はがき通信ホームページへもどる No.135 2012.6.25.
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 メールでインタビュー 
呼吸器ユーザーで地域生活をスタートされたT.Hさん 


 昨年7月から新潟市内で施設を退所し、念願の地域生活をスタートをされたT.Hさん。横浜懇親会にもご参加いただきましたが、お元気そうな姿に自立生活のイキイキ感が伝わってくるようでした。
 呼吸器ユーザー(就寝時・ギャッチアップ時=1日平均20時間)ということで普通の四肢マヒ者より解決しなければならない課題・問題がたくさんおありだったのではと思い、ぜひもっとそのあたりの詳細をお聞きしてみたくて 「メールでインタビュー」コーナにご登場いただきました(瀬出井)。
 【T.Hさんの簡単なプロフィール】
 ・1993年 1月 受傷(C4完全)気管切開で呼吸器利用
 ・1993年11月 呼吸器離脱(気管切開部からの吸引は必要なまま)
 ・1995年 5月 両親の介護で在宅生活開始
 ・1996年 2月 父親の病気により社会的入院
 ・1997年 4月 施設へ入所
 ・1998年 5月 呼吸障害により呼吸器を再び利用
 ・2011年 7月 施設を退所し地域生活へ移行





>自立生活をしようと思った動機は? 残存の能力を生かして、何らかの形で社会に貢献したいという思いです。施設では、安心・安全に目的が限定されており、地域移行しなければ前記の思いのスタートラインに立つ見込みすらなかったからです。

 >新潟市内を選んだわけは?
 施設は新潟市から車で2時間ほどのところでしたが、そこには在宅介護のインフラがほとんどなかったことと、もともと新潟市からその施設に入所した関係で、介護給付費の支給市町村が新潟市だったからです。

 >家探しはどうしましたか?
 インターネットで検索して絞り込み、不動産屋さんに車イスでの利用の可否を大家さんに確認してもらい、残された5件ほどについて1日で見学して、入口が入れそうな1件に決めてしまいました。また見学に来るのは大変なので、不具合があったら、その住居に入ってからゆっくり探そうと思いました。

 >引っ越しはスムーズにいきましたか?
 アパートを契約してからヘルパーさん探しに4ヶ月半を要しました。引っ越し自体はインターネットで引っ越し業者を選定し、施設の協力も得てスムーズでした。

 >改造した場所、その補助は?
 アパート入口には3段の階段があり、これには既製のスチール製スロープが必要でしたが、新潟市の支援センターから古いものを譲り受けることができました。一方、個別玄関にも50cmほどの段があり、これには特製の木製スロープが必要でしたが、引っ越しに手間取って住所変更が遅れたため自費負担せざるを得ませんでした。

 >日常生活用具の給付は?
 ベッドと車イス間の移乗用リフト。

 >在宅受け入れの主治医はどのように見つけましたか?
 新潟市の障害者支援センターの相談員に紹介してもらいました。

 >緊急時の受け入れ病院は決めてありますか?
 新潟市に来てから、上記在宅受入れの主治医の紹介で大きい病院を受診し、入院の必要な時に受け入れてもらうことをお願いしてきました。

 >ヘルパーの支給量は?
 当初19時間/日で、現在は23時間/日です。

 >サービスの交渉は希望通りスムーズに進みましたか?
 ヘルパーさんのいない時に痰の吸引を必要とすることが、残念ながら半年間に4回ほどあり、命に関わるということで、支給量増加を認めてくれました。

 >昼対応の自薦ヘルパーはどのように確保しましたか?
 施設に入る前からの長い付き合いの知人とその人からの紹介です。

 >夜間対応の吸引OKの事業所はすぐに見つかりましたか?
 夜間対応の吸引OKの事業所は限られている中で、昼の自薦ヘルパーの登録もお願いし、その労働条件が合わなくて、日数を要しました。

