はがき通信ホームページへもどる No.148 2014.8.25.
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 皮弁手術で完治、褥瘡奮闘話 

C4.5、受傷26年、男、50代

 話は昨年(2013年)の3月までさかのぼります。3月中旬から5月にかけて腸閉塞の繰り返しで大腸を50cmほど切除し、つなぐ手術をしました。そのとき、仙骨に褥瘡ができたのが始まりです。入院中は洗浄、付替えで少しずつ治り、6月中旬退院。自宅では一進一退で9月に一応治りましたが、暑い夏、食欲も落ちて栄養状態が悪かったみたいで一気に悪化しました。10月下旬には仙骨の薄皮が破れ、11月下旬には家で治るようなレベルじゃなくなりました。A病院のかかりつけの医師に「入院して診て行きましょう」と言われ、心底落ち込みました。見た目は縦1cm、横1.5cm。まさか中にポケットがあり、5cm×5cmで深さ1cm(左上(1)写真)までになっているとはおもいませんでした。褥瘡の恐ろしさは友人の闘病話や受傷当時の写真で解ってたつもりでしたが……。
 12月上旬、入院初日からVAC療法(湿潤吸引療法)を開始(上中央(2)写真)。説明では器械が28日間、保険適用になるとのことでした。開始から14日経っても変化なく、レーザーメスで十字に深いポケット部分まで切り込みを入れました(右上(3)写真)。肉が焼ける独特の臭いが鼻を突きます。また吸引開始です。食事はお粥、刻みおかずと栄養補助(メイバランス、200カロリー。コラーゲンゼリー)など食べられるだけです。栄養士さんにはタンパク質が大事だと言われ、流し込みました。VAC療法の保険適用期間が終了したので、急きょ器械の代用で壁面のたん吸引・酸素に切り替え(吸引力の圧を計算)ました。年末年始はA病院で過ごしました。病棟はなにげに静かです。



 皮弁手術は2014年1月25日予定、B病院の形成外科先生。普通はB病院で手術だけしてケアはA病院ということでしたが、無理を言って入院中のA病院で手術していただきました。後は皮弁手術までできるだけ小さくする方針(左下(4)写真)です。時間かけてやっと縦横1.5cmまで肉芽が盛り上がりましたが、手術に対するストレスからか(?)予定2日前に腸閉塞になりました。イレウス管を2.5m腸まで入れて、栄養はももの付け根からIVHカテーテル挿入、高カロリー点滴をしました。結局、手術は2週間伸びました。2月12日手術、左でん部を移動。うつ伏せの状態で全身麻酔、3.5時間かかり、術後は全身むくんで顔も手もパンパンになりました。 体位交換はうつ伏せと右向きのみ。うつ伏せは胸の下に抱き枕を挟み、呼吸を確保。ラジオを聞いてひたすら堪えるのみで、自分自身との闘いです。右向きは下になる右肩が異常に痛く、右向き圧迫で腰骨が褥瘡になりかけているとのこと、病院マットじゃ危ないので自宅から3層式のエアーマット持ち込み交換。
 手術後14日目、いざ抜糸の日ですが、微熱があり化膿しているとのことです。急きょ手術室で処置、縫い目をはがし膿を吸い洗浄、医療用ホチキスで留めました(下中央(5)写真)。同時にJ−VAC(真空吸引療法)で細い管を埋め込み膿や血を吸い出しました。それからまた2週間の辛い体位交換、やっとこさ抜鉤(ばっこう)(右下(6)写真)です。体位交換も徐々に仰向けの時間もできて1週間後はベッド上で座位になれ、それから数日して車イスに座れるまでになりました。ここまでくれば一安心です。あと皮膚の着きが悪い所を2針縫い、外来で様子見とのこと、4月中旬退院しました。
 その後、2週間に1度の定期外来で診てもらい、1か所皮膚の着きが悪く滲出液(しんしゅつえき)や膿が出ましたが、溶ける予定の糸が悪さしていて、抜糸したら良くなり6月中旬完治しました。仙骨部分が筋肉と脂肪でプクッと盛り上がり強化された感じです。約1年間ちょい、今回の褥瘡との闘いは終わりました。
 入院中、褥瘡の原因を何度も何度も考えました。一つ思うのは電動リクライニング車イスの座面後ろの鉄のバー。寝たときに仙骨部分が圧迫して、寝起きのずれで悪化したと思います。看護師曰く、「穴が開いてからのずれは思っている以上に悪化する」とのこと。現在、背中に5cm厚みの低反発のマットを敷き、寝ても鉄のバーに仙骨部分が当たらないように特に気を付けています。ローホー・クッションも新規購入、心機一転です。入院生活では家族に心配をかけ、妻には感謝しきりです。病院もチームを組んで治療いただいた先生方、看護スタッフ、皆さんに感謝で一杯です。
 余談ですが入院先は一時救急の病院で入院患者が多く、大体1〜2週間で大部屋の患者が入れ替わります。夜中に大声で叫ぶ人、徘徊(はいかい)する人、急変など日常茶飯事。コールが鳴っても対応に遅れることもあり、救急病院の夜勤は特別過酷ですね。4か月も入院していると先生、看護スタッフ合わせて40人ぐらい、顔と名前、最後の方は声で判るぐらい覚えてしまいました(笑)。私の入院体験では体温調節が一番難しく、その点では部屋のエアコンのコントロール調整場所をキープできたのが大きかったです。風邪から感染症、褥瘡まで診てくれる、かかりつけ医の存在、本当にありがたく頼もしい限りです。もう20数年、お世話になっていますが、在宅生活できるのも病院のおかげだと思っています。皆様も褥瘡だけは特別、気を付けてほしいです。お身体、ご自愛ください。

