異常発汗と滑液包炎(かつえきほうえん)〈前編〉
受傷して早27年。さまざまな感覚を失った身で身体的異常を教えてくれる、発汗、顔面紅潮、鳥肌、痙性(けいせい)等、さまざまなサインに自分なりのパターンを見つけ注意をしてきました。そのサインの1つである発汗に悩まされ始めたのが2010年6月頃でした。ベッド上で寝ているときは良いのですが、座って数分もすると右の首筋あたりにじわっと汗が出てくるのです。初めは発汗量も少なく一時的かと思っていたのですが、日が経つにつれ顔面(主に右側)、右肩、右腕と発汗部位、量共に増え「これはちょっとまずいんじゃない?」と思うようになりました。そしてこの発汗が、『滑液包炎』を教えるサインだったと理解できたのは視認できる症状が出てからでした。 『滑液包炎』とは、関節にある滑液を含んだ平らな袋(滑液包)に、無理な力が加わったり使い過ぎ等によって滑膜が刺激され起こる炎症です。外傷や痛風、偽痛風、関節リウマチ、黄色ブドウ球菌といったものによる感染が原因となることもあります。正常時、滑液包には少量の滑液が含まれていますが、炎症を起こすと滑液が増加し、疼痛、熱感、発赤、腫脹といった症状が見られます。発症部位としては、肩、肘、骨盤、坐骨、膝、くるぶし等がありますが、発症部位により症状に違いがあります。治療としては安静、薬物投与、外科的処置等があります。かなり省略しましたが、おおよそこのような病気です。 私が患った左坐骨滑液包炎は、滑液包水腫による発熱、疼痛、発赤、腫脹、包壁の肥厚を伴うもので、こうした症状が出て初めて滑液包炎と解りました。それまでは原因の解らない異常発汗と痙性に悩まされました。6月頃から始まった異常発汗は徐々に酷くなり、梅雨が明ける頃には首からタオルはかけたまま、Tシャツも午前午後と着替えるようになりました。汗と言っても運動をして流す汗とは違い訳もわからず出てくる汗なので不快で仕方ありません。おまけに汗で濡れた皮膚は体温を奪われ冷たくなるので、その感は増すばかりです。頸損になって四半世紀、ここまでどうにか順調に来たけれど、この先ずっとこんな調子だったらどうしよう……という不安と、この汗は何が原因なんだろう……という困惑で、頭の痛い毎日となりました。8月が終わる頃、地元の診療所に相談し薬を処方してもらったのですがあまり芳しくなく、紹介状を持って出雲市にある県立中央病院を受診しました。 中央病院では神経内科と整形外科を受診しました。整形外科では首のMRIを撮ったのですが、右上半身の発汗の原因になるような異変箇所はなく経過観察ということになり、神経内科では抗痙攣(けいれん)剤投与で様子を見ることになりました。その後、痙性は軽減されたようにも思われたのですが、発汗の方は相変わらずでした。11月の初診以降毎月の受診となったのですが、4月13日朝突然39度の発熱があり、その半日後に左臀部(でんぶ)に7、8cm大の発赤とわずかな腫れが確認されましたが、翌日にはこぶし大ぐらいにまで腫れが大きくなりました。もちろん熱感もあれば赤みも増していますし、熱も38度から39度台と続きました。3日間様子を見ましたが一向に症状が変わらないので地元の診療所に往診をしてもらい血液検査をしたところ、体内の炎症反応を見るCRPが正常値で0.30mg/dl以下のところ5.4あり、抗生剤で様子を見ることになりました。翌日から熱は下がったのですが、それでも午後になると38度前後の熱発が続きました。その間、臀部の様子といえば発赤は少し引いてきたのですが、腫れの方は、“腫れ”というより“しこり”のようになっていきました。汗の方も赤く腫れ始めてからは上体を起こすたびにかなりの発汗があり、「お尻が痛くて汗が出るんだな」と、これまでの異常発汗の原因が解りました。その後の再検査でも未だCRPの数値は高いし熱も完全には引かない。臀部のしこりも小さくならない。結局また中央病院に紹介状と共に受診をし『左坐骨滑液包炎』と診断されました。肥厚した滑液包には飴色(あめいろ)をした水が40㏄溜まっていました。水を抜いてもらってからは熱は下がりCRPも正常値になりました。しこりは徐々に消えていきましたが半分ぐらい残ったままで、発汗も一時期より減るものの収まることはありませんでした。それでも取りあえず落ち着いて3週間が過ぎた頃再発しました。受診時に再発の可能性は確認していたのですが、まさかこんなに早く再発するとは思いもせずショックでした。が、同時に「袋をとってもらおう」と決めました。(後編に続く) 島根県:A.T. 『臥龍窟日乗』−8年目の仰天判決−
