も く じ | |
ごあいさつ | 編集委員:藤田 忠 |
「はがき通信」からのお知らせ(偶数月発行) | |
112号のNさんへ | 編集委員:瀬出井 弘美 |
短歌(6) | 宮崎県:R.S. |
新・今昔物語集 第六話『パリの挫折』 | 千葉県:T.D. |
炎のカラオケ! 魂で歌う! | H.M.投稿:瀬出井弘美(編集委員) |
ALS者で人工呼吸器使用の綾子さん、ギネスブック登録に挑戦 | 編集顧問:松井 和子 |
住み慣れたふるさとで自立して生きる | 福島県:T.S. |
<連載特集!「車いすの工夫あれこれ」> | |
□車椅子に三脚のせて | 東京都:F川 |
□手作りのウロガードカバー | 神奈川県:I |
□スポンジを加工して問題解決 | 編集委員:藤田 忠 |
□ライトとスケートボードを装備 | 神奈川県:M.I. |
□ポンチョと携帯電話を工夫 | 広報委員:麸澤 孝 |
腰折れ俳句(5) | 熊本県:K.S. |
『立てない・座れない・歩けなくなって……《生きる力とはなにか》』を読んで | 東京都:M.K. |
読書メモ(11) | 編集部員:藤川 景 |
ひとくちインフォメーション |
「はがき通信」からのお知らせ
2009年度より偶数月発行に変更します 前号でもお知らせいたしましたが、8月25日(月)までに皆様からの反対意見等ご意見もございませんでしたので、2009年度より偶数月(2.4.6.8.10.12月)の25日ごろに発行させていただくこととなりました。2008年11月号まで今まで通り発行し、2009年2月号は、通常より発行までが1ヶ月長く間隔が空くために、原稿の締め切り日を1月中旬、発行日を2月中旬に予定しております。なにとぞご理解・ご了承いただきますようよろしくお願い申し上げます。 【特集『「はがき通信」懇親会in京都』原稿募集!】 112号のNさんへ
Nさん、はじめまして。「はがき通信」編集委員の瀬出井と申します。 痒みについてですが、私も時々(寝ている時が多い)ノーマルな知覚のある肩から二の腕の辺りが異常に痛痒くなり、つい掻いてしまい、引っ掻き傷を作ってしまいます。やはり、Nさん同様、30分から1時間以内には治まります。 なぜなのでしょうね。Nさんは頭部全体までということですから、さぞお辛いことと思います。痛いのは我慢できても、痒みはどうにも我慢ができないものです。私の対処法は、「メンソレータム」を塗っています。塗っても痛痒さは止まりませんが、メンソレータムのスーッとした刺激性のある清涼感によって痛痒さを紛らわせることができ、そのうちに症状が治まります。頭部には、無理な対処法なのですが……。ちょっと刺激性のある整髪料など、試してみてはいかがでしょう? それから、包丁を持てないとのことですが、この「持てない」というニュアンスの判断が難しいですね。どの程度持てないのか、障害は千差万別で微妙ですから。私は握力はないのですが、指先に5kgくらいの物をつかむ力が左右の指にあります。ですので、通常に包丁を持つとすっぽ抜けて何か切ることはできませんが、果物ナイフくらいの大きさの軽くてよく切れるナイフの柄の部分ではなく、刃の背の部分を指先でつかむようにすると何とか物を切ることができます。 Nさんのご投稿はメールとお伺いしましたので、インターネットはやっていらっしゃるということですよね。それでしたら、「包丁の自助具」というような検索をされるといろいろとヒットすると思います。介護用品店で、カタログを見せてもらうという手もあるかと思います。市販の物でご自分に合った物が見つかるとよいですね。ただ、購入される時は、できたら試してからお買いになられることをお勧めします。 また、「自助具製作ボランティアネットワーク」といった、自分に合った自助具を作ってくれるようなところもあります。その他、病院の作業療法士や、お住まいの近くの福祉センター内に自助具の相談コーナーなどはありませんか? そのようなところを利用されるのも一案かと思います。ご参考までに。 編集委員:瀬出井 弘美 短歌(6)
