車椅子使用中の傷害保険
私の住む、東京都練馬区では「区民交通傷害保険」という保険があります。パンフレットには区民交通傷害保険普通保険の中に被害事故補償特約と自転車および車椅子による賠償責任補償特約(自転車賠償責任プラン)をセットしたもの、とあります。 保険契約者は練馬区、保険期間は毎年4月1日から翌年3月31日の1年間となります。 いろいろなコースがあり、保険料800円〜3000円で車椅子使用中の事故、車椅子使用中に他人に障害を与えた場合、他人の財物に傷害を与えた場合も保証されます。 皆さんのお住まいの市区町村にもあるはずです。役所担当部署に問い合わせてみてはいかがでしょうか? 広報担当:麸澤 孝 イランで脊損者生活実態調査をはじめました。
「はがき通信」の皆さま、ご無沙汰しておりますが、お元気ですか? 東邦大学看護学部のS.Hです。2014年もあっという間に年の暮れとなってしまいました。皆さまにとって、2014年はどのような年だったでしょうか。 2014年、私は、脊髄損傷者の自宅を訪問する調査研究プロジェクトを実施するため、1月から6月末までの5ヶ月間と、11月の1ヶ月をイランで過ごしました。イランの脊髄損傷者を対象とした調査は、2008年に東邦大学に就職したころより準備を始めていたのですが、実施できる環境が整うまでに6年近くかかってしまいました。イランの身体障害者を対象とした政策やサービスの改善を求めるためには、生活の実態調査が不可欠でした。しかし、「障害者の自宅を訪問する」という調査方法が問題視されたため、なかなか許可が下りなかったのです。現地調査をおこなうことが難しいイランであっても、まさか6年もかかるとは思っていませんでしたので、許可が出た時は、本当に嬉しく思いました。 このプロジェクトは、テヘランにある国立エマーム・ホメイニ病院の脳・脊髄神経研究センター(以下、センターと略します)とテヘラン医科大学看護・助産学部、東邦大学に所属する私の共同研究プロジェクトという位置づけで始められました。しかし、プロジェクトは最初から困難の連続でした。最大の問題は、脊髄損傷について臨床的知識をもたない看護・助産学部の教授らが、プロジェクトの総括者・アドバイザーとなったところにありました。彼らの妄想的で非実践的な調査研究のビジョンを、私が予定していた生活実態調査の形に戻してもらう必要があり、イラン到着から1ヶ月は、ほとんどそのための会議でつぶれてしまいました。 当初、最低でも60人の患者さんのご家庭をまわることを計画していたのですが、上記の問題も含む種々の理由で、結局15人の方のご自宅に2回ずつ訪問することしかできませんでした。しかし、その後、このプロジェクトの継続が許可されましたので、2015年にも患者さんたちの自宅訪問を続けていけることになりました。問題の教授たちは、途中から自宅訪問に来なくなったため(たぶん、興味がなくなってしまったのでしょう)、継続プロジェクトでは、教授たちの代わりに当事者団体で経験を積んだ脊損者をメンバーとして加える方針に変更することができました。これは大きな前進です。 イランには、脊髄を損傷した患者さんのための統一されたリハビリテーションのプログラムが存在していません。テヘランにはリハビリテーション専門の病院がないので、患者さんは急性期を過ぎるとすぐに退院して自宅に戻ります。病院の外科病棟に勤務する医師や看護師、OTやPTは「退院後の生活については退院時に指導している」と自信たっぷりに言います。しかし、それは小さなパンフレットを渡して説明をするだけのことです。家に帰ってからの生活を想定した指導や訓練はまったく提供されていません。 リハビリの設備をもち、OTやPTの訪問サービスを提供している病院や施設もあります。しかし、彼らが脊損者特有の問題への対処法を知っているかというと、そうではありません。当事者団体に連絡が取れれば、相談にのってもらえますが、病院は情報を提供していません。つまり、本人も家族も、障害について、身体管理の方法について、起こりやすいトラブルと対処法について、何も情報をもたないまま、何が何だかわからない状況で自宅に帰り、それから自分たちだけで試行錯誤をしながら日々の生活を立て直さなければならないのです。これは本当に大変なことです。そのため、首都テヘランでさえ、損傷部位が低い対麻痺の方たちの中に「寝たきり」の生活をしている方がたくさんいます。家の中では車椅子を使わず、トイレもベッドの上で、外出もほとんどしないという生活をしているのです。 テヘラン南部に住む男性、Mさんも、そんな生活をしている一人でした。30歳代に入ったばかりのMさんは、スポーツジムのインストラクターをしていました。