足掛け8年に及んだ裁判が終わった。苦々しさと、消化不良のような不快感だけが残った。あれだけ苦労を重ね、その結果が「スズメの涙」だ。まるで人格を損なわれたような屈辱すら覚える。 先月号で紹介いただいた『今ひとたびの旅立ち』に記したように、2004年、私は出張中の台湾で頚髄損傷となった。極めてレアなケースだが、海外で交通事故に遭い、裁判を闘うのがどういうことなのか、記録に残しておくのは無駄ではないと思う。 アメリカで病気や交通事故に遭うと厖大(ぼうだい)な医療費がかかる。海外旅行保険に入っていたほうがいい、とはよく言われることだ。年に2〜3度、渡米していた私はこの保険には必ず入っていたが、物価の低い東南アジアでは気にも掛けなかった。実際、病気にかかっても医療費はタカが知れていた。 ゾウリムシのような形をしている台湾では、南北に高速1号線が縦貫している。北は台北から南は高雄まで、欧州製と思われる高速専用バスが運行されている。二層構造で、上が客室、下はトイレと荷物置き場だ。 高速道路とはいえ、経済発展の著しい台湾では、渋滞に巻き込まれることも少なくない。渋滞でホッと一息ついていると突然クルマが流れ出し、後ろからクラクションで追い立てられる。慌てて発進すると、すぐにまた渋滞。びっくりしてまたブレーキを踏む。日本でもよく経験することだ。おそらく、そんなことではなかったかと思う。 台中を早朝に出発し、2時間ほどうたた寝した。急ブレーキで目が覚めた。バスの前も後ろも渋滞でびっしりだ。ションベンに行くなら今だと思った。階下に降りたとたんバスは急発進した。戻ろうと思ったが、またしても急ブレーキ。もんどりうって身体は宙に浮いた。 運転手は終始一貫して「事故現場は、客を拾うために降りた一般道だ」と主張した。「徐行運転していたのに勝手に転んで怪我をした」という論法だ。こんな不条理が通ってなるものか。 台湾人社員のO君が一緒だったが、ぐっすり寝込んでいた。事故の瞬間を知っているのは運転手と私だけ。私は息も絶えだえの状態が半年も続き、運転手の一方的な「証言」だけが採用された。そして不起訴となった。 これから命懸けの、私の闘争が始まった。 10分も座っていると、起立性低血圧で失神してしまうというひどい状態で、台湾行きを決行した。飛行機の座席は、ビジネスクラスでも45度が精一杯。失神するたびに長女が両足を持ち上げて意識を取り戻した。事故から1年3ヵ月後の2005年4月、不起訴処分が覆って台中地裁で刑事裁判が開始される。 まさに死に物狂いの台湾通いだった。真夏のさなかの現場検証では、運転手の虚言を見抜くことが出来た。(8回に及んだサスペンスもどきの台湾裁判については、今夏上梓予定の『頚損一徹』をご覧いただきたい)2006年5月1日、台中地裁勝訴。2007年3月20日、台中高裁勝訴。 続く民事裁判では、過失責任の負担比率が争点となった。台中地裁、台中高裁、最高裁、差し戻し台中高裁と展開し、この2月に判決が出た。損害賠償請求の裁判だから過失責任が問われるが、地裁、高裁ともに被告(運転手およびバス会社)の負担比率を三分の二とした。 差し戻し審で被告側は、○○大学の鑑定書を提出した。媚薬(びやく)が効いたのだろう。これで判決がひっくり返った。事故の原因の三分の二は、私にあるというのだ。バス走行中に席を離れた私のほうが悪くなった。 それじゃあ何のためにトイレは付いているのか。長距離バスで、走行中に便意を催す人は少なくない。高速道路上でションベンをしたくなった場合、運転手に申し出れば、バスを止めてくれるとでもいうのだろうか。 これから台湾に行かれる方々へ。 もし高速バスに乗ることがあったなら、堂々と座席で放尿するがよい。罰金を取られることはあっても、命まで取られることはないだろうから。 千葉県:臥龍
