『臥龍窟日乗』−3000円の盛り蕎麦−
マンハッタンの、深いふかい高層ビル群の谷底に、澱(おり)のような夕闇が沈んできた。吹き抜ける疾風をモノともせず、日本人の男ばかりの一団が闊歩していた。 先頭を行くIさんは、短躯(たんく)ながら肩幅が広い。大きな頭は角刈りだ。どこから見てもやっちゃばの大将然としている。上等のオーバーコートを着ているが、オーバーが歩いているようだ。レジ袋に何やら詰め込み、手に提げている。 「なんですか、それ」 問い掛けた私を振り返り、Iさんはニッと笑った。スポーツ用品見本市の楽日、日本人出品者一行は、タイムズスクエアの有名レストランで会食することになっていた。私は団体旅行を企画した会社の社員。いわば添乗員だ。 席に着くや、Iさんはレジ袋の中身をテーブルに並べた。醤油(しょうゆ)、塩、唐辛子、練りワサビなど、和食の調味料一式だった。 「オレ、和食以外は受付けねえんだよ」 頭を掻(か)きながら言い訳した。 老ウェイターが、苦虫を噛(か)み潰したような顔をしてやって来た。お銚子(ちょうし)の形をしたボトルに、赤いプラスチックの注ぎ口が付いた卓上醤油(しょうゆ)を指で摘まみあげた。 「なんじゃ、こりゃ」 しかめっ面をした。 「ジャパニーズ・ソイソース・イズ・ベスト」 Iさんは、親指を立て胸を張った。老ウェイターは肩を竦(すく)めて去っていった。 日本は輸出大国として、世界市場に物を売り込んでいる頃だった。陽が昇るたび、世の中が右肩上がりに豊かになっていく時代の、われわれは斬り込み隊でもあった。 ドイツのケルン市は見本市の街だ。会場まで距離があるのでバスをチャーターした。 ある朝、Iさんが出遅れた。相部屋の同僚は既にバスの中に待機している。諍(いさか)いでもあったのかと気遣いながら、私はIさんの部屋に急いだ。部屋のドアノブに手をかけると、スーッと開いた。頭まで毛布を被っている。何やら鼻息が荒い。 「バスが出ますよ」 声を掛けると、 「ちょちょ、ちょっと待って。もうちょい」 なんとIさんは、手に『フランス文庫』を持ち、《お取り込み中》だった。アホらしくなって、 「電車でどうぞ」 と言い残して出発した。 昼近くなって、彼はやって来た。手にデパートの紙袋を重そうに提げている。 「やあ、先ほどはすまんすまん」 と言って、サランラップに包んだお握りを、袋から取り出した。味付け海苔の袋も準備してあって、パリパリの海苔で包んで食べると、実に旨い。もしやIさん、あの手で握ったのではと閃(ひらめ)いた。ウェッと込み上げてくるものがあったが、吐き出すにはあまりにもったいない旨さだった。 ミラノ見本市は、アルプス山脈が新雪を頂く頃だった。海鮮料理の最もうまい時期でもある。しかし一週間も続くと食傷気味となる。 「晩めし、どうする」 という声を聞きつけたIさん、 「蕎麦でよかったら、ごちそうするよ」 と、にんまり笑った。この蕎麦の旨かったこと。最年長のHさんがぽつりと言った。 「やっぱり日本人は醤油味だよな」 翌朝またも、Iさんは出遅れた。 彼はホテルの支配人に絞られていた。昨夜の蕎麦作りで、洗面台がいっぱいになり、便座の蓋の上にコンロを置いた。電圧の差が仇になった。 弁償金は当時の日本円で六万円。Iさんは脂汗をかいていた。六万円とは、はたまた、何というぼったくり。テキの言い分は、特注の便器だから蓋だけ取り換えるわけにはいかない、の一点張り。 空港へのバス運転手まで、 「飛行機に乗り遅れる」 と、がなりたてる。 私は、二十人から三千円ずつカンパを募った。バスに乗り込んで来たIさんは、深々とお辞儀した。 「昨夜の蕎麦は三千円以上の値打ちだったよ」 HさんがIさんの肩をポンポンと叩いた。鬼瓦のようなIさんの顔がたちまち、くしゃくしゃになり、大粒の涙が伝わった。 千葉県:出口 臥龍 人生最後の東北の旅/紅葉と被災地巡り(最終回)
