東北に思いを寄せて
3月11日(月)東日本大震災から2年目を迎えた。前日(3月10日)から各テレビ局で追悼番組が数多く放送された。改めて、当時の悲惨な状況を目の当たりにし心が痛んだ。 2年前、この場を借りて、東日本大震災の思いを語ったのがつい最近のように思える。 被災者は風化という言葉を心から心配している。寄付金やボランティアが震災直後に比べ格段に減っているそうだ。 日本人特有の性質かもしれないが「喉元過ぎれば熱さを忘れる」という言葉に代表されるよう熱しやすく冷めやすい。過去をいつまでも引きずらないという意味では良いのかもしれないが、一方で、絶対に忘れてはならないこともある。 話はそれるがそのような性質が韓国や中国とのギャップとなり、摩擦を生んでいるのかもしれない。 私も自分の気持ちを風化させないよう、また、復興状況をこの目で確認するため今年の秋観光を兼ねて東北地方の旅を計画している。九州から東北地方を車で回る旅はいろいろ見たいところを削っても10泊11日となる。そのこと自体、いかに遠い地を訪れるかを物語っている。私も若くないので、東北地方を訪れるのはこれが最後と考えている。 10泊という長旅の旅費はけっこう大きな金額となる。また、車イスの障害者が宿泊するにはある程度のバリアフリーが望ましい。しかし、そのような宿泊施設は一般の施設より高額になる。そんな中、少しでも安い宿泊施設をインターネットで探したり、訪れるルートなど計画していたら、いつの間にか東北地方を旅しているような気分になり、ワクワクした。 インターネットには被災地の様子が写真等で紹介されており、それを見るとまだまだ復興が進んでいないことを改めて確認させられた。そんな中、津波に襲われた海岸近くのレストハウスが営業を再開したことをホームページで知った。みんな頑張っているんだなぁと胸が熱くなった。そのレストハウスも訪れる予定だ。 「こっちの旅館の方が安いなぁ」「このルートの方が早道だなぁ」など何日も何日も計画を練り直しようやく形が見えてきた。訪れる場所の画像等を貼り付けたりして自分なりの旅のパンフレットができ上がった。カラー印刷で作ったパンフレットは、自分で言うのもおこがましいが、立派なパンフレットとなった。 先日、インターネットを覗いてみたら予定していた連絡船の運行時間が変わっていた。このことを機に今後いろんなことが変更になることを悟った。最終的な計画は秋の旅行直前に立て直すことにした(笑)。まだまだ先のことだが、楽しみと不安がいっぱいである。 最後に、東日本大震災に遭った人たちの短歌集が出ていることを知った。何点か紹介したいと思う。 無理だとは わかっているが やめられぬ バイク毎朝 妻をさがして 土台しか 残らぬ家に 立ちすくむ がれきの下の 家族の写真 こころなき 春の津波に 景勝の みどりもわずか 一本の松 咳をする 夜中のトイレ 気兼ねして 眠れぬ夜と 戦う避難 怒りかな セシウムの雨 しとしとと 救いたまえと 祈る毎日 国会の 内輪もめには うんざりよ 被災者向きて 支援打ち出せ (『第一詩歌集 荒野の月』(本の泉社) あがさクリスマス 著 (税込1,200円) より) 震災で 支えてくれた 人達を 今度は 私が支えます (被災地短歌絵 和田惠秀氏より) 匿名希望
『臥龍窟日乗』−アダモと森進一
「生涯心に残る歌謡曲は何か」を、同世代の会合で訊いてみたことがある。男性だと、やはり恋に纏(まつ)わる答えが多いのだが曲名はバラける。 女性はホンネを隠すのか、初めはためらっているが、誰かが『神田川』とつぶやくと連鎖反応のように「わたしも」「あたしも」と少女のように顔を赤らめる。そして「涙なしに聴けない」と一気に核心の部分まで吐露してくれる。 私の世代は『団塊』という固有名詞付きだ。天下国家をなじりながら温室の中でチャンバラごっこをやるのが得意。権威が大っ嫌いで教授や政治家をお前呼ばわりするクセに、卒業証書はしっかり貰ってくるちゃっかり者も多い。世渡り上手なのだ 「入籍なんてナンセ〜ンス」と男女の学生が同棲するのが大流行した。同棲世代とも呼ばれた。男は、ただでセックスさせてもらえることに疾(やま)しさを感じながら、女はその下心に気づかずにフェミニスト気取りで、毎日夫婦ごっこに明け暮れていた。形の上では男女同権なのだが、心根は浪花節だから、すぐに破綻が来る。経済的な基盤がないから所詮おままごとなのだ。 「で、オマエはどうなのョ」と言われそうだが、しばらくすると相方の両親が乗り込んできた。