はがき通信ホームページへもどる No.169 2018.2.25.
Page. 1 . 2 . 3 . 4 .

前ページへ戻る

 障害者にとってパラリンピックとは 


 「パラリンピックは障害者への偏見を助長する」。これは、朝日新聞に掲載されたものだ。この記事によると、2012年のロンドン大会後に、イギリスの民間団体が行った障害者への調査結果だそうだ。障害者に対して健常者の態度が変化したか尋ねたところ、「変化がない」が59%、「悪化した」が22%と、パラリンピックに対してネガティブな回答であった。また、ロンドン大会が、障害者のスポーツ参加への動機づけにならなかったというデータも出た。
 なぜなのか。識者がいうには、「高度な運動能力を持つ選手とそうでない障害者との間に、隔たりが生じている」と指摘する。
 アスリートと呼ばれる選手は、持って生まれた身体的能力とトレーニングによる努力で結果を出すものだが、パラリンピックの場合は少々事情が違う。まず、受傷部位によって麻痺の程度が大きく変わり、残存能力の違いは本人の努力では決して埋めることはできない。競技が障害別にクラス分けしているとはいえ、個々の障害程度は、千差万別である。
 また、競技に使用する車いすや義足の性能が、競技の重要なファクターであることも否めない。100万円以上もする特別オーダーの補装具は、誰でも使用できるものではない。スタートラインに選手が並ぶとき、すでに立ち位置が違うのである。本人の能力以外の要素が加味される競技であるがゆえに、違うところに目が行ってしまう。
 近い将来、補装具の性能が飛躍的に向上し、世界新記録が出ることも夢でない。しかし、それはスポーツ競技というより、福祉機器展の様相をなしているかもしれない。
 100m走で日本人が初めて10秒の壁を破ったが、そのときに使用していたシューズと同型のモデルが10万円近くで発売された。シューズの違いで、試合の明暗が分かれる時代が来たのだろうか。
 古代オリンピックでは、不正防止などを理由に全員が全裸で参加していた。でも、う〜ん、男子は見たくないなぁ。

神奈川県:N.O.



 車椅子選びと自動車選びの紹介 


 以前、2017年8月号でごあいさつさせていただきました、C6のTOMと申します。
 「はがき通信」を通じて、同じ高位頸髄損傷患者の皆様と苦楽を共有させていただき、また、励ましと勇気をいただいております。
 今年2018年は受傷から10年、僕にとって非常に意味深い年であります。
 2008年1月8日、東名高速道路の上り車線の静岡インター付近で、僕は生と死の狭間にいました。
 会社の仕事で名古屋から静岡の得意先企業へ年始挨拶に向かう途中で、運転手が居眠りをしてセンターラインのブロックに突っ込み、クルマが大破する事故に遭ったのです。
 助手席でシートベルトを締めてシートバックをリクライニングさせた状態で睡眠をとっていた僕は、運転手が叫ぶ声で目が覚め、クルマが蛇行しながら制御不能の状態のままコンクリートのブロックにぶつかっていく瞬間を目の当たりにしました。
 それは本当にあっという間の出来事でした。絞めていたシートベルトの上部は首を引っ張り、シートベルトの腰の部分は骨盤をまな板にして腸の2ヶ所を断絶したのです。内臓破裂です。
 見る見る間に体内の出血で僕の腹部はカエルの腹のように膨れ上がり、凄まじい痛みに襲われ、命が助からないことを悟りました。僕はもうダメだと思ったので、運転手に家族への至急の連絡と家族の生活の保護を願ったのを覚えています。
 すると幸いなことに、1分もしないうちに警察官がやって来て「大丈夫ですか!? 今救急車を呼んでいますから頑張って下さい!」と声をかけてくれたのです。
 警察官たちは数分前から挙動がおかしかった僕たちのクルマを追尾していたところ、センターブロックに衝突する場面を目撃し、僕たちのクルマに近付く前に救急車を手配していたのでした。
 遠くに救急車のサイレンの音を聞きながら僕は気を失いました。
 11日に妻が帰省先のフィリピンから駆け付けるまでの3日3晩、僕は昏睡(こんすい)状態でした。
 手術時間は11時間。大量出血に輸血、肋骨骨折、内臓破裂、額裂傷。なによりも第6頸椎圧迫による頸髄の断裂損傷。
 医師から生存確率10%と妻は告げられました。仮に命があっても余命半年、一生呼吸器を付けて寝たきりであろうと言われたそうです。
 娘は当時6歳で、ほとんど海外で働いていた僕は、娘が小学生になった時点で日本で暮らそうと準備をし始めた矢先の不幸でした。
 やがて僕は医師も目を疑うほどの回復力を見せ、呼吸器が入れてあった喉も回復して自分の声を出せるようになりました。
 ただ急性期の病院の手当が不十分で仙骨部に完熟マンゴーが隠せるほどの大きな褥瘡を作ってしまいました。手足の拘縮もひどく、手の指はグーで握ったまま、手は口まで届かない状態になっていました。
 8ヶ月の急性期の病院を経て、回復期のTろうさい病院へ移ってからのリハビリは大変なモノがありました。何せ身体が動きません。
 10年前の妻は日本語はまったく話せませんでした。このころになると妻も1年以上病院で寝泊りをして病院のスタッフとも日本語をカタコトで話せるようになり、持ち前のラテン系の明るさでスタッフからもベストナースの称号をいただけるほどのアイドルになっていました。
 本当に献身的に介護をしてくれ、食事や入浴など、すべて妻が介助してくれていました。
 今年で結婚18年になります。10年もの歳月、妻の多くの時間を僕の介護に使わせてしまいました。
 今は17歳になった娘は、その後、日本の小中学校を卒業して今はフィリピンのインターナショナルスクールの11年生、日本式では高校2年生になり、医師を目指して勉強しています。
 妻の献身的な介護ですっかり甘やかされた僕は未だに食事は全介助でいただいています。
 もともと妻がフィリピンで取得した自動車運転免許証は日本では紙切れで、日本の自動車学校で免許を取得しなおして、僕をどこへでも連れて行ってくれるようになりました。
 寒さにめっぽう弱い僕たち頸髄損傷患者ですが、僕は温暖なフィリピンと日本とで半々の暮らしを楽しんでいます。その暮らし方も先月号の「ルセナの隠居さん」や「はがき通信」生みの親の向坊先生や頸損C4レベルでフィリピンで生活しておられた寺本一伸氏からノウハウを学ばせていただいています。