バイクの事故でT2損傷、腸骨骨折、私たちが訪問した時は事故から4年が経過していましたが、自宅の居間に置いたベッドに寝たきりで、車椅子やリハビリ用の装具も、ほとんど使用していませんでした。事故後、近くにある介護施設のOTから指導されたリハビリをおこなうため、男性の友人が毎日介助に来ていたそうですが、些細(ささい)なことでケンカとなり、友人が来なくなってからは、リハビリもできなくなってしまったとのことでした。2年前には自殺未遂もありました。 自宅に引きこもっているMさんに対し、訪問した男性ナースと女性医師、女性のソーシャルワーカーと私で、とにかく一度でいいから、リハビリの設備があるエマーム・ホメイニ病院のセンターに来て下さいと繰り返しお願いしました。しかしながら、Mさんの住む家は古いイラン式の住居で、狭い階段があり、家から外に出ること自体がとても難しいのです。しかも、公的な移動支援サービスが存在しないので、センターに来るための車を出してもらうとすると、かなりお金がかかってしまいます。結局、Mさんはセンターにいらっしゃいませんでした。 ところで、私は、イラン滞在中、お会いした患者さんの絵を描くことにしていました。お顔の写真を撮らせてもらい、帰宅してから、その写真をもとに絵を描き、額に入れて2回目の訪問時にプレゼントします。ご本人からも、ご家族からも、いろいろな反応があり、大変勉強になります。Mさんにも、2回目の訪問時に絵をプレゼントさせていただきました。するとMさんは、ずいぶんと時間をかけて絵を見て、髪の生え方、皺(しわ)や傷の位置など、細かいところを確認していました。そして、こうおっしゃいました。「事故の前は、もっとずっとハンサムだったんだよ」。その声に、冗談めかした軽さはありませんでした。 私の絵があまり上手ではなかったというのも理由の一つだったかもしれません。しかし、スポーツジムのインストラクターだったMさんです。思うように動かない身体を受け入れるのは、大変難しいことだと思います。多くのことを変えてしまった事故の後、Mさんは、自分らしくない生活を強いられていると感じていたのかもしれません。人の手を借りてまで外出したくないという気持ちにもなります。 センターへの帰り道、同行していたメンバーから、イランの医療者がよく言うように、本人が希望しないのだから仕方がないと諦めてしまうのではなく、本人が外出できないのなら、できるようになるまで病院側から出向いて行くべきだという意見が出ました。残念ながら、私たちは、まだMさんの生活を変えることはできていませんが、逆に、Mさんの言葉は、確実に私たちの気持ちに変化をもたらしてくれました。最初は面倒くさそうに調査に協力してくれていたメンバーも、この日を境に、気持ちが「熱意」に変化したようでした。 Mさんの絵 2015年もまた、春と冬にイランに渡航し、脊損者の自宅訪問による生活実態調査プロジェクトに従事する予定です。皆さまに教えていただきながらの実践です。2015年もどうぞ引き続き、ご指導ご鞭撻(べんたつ)のほど、どうぞよろしくお願い申し上げます。 東京都:S.H.
肺炎球菌ワクチンに思う
テレピでCMをやっているから打つ気になったのか、両親が肺炎球菌ワクチン(以下「ワクチン」)を打つと言い出した。私の往診のドクターが打ってくださるので、病院に行く手間はない。それも打つ気になった理由のひとつかもしれない。確か、65歳以上から5歳刻みに国から補助金を出すというもの。ワクチンは5年間有効で、平成30年度までの継続事業らしいので、65歳以上の人はいずれ該当するということか。うちの両親も、今回は該当しない。1人8,000円、インフルエンザの予防接種に比べて安くはない金額だ。 喘息(ぜんそく)の持病を持つ頸損の友人が、病院に行ってワクチンの相談をしてきたそうだ。ちょうど、5年前にやったワクチンの有効期限も切れ、そろそろ次のワクチンをと思っていたこともあり、また、しきりにテレビでCMするので、風邪が流行る前に早くやっておきたいと思ってのことでもあったらしい。 彼女は喘息持ちなので、風邪をひくとこれが引き金になってすぐ喘息の発作を起こし、最後は肺炎になって、これまで入退院を何度繰り返してきたことだろうと話す。頸損者は、腹筋が効かないので咳がうまくできず、よって痰(たん)が溜まっても吐き出すことができないということになる。結果、水の中で溺れた状態になる。 別の頸損の友人も、 「なんとなくどの辺にいるかがゴロゴロ音でわかるので、(介護者に)追い込んで追い込んで出してもらう。お互いに相当な体力を使うので、何度かやってダメならしばらく休憩をはさみながら、水分を取ってノドを傷めないように気をつけている。