はがき通信ホームページへもどる No.167 2018.12.25.
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< 特集! 身体的苦痛について(その3) >


 四肢マヒのかたがたが、日常生活を送る中で抱えている身体的苦痛について、その症例を前号に引き続き紹介させていただきます。



 特集 腰・指・かかとの痛み 

58歳、C5−7、不全マヒ、頸損歴32年・1985年受傷

(1)苦痛となっている部位
 a.右腰
 b.左手の指先
 c.左足かかと(主に冬になる。)

(2)痛みが増強する原因と想定されること
 
a.右腰:多分、ギックリ腰。
 b.左手の指先:不明。感覚神経の境界線だからか。
 c.左足のかかと:空気が乾燥して角質が固くなり、神経を圧迫するからかも。

(3)痛みの緩和に効用を感じていること
 a.右腰:安静とシップと鍼を打ちに行く。
 b.左手の指先:特になし。
 c.左足のかかと:角質をふやかして取る。

(4)痛みを緩和する目的で試して失敗したこと
 a.右腰:特になし。
 b.左手の指先:特になし。
 c.左足のかかと:大学病院の皮膚科に行ったけれども、診断がおりなかった。薬は出たので、時間的なロスがあった程度。

北九州市:I.M.


●特集!身体的苦痛についてhttp://www.normanet.ne.jp/~hagaki-t/pcc166a.html
●特集!身体的苦痛について(その2)http://www.normanet.ne.jp/~hagaki-t/pcc167a.html



−海外通信−



 ルセナ今昔 


 世のなか時代の変化は早く、自分が住むここフィリピンのルセナ市(ケソン州の州都)での生活も昔と比べて格段に住みやすくなって来たので、自分がここルセナへ移住した当時の生活と現在の生活の様子を少し投稿させていただきます。
 自分がルセナへ移住を始めたのは今から20年前、当時ルセナはまだ電力事情が不安定であったため停電も頻繁に起こり、ローソクの灯りの下で夕食をとることも珍しいことではなかった。現在では停電することもなくなり、この地の電力事情は格段に向上し、最近は数時間に及ぶ停電があるのは年に1〜2回程度である。
 お陰で近年普及したインターネットを利用してスマートフォンやパソコンで日本のニュースからテレビ番組、必要な情報を1日中いつでも見ることができ、日本にいる家族、友人とも気軽に連絡が取れるようになった。またインターネットのSNSを通じ、ここルセナ近郊に住む日本人の方々と知り合うことができ交流と情報交換も続いている。急速に普及したインターネットのお陰で、ここルセナでの生活も大きく変化した。
 この地に移住してまだインターネットがなかったころ、自分は毎晩ベッドの上で日本から持ってきたソニーの携帯短波ラジオを使い、短波の日本語放送を拾って聞くのが日課であった。短波放送を聞いたことのある人は分かると思うが各地から発信される短波放送は放送時間が決まっていた。だからいつでも日本語放送を聴けるわけではなく、さらにその短波放送は電波の飛びが不安定だったからその電波を拾うチューニング調整が非常に微妙で苦労した。
 当時の短波放送から流れてくる日本語放送の内容は、時事ニュースよりも短編小説の朗読や落語、気象情報などの非常に狭い話題しかなかったように記憶する。それでも日本語に飢えていた自分はノイズや雑音に掻き消されそうになりながらも聞こえてくる日本語放送に一生懸命耳を傾けていたことを思えば、今日(こんにち)インターネットが普及した生活は非常に便利でありありがたい。
 また、当時はまだまだパソコンも高価なものであり、日本語に対応したパソコンは自分で日本から持ってくるか、マニラで日本人が経営しているパソコンショップで日本語のOSを入れてもらわなければ使うことができなかった。それが現在ではパソコンにしてもスマートフォンにしても、こちらで購入した機種の言語設定を日本語に設定するだけで、すぐに日本語で使うことができるものがあるから、パソコンなどわざわざ日本から持ってくる必要もなくなった。
 そしてここルセナでの日常生活の中で、電力事情、インターネットの普及の他に昔と比べて便利になったのが買い物である。20年前、街には大きなスーパーマーケットやモールもなく、ルセナで買い物に出かけるとなれば人ごみ激しい公設市場か街の個人商店くらいしかなかったが、今日ではここ田舎町のルセナにも大きなショッピングモールが2つあります。



