方・看護師・スタッフの皆々様にしっかり支えていただき自立できたと感謝しています。1年以上は全く動けず、ベッドを起こしてもらい装具を付けて食事するのみでした。貧困家庭に5人の子供、上1人がやっと社会人、これから社会人になる子供の足を引きずってなるか。自分のことができない、この状態では自宅には帰れないと強く思いました。担当の理学療法士(PT)のT先生がボードを用意してくださって、ボードを使って車いすに乗れるようになって、それからは自立訓練でも頑張りました。泌尿器科のI先生と看護師さんが導尿セットを考案してくださって、排尿も自立できて、自宅に帰れる日を迎えることができました。
 バリアフリーに設計していただいた自宅で、最初から台所が私の仕事だと思い、お茶碗一つ洗うのも大変でしたが、一つ一つ成し遂げていきました(人生いろいろ山あり谷あり)。退院して7年後に主人に先立たれました。リハビリ、通院、入浴介助、排泄時の浣腸を支えられていました。両親を支えてくれた娘も職場に戻り、一人になって、一番困ったのが浣腸できないことでした。近くの診療所にお願いしても、思ったときに対処してもらえず困りました。導尿セットのように浣腸機具を考案していただけないかと入院を考えていたとき、褥瘡ができていてせき損センターに入院しました。褥瘡の手術と挿入機を考案していただき、排泄も自立できて現在に至っています。頸損者はみなさん排泄に悩むのでは。私は薬も飲むけど食べ物に気配りしています。
 息子たちが帰ってきてくれて近くに住み、孫もできてメリハリのある生活に戻っていましたが、入社して何年後だったか、新店舗を任され自分の仕事が目一杯になり、嫁さんに帰られ、3歳と5歳の孫を私が世話するようになりました。2ヶ月後には褥瘡を作って入院することになり、孫は他の人にお世話していただきました。私は3ヶ所の病院で4回も手術を受け完治して、園児と2年生から私が世話をしました。今年の3月に高校と中学を卒業して、それぞれ大学と高校を長崎の九州本土の方に進学しました。
 私はまた一人なりましたが、近くの息子が出勤前後に必ず声をかけてくれるので、できないことも手助けしてくれ癒やされています。私は何度もの手術で、以前までは左に4kgぐらいの握力があったけれど0になり、細身になって身体がくの字に曲がり、夜になると特に肩から腕の痛みが強くなって苦しいけど、自立している今を1日でも維持しなきゃと思っています。お花が大好きで家の前と中には胡蝶蘭が20鉢ほど、今の時期つぼみの数を数えて顔がほころんでいます。

長崎県:Y.S.

 「はがき通信」懇親会 in 横浜 2019 

 今年の「はがき通信」懇親会は横浜で無事に終わることができました。

 今回の「はがき通信」懇親会は、初めての試みで平日の10月9日(水)・10日(木)の2日間で行いました。宿泊場所の確保も個人で予約してもらう方法にしました。そうすることで実行委員は夕食会の場所の予約をするだけにしました。こんな方法にすると実行委員をするときの負担が少なくなり懇親会が持続可能になるのではないかと思います。食事会には23名の参加があり、会話が弾み楽しいひと時を過ごすことができました。やはり、皆さんの顔を見るだけで元気になるから不思議です。

 今回の懇親会で一番驚いたのはHさんの元気の良さでした。9年前の沖縄懇親会のとき、牧志駅からホテルまで電動車いすで15分のところで、貧血が酷く休み休みながら50分間もかかって来たのです。
 今回、横浜駅でお会いしたときは、リクライニングを直角に起こし、食事会の場所までの約25分間貧血もなくついて来られていました。そして、午前中に浅草まで観光に行ってきたとの話を聞いて、これにもビックリしました。とても嬉しかったです。

 懇親会では、毎回いろんな発見や刺激があることで乗り越えられる楽しさがあって励まされます。参加していただいた皆様ご協力ありがとうございました。

実行委員:伊藤 道和

 懇親会を終えて 

 今年の懇親会も昨年同様、台風が迫る中での開催となりましたが、台風が来る前のちょうど晴天に恵まれました。1日ズレていたらアウトでした。伊藤さんともども、“晴れ男・晴れ女”の面目が何とか立ちました。
参加者は23名と少なめでしたが、福岡、香川、広島、千葉、東京、神奈川、新潟と遠路ご参加いただきました。ご参加いただいた皆さま、どうもありがとうございました。お疲れさまでした。1泊でしたが、観光もそれぞれに楽しまれたご様子、何よりです。夕食会も和気あいあいと、おひとりずつ近況などをスピーチしていただきました。

