全員参加企画『いいモノ見つけた!』〜13〜
手作りの「ふんどし型ショーツ」のご紹介
Hさんママは、浴衣などありあわせの布で生理のときのために、ケアがしやすいように「ふんどし型ショーツ」を手作りされているとのこと。
ショーツのあとがあせもになりやすい方は、タオル地で作るとよいかもとのアドバイスをいただきました。
情報提供:Hさんママ
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『臥龍窟日乗』 —霧笛海峡〈1〉—
ブゥオ〜ッ、ブゥオ〜ッという音が間断なく聞こえる。
あるときは地の底から響いてくるようであり、あるときは甲高い管楽器のようでもあった。深夜、目覚めた私には、おぞましい魑魅魍魎(ちみもうりょう)の唸り声のごとく聞こえたものだ。
いたたまれなくなって母を起こす。
「今夜は霧が深いんじゃね。船と船がぶつからんように、霧笛を鳴らしちょるんじゃろ」
と言って、母はじき眠ってしまう。
精神的に不安定な幼年期を過ごした私は、その後、人生の行き詰まりのたびに、あの霧笛のような耳鳴りを聞くようになった。
関門海峡は本州の西の果て・下関と、九州の北の端・門司のあいだにある。最も狭いところで600メートルしかない。大阪や神戸を出た外国航路の大型船が、瀬戸内海を通り玄界灘に抜ける、最も危険な隘路(あいろ)だ。
関釜連絡船の発着港である下関は、国際都市でもあった。いかがわしい華やかさと、人々の雑踏。街全体が怪しげな見世物小屋のようだった。
下関の先っぽに、牛の涎(よだれ)のようにぶら下がっている島がある。その彦島で私は生まれ育った。家から十分も歩くと海峡だ。対岸は門司や小倉の北九州工業地帯。釣れるのは河豚(ふぐ)の稚魚だと分かっているのに、2時間でも3時間でも釣り糸を垂れていた。家にいるのがイヤだったからだ。
フェイスブックというのを2年ほど前からやっている。会ったこともない人と知り合いになる意外性がある。「友達の友達はまた友達で」と、おもに下関方面の知人が増えている。
S○○さんという方と、最近、知り合った。下関在住の大学教授で、『従軍慰安婦』の研究者でもある。数十年前、韓国・済州島(チェジュド)に赴き、「日本に拉致された被害者はいなかった」という論文を発表したものの無視された。
ところが、さきごろ朝日新聞が『従軍慰安婦拉致事件』は事実無根だったと謝罪したことから、S教授が「時の人」となり、『週刊ポスト』や『サピオ』『新潮45』などに登場されている。ご自身は北朝鮮との国境近くで生まれており、婦女暴行事件は国連軍にもあった、と驚くべきことを書いておられる。
政治的に利用されるかもしれないが、学者として「真実」は曲げるわけにはいかないともお書きになっている。お人柄から推察して、言葉にウラはないと思う。
『従軍慰安婦拉致事件』については、私には知識がないので、ここでは触れない。
ただ『拉致事件』にまつわる一連の文章のなかで、思わぬ方が登場してきたのには驚いた。『復讐するは我にあり』の著者・佐木隆三さんだ。S教授が佐木さんのお宅を訪れ、その時の写真がフェイスブックに登場した。対談でもされたのだろうか? 佐木さんはだいぶんお年を召されたが、お元気そうでなによりだ。
『復讐するは我にあり』は実際に起こった連続殺人事件を小説化したもの。トルーマン・カポーティの『冷血』に触発され書いたと佐木さんは語っておられたが、両書とも私にとっては貴重な本だ。
『復讐するは我にあり』のタイトルの由来がよく分からなかったのだが、S教授も同じだったらしい。
出典は『新約聖書』。「迫害を受けてもけっして復讐してはならない。復讐は、神である私がやる」という意味だそうだ。著者自身から、崔教授が説明を受けた。永い間、喉につっかえていたものが、ようやく飲み込めた感じだ。
もうひとつ意外だったことがある。
佐木隆三さんは市川市在住と思っていたが、いまは関門海峡を挟んで下関の対岸、門司に住んでおられるそうだ。海峡を航行する勇壮な大型客船を眺めながら、日々を過ごすお二人を羨ましいと思う。
あの霧笛は、今でも聞こえるのだろうか。レーダーの発達した昨今、霧笛はなくなったのだろうか。叶わぬ夢になったが、年を重ねるごとに郷愁はつのっていく。すでに亡くなった人々の姿とともに、霧笛が蘇(よみが)えってくる。
千葉県:出口 臥龍
生理をコントロールする方法
はじめまして! 東京在住のaiと申します。C6〜7、25歳で受傷してから5年半ほど経ちました。
頸損になって一番欲しかった情報は、生理時の対応でした。みんな、どうしているのだろう?と思っても、聞きづらい……生理に関する情報はなかなか得られません。一例になりますが、私の生理時の対応を紹介します。