全行程:2013年10月17日・福岡県〜滋賀県〜福島県〜青森県〜岩手県〜宮城県〜福島県〜山形県〜福島県〜滋賀県〜10月26日・福岡県 ◇24日(木)曇 山形県〜福島県(後編) 次の目的地は福島県の裏磐梯にある五色沼です。蔵王山頂を挟んで、山形県側から上り、今度は宮城県側へと下りていきました。下り始めると状況は一変、日本海側の山形では全く雨が降っていなかったのに、太平洋側の宮城側は雨が降っていました。前日同じような体験をしていたのですが、そんな気候に慣れていない私は何度でも驚きました。下りながら周りの景色を見ていると別荘がとても多いことに気づきました。夏は避暑、冬はスキーと富裕層が別荘生活を満喫しているのだろうと、貧乏人の私は羨ましく思わずにはいられませんでした。 ●五色沼:母沼(上)と柳沼 しばらく走り、高速に乗りました。福島県の猪苗代湖近くにある猪苗代磐梯高原ICで降り、最後の観光地、磐梯朝日国立公園内にある五色沼へ車を走らせました。途中変わった光景を目にしました。見覚えのあるコンビニの看板や店舗の色が自分の知っているコンビニの色とまったく違うのです。まるで緑に溶け込むような色をしていました。環境を考えてこのようにしているのだとすぐ読み取れました。事前に調べていた情報に沿って、裏磐梯物産館に車を止めトイレ休息と昼食を取ることにしました。昼食を食べ終わった頃、すでに雨は止んでおり、ゆっくり散策することができました。物産館近くには「母沼」「父沼」「柳沼」があり、「母沼」は駐車場のすぐ横で、沼の広さは思ったよりも小さく、深さも底が見えるほどでした。ただ、穏やかな沼の姿はとても印象的でした。「父沼」は駐車場からほんの少し離れた場所にあり、「母沼」より大きく存在感はありました。 「柳沼」はさらに離れているので車イスを転がし、沼近くまで行きました。道路脇から沼の横にある歩道に入ろうとしたとき、目に飛び込んできたのは赤や黄色に色づいた見事な紅葉でした。また、その紅葉が沼に映り込み逆さ富士ならぬ逆さ紅葉となって、得も言われぬ光景となっていました。その素晴らしさは今でも忘れることができません。 石ころだらけの道をしばらく進み「柳沼」の景色をしばらく眺めていました。時折、日が差すとまったく違った景色となり、さまざまな顔を見せる沼の姿に心を奪われそうでした。他にも名の知れた「青沼」「赤沼」「弁天沼」などがあり、見たい気持ちは山々でした。しかし、車イスでは行けそうにないので、宿近くにある曽原湖周辺を散策することにしました。車を走らせているとき、個人の家に大きな除雪機があるのを発見しました。暖かい九州では見ることのない機械です。冬になると雪深くなり、除雪機が欠かせないのだろうと思いました。宿泊するペンションも冬はスキー客で賑わうとのことでした。 4時頃ペンションこめらに着きました。「こめら」とは会津弁で「こどもたち」という意味だそうです。雨が降り出したので、女将さんから車を屋根のある玄関先に止めてくださいと言われたので、お言葉に甘え止めることにました。玄関横に設置してある油圧式車イスリフトで室内まで上げてもらいました。車イスで床が汚れないように専用の絨毯(じゅうたん)が敷かれていました。 予約をする際、室内では用意された車イスに乗り換えるのが条件で、2階が宿泊場所となっているので、2階までレールに沿って椅子が駆動する階段昇降機で上がりました。久しぶりの階段昇降機は踏ん張りの効かない下半身マヒ者には椅子から前に落ちそうで「怖い」の一言でした。ちなみに、ベルトは登った後にあることに気づきました。 2階では事前に用意されていた車イスに乗り換えることになりました。乗り換えた車イスは高齢者施設で使うようなスタンダードのでかい代物でした。でかい車イスは操作が難しく慣れるのに時間がかかりました。帰るまで我慢することにし、その車イスで一晩過ごすことになりました。 部屋は当然ベッドだけで、そのベッドが手作り感満載でした。部屋の出入り口は車イスで何とか通れる幅で、敷居も段差解消の板が取り付けてありました。トイレは車イスでも使える広さでした。とにかく、車イス利用者でも宿泊できるように工夫されていることは伝わってきました。本当に手作り感いっぱいのペンションでした。 お風呂は1階にあり、あの恐怖の階段昇降機を降りたり昇ったりすることを考えると、お風呂に入ることは断念しました。 女将さんは話し好きで、この辺りのペンションや別荘の状況、そして、原発事故による風評がこの辺りの集客にも影響していることを切々と訴えられていました。