70歳
頸椎損傷者も、独居で年を取ると介護保険です。
最近の私は、障害者自立支援法とは関係なく、介護保険の“介護度4”で本当に老人の烙印(らくいん)を押されて、自立生活を送っております。何か窮屈な介護保険生活、65歳までは、障害者で福祉課が全面的に動いてくれますが、65歳になると「貴方は、これからは介護保険が最優先です」と長寿社会課(わが市では)が前面に出て来ます。
「はがき通信」の読者の中にも、在宅支援ヘルパーステーションを立ち上げておられる方も多々おられます。間違いがあれば教えて下さい。私が介護保険を使って、一人で生活している様子の一部でも知ってもらいます。5年前のことです。
介護保険を使うことになれば、まず、ケアマネージャーを選びます。私は、自分の所にヘルパーとして入ってくれた人が、ケアマネージャーの資格を取得して在宅支援の方に移動していたので、その人に頼みました。それはそれなりに私の状態を(頸椎損傷であることなど)よく知ってくれた人なので、心の動揺は軽くてすみました。
2年前から(63歳)もらえた、交通事故対策センターからの入金はストップしました。介護保険はけっこう金は必要で、交通事故対策センターも過去、昭和53年から平成14年まで23年分の中から、少しは援助しろと言いたい。(昭和53年に一度申請し、その書類が保留になったまま再度申請した平成14年まで何と残っていたが、交通事故対策センターは「お気の毒ですね」というだけで、遡(さかのぼ)って支給してくれるわけではない。)
私が障害者だった頃(?)、5年前に自立支援法があったか、定かではありません。デイサービスでも、週2回は行っていました。金銭的な問題も、少なかったと思います。
介護保険は、1回のデイサービスは1万円少々かかります(その内1割が本人負担・介護度4の場合)。それに、昼食代500円を全員が出費。支払いは、1割だからと考えるととんでもない、週2回では、月に8〜9万円が介護保険から出るのですが、介護保険では介護度4は出る月額の上限金額が決まっています。その金額を各サービス等で分け合うので、他を多く利用するとヘルパーさんに渡る金額が減るのです。
ヘルパーさん(ステーション)とデイサービス、介護用品店、ベッドが必要になればレンタルです。敷くマットも、落下防止の手すりも、サイドテーブルもレンタルです。
その金額を分け合って足らなくなると、本人の持ち出しです。今のケアマネージャーは、障害者支援費を使いません。単価が違うようです。ですから、頼みにくいのでしょう。土日を嫌って入ってもらえない人(頸損)も実際にいます。
また、介護福祉士の資格が有る人が多く存在するステーションは、1割増し2割増しと上乗せ金を必要とする所もある。特定事業所加算といいます(?)が、何の制度かそこはよくわかりません。事業所の独立性・中立性を高める→実態に即し、段階的に評価する仕組みに見直すということでできたようです。私たちに「ここは本当に良く働いてくれる、1割ぐらい上乗せしても好い」と判断させてくれ。
介護保険料額は年金から引かれ、後期高齢者医療保険料は自分が支払いに行く。日本の老人は真面目だから、お上の言うこと、決めたことは仕方なく、実行する。国会議員と呼ばれる、お上、しっかりした政治を頼むよ。
家族と一緒で介助者がいる人は、65歳になろうと介護保険を使う必要はないでしょう。また、都道府県でも、違いがあるはずです。
鳥取県:H.Y.
