No.179 2019/10/25
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 想い出を一つ一つ集めて 

C3.4.5圧迫骨折、頸損歴40年、完全マヒ、電動車椅子リクライニング式、60歳、自宅生活

 昔は、ていねいに自己紹介から始めたっけ……。

今年の6月で還暦を迎えた。20歳3か月だったなぁー。自動車運転中、川の土手から転落。23時15分救急車が現場に到着、土手のススキの穂が顔をなでていた。
 3歳のときに脳に良性だが腫瘍があるのがわかり、疲れたり大きなストレスがかかると“てんかん”という発作が起きる。身体が膠着(こうちゃく)して意識を失う。発作を抑える薬を飲んでいたが、あの日運転中に発作が……。ハンドルから手が離れて行くのを覚えている。

 年明け早々2019年、初めて身近な肉親との別れを経験しました。父です。91歳。寂しさを紛らわせるために、ネットの「はがき通信」を№1から読みかえした。
 「はがき通信」は当初、一部読者からの寄付と、大半は当時松井先生が勤務されていた研究室で費用を負担していただき、無償で送られていました。読者は増え続け、会費制でも続けて欲しいという声があがり、№39-№40で年間購読料1000円が決まる。購読者による本の出版や、松井先生の著書『頸髄損傷―自立を支えるケア・システム』これをバイブルにして、幼い子供さんの介護に携わっているというお父様の通信がとても切なく、私自身の力にもなりました。
 匿名希望で、施設での生活を自己紹介と共に発信する仲間。何もなく、平凡に過ぎて行く毎日に逆に幸せを感じているという。心にじんわりときました。
 瀬出井さん(編集担当)の「世紀末は良い年でありますように……!」の通信は、車椅子生活11年目にして突然襲ってきた痛みに翻弄(ほんろう)され、へこたれそうに成りながらも彼女の前向きな姿に、読んでいる私も励まされました。
 私も10年経った頃でした。酷い痛みと血圧の乱降下に鬱(うつ)状態に陥り、私の場合かなりの月日を要しました……。私たちの脳は痛みに伴う恐怖、不安から絶対行ってはイケない行動をとってしまう傾向があると、それは安静! 今思い起こすとその通りです。
 痛みが起きてはいけないから安静に、すると筋肉が凝り固まり、血流が悪くなることによって痛みが増す。引きこもるから気持ちも晴れない、自立した生活を目指すからには、その恐怖と不安に打ち勝たなくてはなりません。瀬出井さんの原稿のくだりに「〇〇〇県警元職員としましては……」そうでしたね、弘美さんの責任感あふれる人柄に通じるものがあります。あっ! じゃ俺は逃げなくては。
 向坊さんが藤田さんに、編集のバトンタッチをする通信もほのぼのとして好いですね。
 「後任者を見つけたら、引退して編集委員の若返りを図るつもりでした。ところが、早くから期待していた藤田忠さん(30歳)は、先に脊損連合会福岡県支部の機関誌の編集を引き受けてしまい、「はがき通信」の編集まで頼むのは無理だと思っていました。今回話しあってみると、両方できるということで、急転直下、9月号から編集を担当してもらうことになりました。彼はC-5、6で、温厚実直、パソコンに強く、身障者の地位向上を目指して、市当局と交渉するなど、社会貢献にも実績があります。実家は酪農家で、毎日新鮮な牛乳を飲むせいか、タフな一面もあります。きっと購読者のみなさんに好かれると思います」
 私が藤田さんと初めてお会いしたのは、福岡で行われた懇親会でした。急な雨の中、博多の天神を行進、私はゴミ袋に穴を開けて被り難をしのぎましたが、藤田さんは用意周到に頭からすっぽりと車椅子専用のヤッケを身に着けて、ハリーポッターのようでした (^^)v。 
 藤川さん(校閲担当)が№120で迫り来る介護保険の恐怖、この通信に、松井先生が2年間、介護認定審査委員として要介護の認定作業に関わったことの経験から、通信でいくつか気になった点を指摘。一石を投じた投稿も読みごたえがありました。
 藤川さん「介護保険で大丈夫か」、「ヘルパーの役割と待遇」、「併用できるか」、「さてどうするか」国が無駄遣いをし、結局引き締めにかかり、バランスの取れていない政策に怒りを……サービスの低下に伴う不安をぶちまけた。松井先生は、頸損者は自立生活のリーダとして介護保険利用者を導いてほしいと。介護保険への移行が悲惨といえるのは、今までそれだけ恵まれていたことになると論じた。
 私の最強のヘルパーも、日頃言っている。克巳さんは贅沢だって、こんなにていねいな介護は将来は望めないよ、と。奥さんに先立たれ92歳のお爺さんが一人暮らしを、元気だからヘルパーの料金も実費で、自家栽培のネギを畑から摘まんで来ては味噌汁に入れて食べているという。
《男はタフでなければ生きて行けない 優しくなければ生きて行く資格がない》※レイモンド・チャンドラーの『プレイバック』より。まだまだ甘いな……たくましくなりたい。
 読み進めているうちにこんな一文に出会った。№40「ある夕暮れ時の感傷(センチメンタル)」《「神様がもし手と足のどちらかを、もう一度動かしてくださるとしたら、私はどっちを選ぶだろう……?」アレコレ考えて、私はやっぱり“足!”という答えを出しました。手のほうが自由に動いたら日常生活に便利なことが多いけれど、私はやっばりもう一度自分の足で山に登りたい。そして自分が会いたいと思ったその時に、会いたいと思ったその人に、その景色に、その物に会いに行ける足がほしい。どんなに離れていても、たとえ夜中であろうと、自由に動く足さえあれば走ってゆける。もう一度好きなだけ、時間(とき)の中を思いっきり駆け巡ってみたい……》
 受傷して7年になる女性の方ですね。心のうちを正直に語っている、素敵ですね。きっと力強く生きているでしょう。
 私も足かな……いっぱい忘れ物をして来ました。探しに行きたいです。