カアチャンは私には『過ぎた女』だと思っていたので、異論のあろうはずもなくすぐに入籍した。 その頃私は祇園の花街にビールのケースを納入するバイトをしており、カアチャンはある染色作家の助手をしていた。稼ぎの額では頭が上がらない。首にワッパを付けられご親戚様を引き回されたが、「犬や猫の子をやるのとはわけが違う」と皮肉を言われ、肩身の狭い思いをしたものだ。 幼少の頃から私は、演歌や歌謡曲に馴染めなかった。酒乱の父が毎晩のように同僚を連れて帰り、決まって唄い出すのが炭坑節やチャンチキおけさだった。中学生になってからは、ロマンロランの『ベートーヴェンの生涯』をポケットに忍ばせて歩くような、ペダンチック(学問や知識をひけらかす)なガキだった。 やがてじっとりと暗いシャンソンの世界へ嵌(は)まり込んでいく。愛、恋、憎しみ、憧れ、憎悪、怒り、陰謀、裏切り、嗜虐、中傷、妬み、嫉み、悲しみ、苦しみ。人生のあらゆる断片が渦を巻いていた。 あるとき居間で新聞に目を通していると、森進一の唄が聞こえてきた。『人生の並木道』という懐メロだった。気にも留めなかった。だが意識とは無関係に歌詞は耳に飛び込んでくる。しかも歌詞の重みがぐいぐいと胸に突き刺さってくる。 「あれっ」と思った。「これシャンソンとおんなじだ」 後頭部を棍棒でぶん殴られたような感じだった。森進一は、演歌界のアダモだったんだ。 そもそも庶民が唄う歌謡曲に、『人生』なんて大上段に振りかぶった言葉は出て来やしない。どろどろとした人情のしがらみなんて、ふつう唄には出てこないものだ。 アメリカにはアメリカ民謡があるし、ヨーロッパにもアジアにも民謡がある。けれども「演歌」はない。 La Vieという言葉がある。シャンソンにやたら出てくる。人生という意味だ。重すぎて歌謡曲には馴染まない言葉だ。これでもかこれでもかと出てくる。だからシャンソンは暗いと言われる。 『人生の並木道』以来、日本の演歌に心を配るようになった。あるある。最近のものだと阿久悠さんの演歌はシャンソンに引けを取らない。『舟唄』なんて文学の世界だ。歌詞には「説明」や「刃物」はいらない。ぐさりと心を抉(えぐ)る「殺し文句」があればいい。 演歌にはほど遠いけれど、『神田川』は内容的には和風シャンソンだろう。学生街の同棲ペア。何の変哲もない日常風景の中に、作者が忍び込ませた殺し文句……。それは、 「何も怖くなかった。ただあなたの優しさが怖かった」 というフレーズではなかろうか。 「結婚なんてクソくらえ」 と同棲生活は始めたが、法律のタガがあるわけじゃなし。いつ相手にドロンされるか分からない。その甘い切ない不安感が、いまでも同棲世代の胸を掻(か)き毟るのではないだろうか。 千葉県:出口 臥龍 災害弱者避難支援の聞き取り調査
全国の自治体で、災害時に自力で避難することが困難な「災害時要援護者」の名簿作成や避難支援策が進められている中、私の住む市では2008年から、自力避難困難者を把握するために介護認定者(要介護3以上)や重度障害者などを対象に「災害時避難支援調査票」に記入して登録することが(1年ごとの更新で)開始されました。同意して申し込んだ希望者には、避難支援等のプラン作成や、自治会(町内会)や消防団などの協力体制で、(1) 災害発生のおそれがあるときの連絡、(2)避難の手伝い、(3) 安否確認などの支援の可能性があります。 登録するには、災害時に駆けつけてくれる避難支援者2名の同意を得なければならずに、近所の方2名に趣旨を説明し承諾を得て登録しました(その後避難支援者にはお会いするたびに承諾のお礼を言っています)。 登録用紙に同封の書類に、「登録に同意された方へ 登録の同意をありがとうございました。(中略)しかし、登録したからといって、必ず助けがくると決め込んで待っているだけではいけません。自分から周りの人々といつも良い関係をつくるよう努力していただくことが必要です。また、災害時には助けてくれると思っている近所の皆さんも、どのような事情が発生しているかわかりません。自分の身は自分で守るという考えで次のことに心がけましょう。 [心がけていただきたいこと](1) 自治会及び地域支援者(助け合う仲間)、隣近所との仲の良い人間関係を保つよう努力しましょう。(2) 防災訓練への参加の呼びかけがあったときは、できるだけ参加しましょう。(3) 災害に備えて、自分のできることは自分で行うよう心がけましょう。(4) 災害の発生が予想されるとき、または発生したときには地域支援者へ自分から連絡するよう努力しましょう。