 今回、実行委員ということでしたが、本当に何もしませんでした。何もしないことに、不安を感じるほどでした(笑)。当日の夕食会の代金徴収と、ホテル集合組の方たちを夕食会のお店へ誘導した程度です。各自ホテルを予約していただき、こんな形であれば、小規模でも懇親会を続けることができるかもしれません。
 出費もゼロでしたので特に会計報告もありませんが、Kさんより「広島有志一同」ということで、17,304円のご寄付をいただきました。9月に亡くなられたOさんのことも、夕食会で語られました。

実行委員:瀬出井 弘美

 会うことで元気が出る懇親会 

 はがき通信懇親会を控え、めずらしく風邪を引いてしまいました。懇親会まで10日もあるから大丈夫と思っていましたが、これが手ごわい。いつもだと鼻の奥が痛いくらいなら葛根湯を飲めばすぐ治るのに、のどが痛くなり咳、痰がひどくなりついに発熱。夜も眠れない。処方された薬も効かず、気落ち気味。今年のはがき通信懇親会は10月9、10日と1泊でしたが、前日から横浜へ行き、叔母や友達と会う予定でした。でも7日になっても熱は下がらず、これは無理かなあ……と。8日は諦めることにしましたが、先月亡くなったOさんの想いを連れて、どうしても行きたい!みんなに会いたい!という願いが叶ったのでしょう。8日朝熱は下がり、あれほどだるかった身体はどこへやら。夫にシャワーをしてもらってサッパリ!

 夜、新幹線の変更切符を受け取り、翌日9日はがき通信懇親会へ出発! 心配をよそに元気復活、新幹線の長旅もなんともなく横浜へ着きました。懇親会の会場は、宿泊ホテルから地下鉄で移動。広島人は迷子になりそうなので、Iさん、瀬出井さんに誘導していただきました。

 会場は「クルーズ・クルーズYOKOHAMA」、27階とあって景色はパノラマに広がる。だんだん夕焼けに染まっていく景色に引き込まれながら、いろんなことを思い出して胸がいっぱいに……。夕食会が始まりみんなの顔にどこかほっとして、近況を楽しそうに話されたり、情報交換、ざっくばらんな会話は嬉しくなります。今日この席にいないOさんに寂しくなるけど、やっぱりOさんの話題で持ち切りです。みんなから慕われていたのだなあと、存在の大きさを実感させられました……。
 夕食会だけの懇親会、顔が見られて、話もできて、このみんなと一緒にいる時間がとてもあたたかい。懇親会のお世話をされる方の負担も少なく、これもいいなあと思いました。そして誌面、パソコンだけの情報交換では顔も見えず、アイデアグッズなど漠然としたままですが、会うことによって確かな情報を得ることができたり、新たな悩みや質問など分かり合えることがあります。一人ではないんだなあと元気が出る!


●谷中「夕やけだんだん」の階段前

 翌日はもう一度谷中へ行きたくて、無謀にも伊勢佐木町から行きました。Iさんのヘルパーさんが最短ルートを調べてくださったのですが、乗り継ぎ駅の駅員さん同士のやり取りや誘導の仕方で、最短ルートがそうでもない感じとなり、残念ながら谷中には1時間半ぐらいの滞在となりました。『車いすで行く最短ルート』があったらいいなあって思いました(笑)。数年前とは様子は変わり、観光客の異常な多さでごったがえしたあげくトイレを探すのに往生し、駅で済ませてくればよかったなあと……。食事もお店が見つからず、買って公園で食べればよかったと後悔続き。貴重な1時間半は、こんな感じで時間ばかり過ぎて行ったのでした。でも慌ただしさのおかげで、店先で立ち食いしたコロッケや魚介焼、おいしかったな。通り過ぎるだけの数々の気になるお店チェックもできました。これに懲りずまた来ることがあれば、お寺巡りをしながらのんびりしよう。
 このような夕食会の後は自由スタイル、それぞれに計画し、いろんな体験、冒険ができて、車いすでのチャレンジの1歩となると思いますよ。お世話をしてくださったIさん、瀬出井さんありがとうございました。また来年皆さんとお会いできますように……。

広島市:M.K.

