はがき通信ホームページへもどる No.163 2017.2.25.
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 バンド活動をエンジョイ中! 

 久しぶりの投稿になります。東京在住のaiと申します。C6〜7レベル。受傷から約8年が経ちました。
 私は現在、障害を持つ仲間とともにバンド活動をしています。バンド名は「Dans Cur(ダンクール)」。ヴォーカルの私以外は全員視覚障害者です。出会いは国立障害者リハビリテーションセンターでした。肢体不自由の人は東棟、視覚障害者は西棟と寮が2つに分かれていて交流を持つ機会はほとんどありませんでしたが、私の担当だった理学療法士さんが軽音楽部の顧問をしており、軽音楽部の存在を知りました。ほぼ全員が視覚障害者で構成されている部でしたが、見学に行ってそのまま入部(笑)。障害は違っても音楽という共通の趣味があったから、自然に溶け込むことができたのだと思います。施設はバリアフリーなので、不便を感じることなく部の一員として楽しく過ごしていました。



 今は全員が寮を出て地域生活に移行し、仕事をしながらの活動です。施設と違って、車いすで入れる練習場所・ライブ会場を探すところから始まりました。下準備などいろいろ整えて、2年前くらいから活動を再開。最初は2か月に1回だった練習ですが、最近は月1でやっています。練習の後は、いつも飲み会(笑)。音楽の話から日常の何気ない話まで、話題が尽きません。気の合うメンバーと飲みながらワイワイしゃべる時間も楽しみのひとつです。
 2016年5月に、ライブハウスでの初ライブを行いました。北浦和にあるライブハウス「Ayers(エアーズ)」。会場は地下1階でエレベーターがあり、楽屋からステージへもスロープになっていて車いすでも大丈夫。施設にいた頃は講堂でライブをしていたので、ライブハウスとは全然雰囲気が違います。家族や親しい友人だけを呼ぶ感じの身内ライブにしたのですが、ものすごく緊張しました。でも、何とも言えない達成感というか、ライブ特有の高揚感というか、そういうものが味わえて、またやりたいなと思えるライブでした。



 2016年7月に、ウェディングパーティーを開きまして(入籍は2015年1月でした)、余興としてバンド演奏をさせてもらうことになりました。花嫁がウェディングドレス姿で歌うという、何とも不思議な光景でした(笑)。自分たちで楽器レンタル業者を手配し、ドラムセットやアンプ類を持ち込んでの演奏という初めてのスタイルで、いい経験になりました。業者さんが搬入・セッティング・撤収をすべて行ってくれるので、非常に助かりました。私自身パーティーの準備をしながらの練習で、メンバーもライブハウスが終わったあと2か月しか練習期間がない中で、ウェディングに合う曲を選んで練習するという、かなりタイトなスケジュールになり正直とても大変でしたが、当日パーティーの参加者がノリノリで聴いて下さったので、余興にバンド演奏を選んで良かったなぁと思いました。



 私たちのバンドは、全員が障害者ということもあり、障害を持っていても趣味を楽しみながら生きている人もいるんだよ、と発信していきたいと思っています。ライブ動画をYouTubeにアップしたり、活動ブログを運営したりしています。皆さんに見ていただけたら嬉しいです。
★Dans Cur(ダンクール)の活動ブログ
  http://danscur.jugem.jp/
★ライブ動画一覧
  https://www.youtube.com/channel/UCpJyQjRQs2nx3Cf0FAwrXLg
[ダンクール バンド] で検索してみてください。