人工肛門(ストマ)について
毎年のように、イレウス(腸閉塞)を繰り返していて何か良い方法はないか?と病院の先生や看護師に相談していました。昨年12月ぐらいから特に便秘とガス腹で悩んでいた時に「はがき通信」を目にして、排泄の項目で「人工肛門(ストマ)」の記事を読みました。大変参考になり勇気をもらいましたので、私も役に立てればと思い書きました。
私の場合、昼過ぎから腹が張り出して寝るまでつらく、ガス腹で日に2回ほどガス抜きをしていました。案の上、寒くなると腸の動きも一段と悪くなりイレウスになって2月の中旬から1カ月半、入院することになりました。ムカムカして食べないから栄養不足で体もだるく貧血もひどい、何もやる気がなくなりこのまま死ぬかもと不安で一杯でした。
入院して相談していく中、ストマ手術の方向で話が決まり、決まると手術前の検査が大変でCT、MRI、胃カメラ、大腸カメラなど、検査漬けです。特に大腸カメラは腸を洗浄するのに大変でした。
12月末から3カ月で8kgぐらい痩せて42kgまで落ちました。手術前は高カロリー点滴や栄養剤を飲んで体力作り、肺炎予防のため、呼吸器具で強化。そして、3月上旬にストマと腸の癒着剥離の手術をしました。イレウス予防で管も腸まで入れっぱなしで呼吸がしにくく、水を飲んだ時に誤嚥(ごえん)で肺炎になりかけました。痰(たん)もうまく出せず何日かは吸引しました。その後、腸炎にもなって苦しみました。
手術5日後、やっと腸が動き出しガスが出た時は感動ものでした。朝夕2回の腸を動かす点滴は苦しかったですが、それからは徐々に良くなり食事も上がり、ストマから便が出た時はほっとしました。毎日、ガスの出具合や便の出具合、退院に向けての看護師の指導や下剤の調整、パウチ(収便袋)の選択や業者を選んで申請などでバタバタでしたが、ストマ、パウチに関して詳しい看護師に相談できたことは安心でした。
今、体調は良いほうです。食事も美味しいですし、ガスや便も出ます。傷口もだいぶ小さくなりいい感じです。落ち着いて形が安定するには、半年ぐらいかかるとのことでした。体調も手術前より楽になり、体重も5kgほど増えて良かったのですが、ストマ回りのケアや下剤の調整など、なかなか難しいですね。慣れるしかないと思っています。その他にもパウチの漏れや臭いが心配で悩みはつきませんが、現段階ではストマを作って良かったと思います。
皆様も色んな悩みや苦しさがあると思いますが、ご自愛ください。
匿名希望
本の紹介:『脳は奇跡を起こす』、『奇跡の脳』
最近は脳科学ブーム、大手書店にいくと脳に関する本がたくさん目に入る。中でも読み応えのあったのが今回紹介する2冊、『脳は奇跡を起こす』は、カナダの精神科医で作家が第一線の研究者を取材して研究の成果を一般向けに書いた本、『奇跡の脳』は、37歳の脳科学者が脳動静脈奇形の大出血による脳卒中後、8年間に及ぶ自身の脳再生過程を専門家の視点で観察した記録である。読みながら、脳がこれほど奇跡を起こすなら、同じく中枢神経系である脊髄も同様な奇跡を起こすかと期待が深まるし、その奇跡が高齢者にも及ぶとなれば悲観的な老後に明るい展望が開かれ、勇気づけられる。
“脳の奇跡”とは、専門用語でいう“神経可塑性(かそせい)”のこと、神経とは中枢神経(脳脊髄)と末梢神経系の神経細胞であり、可塑性とは「変化できる、柔軟な、修正できる」という意味、したがって神経は柔軟に変化や修正できるし、成長もする。それが奇跡なのは、中枢神経の神経細胞は成人後、成長をやめ、老化と共に衰えるし、脳の機能はそれぞれ特定の場所が担当と考えられていたからだ。ひとたび脳組織が損傷されると、その部分の機能は回復不能とされ、脊髄損傷もその損傷部位より1から2番下くらいまで麻痺の回復はあっても、それ以上の回復は不可能と言われてきたし、そう信じ込まされてきた。
『奇跡の脳』の著者は脳科学者でありながら、「脳卒中の後、6ヶ月以内にもとに戻らなかったら、永久に回復しない!」と耳にタコができるほど聞かされてきた。「でも、どうか、私を信じてください。これは本当じゃありません。」そして「私は脳卒中の後の8年間というもの、自分の脳が学んで機能する能力が格段の進歩をとげたのを実感しました。……科学者の間では、脳が、入ってくる刺激に基づいて“つながり方”を変えるという、驚くべき能力を持っていることがよく知られています。この脳の“可塑性”により、私たちは失われた機能を回復することができるのです。」