 グループホームで生活して 

47歳、脳性まひ

(1)はじめに
 皆さんはじめまして。僕はいつも「はがき通信」を印刷させていただいています風ひかり作業所の瀬戸口義弘といいます。今回は編集担当の藤田さんの方から、僕が今年の8月からグループホームで生活を始めたので、そのことについて書いてもらえないかと頼まれましたので書かせてもらいました。よろしくお願いします。

(2)グループホームへの入居が決まる前に思っていたこと
 グループホームに入居するまでは両親との3人暮らしで、2階には姉夫婦が住んでいるけど、姉も子供たちがいるので忙しいし、自分のことを頼むことができないし、お父さんは認知症なので、これから先どうなっていくか、お母さんが僕の介助をいつまできるかどうか、ものすごく心配でした。
 前は、自分でご飯を食べたり、洋服を自分で着替えたりしていましたが、障害が重くなっていく中で、もうそれが難しくなっていて、やっぱり24時間介助がないと生活していけないので、24時間職員さんがいる(作業棟を併設した障害者入所施設の)「かしはらホーム」がいいと思っていました。

(3)グループホームに入ることが決まって
 この話を聞いたときは、ものすごく嬉しかったし安心しました。僕は高校を卒業して28年間経ちますけど、ひかり作業所にずっと通いました。4年前に同じ法人内で統合移転があり、風ひかり作業所へ異動しました。今から他の法人に行って、一から生活を作るのは障害的にもきついかなあと思います。いきなりまったく知らないところに行くよりも(同じ法人グループの)グループホームに入って親を安心させることが親孝行だと思います。
 福岡市城南区友丘に新しくできるグループホーム「友希」に入所することは、24時間世話人さんがいることと、風ひかり作業所に通えるし、ずっと印刷の仕事をしたいし、この話しを断ると絶対に後悔すると思いました。この話がなかったら、これから先不安だったろうなと思います。

(4)実際にグループホームで生活してみて
 グループホーム(以下、ホーム)で暮らし始めて3ヶ月が過ぎました。ホームの生活にもだいぶん慣れました。
 私は食事・着替え・トイレなど生活に必要なことは自分ではできません。ホームに入ってからは毎日入浴と夕食は(訪問してきた)ヘルパーを利用しています。ホームに入る前までは私の言葉が、世話人の方やヘルパーさんたちに分かってもらえるかどうか不安でしたが、何度も分かるまで聞いてくれるので安心して何でも頼んでいます。
 一番大変だったところは、どんなことでも自分で決めないといけないことです。実家で暮らしていたときは、明日作業所になどに着ていく洋服や持っていくものなどは母に任せぱっなしで、それが当たり前になっていました。ホームに入ってからは世話人の方に手伝ってもらいながらすべて自分で決めています。今はだんだんと慣れていっています。

(5)これから不安なこと
 今、僕が不安に思っていることは今度の福祉制度の見直しで、グループホームでのヘルパーが利用できなくなるかもしれないと聞きました。今の僕にとっては切実な問題です。グループホームの世話人さんも少ないし、他の仲間もいるので僕だけに時間は使えません。それにやはりゆっくりとお風呂にも入りたいし、夕食も食べたいです。今でもヘルパーの時間が足りない状況です。どうしても僕たちが困る制度の改悪には反対したいし、許すことができません。

(6)これからの夢
 これからはグループホーム「友希」を自分の家にして、いろんなことにチャレンジしながら、悔いが残らないように自分らしい生活をしていきたいです。そしてホームから風ひかり作業所にもずっと通い続けたいです。

●[1日の流れ]
7:00 起床
 着替え・作業所に行く準備
8:00 朝食・歯みがき
9:30 作業所へ出勤

16:00 作業所から帰宅
17:00 入浴(ヘルパー)
18:00 夕食・歯みがき
19:30 ヘルパー終了
 自由時間
 テレビを観たり、パソコンなど
 明日の準備、洋服選びなど
0:30 就寝

福岡市:瀬戸口 義弘

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