わが町の紫陽花の花咲くころに レントゲン車はやってくるなり 年に2回血液検査を受けているのですが、わたしが気になるのが中性脂肪の数値です。十数年前に晩酌が過ぎて数値が300になったことがありました。中性脂肪の標準値の範囲は50から149なのですからかなり高めの数値です。それ以後晩酌を控え、数値は200ほどに落ちたものの標準値になるまでは落ちてくれませんでした。しかしここ3、4年前から中性脂肪の数値が150前後まで下がってきました。 3、4年前から食事内容を見直し、朝は白いご飯は食べず、豆乳、とろろ昆布を入れた味噌汁、ヨーグルト。昼はとろろ昆布を入れたソバにカルシウム不足を補うためにチーズまたはイリコ。夜は以前と同じ普通に白いご飯の夕食。午前10時、午後3時頃には少し腹が減るのでおやつを少々(最近は乾パンを食べること多いです)。以前毎朝飲んでいた牛乳を止め、豆乳を飲みはじめたこと、それにとろろ昆布とソバを食べるようにしたことが良かったのかも? 知れません。 健常者なら運動すれば簡単に下げられる中性脂肪の数値もケイソン者は運動ができないので、一度上がった数値を下げるのは容易なことではないようです。いまは晩酌は週に2回、発泡酒を1合飲む程度です。健康のことを考えるとこれ位がわたしにとって適量のように思います。 今回をもって連続投稿を終了したいと思います。拙い短歌と文章を読んで頂きありがとうございました。 宮崎県:R.S. 新・今昔物語集 第六話『パリの挫折』
アメリカ人、スイス人とのグループを解消したあと、私は本来の「自分の旅」に戻った。有名な遺跡や観光地にはさほどの執着はなく、市街であれば住宅密集地の路地裏のまた裏、庶民の生活にじかに接することのできる下町をランブリングするのがよい。壊れかかった窓の隙間(すきま)から、酔いどれ亭主を怒鳴りつけるオカミサンの声など聞こえてくればなおよい。疲れればスタンドバーに入って、無愛想な親父にリキュールを所望し耳を澄ます。 ……驟雨(しゅうう)のなかをオーバーコートの襟を立て歩いてくるのはヴェルレーヌじゃないか、その後ろから、夢遊病者のようについてくるのはランボーだ。おやっ、向こうの角から密かにこちらを覗(うかが)っているのは若き日のジャン・ジュネか。ムーラン・ルージュの裏口から身体を左右に揺すりながら出てきたのは、画家のロートレックに違いあるまい。他のお客を避けるかのように、カフェテラスの端っこで瞑想(めいそう)に耽(ふけ)っているのは孤高のボードレールではなかろうか……。 昔のパリでは上階の住人が、昼間溜め込んでいた糞尿(ふんにょう)を、この路地にぶちまけていたそうだが、そんな不潔な路地を彼らはどんな顔をしながら通っていたのだろうか。想像を巡らすだけでも楽しいじゃないか。古本屋にでもぶつかれば、その日は絶好調と相成る。さらに古ぼけた装丁のラ・ロシュフコーでも見つかれば、随喜の涙だ。 団体旅行が嫌というわけではない。人に世話をしてもらう旅は、功成り名遂げて行けばよいのであって、若いうちはあっちにぶつかりこっちに蹴躓(けつまず)いたりしながら「骨身を削る旅」をして欲しいと思うのだ。バス観光ではちょっといい路地が見つかっても停めてもらうわけにはいかない。「道草が人生を豊かにする」というのが私の信条だ。 さて我がペンションだが、夜10時ごろになると窓の下が騒々しくなる。通りの南入り口がオランピア劇場になっていて、ホテルは楽屋出入り口あたりになるらしい。この劇場はシャンソンの公演が多いらしく、ショーがはねるとこうやってファンが楽屋口に集まる。時には数百人にふくれあがることもあって、クラクションの連発となる。道路を人垣が塞(ふさ)いでしまうからだ。 京都の百万遍下ルに日仏会館があって、フランス語の補習に通っていた時期がある。シャンソンの原盤レコードを借りてきては、パリを想像していたころを思い出した。お気に入りはシャルル・アズナブール。