はがき通信ホームページへもどる No.137 2012.10.25.
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 車いすのメンテナンスはいかがですか 


 私は、頸損の方のガイドヘルパーをしています。介助者として、近頃は手動だけでなく、電動はさまざまな機能を備えている車いすが多く見られるように感じるのは私だけでしょうか? 皆さんが使用している車いすは、私の靴と同じと感じていますがいかがですか? 日常使用していることで車いすの癖は把握していることと思いますが、車いすのトラブル時にご自身で可能な限り説明できるようにしておいていただけると、介助者としても助かります。特に一番トラブルが起こりやすいタイヤの空気圧は、タイヤにより異なっております。使用の車いすの空気圧はタイヤに明記されているか、取扱説明書や納車時に説明されています。空気圧が減少しますとパンクの原因になり、バッテリーに負荷をかけ消耗を早めます。
 固定ネジの緩み等に対して当事者の方々はメンテナンスにどれだけ関心を持ち、定期的に行っていますでしょうか。最近の車いすでは使い始めてからご自身の体調、体型の変化により微調整のできる物もあるように見受けます。身体への負担が減少され、走行中の安全も確保できるのではないでしょうか。
 外出先にて、車いすのトラブルなく楽しい一日を過ごすためにもご自身の体調と同じように心遣いを車いすにも注ぎ、メンテナンス日の設定も必要ではと思うこの頃です。
 

神奈川県:Y.I.


 『臥龍窟日乗』 —アグレッシブ・リハ— 


 ひと月ほど前から胸騒ぎがあった。旧知のAさんの笑顔が、やたら目に浮かぶ。夢にも出た。
 Aさんは神奈川県在住の頸損患者で、年齢、受傷部位、受傷時期などが私と似かよっている。亡くなった私の弟に風貌がそっくりで、ために私は兄弟のような親近感を覚えていた。快活な頑張り屋である。
 ときどき電話をくれた。内容はいつもいっしょで、「ピアカンやりましょうよ」というお誘いだ。ピアカンとはピアカウンセリングのことだ。
 頸損は、急性期を経て内科治療が終われば、やることがない。後遺障害という厄介なお荷物を背負(しょ)って、ゴールのないマラソンを走ることになるのだが、経験のない医者にはその辛さが分からない。
 同じ障害を持つ経験者が、受傷歴の浅い患者や家族の相談に乗ることを、ピアカウンセリングという。これをぜひやろうというのだ。関東の、東京から西をAさんが、東を私が、という提案だった。私に異存のあろうはずがない。
 元気な声が聴きたくて、電話をしたのが、7月25日。奥さんが出られた。
 「Aさん、お元気ですか」と私。空白の時間。また受話器の故障かなと思った。
 「2週間前に、主人亡くなりました」
 棍棒(こんぼう)で頭をぶん殴られたような衝撃だった。何かを口走ったが、何を言ったか記憶にない。
 順調に回復し、すっかり元気になられていたそうだが、昨年暮れに脳卒中を患い、それも持ち前のバイタリティで克服した。ことのほか暑かった今年の夏には、お孫さんとプール遊びにも興じた。
 7月10日だった。Aさんは痰(たん)を詰まらせ、呼吸不全で帰らぬ人となった。プール遊びに行くような人が、痰が詰まって亡くなるとは……。
 Aさんの死は、大きなショックだった。あんなに元気だった人が、たかが痰くらいで死んじまうなんて。C2のクリストファー・リーブだって、褥瘡から雑菌が入って死んでいる。重度頸髄損傷の命なんて、陽炎(かげろう)のようにはかないものだ。
 重度頸損は呼吸中枢にダメージを受ける。肺活量が常人の半分もない。ふつう、人は、カーッと息を吐いて痰を出す。それができない。2か月に1度くらい、私も痰に悩まされる。1度出ると2、30分ごとに一昼夜出る。これが大変な難行苦行となる。深夜に起こされる家族とて大変だ。
 受傷ひと月後、私も死にかかったことがある。呼吸が極端に苦しい。レントゲンを撮ると片肺が真ッ黒だった。喉から内視鏡を入れ、気管支を塞いだ異物を取ってもらった。なんとパチンコ玉ほどもある、黒い鼻クソだった。
 Aさんショックの収まった8月終わり。ある大学の先生から興味深い話があった。身体各部の筋肉量を測る器械が開発された。ひとつ、やってみませんかと言うのだ。
 「これは面白い」
 6年間やってきたアグレッシブ・リハの成果が、数値で表される。ぜひやってみたいと二つ返事で申し込んだ。身体の各部に、心電図と同じ要領で電極を貼る。ものの10分で数値が出た。
 意外な結果だ。同年代の男性の平均値と比べ、下肢と体幹の筋肉量は、やや落ちるくらい。
 「頸損8年でこの数値は立派ですよ」
 と、計測していた医師もびっくりだ。問題は腕のほうで、ゼロに等しい。
 今回上梓(じょうし)した『ワラをも掴め!!』のあとがきで、第1稿は2006年暮れにはできていたと書いた。出版を躊躇(ためら)ったのは『アグレッシブ・リハ』の効用だ。「どうもこれは違うんじゃないか」という疑問が念頭を離れない。!!
 効果がないと言っているのではない。効果の出る人と出ない人の差があまりにも大きいのだ。不全麻痺の人はぜひやってみる価値はある。だが重度頸損の方にとっては遠い道になるかもしれない。
 この8年間に、アグレッシブ・リハを夢見ながら、多くの「戦友」が亡くなった。人工呼吸器が外れたとか、痰が詰まったとか、些細な理由だ。出版前に「完全麻痺でも歩ける」という部分を削り取った。筋肉だけが付いて、ぴくっとも動かないわが脚を見ながら、なぜか心の重荷が取れていた。