で、ダメなら早めに病院に行くようにしている。出ない痰が胸の中いっぱいに広がってくる感じがしてくると、あっという間に肺炎へ進んでしまうので、その前に」 彼も、“肺炎で救急搬送・前科3犯”とのことだ。ただ、このワクチンは肺炎全般に効くのではなく、あくまでも肺炎球菌に対してのみで、誤嚥(ごえん)性肺炎や間質性肺炎などには効果がないという。 前述の彼女は、結局、継続的にワクチンを打つことにしたのだが(彼女の場合、幸い(?)にも肺炎球菌による肺炎だったらしく、ワクチンを打ってからの5年間は風邪らしい風邪もひかなかったそうだ)、そこで大きな疑問が出た。実費9,800円……?? 彼女は、テレビのCMでは、65歳以上の人には国が実費を出すと思っていたらしい。先生や看護師の方に聞いてみたが、誰もわからない。 結果、センターに問い合わせてみることにした。答えはこうだった。 「初めての方のみです。2回目の方には適用外です。ご自身でお支払いください」とのことだった。 「どういうことですか?」 と聞いても、 「国の決まりでそういうことになっておりますのでなぜなのかは……私どもでは分かりかねます」と言うばかり。 「では、ご不明なことはお問い合わせくださいと、なぜテレビでコマーシャルしているのですか? 払いたくないというのではないんです。なぜそういう決まりになっているのかということをお聞きしたいのです」 「国の決まりで……」 これ以上は、彼女たちのせいではないので追及するのはやめたそうだ。 彼女は言う。 「ハイリスクを抱えている患者は、それまでも保険が利かず実費でやってきているのに、今回は健康な方たちに対して保証をする……という意味が全くわからない。年齢的に、年々生活が困窮になっている方が、周りを見渡せばたくさんいる。その方たちが、先がないのに、自分で身を守らなければならないということなのか……と思う」 私も国が肺炎による死亡率が増え、上がっているからそれを抑止するためにやる事業の一環なのに、この金額は国民みんなが払えるわけではない。 頸損の彼女も、「せめて、今回だけでも希望者全員に保証していいと思う。肺炎で亡くなくなる人を減らすための事業ではないのか」と言う。この構図は、全く不思議という他ない。 衆議院が解散した(この原稿を書いているのは11月のこと)。なぜ、今なのか? 消費税も、いずれ10パーセントになってしまうのだろう。ふう〜…大変だぁ〜……。 コガメ 空洞症
私は2002年に頸髄損傷になり、受傷レベルはC4〜C5で、右手で電動車椅子を操作すること以外は全介助です。事故後は大きな入院はなく、状態も安定していました。しかし、2013年に胆石と痔ろうの手術のため8カ月入院することになりました。 最初に異変を感じたのは退院後1ヶ月ほどたった頃です。近所に買い物に出かけた時、歩道を走行していると右手に痙性(けいせい)が入り、腕が伸展してしまいました。その時コントローラーを押して車道に飛び出しそうになったのです。いつもなら痙性が入っても制御できたのですができなかったのです。ただこのときは長期入院による廃用性の筋力低下だと思い、徐々に戻ると思っていました。 その後右腕が少し重いと感じつつも、日常生活に支障がなかったためそれほど気に留めることもありませんでした。次に異変を感じたのは11月ごろ就寝時に毛布を掛けるようになった時でした。毛布を掛けたとき体温調整を右手で行っていたのですが、毛布の重みで右手が動かなかったのです。これでは日常生活に支障が出るので、かかりつけの病院を受診しました。そこでMRIを撮ってもらい診断してもらうと空洞症ということでした。 脊髄空洞症とは脳と脊髄を循環している脳脊髄液と呼ばれる液体の流れが滞ることにより水が溜まり空洞ができ、脊髄が「ちくわ」のような形になってしまう病気です。 この病気の多くは、小脳が生まれつき脊髄の方へ下に落ち込んでいるキアリー奇形と、脊髄損傷などによって、脳脊髄に癒着(ゆちゃく)を起こすことで起こります。脊髄に空洞が起き神経線維を痛めると、感覚障害や運動麻痺が現れてきます。脊髄空洞症では、まず片手の痛みや温度に対する感覚が鈍くなり、やがて両手の力が入らなくなります。症状の進行はゆっくりですが、治療せずに放置した場合、約半数の人は20年以内に下肢にも麻痺が及び、車椅子が必要になるといわれています。 頸椎をMRI検査することにより、ほぼ診断を確定することができます。 ただし、「脊髄腫瘍(しゅよう)」の合併症として発生した脊髄空洞症については、造影剤を用いたMRI検査が必要となります。 わたしの場合定期的にMRIを撮っていなかったため、空洞はあるもののいつからあったのかわからず、直接それが原因で右手の運動が悪くなっているか分からないということでした。