 >入浴とトイレは?
 訪問入浴が2回/週。ベッド上浣腸が2回/週。尿は膀胱ろうカテーテル〜ウロバッグ管理です。

 >往診の回数は?
 当初1回/週でしたが、漸減して、現在は1回/4週です。

 >経済的収入は?
 現在は、障害者基礎年金と厚生年金と少々の内職です。

 >施設の生活と比べて一番の違いは?
 自由=好きな時に外出できる。何でも食べられる。飲める。許可を求める必要がなく自分で決められる。

 >ケアについてのマニュアルなどは作りましたか?
 作りました。

 >ヘルパー不在時(緊急時)の対策は?
 呼気電話ないし携帯電話をセットして、外と連絡が取れる状態にしています。

 >今の生活の問題点は?
 油断すると太ってしまいそう。

 >一番困ったことは?
 やはり、ヘルパーさんがいない時に痰が溜まって苦しい思いをしたことです。

 >今、どのように毎日生活していますか?
 基本的には、車イスに移乗して、パソコンでいろいろやっています。

 >今の生活の一番楽しい点は?
 いろいろやること=仕事を認めてもらえること、協力が得られること。

 >自立生活に一番必要なものは?
 目標ではないでしょうか。

 >自立がしたいと思ったら誰でもできると思いますか?
 時間のかかり方は違うと思いますが、誰でもできるようになってほしいと思います。

 >今後の生活の夢や目標は?
 冒頭に記した動機そのものです。

 >これから呼吸器利用者で自立生活を目指している人に何かアドバイスを
 私の場合はある程度自発呼吸があります。不測の事態を考えると、なんとか自発呼吸を伸ばしてほしいと思います。
 高位頸損者は腕のカがないので、ヘルパーが2人でベッドから車イスに運んでくれることが多いものです。
 しかしリフターもなく非力なヘルパーが1人しか居ないような在宅の重度の人は図のように前方大車輪型車イスを利用し、バックレスト(背もたれ)を着脱自由にしておくと、トランスファーが由由にできて便利です。