同じ県内ではあるけど、原発から約120km遠く離れている裏磐梯でも大きな影響があることを改めて知りました。寝る頃になると雨音が激しくなり、明日大降りにならなければよいがと心配しながら床につきました。 ◇25日(金)雨 福島県〜滋賀県 磐梯河東ICから高速に乗り、一気に初日に宿泊した滋賀県の彦根キャッスルホテルを目指しました。目的を全て消化し、目的のない帰り道は、早く帰りたいという気持ちだけが先行し、気持ちも盛り上がるはずもなく、注意力もかなり落ちかけていました。しかし、その落ちかけていた注意力を一新する出来事がありました。場所は富山県、突然目の前に営業用ライトバンが高速の中央分離帯付近で大破していました。 それ以降、降りしきる雨の中で最大の注意を払って彦根に向かいました。彦根キャッスルホテルには4時半頃着きました。着いたときには雨はすでに止んでいました。部屋に着いてすぐ、2日間お風呂に入っていなかったので、とにかくお風呂に速攻入ることにしました。 ◇26日(土)曇晴 滋賀県〜福岡県 関門海峡を過ぎると、九州へ帰ってきたという安堵感いっぱいでした。天気は本当に台風28号が近づいているの? と疑うくらい雨風はほとんど感じられませんでした。まるで旅の終わりを祝福しているようで、安全に集中することができました。 春頃、東北の旅を思い立ち、バリアフリーの宿の下調べを入念に行いました。度重なるルート変更、検討に検討を重ねてきた念願の東北の旅でした。しかし、後で気づくと、時期的に台風シーズンでした。実際に台風26号の後を追いかけるように、また帰りには台風27号28号(伊豆大島に甚大な被害を出した)のダブル台風と、にらめっこしながらの旅でした。旅立ち前、車イス運転者には過酷な旅になるかもしれないと覚悟をしていましたが、さまざまな出会いと出来事に感動、そして、ここぞというところでは奇跡的に天候にも恵まれ、結果的には本当に良い旅ができました。日程2013年10月17日から10月26日の10日間。走行距離約4,400km。ガソリン補給回数10回。歳を考えるともう二度と行くことない地方の姿が見られて、冥土の土産にすることができました。 北海道も沖縄にも旅し、日本で残すところは茨城県のみとなりました。東北よりは近いので、いずれ生きているうちに行けると良いなと考えています。(終わり) 福岡県:匿名希望 ★★★ ひとくちインフォメーション ★★★
◆ ご協力を
◆「個人の情報を教えないと年金を停止する」と脅された 突然知らない女性から電話があり「国の調査なので答えなければ年金が減額される」と言われ、生年月日・家族構成・年金受給額などを聞かれた。不快に思い何も答えず電話を切ったところ、すぐに「市役所の生活課で年金を担当している」という男性から「調査に協力しないと年金が停止されるがよいのか」と電話があった。電話を切ってもすぐに電話がかかる、という繰り返しで、とてもしつこかった。不審であり気味が悪い。(80歳代 女性) <ひとこと助言> ▽公的機関の調査などをかたり、年金を停止するなどと脅して個人の情報を聞き出そうとするケースです。相手のペースに乗らないことが大切です。 ▽公的機関が個人宅に電話して、いきなり生年月日や家族構成などを尋ねたり、年金の支給停止を告げるなどということはありません。 ▽電話がしつこく続くときは、最寄りの警察やお住まいの自治体の消費生活センター等にご相談ください。 (独立行政法人国民生活センター・リーフレット 2014年7月8日発行) ◆航空業界の規定バラバラ——電動車いす搭乗拒否 航空業界には電動車いすに関する統一規定がないらしい。ある航空会社の航空機には電動車いすで搭乗でき、別の航空会社では搭乗拒否される。さる3月27日、関西空港からLCC(格安航空会社)エアアジアXでマレーシアの首都クアラルンプールに出発しようとした大久保健一さん(38歳)=兵庫県西宮市在住=はチェックインの際、「マレーシアの規定で荷物は32キロまで」とされ、搭乗を拒否された。大久保さんの電動車いすの重さは80キロだった。 大久保さんは航空チケットを予約する際、電動車いすの寸法や重さを事前に知らせてあり、エアアジアXも約2カ月前に了解の上で予約手続きを完了していた。