 僕たちの生活は工夫次第で快適になります。今回は僕の車椅子選びと自動車選びを紹介させていただきます。皆さんの参考になれば嬉しく思います。
 回復期の病院を退院するころに最初の車椅子を入手しました。手が拘縮してしまっているので電動車椅子を選びました。
 基本的には松永製作所のハイバックモデルにヤマハのJW-1という駆動部を組み合わせたモノでしたが、起立性低血圧に襲われた時にリクライニングができないので、トヨタの福祉車両ポルテの電動車椅子が付属したウエルキャブ車にのりかえました。



 このポルテの問題は、乗車時にはリクライニングできるのですが、自動車本体から離れるとリクライニングできなくなり、また、駐車時に心得のない人が隣りのスペースを塞いでしまうと乗り降りができなくなってしまうのが欠点でした。



 次に購入したのが同じくトヨタの福祉車両のVOXYです。これは付属の電動車椅子は付いていませんので、今仙技術という会社のリクライニング可能な電動車椅子を併せて購入しました。
 クルマに乗り入れる場合は後ろの扉を開けてスロープを出して、車椅子でスロープを登り、頭を打たないようにリクライニングさせて搭乗します。
 これで僕の行動範囲は格段に広がって、レストラン、テーマパーク、旅行、日常の買い物、映画鑑賞など、どこへでも行けるようになりました。もっともキーマンである運転手兼介助者の妻を欠かせません。



 やがて6年目に今仙製の車椅子が老朽化しましたので、アメリカのINVACARE社製のチルトできるモデルの電動車椅子に買い換えました。
 この電動車椅子はさすが電クル先進国!と感じました。走行が速いのと、充電電圧が日本の100ボルトだけではなくって240ボルトまで許容範囲がありますのでフィリピンでもトランスを介することなく充電できるのは助かります。



 最近は日本の便利さをフィリピンでもと思い、中古車のFORD E-150を購入して、後部座席を撤去して福祉車両に改造しました。
 フィリピンでもトヨタのアルファードを購入することは可能ですが、価格が何と300万ペソ以上と高価です。日本円に直すと700万円! お家が買えてしまいます。
 日本とフィリピンの二重生活、車椅子の遍歴、クルマの選択改造などを書いて参りましたが、ご質問があれば何なりとお尋ねください。
 受傷歴10年の若輩者ですが優しい家族と「はがき通信」の同じ境遇を分け合う皆様の励ましから勇気をいただいて歩いてまいります。ありがとうございました。

名古屋市/マニラ市:C6のTOM

 166号 http://www.normanet.ne.jp/~hagaki-t/pcc166a.html 
 ルセナ今昔 http://www.normanet.ne.jp/~hagaki-t/pcc168a.html 