東北大震災から1年 −あなたならどうしますか?−
東北大震災から1年が過ぎようとしている(掲載されている頃はもう過ぎていると思うが)。あの衝撃的な出来事からもう1年が過ぎたなんて、とても信じられない。あの時の身体の震えは今でも覚えている。 しかし、政府は一体何をしているのだろうか。1年も経つというのに、一向に復興が進んでいないではないか。現地から聞こえてくるのは、被災者の怒りと不満ばかりだ。政治家は党と自分の保身ばかりに奔走していて、被災者に寄り添う気持ちなどこれっぽっちもない。 さらに、震災当初「絆(きずな)」という言葉をあきれるほど聞いた記憶がある。あの「絆」という言葉はどこへ行ってしまったのだろうか。 震災後、問題は山積している。原発問題、瓦礫(がれき)処理問題(身体にほとんど影響のない微量の放射能を含む)。特に「絆」という言葉を嘘っぽくしたのが、瓦礫処理問題ではなかろうか。 京都の大文字焼き(大文字五山送り火)に岩手県の被災した松を使おうとしたら市民から反対があった。千葉の成田山の護摩焚きに被災した瓦礫を使おうとしたら反対があった。その他にも各自治体で瓦礫処理を受け入れようとしたら、いやがらせや、反対メールが山ほど届く。 私の住む九州のある市でも、瓦礫処理を受け入れると市長が表明したら、反対する人間から、「瓦礫を受け入れるなら、運動会に爆発物を仕掛ける」と脅迫メールが届いた。虚しいニュースは後を絶たない。 また、先日(3月上旬)、沖縄の仲井間県知事が瓦礫処理受け入れを検討していると表明したら、問い合わせのメールが350件ほどあり、そのうち320件ほどが反対のメールだったそうだ。この問題で、私が不思議に思えたのは、基地問題を抱え、誰よりも痛みを分かっているはずの沖縄県民が、瓦礫(よその痛み)持ち込みに反対したことだ。基地問題は考えてほしい。でも、よその問題は考えたくないと言っているように聞こえる。とても残念でならない。 その点、大人の判断と言えるのが、東京都である。東京都が瓦礫処理東を受け入れると表明したら、反対のメールがたくさん来たそうだ。それに対して石原都知事は「だまれ」と言い放った。とても素晴らしいと思った。昔、石原都知事が障害者に対し、差別発言をしたことが問題になったが、今回の件に関してだけは褒めたい。 総論賛成各論反対、この問題は日本人特有の表裏を表現したものではないだろうか。表向きは「やはり、瓦礫は各自治体で受け入れた方が良いと思う」と言う。で、実際に自分のところに、瓦礫処理問題が持ち上がると、目くじらたてて反対する。「絆」という言葉が、とても虚しく響く。 もし、自分の地域に原発があり、そこで震災に遭い、大量の瓦礫処理問題を抱えることになったとしたら。他の地域でも瓦礫を少しでも受け入れてほしいと思うのは当然ではなかろうか。そんな藁(わら)にもすがりたい状況下、他の地域の人から、あからさまに、瓦礫受け入れを拒否されたらあなたはどう思いますか。 さて、今後、あなたの街の市町村長が、瓦礫処理を受け入れると表明したら、あなたならどうしますか……。 匿名希望 ひとくちインフォメーション
タイトル:猫 猫の仕事はしあわせに眠ること。しあわせはしあわせを呼ぶので見ているぼくらをしあわせにする。春は眠い眠いと言うけれどいつも眠たそうな猫にはそのような訳があるのだろう。 『頬杖を外して春の眠りかな』 熊本県:K.S. ◆[国民生活センター・リーフレット] 公的介護保険を補ってくれる介護サービス? 知人から「国の介護保険で受けられる介護サービスには限りがある。入会時に約100万円を一括で納めておけば、それ以上の介護サービスが必要になったとき、必要なだけ受けることができる」などと介護サービスについての勧誘を受けた。納めた約100万円のうち、いくらかが紹介者である知人に入り、紹介によって加入者を増やしていくらしい。