長期入院の退院直後であったことや、事故後状態も安定していたため、まだ廃用性のものだと思いこんでいました。 決定的におかしいと思ったのは年明け、今までできていたTVやエアコンのリモコン操作ができなくなったことです。このことで、廃用性の筋力低下ではなく明らかに筋力低下が進行していることが分かり空洞症の治療を行ってくれそうな医療機関への紹介状を書いてもらいました。 初めに受診したのは国立S原病院です。MRIと紹介状を持って行くと、午後時間がとれるということで、午後受診をしました。1時間くらいかけ空洞症の症状と治療法について丁寧にご説明いただきました。現在のところ治療法は手術しかなく、一度傷ついた脊髄は元には戻らないため、手術の目標は空洞を縮小させ症状の増悪を防ぐことです。手術方法としては、主に次の2種類があるということでした。 1つ目は空洞短絡術です。背中の皮膚を切開して脊髄に達します。そして、顕微鏡で拡大しながら、脊髄空洞内に直接細いチューブ(カテーテル)を挿入し、空洞内にたまった水を他の場所に流すようにする手術です。「空洞−くも膜下腔シャント(SS shunt)」(空洞の水をカテーテルを通じてくも膜下腔に流す)が一般に行われています。空洞から、腹腔部、胸腔部に流す処置を取る場合もあります。 2つ目は大後頭孔拡大術です。頭蓋から脊柱管に移行する部分を拡げることによって、髄液の流れを良くするものです。これは、「キアリー奇形」により、脳脊髄液の交通が妨げられ空洞が形成されている場合に有効な手術です。首の付け根の真ん中の部分を5cmほど縦に切開します。その後に切開を進めて、後頭骨の一部と頸椎の一番上の骨の一部を取り除きます。そして、脳と脊髄を包んでいる膜(硬膜といいます)を広げるような操作をします。どちらも全身麻酔で手術を行います。 受診前に調べた情報では、一般的にシャント手術が行われ、比較的簡単で有効だと認識していました。しかし医師の話では、外傷性による空洞症は非常に珍しく症例数も少なく、さらに私の症状では首の骨を取り除き、まずは原因の癒着をはがし硬膜を広げた後、チューブを挿入しシャントするというものでした。 この手術では、癒着をはがすさい神経に直接触れるため、手足のしびれや動きの悪化など脊髄の機能障害が起きることがあります。またチューブが抜け落ちることや、つまるといった危険性があります。さらに、手術全般にかかるリスク、血栓や感染症、人工物を入れることによるアレルギーなどがあります。手術が成功し目標を達成して症状の増悪を阻止できたとしても、感覚や運動機能が戻るとは限らず、手術時に起こる出血などにより再癒着が起こり、空洞症が再発する例もあるということでした。 空洞症は急激に悪化することは少ないため、手術のリスクとメリットを今後の進行を見ながらから考え、手術するかどうかを決めてもいいのではないかということでした。また、症例数も非常に少ないため、症例数の多い病院にセカンドオピニオンに行くのもいいのではないかと助言をいただきました。 そこで、K里大学を受診してみることにしました。K里大学で受診してみると、確かに脊髄に浮腫が認められるものの、空洞症といった症状ではないかもしれないと診断されました。また、K里大学ではこのような状況に対する手術は行っておらず、頸椎の上位に浮腫があるため、手術はできないと言われました。 私はシャント手術をすればリスクもなく簡単に治るものだと考えていましたが、国立S原病院やK里大学病院の医師の説明を聴いて、ことはそれほど単純ではないと気付きました。そこで改めて、インターネット検索や、友人などに相談してみると、空洞症友の会を知りました。空洞症友の会に連絡を取ってみるとJ恵大学病院が症例数も多く専門外来があると教えていただきました。また、友人もそこでの手術を経験しており医師も親切で予後もよく、J恵大学病院が力を入れていることがわかりました。そこで、J恵大学病院を受診してみると、やはり一般的な空洞症とは少し違い、空洞はほとんど見られず、髄液が神経に染み込み浮腫が出現しているということでした。シャント手術では状況は改善しないと言われ、手術のリスクや予後の悪さも同様の説明を受けました。私の右手はもともとほんの少し腕が曲がる程度しか動かず、それすらも動かなくなると現在の生活が維持できなくなってしまいます。そのことを非常によく理解してくださり、本来このような状況では手術の適用にはならないところ、手術をしてみてもいいと言っていただきました。手術はやはり頸椎を取り除き癒着をはがした後、チューブを入れてくるというものです。術後1ヶ月ほど訓練入院が必要とのことでした。