 50歳からの本気 


 何を始めようか、数年前まで車いすマラソンの選手として主に西日本を主戦場としてきました。
 それからNPO法人を立ち上げ、会合や講演活動などが忙しくなりマラソンを引退。
 途端に体重が増加……。おまけに五十肩、筋力低下と体にとって悪いことばかりが頻発。
 仕事が忙しいという理由をつければ簡単なこと、しかし少しの時間でも何かできたはず。
 もう一度、障害者スポーツの世界へ戻る決心をしました。
 しかし何をすればいい?
 いまさらマラソンは現実性に欠ける、もっと腰を据えて長くできるもの。
 そういえば近所にアーチェリー場がある、行って体験してみるか。
 車で20分くらいの所に【佐伯国際アーチェリーランド】がある。電話をしたところ『ぜひ、体験してください』との嬉しい言葉。
 山間の広い敷地にあるアーチェリー場、一度ケガをする前に行ったことがある。しかし車いすでも大丈夫なのか?
 まったくそんな心配はありませんでした。もともと車いすアーチェリーの選手が数名在籍していたみたいで車いすトイレまで完備されていました。
 クラブハウスには坂道で入れませんが、電話連絡しておけば大丈夫。
 車いすアーチェリーの歴史は長く、第1回パラリンピックからある種目です、健常者とルールの差はなく、障害に応じて装具などの使用が認められています。
 なので健常者とならんで試合をする場面が多い競技です。
 まず心配なのは座位バランスです、弓を持つ押し手、矢を引く引き手のバランスを保ちながら弦(つる)を引きます。
 マラソンのおかげで弓を引くことはできるのですが座位が難しい。
 いろいろお尻の位置を変えながら、最初は背中を補助してもらって打ちました。
 的に向かう、弓を引く、矢を射る……このときの無心の感触と的に刺さる音が爽快でした。
 私の性格上『よし、これに決めた』と即決!
 その後、何回か打ち続けたときに気が付きました、五十肩が痛くない。
 血流もよくなり肩に筋肉疲労はあるものの良い感じになっている。これは上肢にはかなり影響のあるスポーツだと感じました。
 今は基本に集中し、仕事終わりなど時間を見つけてアーチェリー場に通い、家でもゴムバンドを引く基本練習、そして極めつけはリハビリ病院へ12月の1か月入院して検査&リハビリ&アーチェリーに向けた体づくりまでしている始末。
 1月には自分の弓も届いているはずです、さらに熱は上がるでしょう。
 アーチェリーのトレーナーが『目指せ東京』と言っているのですが、最初は冗談だと思いましたがトレーナーはやる気満々。
 そうか、私もアーチェリーをやるからには目指すべき上の目標だし、日数は少なくてもやれるところまでやるのが私の信条。
 50歳にして仕事以外に熱中できるものを見つけることができた喜び、新たな目標、体の改善、良いことが起こりそうな予感がします。
 皆さんもどうですか、アーチェリーをしろと言うのではありません、何でもいい何か熱中するものありますか?
 年齢で諦めていませんか?
 痛みで諦めていませんか?
 どうせできないって思っていませんか?
 私の50歳からの本気に触発されて、友人の頸損さんも車いすラグビーを50歳から始めました。
 楽しみ方は自由、何をやるのも自由です。諦めずチャンス(?)をみましょう。
 2018年の私の活躍(?)に注目ですよ!またレポートさせていただきます。

広島県:K.T.



 生身の人間の話 


 新約聖書の「コリントの信徒への手紙」に出てくる「体のたとえ」から「体はひとつの部分ではなく、多くの部分から成っています。足が『わたしは手でないから、体の一部ではない』と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。耳が『わたしは目ではないから、体の一部ではない』と言ったところで体の一部でなくなるでしょうか。(中略)神は、ご自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです。(中略)体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。(中略)それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮しあっています。一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。」という一節を抜き出して、曽野綾子は『生身の人間』の前書きに書き入れている。
 この一節は、絶えず対立を繰り返す信者組織に対する戒めの言葉だそうで、和解しないまでも、対立は対立のまま、それでも共存する営みの大切さを述べたものだそうだ。何故、曽野綾子が『生身の人間』の前書きに、こういう一節を入れたくなったのか不明だが、ひょっとしたら近頃の日本社会に対していささかの言い分があるのかもしれない。
 で、何故、僕はこの一節を抜き出したのだろうか? 僕はその答えを述べる言葉をもっていないから、各自『生身の人間』を読んで感じてください、としか言いようがない。
 そもそも、曽野綾子が『生身の人間』で述べていることについて、僕は読み飛ばし読み飛ばし読み、まだら模様の理解をしているに過ぎない。
 肝心なのは、首尾一貫して、心を鍛錬して、依存しない生き方を覚悟し、胆力を養えと言っていることだ。この点は実にはっきりしているので、僕が曽野綾子を好みの作家と思う主な理由だ。

神奈川県:M.K.

このページの先頭へもどる  次ページへ進む


HOME ホームページ MAIL