福岡県:M.K.



 頸損で、Surf’in a Go! Go! 

37歳、頸損レベルC6B2、受傷歴5年

 6月7、8日に宮崎市でサーフィンしてきました!! 佐賀県の出発メンバーは、車イス3名(頸損1、脊損1、多発性硬化症1)、両足切断1名と健常者3名。近くのコンビニに迎えに来てもらい、二人がかりで助手席に乗せてもらい出発です。途中トイレ休憩をいれますが、オシッコは車から降りると手間がかかるのでカテーテルに延長チューブをつけ車から降りずに車内から駐車場のはしに流してました。
 5時間かけて宮崎に到着。高速を降りるとヤシの木が並ぶ道が続きます! 目的地は青島海水浴場。現地に、障害者を海に入れた経験のあるサーファーと、初めてお会いする車イスの方が待っててくれました。


●向かって前列、左から4番目がNさん

 この青島海水浴場は、駐車場の海に一番近いところに障害者スペースがあり多目的トイレもそばにあります。そこから綺麗に舗装された林をぬけると太平洋が目の前に広がるビーチに出ます。ビーチ沿いも1kmくらい綺麗に歩道が整備され、ここにもヤシの木や色とりどりの南国の花が植えられていました。そこでは、サイクリングをしたり、スケボーをしたり、海をぼんやり眺めていたりと色んな人がそれぞれの時間を楽しんでました。



 ここまで車イスでも全くストレスがありません! 宮崎最高^^。だが、ここから海に入るまで少し手間がかかりました。歩道から砂浜まで降りるにはゆるい階段を3、4段ほど、これは大丈夫。ここから海まで砂浜を数十m通らないといけません。ある者は、おんぶしてもらって行きました。私は車イスが汚れる覚悟で、キャスターを浮かせた状態で車イスを3人がかりで押してもらいました。
 あとは、ライフジャケット着て海へバシャ〜ンです^^。うつ伏せの状態で板に乗せてもらい、沖に連れて行ってもらい、波が来ると板を押してもらって波にのります。良い波に乗せてもらいました! 海から上がった後の車イスの友人の笑顔が印象的でした。

●キャンプ場内・炊事場

 その夜は、青島海水浴場から車で10分のところにある白浜オートキャンプ場に泊まりました。施設自体バリアフリーで、バリアフリーのコテージもありました。坂は勾配がきついところもありますが、トイレはもちろん、キャンプ場内の洗面所まで車イスでも利用できるように考えてありました。宮崎最高です^^。車イス仲間との初宮崎トリップ。準備中は不安もありましたが、新しい出会いもあり思った以上に環境が整っていた宮崎を楽しんできました。
 これを機会に、障害があるせいで海に入りたくても入れない人に、サポートを整えて海に入ってもらおう! と今回のメンバーで考えています。福岡県、宮崎県の海になると思いますが、もし海に入りたい方がいらっしゃったら是非お声かけ下さい! 最後に、この旅をサポートしてくれた皆様にこの場を借りて感謝申し上げます。
 
 ※お問い合わせは「はがき通信」スタッフまで
 

佐賀県:A.N.



全員参加企画いいモノ見つけた! 〜12〜





 『エクスジェル アウルクッション』
 床ずれ予防で車の座席に使用しています。床ずれしやすい尾骨の部分が窪んでいます。汚れても水洗いできるので楽です。厚さが75mm〜40mmの3製品が有り。介護保険レンタル対応。
 2万8千円〜2万円前後。会社名:株式会社 加地
 詳しくは「アウルクッション」でご検索ください。
 紹介者氏名:PERIDOT
 
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