福岡県:K.M.

 ヘルパーさんの派遣が制限される危機 

50代、男性、受傷後17年、C5/6

 私が自宅にいない平日の昼間は、唯一の家人である妻が自由に使える時間です。家事に追われながらも、趣味の集まりに参加する時間を捻出しています。集まりが都内である場合は6時間ほど家を空けます。私の送り迎えもありますから、のんびりとはしていられないようです。慌ただしい時間ではありますが、これがなくなると妻の生活は私の介護をするだけのものになるそうです。介護する側の心の平穏が、介護される側の安泰にとっての必要条件であることは私も心得ています。ここは、気持ちよく応援するところです。

 その集まりが土日に行われることが時々あります。3時間までの不在なら、私はひとりで留守番できます。自宅では基本的にベッド上です。長座位で、サイドテーブルにテレビのリモコンとパソコン、ベッド手すりに飲水ペットボトルをセットします。太ももの上に電動ベッドのコントローラー、エアコンのリモコン、電話の子機を置きます。2時間も長座位を続けると仰臥位で休みたくなります。コントローラーのフックを右手に引っ掛けて操作し、電動ベッドの背を倒します。
 仰臥位の間は、飲水ペットボトルにもエアコンのリモコンにも手は届きません。ギャッチアップするには、右手に引っ掛けたままのコントローラーを操作する必要がありますが、これが右手から外れることがあります。これを右手に戻せない限り、飲水もエアコンもあきらめざるを得ません。この状態で誰かの助けを待てるのは1時間が限度というのが、3時間の留守番の根拠です。
 6時間の不在となればヘルパーさんを頼みます。私は支援費制度を利用していますが、介護保険制度は利用していません。私の利用が不定期なこともあってか受けてくれる事業所は少なく、同性介護のルールをお持ちの自立生活センターだけです。そちらには、在宅生活を始めたころから、ヘルパー派遣や移送でお世話になっています。先日、代表の方からメールが届きました。「スタッフが1名退職するに伴い、全体の派遣を縮小せざるを得ない状況になった。利用者様へ事情をお伝えし、他の事業所を探していただいたり、家族の協力をお願いしたりしている」とのことでした。自立生活センターが依頼に優先順位を付ける際、私の依頼が低くなることは当然です。無理は言えません。
 東京五輪が終わり、割のいい仕事がなくなれば、介護業界に人が戻ってくるとの予測もあるようです。しかし、待っているわけにはいきません。すでに我が家では、介護する側の心の平穏が失われつつあります。それは、介護される側の安泰にとっての危機を意味します。
 これまで、6時間ひとりの留守番を考えたことはありません。妻も許さないでしょう。四肢マヒ者は、リスクを負うわけにいかないのです。
 実は数年前から、ヘルパーさんの派遣元を増やすことは懸案事項でした。市から委託された相談支援事業所にも相談していましたが、ある事業所が引き受けてくれることになりました。長続きするかどうかが心配です。あちらもこちらも、生身の人間ですから。四肢マヒ者でも口は達者です。発言がハラスメントと受け取られればアウトです。