説明時に見せられたパンフレットは回収されたので詳細はわからない。老後の保障は手厚いほうが心強いので、倒産の心配がなければ加入したいが、大丈夫だろうか。(60歳代 女性) <ひとこと助言> ▽友人や知人から「加入しておけば、将来介護が必要になったとき公的介護保険とは別に必要なサービスが受けられる」などと勧誘される介護サービスについての相談が寄せられています。 ▽事例の他に、高額な入会金を支払った後、サービスを受ける前に退会を申し出たのに一切返金されないといった相談も寄せられています。 ▽たとえ知り合いからの勧めでも安易に応じず、契約前にサービスの具体的な内容や中途解約時の返金などについて十分に確認しましょう。よく分からない場合は契約しないといった慎重な対応が必要です。 ▽心配なときは、お住まいの自治体の消費生活センター等にご相談ください。 (2012年1月13日発行) ◆車いす男性 踏切で死亡 5.4メートル渡りきれず 28日午前9時45分ごろ、愛知県犬山市羽黒八幡東、名鉄小牧線の楽田13号踏切で、1人で車いすに乗って渡ろうとしていた70歳ぐらいの男性が平安通発犬山行き普通電車にはねられ、即死した。乗客乗員約25人にけがはなかった。 犬山署によると、男性運転士(31)が踏切の手前百メートルほどで男性に気づいてブレーキをかけたが、間に合わなかった。踏切は警報機、遮断機付きで、幅1.9メートルと車一台が通り抜けられる程度の狭さ。渡り切るまでの距離は5.4メートルある。 目撃者によると、男性は警報機が鳴る前に車いすで踏切に入ったものの、渡り終えることができずにはねられた。普段からこの踏切付近を通行しているのを見かけていたという。 踏切内で車いすが立ち往生し、列車と衝突する事故は全国で相次いでいる。2009年に高知県で、04年には大阪市でも起きている。鉄道各社は事故対策として、レーザー光線で踏切内の自動車などを検知する障害物検知装置の設置を進めているが、今回の名鉄の事故現場には付いていなかった。 08年には国土交通省などに対し、線路の内側への設置を求める提言がされたこともあったが、名鉄広報部は「通行人がすぐに押せるよう外側に設置している」と説明する。 東武鉄道(東京都墨田区)では、995カ所すべての踏切に非常ボタンを設置。 障害者や高齢者のバリアフリー調査などをしているNPO「東京バリアフリーツアーセンター」(東京都台東区)の川端宏美事務局長は「車いすを使う高齢者や障害者は、ちょっとした踏切の段差でも自力で乗り越えられない場合もある」と指摘。「回り道をしたり、踏切を渡る際に近くにいる人に声を掛けたりすることが大切」と話している。 (情報提供:東京新聞夕刊 平成24年2月28日) 【編集後記】
会計監査は会計担当の占部さんが、監査人の方と日時を話し合われて実施していてます。長距離移動は負担が大きいため福岡市近郊の購読者の方に監査人をしていただいていて、今年度からの任期2年(2012年〜2013年度)・福岡市近郊の方で、新監査人を探しております。どなたかどうぞよろしくお願いいたします。 次に私がネットで調べるときにウィキペディアという、インターネット上のフリー百科事典をよく利用していて、最近その百科事典に「はがき通信」の項目があることを知りました。記載内容は簡単な説明文やスタッフと、下部に「この『はがき通信』は、書籍に関連した書きかけ項目です。この記事を加筆、訂正などして下さる協力者を求めています」「最終更新2012年1月17日」となっています。ウィキペディアは、不特定多数の利用者が自由に執筆、加筆、修正できる特徴があり、正確に加筆していくのも当誌にとって有効かと思いました。 次号の編集担当は、瀬出井弘美さんです。 編集担当:藤田 忠
………………《編集担当》……………… (2012年4月時点での連絡先です) 発行:九州障害者定期刊行物協会 |
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