空洞症の場合先延ばしして動かなくなってしまった部位は元に戻るとは限らず、手術は急いだ方がいいということでした。ただ、やはり手術自体により右手が動かなくなってしまうリスクや症状がここで止まる可能性を考えてしまい、手術に踏み切れませんでした。そこで、J恵大学の元教授で、長年空洞症について研究なさっていた医師がK田京橋クリニックで空洞症外来を行っていると聞き、セカンドオピニオンに行ってみることにしました。 K田京橋クリニックで診てもらうと、やはり診断は同様でした。手術のリスクとメリットについて聞いてみると、確かに危険はあるが癒着をはがすという技術自体は確立されており、やったほうがいいのではないかと助言をいただきました。また、空洞を縮小させることができると、症状も改善することも珍しくないということでした。ただ、やはり私の右手は私の人生全てを背負っているので少しでもリスクを減らしたいと考え、最後にK応大学病院のセカンドオピニオンを受診しました。K応大学病院でも同じ診断を受け、ここでは少し様子を見てもいいのではといわれましたが、J恵大学病院で手術することにしました。 私はK川リハビリテーション病院以外で入院したことがなかったので入院すること自体が不安でしたので、入院前の手続きでADLが全介助であることや褥瘡(じょくそう)のリスクがあること、ナースコールを手で扱えないことなどの不安を伝えました。入院当日病院に行ってみると呼気式のナースコールが準備されており、排便、排尿その他の頸髄損傷に関しても理解されていて安心しました。入院当日に医師から改めて手術の方法とリスクについての説明がありました。分かっていたことですがやはり直前になりリスクに対する不安は出てきました。翌日は術前検査をし、入院3日目で手術です。 手術は全身麻酔で行われ、目を覚ました時には終わっていました。目を覚ますとすぐに主治医が来てくれ、手術は成功と伝えられました。術中に行われた筋電図の結果が非常に良く問題なかったとのことでした。しかし、やはり大きな手術であったためにその後は大変でした。まず大変だったのは、麻酔が効いているので安静にしていれば痛くないのですが、痙性による不随意運動で手術跡が引っ張られ痛みが出たことです。これは、筋弛緩剤を飲むことによって改善されました。そして入院によるストレスも大変でした。在宅や入院しなれた病院とは違い、介助方法や生活リズムが異なることや遠方での1ヶ月に及ぶリハビリ生活は非常にストレスが溜まりました。しかしこれも、病院の看護師や助手さん、訓練士や友人、家族などさまざまな人に支えられなんとか乗り切ることができました。一番大変だったのは右手が一時、動かなくなったことです。手術が終われば右手はすぐに動くものだと思っていたので動かなくなった時は術前にあれほど考えていたリスクが頭をよぎり大変ショックでした。しかし、リハビリを開始すると徐々に改善され、術後1ヶ月程度リハビリしたところで術前よりも右手が動くようになりました。また、退院直前に無呼吸症候群が見つかり改善がなければ転院による治療が必要だとされたのですが、これも右手の回復と同様、改善がみられました。入院期間も1ヶ月と余裕をもった設定をしていただき動かない状況で退院させられるというようなストレスはありませんでした。 このような経過をたどり無事在宅へ帰ることができ、現在では術前よりも多少感覚域が減ったものの、明らかに右手が動くようになりADLがあがりました。今後は1年に1度程度の診察を受け再発しないことを祈るばかりです。 最後に、この手術をするにあたり友人、家族や訪問介護、看護師の助言やさまざまな医療機関で診断・助言していただいたこと、さらにJ恵大学病院における手術に携わってくれた医師、入院生活を支えてくれた看護師や訓練士等、さまざまな方にお世話になりました。深く感謝の意を表します。 《参考文献》 ●日本脊髄外科学会:病気の解説と治療法の紹介 脊髄空洞症; http://square.umin.ac.jp/jsss-hp/patient/hollow.html (2015.1.13) ●東京慈恵会医科大学脳神経外科学講座:脊髄・脊椎疾患 空洞症; http://www.neurosurgery.jp/spine/disease.html#backbone00 (2015.1.13) ●空洞症友の会 http://www.achmc.pref.aichi.jp/sector/hoken/family/list/sekizuikuudou.html 神奈川県:Y.J. |
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