千葉県:臥龍


「はがき通信」collection(5)

 「はがき通信」に過去に掲載された投稿でもう一度読みたいものを再録するコーナーです。
 編集委員の独断で選ばせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。




 仕事だけが社会参加じゃない(63号・2000年5月発行) 


 私たち四肢麻痺者にとっての就労とは、限りなく夢に近いあこがれのようなものかもしれません。それは、重度になればなるほどその度合いは増します。大多数の「無職」の頸髄損傷者(あるいは重度障害者)たちは、就労している希有な同胞に向かって「運が良かったから」「周囲の環境に恵まれたから」「障害が軽いから」などと言い訳を作り、自らを納得させているふしがありますが、それはとりもなおさず「就労」という形が何より善であり、「大人」として「社会の一員」である証のように思いこんでいるからにほかならないからではないでしょうか。
 社会の一員である「証」は、大別すると二つに分けることができそうです。「頭脳労働」と「肉体労働」です。もし、私たち頸髄損傷者に「仕事」ができるとしたら、それは「頭脳労働」にほかなりません。けれどもその「就労」が難しいのは、たとえば一般事務職のような「頭脳労働」すらできないところにあります。それは、インフラから来る、あるいは肉体から来る障害から、毎日定時に出勤ができない、でありましょうし、単に車椅子に座っていられないからです。
 結局、障害が重度になればなるほど、「仕事」の範囲は狭まっていくことになります。皮肉にも「仕事」は、範囲が狭まるほど専門知識を要求してきます。つまりたとえば、在宅、ベッドの上で社会参加していると実感できる「仕事」といえば、それはもう個人の突出した才能が要求される世界になってしまいます。
 けれども悲しいかな、大多数の頸髄損傷者は健常者と同じ比率の凡人たちです。この不景気とも相まって、それはもう闇夜に放たれた黒猫のように、声はすれどもこの手にすることは難しいことになっています。それらをカヴァーするインフラや法の整備を期待し要求もし続けますが、それに終始した言い訳や発信だけの日々では、気持ちの痼(しこ)りは取れるはずもありません。
 もしかしたら、私たちが望んでいることって、満足できる日々って、「私は一個の大人として社会に参加している」という実感なのではないでしょうか。健常者といえども、そのほとんど全てがカール・ルイスのようには走れません。周囲をつらつら傍観していると、人々は皆、タイムは遅くとも個々、自分が走れる精一杯のスピードで走っているように見えます。これが「社会に参加する」ということなのかと思えてきもします。
 「仕事」とは、金銭の授受よりも大きな比重で「社会に参加している」という精神的充実感、安心感、満足感を得る一手段なのではないでしょうか。
 だとすると、たとえ寝たきりだとしても「社会参加」はできるように思えます。それは「他者への思いやり」。「社会参加」=「他者への思いやり」? 一見何の脈略もなさげです。が、たとえば一例ですが、介助者に頼むときは思いつきで呼びつけるのではなくて、頼むことを整理し一度にしてもらう、といったようなことです。これにより介助者は他者に回れ、依頼者は介助者へのかりそめのシエスタを思いやられ、あるいは国費節減という自己満足が得られたりします。レベル的には、案外「就労」から得られる充実感と同等なのではないかと思えます。
 ともあれ「就労」もいっときのこと。あの天賦恵まれたカール・ルイスでさえ、いまや大多数の一部になっており、いずれは私たち頸髄損傷者と変わらない凡人になります。そのとき覚えるのは、日ごろ私たちが奥底にしまい隠している「無職」感でしょう。「疎外感」「不要感」「お荷物感」。そのとき真に問われるのが「自立」ではないでしょうか。
 

高知県:S.

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