 それらのモールは車いす用トイレ、エレベーターが設置されているから、車いす利用者でも不自由なく買い物ができるようになった。空調の効いたモール内は食料品から衣料品、日常雑貨、電化製品、銀行に映画館などもあり、生活に必要なものは全てが揃う。モール内には日本のダイソーの店舗もあり、その店内には日本の100円ショップで売られているものと同じ商品が並んでいるから、ルセナにいながら日本の100円ショップでの買い物気分を味わうことができる。



 モール内の食品売り場へ行けば種類は少ないが日本の食品も売られている。また味と値段はともかく、ここルセナの街にも数件の日本食レストランがオープンしたから、昔のようにそれほど日本食も貴重ではなくなった。
 この地に移住して20年、昔は日本語や活字、日本食を恋しく思う日々もあったが、今日インターネットとここで手に入る日本食材のお陰でそうした恋しさも薄れ、ここ10年日本に帰ることもなく温暖なルセナでの移住生活を続けている。その昔、この地に向坊弘道氏が主宰する日本人障害者の家:G.L.I.P があった頃と比べると、この地での移住生活は格段に便利となってきていることを実感するのである。以上、終わり。


フィリピン共和国:ルセナの隠居



 本の紹介 


 『霧笛海峡(前編)』
 出口 臥龍 著 単行本(ソフトカバー)(株)ブックコム 定価:1,512円

 本を読み進めてゆくと、主人公は出口さんご自身かな?と思い始める。ご本人にお聞きしたところ、「主人公は九割がた私自身です」とのこと。
 出口さんは昭和22年、山口県下関市生まれ。まさに“団塊の世代”だ。プロローグは、仕事関係で知り合った相手が奇しくも小学校の同期生だということがわかり、同期会に誘われ、32年ぶりに同期生と再会するため、下関に帰るところから始まる。前編は小学校時代まで。一家で千葉に引っ越すところで、本編は終わる。
 日本が昭和29年から高度経済成長期に入り、昭和35年には労働争議から安保闘争へ、日本中が大きなうねりとなって騒乱のなかに巻き込まれてゆく時代を、幼少期に経験した世代だ。「あの時代背景のなかで、子どもの人格形成がどのように進むのか。自分を客観視するために、小説仕立てにしてみました」なのだそうだ。
 私が印象に残ったのは、在日韓国人の親友ともいえる同級生が突然病気で亡くなってしまう出来事だ。
 「子どもが死ぬという不幸が、さして珍しい事態ではなかった。(中略)戦後間もないころだった。死に対する人々の感覚も麻痺していたのかもしれない」という記述がされている。
 そして、なぜ本のタイトルを『霧笛海峡』とされたのか? 下関市生まれの出口さんにとっては、関門海峡を指すのだと思う。



 霧笛とは……「霧信号。船舶が霧・もや・雪などで視界が悪いときに他船との衝突を回避するために鳴らす汽笛」のことだ。私も横須賀に住んでいて、明け方に近くの浦賀港から汽笛が聞こえることがある。おそらく、出港の合図なのだろう。ベッドで横になって薄暗い部屋の中で聞く汽笛の音は、胸の奥に響き、どこか懐かしい気持ちを呼び起こさせる。出口さんも小学校時代、幾度となく霧笛の音を聞いたことだろう。
 エピローグの最後は、亡くなった上記の友の人懐っこい表情が韓国料理屋街の呑み屋の小母ちゃんと重なり、
 「源次(主人公の名)の周りを、とつぜん闇がつつみ、ぷおーっ、ぷおーっと霧笛が鳴った」で締めくくられている。
 “霧笛”は、出口さんにとって小学校までを過ごした下関市時代における、今も人生の何かの折々に耳の奥底から蘇ってくる音なのかもしれない。それとも、もっと深い意味があるのだろうか? 興味深いところだ。
 とても読みやすく、出口さんの幼少期の一端を垣間見る(?)こともできる一冊。
 後編は中学〜高校〜大学まで。ご本人曰く……「もっともドロドロした部分」だそうだ。
 後編も、きっと楽しみな内容に仕上がっているに違いない。

編集担当:瀬出井 弘美

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