 
 異常発汗と滑液包炎(かつえきほうえん)〈後編〉 

受傷歴27年

 症状は前回と全く同じで、早々に受診しました。水も40㏄余り採れたのですが、今回は感染があったため水が濁っていてCRPの数値も10.0を超えていました。滑液包炎の痛みも酷かったようで、汗の方も“出る”ではなく“吹き出す”といった具合で、まともに座ることもできません。先生には私の希望を伝え、袋をとることを前提に話が進み、6月6日入院、13日手術となりました。
 術前の検査で、しこりは6×6×6(cm)ということでしたが、実際にはそれよりやや小さめで、主人曰く「ハンバーグみたい」のようだったようです。術後は順調に過ぎました。座位は60度前後。患部はクッション等で浮かし、食事、洗面時以外は側臥位か仰臥位。11日が過ぎた頃から短時間ずつ車イスの許可もおり、恐る恐る乗ってみると、あれほど悩まされた汗がじわりとも出てこず心底安心しました。18日目に抜糸をし、特に問題もなく翌日退院をしたのですが、本当に大変だったのはこの後でした。
 退院後、家に帰りベッドに横になると縫合跡から出血があり、再発時以上のショックを受けました。それでも傷が擦れて出血したのかもしれないと軽い方に考えていたのですが、微量ながらも出血が止まらず、翌日(日曜日)同病院の救急外来を受診しました。診ていただくと、「縫合跡に針の太さぐらいの穴があり、それが塞がれば出血も止まるでしょう」ということで3日後の診察予約をして帰りました。ところが帰ってみると、針の太さほどだった穴は2cmほどパックリと口を開けていました。この日は家の都合で受診が夕方だったため、診察を終えて帰ると9時を過ぎており、夕食を済ませてからベッドに上がったため発見が遅くなりました。おまけに主人も晩酌をしていたのでいまさら病院にも行けない。とりあえず相談だけでもと病院に電話をすると運良く診ていただいた先生と話ができ、「今夜は除圧をして休み、明日朝一で入院の準備をして受診に来て下さい」との指示をもらいました。横向きになったりうつぶせになったり、一睡もできず夜が明けました。
 翌日、外来で診てもらうと、しこりをとった部分が3cmほどのポケット(空洞状)になっていることが解りました。そのまま外来で洗浄をし、ガーゼドレーンを入れ縫合をしてもらい入院となりました。私が入院中、昼間は80近い母が一人で留守番をしていました。幸いといいますか、わが家には犬と猫がおり彼らがいてくれたおかげで母の気も紛れていましたが、再入院となると母もまた心細い日を過ごすことになります。ポケットができているので以前のようにはいかないでしょうし。情けなくも溜息と涙がこぼれました。
 前回は手術翌日から座位をとっていましたが今回は怖くてとても座る気になれず、結局抜糸が済むまで座ることはありませんでした。入院当日と翌日の昼食までは食事と洗面の介助をしてもらいました。ですがその後は右側臥位で30度ぐらいでしょうか、ギャッジを起こし左手で食事を、少し身体を後ろへ倒して両手で歯ブラシを持ち歯磨きをと、何とか自分で済ませていました。ですがこの体勢と動作は左肩、背中、首とに思いのほか大きな負担を掛けていたようで、4日が経った頃、夜中に突然の目眩(めまい)におそわれました。それからは右に向くのは大丈夫なのですが、正面より左へ顔を向けようとすると目眩が起きるし、左手でフォークを持っても力が入らず思うように食事もできず、目眩が治るまではさらに気の重い日々となりました。
 目眩が治ると、今度は“痩せ”が気になり出しました。実は発汗に関する受診を続けている間に顎関節炎を起こし、年末から食事が取りにくくなっていました。さらに4月、5月と2度の滑液包炎の発熱で体力も体重も落としていた上に今回の目眩でさらに落ちてしまい、さすがに自分でも腕の細さが気になるようになりました。食事も全量摂取はなかなかできず、看護師さんと相談して補助食品を付けてもらうようになりました。その後自分でもアルジネードという補助食品を用意し、毎日の食事はもちろん、栄養補給に心掛けました。というのも、栄養補給と体力回復のアドバイスをいただいたからです。
 ひとり病室で過ごしていると、このまま治らなかったら、座れなくなったら、とつい考えて勝手に不安を作ってしまい、思い余って友人の瀬出井さんに相談し松井先生のアドバイスをお願いしたのです。指摘されたことは自分でもうすうす気付いていたことだったのでとても納得でき、気持ちもずいぶん楽になりました。傷の方は浸出液や出血もなく、2週間目に抜糸をし、それから座位もとるようになり食事もずいぶん食べられるようになりました。それでも家に帰ってからの生活を考えるとまだまだ退院には遠い気がし、先生にもそうした思いを伝え、ある程度自信が付くまでは様子を見ることになりました。そして、抜糸から16日目に2度目の退院となりました。しかし、この後もう一波乱あるとは本当に思ってもいませんでした。
 退院して1週間後が受診日でしたので、それまではベッド上での時間を多く取り、また体位や除圧にも注意を払い慎重に過ごしました。ですがこの後お盆を迎えそうも言っていられなくなりました。8月12、13日と休憩も十分に取れず1日の大半を車イスで過ごしたところ、13日の夜、再度出血をしてしまいガックリ。頭の中真っ白……と思いきや、「やっぱり……」という気持ちもありました。
 今回も前回同様、針で突いたほどの穴からの出血でした。出血はすぐに止まったのですが、前回のポケットが埋まっているわけではなかったので感染が心配でした。受診するか迷いましたが、車で移動中にパカッとまた開いたら……という恐怖心もあり、結局そのまま家で様子を見ることにしました。イソジンで消毒をし、滅菌ガーゼを貼り、防水セロファンで保護。
 座位時も除圧を忘れず、仰臥位、側臥位、腹臥位と体位交換しながら終始ベッド上。あとはしっかり食べること。途中、そろそろ良いかも……と試しに座ると軽い出血、なんてことを3度繰り返し、9月16日の受診日までには治そうと努力(自己評価ですが)した甲斐あって、診察の結果は「良いですね。問題ないですよ」でした。そして、10月14日の受診で『完治』ということになりました。まさに『三度目の正直』でした。
 最初の発熱から間もなく1年。手術から約10ヶ月が過ぎますが、術後、同様の汗は全くかかなくなりました。ポケットは今も健在で、縫合跡を押さえると人差し指の腹が軽く凹む感触があります。また思いのほか摘出物が大きかったこともあり、左臀部はお肉がそがれた感じになっています。ですので触れるとすぐ骨に当たり何とも心細い状態です。退院後、体重も増えたのですがお尻には付いてくれなかったようです。現在、気になることといえば、左腰から足のしびれとジリジリピリピリした痛み、左肩、背中、首の凝った痛みです。しびれは術後、車イスに乗るようになってから気になっていましたが、11月頃から痛みも感じるようになりました。今までになかったことで、滑液包炎と関係があるのか、肩や背中の痛みと関係あるのか、それとも頸椎に異常が出てきたのか、そろそろ診察に行った方が良いかも……と思案しているこの頃です。
 滑液包は除去しても、また骨から生えてくるのだそうです。ですから1度とった私も決して油断できません。『座ると汗が出る』というヒントがあったのに『滑液包炎』の知識がなかったことが悔やまれます。また今回の発症部位は左坐骨部分でしたが、発汗は右の顔面、肩、腕でした。患部は左でサインは右という“ちぐはぐ”な現れ方も発見に難を与えたようです。
 臀部の滑液包は、坐骨部分以外に大転子部に3カ所あり左右で8カ所あります。座位や側臥位をとったとき、何らかの異常を感じる場合、滑液包炎を疑ってみる余地はあると思います。『エイジング・ボディ老化と神経筋骨格障害』という書籍に詳しく書かれているようですが、現在取り扱いがされていないようです。Googleで【滑液包炎 エイジング・ボディ老化と神経筋骨格障害】を入力し検索すると掲載ページがヒットします。関心がある方は閲覧されても良いかと思います。『頸損はお尻も命』皆様のお尻のご健康をお祈り申し上げます。

島根県:A.T.

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