『奇跡の脳』の著者ジルが脳卒中になったのは1996年12月、本書が米国で出版されたのが2006年、その序文に「この本は、激しい脳出血から完全に立ち直った神経解剖学者による——私の知る限り——世界で初めての記録」と強調された。実際、タイム誌の“2008年世界で最も影響力のある100人”に選ばれ、その翌年、日本で翻訳が出版され、NHKでもドキュメンタリー番組として放映された。
他方、ノーマン・ドイジ著『脳は奇跡を起こす』にも脳卒中からの驚異的回復例の紹介がある。それも1959年と、ジルの脳卒中より約40年も前、患者は脳の可塑性研究者バキリタの父親、しかし父を介護したのはその兄、精神科医だがリハビリテーションの全くの素人、それがかえってよかった。悲観的な理論にじゃまされず、当時の常識を打ち破り、「歩くより、まず這う訓練から開始した。」毎日何時間もの練習を繰り返すうちにはいはいから立て膝で動き、さらに立ちあがり、やがて歩けるようになった。言語能力も本人の意欲的な訓練で回復し、常勤の大学教授に復帰した。7年後、心臓発作で死亡、その脳解剖所見によると、脳卒中による損傷部分は治癒せずに残っていた。当時、脳スキャンのない時代、患者が回復すると、最初からそれほどひどい損傷じゃなかったと推測されがち、だが解剖の結果、脳研究者の息子が腰を抜かしそうになるほどの損傷があった。にもかかわらず、本人と息子(兄)の創意工夫による訓練の末、「父の脳はどうにかして脳自体を再編成し」機能を驚異的に回復した。
約40年後のジルも、一日に何百万回も“かいふくするのよ”と意をあらたにしなければならなかった。また回復は一人ではできない。完全に回復するはずだと信じてくれる人が、どうしても必要だった。「回復するのに、三ヶ月、二年、二〇年、あるいは一生かかるとしても、学び、治り、成長し続けるわたしの能力を信じてくれる人々が必要だった。」と回想する。
バキリタの父親もジルも左脳の損傷であり、言語・認知機能、及び右半身運動・知覚を担当する神経が損傷された。その脳に奇跡を起こしたのは神経可塑性、どちらも無意識に可塑性を応用した訓練によって健常な神経組織に失われた機能をつなぐ回路が形成され、“驚異的な回復”に到達した。ドイジの本は“驚異的な回復”をもたらす神経可塑性の治療研究を数多く紹介する。
しかし神経可塑性とは、良い効果ばかりか、負の影響をもたらすこともある。今年2月翻訳出版された『脳のなかの身体地図』は、“狂った可塑性”として負の影響も紹介する。第一線のスポーツ選手や音楽家が試合や演奏中、突如身体が硬直し、プレイ困難に陥る現象もその典型例であり、また幻視痛や神経因性疼痛(とうつう)もその例とされる。だが可塑性の原理を活用し、“狂った可塑性”を修正学習する治療研究がある。
その一つ、幻視痛、神経因性疼痛の治療である。どちらも脳に形成された痛みの学習回路、ドイジの本では脳マップをつなぎ直し、痛みを軽減する治療法として紹介される。痛みの脱学習装置としてミラーボックスを使う。ミラーボックスに痛みのない腕、あるいは脚を入れて、運動させる。脳はミラーを介して麻痺側を痛みのない腕、または脚の運動と判断する。何度動かしても痛みを感じないことを脳が学習、その学習成果が脳マップとして形成されるまで継続訓練する方法である。
そのミラーボックスの活用は、対まひ者の運動麻痺改善治療にも活用される。健常な腕や脚を麻痺側と勘違いさせる訓練の反復によって、運動知覚回路の脳マップを形成する。実際に成果を得るには長期の辛抱強い訓練が必要ではあるが、副作用はない。
以上、3冊とも脳が主題であり、脊髄可塑性に関する治療研究は痛みと知覚麻痺の回復研究の紹介に留まる。脊髄損傷は脳卒中に比べると希少であるし、麻痺の回復など短期間で成果の得にくい研究は専門家が取り組みにくい課題かもしれない。しかし「脳の可塑性を支配する法則に合わせて学習すれば脳の“組織性”が向上し、もっと正確に、すばやく、記憶を定着させながら、学習し知覚することができる。」その神経可塑性に関心のある方、あるいは疑問を感じる方はここで紹介した2冊から読み始めると良いのではと思う。
◇ノーマン・ドイジ、竹迫仁子訳『脳は奇跡を起こす』講談社インターナショナル
◇ジル・ボルト・テイラー、竹内薫訳『奇跡の脳』新潮社
参考:サンドラー・ブレイクスリー他、小松淳子訳『脳の中の身体地図』インターシフト
編集顧問:松井 和子
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