とうとうパリで聞く機会はなかったが、受傷3年目の2007年2月、東京国際フォーラムでの「最後の日本公演」とやらを娘たちがプレゼントしてくれた。40年近くが経過し、お歳も80を越えているはずなのに、若いときと声量が変わっていないのにおどろいた。 このあたりで私のヨーロッパ滞在も2週間をこえた。正直言って疲れた。乗り物は電車と地下鉄。タクシーなんてとんでもない、と思っていたので、ただひたすら歩きまわった。まだ20代半ばであったが、毎日ホテルに戻っても疲労困憊(こんぱい)。そのうち歩きながら意識が混濁するようになった。やはりパリという都市は精神的にデカすぎた。出発前の意気込みはどこへやら、大きな絶壁の前でへなへなと腰砕けとなった負け犬のようだった。疲労のせいにはするまいと思うのだが、身体がいうことをきかない。疲労の上に精神的重圧がのしかかってくる。重圧は澱(おり)となって心の底に沈殿する。文化という怨霊(おんりょう)があちこちに徘徊(はいかい)していて、まるでお前なんぞの来るところじゃないよ、とせせら笑っているかのようだった。メアリーがため息交じりに漏らしていた言葉を反芻(はんすう)した。歴史や文化の重みは尋常ではない。私もメアリーも背伸びをしすぎたのではないか。あまりにも正攻法で、正面からまともにぶつかりすぎたのかもしれない。今にして思えば、もっと遊びがあってよかった。知らずしらず私もフランス病に感染していたというか、フランスの毒素に「あたって」しまったのではなかろうか。 いったん帰国して再度トライしてみようという考えもないではなかった。しかしここで引き下がると、再び渡欧出来る保証も資金力もない。せっかくの機会だ。ヨーロッパの表面を撫(な)でただけで帰るわけにはいかない。 旅は帰る家があるから愉(たの)しい、と言う。ゴールがあるからこそ全力で走れる。もしゴールの決まっていないレースがあるとすると、これはしんどい。Destiny という英語がある。運命という意味だが、これが Destination となると目的地という意味になる。目的地というより最終到達地といった方が正確かもしれない。最終到着地=運命。これは意味深長な言葉だ。 実は今回の旅は帰国日を決めていなかった。最低2週間から長くて3カ月。カネがつきれば戻ろうくらいの気持ちだった。各地でバイトしながら世界を放浪するというのがはやった時代だった。だが、それでは留守を任せたカアチャンに申し訳が立たなかった。 最初から無理し過ぎたんだ。もうフランスに来る機会は巡って来ないかもしれないが、ここはいったん引いて、自分なりにヨーロッパの勉強を再びしなおそう。 ギリシャへはアムステルダムからのフライトで発券してもらっていたので、パリの駐在員さんに電話をし数日後の席を押さえてもらった。 メアリーたちのいるユースホステルに最後の電話をいれた。すでにチェックアウトした後だった。何かメッセージがあるはずだ、と食い下がったが、毎日数百人もの宿泊者だ。まともに相手にはしてもらえなかった。直接、足を運んで自分で確認するという手もあったが、体力も気力も失せていた。これで彼らとの再会の道は閉ざされた。 2年のドイツ留学の後、アメリカに戻って大学で教鞭(きょうべん)をとりたいと言っていたメアリーだが、その後どうなったであろうか。邂逅(かいこう)と別離。人の世のならいではあるが、一瞬の花火のごとくであった。 往路とは逆に北駅からアムス行きの列車に乗るのだが、終着駅ガール・ド・ノールの暗く重苦しい雰囲気が、寂寥感(せきりょうかん)をいっそうかきたてる。「パリも見納めだな」と、大きく深呼吸し2等車に乗り込むとき、不覚にも涙があふれた。あれほど大きな期待を持って訪れたパリだったが、挫折感(ざせつかん)だけが残った。10年もたたないうちにパリに戻り、年に数回の頻度でヨーロッパを回る羽目になろうとは、このときは知る由もなかった。これもまた運命であろうか。 千葉県:T.D. |
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