茨城県:DRY

 全員参加企画
『いいモノ見つけた!』 ~33~

【便秘を解消 衝撃!! 「漢方薬」麻子仁丸(ましにんがん)】

 NHKの健康番組でたまたま目にして。驚いた。排泄時間が30分も短縮され、30分になった。さらに排泄後の残便によるオムツの汚れもほとんどなくなり、排泄中の臭いも無臭に近い。臭いのMaxが10だとすると2~3に。
 体力がなく、コロコロ便の人に。主治医と相談の上服用を。
 「米麹の甘酒」もお勧め。疲れだるさ・貧血・熱感・便秘にも好い。

紹介者:K.M.

 『臥龍窟日乗』-61- 生産性ってなんだ 

 学生だった頃だから、かれこれ半世紀も昔の話だ。池袋で呑んでいたら最終電車に乗り遅れた。寝静まった繁華街をうろついていると、けばけばしい看板が目に入った。「エロ映画3本立て」とある。オンナの裸のシーンになると突然、天然色になるというシロモノだ。鬱屈(うっくつ)した男たちのオーッというどよめきがおこる。
 3本目の映画は俳優座映画部製作となっていた。俳優座がエロ映画を創り始めたのかとびっくり仰天だ。ハーレーにまたがったむくつけき中年男の集団が、障害者を撲殺して回るという内容だ。悍(おぞ)ましさに鳥肌が立った。
 7月26日、津久井やまゆり園事件三周年のニュースが流れた。犯人が施設患者の殺害を正当化しているという報道だ。生産性のない人間に生きる価値はないという主張である。それをいちいちマスコミがとりあげる。
 論拠としているのは、優生保護法の主張者であった太田典礼という産婦人科医あたりの著作だろう。この人物は戦後、国会議員にもなっているが、障害者を根絶やしにしろという発想の持ち主だ。働かざる者食うべからず、なんていう言葉がまかり通っていた時代だ。この人物は次の選挙では落選した。
 やまゆり園の犯人に、太田の著作を差し入れする輩でもいるのか。おそらく犯人は積み重なった自己矛盾に耐えきれず、犯行に走ったものと思われる。裁判は来年1月始まるというが、自己の正当性を訴える手紙をマスコミ各社に送りつけているらしい。
 障害者施設の職員が障害者を刺殺するという稀代の大事件だ。取材するほうにも、特ダネを目論(もくろ)み犯人におもねる者がいてもおかしくはない。
 私と同病の友人が、あるとき介護施設を見学するというので、同行したことがある。立派な建物で、施設としては最上クラスだろう。案内されたのは食堂兼用のホールだった。十数卓のテーブルが並んでいて、そのひとつに高齢の男性がぽつねんと座っていた。
 遠目に眺めていると、職員らしき女性が男性に近づいた。何事か声を掛けていたが、突然女性が叫んだ。
 「何回言ったら分かるんだよぉ。このボケが……」
 びっくりした。とてもそんな暴言を吐くような女性には見えなかった。介護職員にはそれなりの言い分もあるのだろう。しかし「このボケ」はないだろう。
 わが家には、施設を経験したヘルパーさんが何人か入っておられる。率直に訊いてみた。
 「あなたは施設患者に殺意を感じたことはありますか」
 ほとんどの人が滅相もないと答えた。ただ一人の中年女性が、しばらく考えてからウンと肯いた。かさねて訊いてみた。
 「どんなとき?」
 「真夜中に何度も何度も呼び出されたときなんか……」
 とためらいながら彼女はつぶやいた。
 たしかに表面には出ない深刻な問題もある。患者の家族のなかには、介護をもてあまして施設にあずけたかたもおられる。命を絶ってもらって胸を撫で下ろしている人がいないとは断言できないだろう。それをとやかく言う資格は私にはない。
 生産性がないということは、なるほど社会のお荷物ではある。だからといって、この世から抹殺してよいとは論理の飛躍がある。人間の存在がなんであるかという思考が欠落している。
 やまゆり園事件の犯人は、そこまで考えたわけではあるまい。一時の感情にとらわれ、犯行に及んだのだろう。生産性がないとか、心欠者だからという理由で事件をおこしたとは信じがたい。
 ネット社会になって、世はおおきく変貌しつつある。人間関係がやたらせちがらくなった。人の心の温かみが希薄になってきた。なんと犯人のへりくつに同調する声が多いというがこちらのほうが空恐ろしい。

千葉県:出口 臥龍

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