受傷してから1年以上生理がなく、とても不安でした。看護師さんに相談すると、「体がショックを受けているのでしょう。そのうち来るようになるよ」と言われました。受傷して半年寝たきりでいたこともあり、リハビリを開始しても成果が感じられないまま、さらに半年……まず食欲が増えて(笑)、その後に運動量も増えて、少しずつ生理が来るようになりました。気持ち面の受容もあったのかも知れません。リハビリが楽しく感じるようになってきた時期でもあったので。ただ、安定して毎月来るようになると、生理が重くて動けない……という悩みが発生。健常時は重かったので、体が健常時に近づいたのだと思えば良いことではあるのですが、完全麻痺のはずなのに下腹部に違和感……コレって生理痛? これはこれで困ります。
私は、ピルを服用して、生理時の不快な症状の軽減と生理日のコントロールをしています。健常時にも服用していた経験がありますが、当時は保険のきくピルはなく自己負担でした。現在は、月経困難症の治療薬として、日本で保険のきくピルは2種類あります。月経困難症って何?と思われるかも知れませんが、婦人科系の病気があってもなくても「生理が重くて日常生活に支障がある」場合に、処方してもらえます。治療薬と言っても治す薬ではなく、症状を和らげる薬です。生理日のコントロールが一番の目的だと言ってしまうと、治療目的とみなされない=保険がきかないので要注意。
ピルを使うと28日周期になり、4週に1回、決まった曜日に生理が来ます。出先で突然来て困るということもないし、経血量も減るので処理が楽です。通学していた際は、金曜あたりに生理が来るようピルを飲み、来る週の土日は外出せず家で過ごし、月曜から学校に行くというリズムにしていたので、授業と重なることがないようにできました。
もちろん良いことばかりではなく、副作用もあります。一般的によく言われるのは吐き気。私は、飲み始めの2〜3ヶ月は吐き気が出ます。種類を変えた時も同じ症状が出ました。個人的に一番気になるピルの副作用は、血栓症のリスクが高まること。車いすにずっと座っているだけでも健常者より血栓症のリスクが高いのに、さらに高まるのは考えもの。私は、左足の付け根に血栓がすでにあり、血をサラサラにする薬を飲んでいるので、婦人科にかかった際にはそのことを正直に伝えましたが、特に何も言われることはなくピルを処方されました。一緒に飲んでいて大丈夫なのだろうか?という疑問はありますが、リスクを承知していても、利便性を取ってピルを使っています。
障害の有無に関わらず、婦人科系の情報はなかなか表に出てこないですよね。ピルは、忙しい現代女性の強い味方!……と私は思うのですが。生活にとって便利なものは利点とリスクの両方を知った上で、うまく使っていきたいところです。
最後に、生理時の対応訓練エピソードを。排便や排尿の訓練は毎日のようにできますが、生理の訓練は月に1回しかできません。1年間訓練施設にいたとしても、12回しかチャンスがない! 自分に合った自助具を作るにも、使用してみて改良して……を繰り返すのが普通ですが、悠長にやっていられない、という状態。訓練士さんのいない土日に生理が来てしまって、看護師さんと一緒に自助具を使用してみるも、うまく行かず……なんてこともありました。それだけで、貴重な訓練チャンスが1回消えてしまいます。体が重ダルイ状態での訓練にもなりますし……女性は大変です、の一言に尽きますね(笑)。
お役立ち情報や便利グッズなど、もっと多くの情報を交換できたら嬉しいなぁと思います!
東京都:ai
お父さんの道
娘を保育園に迎えに行く。
高校3年の春、ラグビーの試合中の事故で頸椎を骨折。以来26年、車いす生活。保育園にもわずかに動く右腕で電動車いすを操作して向かう。娘の待つ保育園まで歩いて5分。娘の笑顔を想いながら歩く。動かない体になった頃、この5分間が訪れるとは思いもしなかった。一生寝たきりとも言われた。それが今はこうして保育園に向かっている。それもすべて、何もないどころかマイナスしかない私との結婚を選んだ妻。そして、マイナスしかない私との結婚を許してくれたご両親のおかげだ。
保育園に着くと、帰り支度を済ませた娘が何も言わず私の膝に登って座る。娘の重さに成長を感じる瞬間だ。
「お母さんは歩いて帰っておいでって言ってたよ」
娘に投げかけてみる。娘は何も答えない。歩くよりも、膝の上の方が楽だと覚えてしまった。仕方ない……いや、むしろ私がそうしたい。いつまでこうして膝に乗せてやれるかわからないからだ。私は、その日一日の娘の様子を保育士から聞いてから車いすを走らせる。
門まで来ると娘が体をひねってうしろを見た。
「おとうさんのみち」
座ったまま体をひねるのは窮屈そうなのに、娘は嬉しそうに指さす。私は車いすを反転させ、娘の指先をたどる。そこには私の電動車いすの車輪の跡が二本、教室の前からずっと続いていた。
お父さんの道か。歩けぬこの体でも娘のために道は残せるはず。何を残せるかを考えながら家に帰ろう。
匿名希望
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