〈自分の身は、自分で守るという心がけをいつも持ちましょう。〉」と書かれた内容が添えられていました。ついでながらNHK・Eテレの障害者福祉の防災をテーマにした番組で、終わり頃のまとめは「日頃から近所との良好な関係を」でした。 それから名簿作成を開始して数年経っても、避難支援プランの作成はどうなっているのだろうと思っていたら、今年になって役所から電話があり、2月初旬に福祉課と災害予防計画担当課1名ずつ2名の市職員の方が調査に見えられました。 まず事前に登録している内容の変更したところがないか確認して、聞き取り調査として、災害が起こったときに停電するとエアマット不使用では褥瘡の危険性があり2時間ごとの体位交換が必要、ベッド〜車イス間の移乗や入口の昇降機が動かなくなり困ること、膀胱瘻のカテーテル交換は医療従事者しかできないことなどを伝え、服用薬や室内から屋外への移動経路や避難所までの移動方法の確認をしていただきました。 災害時に障害者名簿から障害者種別とかの書類上の情報は分かっても、自宅での生活や家の間取りまでは分からないところを、聞き取り調査で事前に障害の特性や気がかりなことを説明できて、また聞き取り調査の情報を支援者間で共有していただければ一歩前進で少し安心です。 最後に福祉避難所のことを質問することを忘れたのが心残りでした。 福岡県:T.F. ひとくちインフォメーション
◆鼻粘膜の移植手術&リハビリで、下半身マヒ者が杖歩行を目標に 今年1月25日(金)、NHK・「おはよう日本」「特集まるごと:もう一度、歩きたい〜常識覆す 脊髄再生医療〜」の番組で紹介されたことをお知らせいたします。 13年前の事故でせき髄損傷して以来、下半身をまったく動かせない生活を送っていた39歳の男性が、大阪大学医学部脳神経外科の岩月幸一医師による、国内初の鼻粘膜の移植手術を受けて、手術前、脳から下半身にまったく電気信号が伝わらなかったものが、手術によって神経がつながりました。 ただそれだけでは足は動かせずに、筑波大学大学院の山海研究室が開発したロボットスーツにて、イメージして足の筋肉に微弱な電気信号が流れると、ロボットスーツが微弱な電気信号を増幅し、実際に足を動かすリハビリを行っています。昨年(2012)年12月より、ロボットスーツに頼らず、自分の力で足を動かすトレーニングを始め、春には、杖で生活できるようになることを目標に懸命にリハビリに取り組んでいるそうです。 また、大阪大学では、上記の男性の他に3人が移植手術を受けましたが、歩けるようにならないまでも、全員が寝返りが打てるようになるなど、生活の改善が見られていて、現在40人の人たちが新たに移植手術を希望しています。そして課題として(1) せき髄に嗅粘膜を移植する手術は、嗅粘膜の再生能力が弱いと効果がないため、受けられる対象は40歳以下に限られている。(2) 手術後に行われる特殊なリハビリは、受けられる施設が限られている。(3) 多くの時間と費用を費やさなくてはならないこともあげられます。 詳しくは「特集まるごと 常識覆す脊髄再生医療」でご検索ください。番組のウェブサイトより番組内容が文章と写真にて掲載されています。 【編集後記】
今号の飛行機利用の特集で、話題の格安航空会社(LCC)のご投稿は残念ながらありませんでしたが、もし利用された方がおられましたら経験談をお待ちしております。 そして手元に「はがき通信」のバックナンバーがあり収集品のように大事に保管しておくのももったいなく、有効活用として四肢マヒ者とつながりのあるところ(病院の待合室や病棟のデイルーム・談話室、看護・医療・福祉系の専門学校・大学の図書資料室、障害者センターなど)に、2穴B5ファイルに綴(と)じたバックナンバーを、了承を得て置かせてもらっています。 どなたかそういう四肢マヒ者とつながりがある施設をご存知でしたら、無償にて送付させていただきますので、施設側と交渉していただいて置かせてもらえますように、皆さんの力をお貸しください。その後最新号を(スタッフで話し合い)無償で定期的にお送りさせていただくことも可能です。問い合わせは藤田まで。どうぞご協力をよろしくお願いいたします。 次号も続けて藤田が編集を担当いたします。 編集担当:藤田 忠
………………《編集担当》……………… (2012年4月時点での連絡先です) 発行:九州障害者定期刊行物協会 |
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