「当日になっていきなり重量制限のことを持ち出すのはあまりにひどい」と大久保さんは憤る。 エアアジアXの運送約款第8条によれば、手荷物は「重量32キロ超」のものは預かることができないとされているが、「歩行補助器具には適用されない」との記述もある。大久保さんが「自分の足」と言う電動車いすは「歩行補助器具」ではないらしい。また、32キロを超えてはダメということであれば、電動車いすの使用者はすべて搭乗不可能となる。 大久保さんによると、エアアジアXからはおわびのメールは届いたが、これらの疑問にはまったく答えていないという。また、3月末には国土交通省航空局航空事業課に改善を申し入れたが、同課は「エアアジアXに実態を聞く」と答えるにとどまったという。 〈以下略〉(片岡伸行・編集部) (情報提供:週刊金曜日 4月11日号) ◆脊髄損傷 たんぱく質投与で機能回復の治験開始へ ◇慶応大とベンチャー企業のチーム 事故などで脊髄(せきずい)を損傷してから78時間以内に、神経を保護するたんぱく質を投与し、機能回復を目指す新薬の臨床試験(治験)を始めると、岡野栄之(ひでゆき)・慶応大教授(再生医学)とベンチャー企業「クリングルファーマ」(大阪府)のチームが16日発表した。国内で年間約5000人の新規患者の約8割で症状の改善を期待できるといい、安全性を確かめる。 治験は月内に国内2カ所の病院で実施し、2016年10月まで続ける。対象は、重度の急性期患者48人。患者の同意を得て、2班に分けて神経細胞を保護する機能を持った「肝細胞増殖因子(HGF)」か疑似薬を腰から注射する。1週間ごとに計5回投与し、リハビリを続けながら機能回復の効果を比較する。 脊髄損傷は外傷による損傷に加え、生き残った神経細胞も炎症で死滅し、運動機能や感覚がまひする。有効な治療薬はない。HGFは炎症を抑制したり、神経や血管の再生を促したりする効果がある。チームは、ラットやサルの仲間マーモセットの実験では、正常の8割程度まで機能が回復する効果を確認した。 脊髄損傷の累積患者数は国内10万人以上で、重い後遺症が残るケースも多い。慶大の中村雅也准教授(整形外科)は「完全に神経が切れていない急性期患者の生活の質を改善する画期的な治療法になる」と話した。 今後、慢性期の患者を対象に人工多能性幹細胞(iPS細胞)から作る神経幹細胞の移植も目指している。 HGFを使った治験では、東北大や慶大が、筋萎縮性側索硬化症(ALS)の患者で始めている。脊髄損傷では、札幌医科大が今年1月、患者から採取した幹細胞を培養し、神経を再生する治験を始めた。今回の方法はがん化の恐れが低く、簡単な方法になると期待される。【千葉紀和】 (情報提供:毎日新聞 平成26年6月16日) 【編集後記】
全身マヒ者が、写真を撮る方法や撮影テクニックについて、113号「車椅子に三脚のせて」と126号「めげないヒヨドリ」でご投稿いただいた本誌スタッフのFさんが、奥さんと共に7月24日(木)〜28日(月)まで地元の東京都杉並区で写真展を開催されました。 〈藤川景・京子写真展案内文〉「前略 全身麻痺、身体障害1級、介護保険要介護5、重度訪問介護6の景が、妻と協力して撮った窓辺から旅先までの写真。どのように撮影しているか、その工夫もご覧ください。早々」 写真では小さくて見えませんが、看板「藤川景」の上に「介護保険要介護5」とルビを振っています。ケアマネに「要介護5はおむつ交換と食事介助だけだ」と言われたのに反発してのことだとか。「身体障害者と認知症を一緒くたにするのには無理があるのではないか」と藤川さんは語っています。 次に四肢マヒ者に役立つグッズがありましたら、全員参加企画「いいモノ見つけた」として、商品名とひと言コメントでも可能ですので情報交換のためにもお気軽にご投稿をお待ちしております。 次号の編集担当は、瀬出井弘美さんです。 編集担当:藤田 忠
………………《編集担当》……………… (2012年4月時点での連絡先です) 発行:九州障害者定期刊行物協会 |
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