東京都:ai



 働くことで元気をもらう 

 先日仕事を終えての帰路、思いもしなかったが働けることに深く感謝の念を覚えた。そして、これには僕自身本当に驚いた。
 今の職場で働き始めたのはこの5月(2016年)、まだ3ヶ月ほどのホカホカの新人社員ではあるけれど、これ以前に働いてきた期間は、重度の障害者としてはとても長い。
 25歳で受傷し28歳で復職してから、今までに2度の定年を経験している。2度目の定年後、昨年のことだが、就活すると同時に技能が落ちないように、YICTセンターへ通所し始めた。
 縁というのは、本当にどこにあるかわからない。就活は散々な状態が続いていて、「過去の実績がどうであれ若いのと競合になったら若い方を採用します。以上」という感じばかりで、65歳を過ぎた頸損は、完全に賞味期限が切れていると痛感していた。
 ところが、通所していた事業所の職員から、来年の春(2016年)に開所する事業所の職員として働いてみないかという話をいただいた。それで、この5月新入社員になった。そして、利用者から職員へと立場が激変して3ヶ月後、「感謝」の念が発露した訳だ。
 過去のふたつの職場と今の職場との大きな違いは、はっきりしている。利用者として通所した期間を試用期間に加えれば、試用期間があり得ないほど長かったことだ。それに僕は利用者で、素のままの自分を現して何の不都合もない場にいたので、僕は等身大の姿もみせていた。もっともセンターだって、当初は僕を職員などと考えもしない訳で、まったくの偶然から始まったサプライズだとは思う。しかもこんな環境での誘いだから、職場への相性は基本的によかったのだろう。
 今の僕は頸損の独居老人で、週6日ヘルパーが家に入り、僕の生活を支える。トイレとか風呂とかの介護をどうしても日中にスケジュールする関係で、週3日の勤務が精いっぱいだ。そして、これが実に塩梅のよい働きスパンであることも、今実感している。
 僕は当面、「70歳まで働く」という目標を立てている。容易ではないだろうが、毎朝5時に起床し、迎える1日を開始する習慣が保てれば大丈夫と思う。しかし、70歳を迎えたとき、肉体的にも精神的にも健康で、「75歳まで働く」と言える自分を想像するとなると、これは妄想だろう、今は。

神奈川県:M.K.



 究極のペン自助具を目指して 

 頸損はお一人お一人状態が異なりますが、これにお心当たりのある方は多いのではないでしょうか。そう、書字の自助具です。これはAmazonにて購入した汎用モデルですが、使い勝手の悪さは病院で支給されたものと大差ありません。力を加えられず、ペン先も安定しません。



 それが不満でOTの先生にイメージを伝え、2人して熱い湯に手を入れながら試作を重ねてできたモノは秀作でした。残念ながら経年劣化で見事に粉砕してしまい画像すらも残っていないのですが、ボールペンに熱で変形する樹脂を直接巻き付け、親指、人差し指に中指用の3つの輪を付けたものでした。その輪も簡単に指を挿入できるものではなく、無理やり押し入れることで痙性けいせいによる軽い反発を牽引し、これで多少の力を加えることができたわけです。その上ペン先は3本の指の先にあり、ペン先を置くというあの違和感も消え失せました。あれが量産できたならば。そんな愚痴ぐちを瀬出井さんにこぼしたところ、「いい友達がいる」とY氏を紹介してくださり、この原稿と相成りました。



 Y氏は絵心のある方で、さっそく記憶を頼りにイメージをお伝えし、こちらの要望も話しました。ただいかんせん記憶が遠く、また健康な時のペンの持ち方も思い出すことができず、どこまで伝わったかは正直分かりません。が、Y氏にもイメージができあがったらしく、その試作1号の完成となります。これはY氏が手袋に手を入れた状態で熱で溶ける樹脂を手袋の外から塗り、乾くとその形状で固まるというものです。またペンの交換ができるよう工夫されており、筒状のパイプに通したペンをネジを押し付けることで安定します。粉砕したモノには及ばぬものの、これは重宝しました。とはいえ手袋の表面が樹脂で覆われているものですから、使用中に指が蒸れます。これは臭くなりそうだとお伝えし、Y氏の改良が始まります。
 2号、3号はY氏ではなく私の指を挿入し、Y氏が私の指を動かしながら形作り、挿入後の関節部分にのみ樹脂を塗っての形成となりました。これは通気が良く快適です。が、ペンを握っているとはいえず添えているだけといった感じ。力を加えることができません。それをお伝えして4号ができました。これも私の指に関節部の樹脂。画像では見えませんが形状を強化するために針金の芯も入っています。ですがこれも力が加わっている感触が沸きません。動かない私の指では、力を加えることの可能な形態を作ることはできないのかもしれません。



 さて、長々と書きましたが今はそんな状況です。次の機会には再度Y氏の指をお借りし、無理に力を入れていただいた状態を樹脂で固定してもらい、そこに無理やり指を入れてどうかを試したく思います。というわけでこの先も究極の1本を目指してY氏を煩わせる日々が続きそうです。最後になりますが引き合わせてくださった瀬出井さんとY氏に感謝申し上げます。

神奈川県:鈴木@横須賀




 環境制御装置(ECS) 

C4、頸損歴37年

 私の日常生活はマウススティックが欠かせない。パソコン、テレビのリモコン、扇風機、電話子機2台など必要なことをするときに重要な物である。気が短いので、すぐ操作できるようにオーバーテーブルの上に各機器のリモコンを並べマウススティックで操作をしていた。しかし、そのマウススティックを落としてしまうと最悪である。何も操作ができなくなるのだ。あるとき、くわえていたマウススティックを落としてしまったことが何度もあった。そのたびに母が健在だったときは呼んで拾ってもらい助けてもらっていた。その母も亡くなり、日中1人でいるようになった。不便になった生活を改善するために、環境制御装置(ECS)を生活に取り入れてさまざまな家電機器を自分で操作できるようにしたのだ。



 「はい」、「あか」と発声するとテレビの電源が入る。「はい」、「れい」でエアコンの冷房が入る。音声と呼気の両方で操作できるECSを設置してもらった。
 Y市総合リハビリテーションセンターの企画課に相談し、デモでいろんなECSを試した。その中で私の希望していたスマホで音声と呼気の両方で操作できるECSを選んだ。音声の設定はいろんな言葉で登録ができる。最初、テレビは「てれび」と発音していたが何度も練習したが認識しにくい。妻のマリちゃんの声に反応するのに、私の声は認識しないのだ。マリちゃんから「嫌われている」とからかわれた。言葉が認識しやすい「あか」にした。チャンネル切り替えは「うえ」「した」で変わる。言葉の登録は自由である。使い方は「はい」で音声認識操作が表示され、表示中に操作したい言葉を発声する。呼気は、呼気スイッチのストローを口のくわえられる範囲内に設置し、短く(0.1秒)吹くとマウスが右横に動き、吹き続けると下、左横、上に動き、止めるときは長く(0.5秒)吹く。クリックするときも長く吹く。スクロールは長く・短く・長く吹く。





 設定は、iRemocon(学習リモコン)を使用してiRemoconWiFi(アプリのダウンロードが必要)に家電のリモコン(赤外線リモコンに限る)の信号を学習させることで、スマホ(Android)で様々な家電をコントロールできる。操作は、呼気スイッチ(息を吹くことで操作)を入力装置として使用し、ワンキーマウスに接続して操作の全てをスマホ画面上のマウスで行う。



 今回、スマホの充電(純正品)とワンキーマウスへの有線の同時接続が難しいらしく、PC/スマホ切替器を使用してワンキーマウスの信号をBluetooth HIDプロファイルに変換させ無線通信によってスマホで操作しているらしい。私には、難しくて(?)よくわからない。今は、テレビ、エアコン、コンポ、扇風機、スマホの操作をしている。就寝時にはマウススティックをくわえることができなくて、緊急のときが心配だった。今では呼気スイッチで電話ができるようになって不安がなくなった。
 ECS設置には、横浜市の助成金制度(横浜市住環境整備事業)を利用。
 使用機器
 ・スマホ
 ・iRemocon ㈱グラモ
 ・呼気スイッチ 徳器技研工業㈱
 ・ワンキーマウス ㈲TY企画
 ・PC/スマホ切替器(CS533) ATENジャパン㈱

神奈川県:M.I.

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