も く じ | |
ごあいさつ | 編集顧問:松井 和子 |
「はがき通信」からのお知らせ | |
世界初!電動車椅子サッカー・ワールドカップを東京で開催 | 東京都:H.T. |
新・今昔物語 第三話『日本赤軍のトバッチリ』 | 千葉県:T.D. |
腰折れ俳句 | 熊本県:K.S. |
短歌(2) | 宮崎県:R.S. |
<特集!「車いすの工夫あれこれ」> | |
□私のテーブルの工夫 | 神奈川県:S.K. |
□足操作式電動車椅子 | 北海道:A.S. |
□私の車椅子の工夫 | 千葉県:H.K. |
□σ(^-^)の車いすの工夫あれこれ | Mayumi |
□乗用車のシートを搭載 | 福岡県:Y.I. |
□ロホ・エアークッションの工夫 | 広島県:Y.S. |
□介助者用コントローラー | 東京都:F川 |
□折りたたみ式のかごのテーブル | 東京都:K.N. |
□中古を新車同然に | 東京都:M.I. |
□電動車いすタイヤカバーと“脚上げ機能” | 東京都:T.M. |
□車イス電動ユニット | 佐賀県:K.N. |
ぶぶちゃんと私 | 東京都:N.T. |
旅行記「信州」(中編) | 広島県:M.K. |
2007年社会人1年目♪ 大晦日雑感 | 東京都:Y.F. |
ヒト人工多能性幹細胞(iPS細胞)の樹立に成功—再生医療前進へ(その1) | 東京都:A.Y. |
ひとくちインフォメーション |
「はがき通信」からのお知らせ
1.購読料の振込みのお願い 今年度もまた1月号へ口座番号等を印字した振込用紙を同封させていただきました。年間購読料は1000円です。同封の振込用紙にてお振込みいただきますようどうぞよろしくお願いいたします。 ところで、郵政民営化に伴い、電信振込みの手数料が大幅に値上がりました。3万円未満525円になりました。振込み手数料が高く皆様には大変申し訳ございませんが、頸損当時者が会計担当ということでご理解いただき、ネットバンキングと通帳で管理のできる現状の振込み方法のみで今後ともよろしくお願い申し上げます。 以下に525円より振込み手数料が安い方法を記します。ただし、ゆうちょ銀行総合口座通帳(旧郵便貯金通帳:以下「通帳」)を持っている場合に限られます。 ①振込用紙に記入して届出印を押し、通帳もしくはカードを持参して窓口へ出す。(140円) ②ATMで通帳もしくはカードで振込む。(平成19年10月1日から1年間のキャンペーンで無料) ③ゆうちょダイレクト(110円) ゆうちょダイレクトの利用には、ゆうちょ銀行の総合口座または振替口座を持っていることが条件で、近くのゆうちょ銀行・郵便局の窓口またはメールオーダにて申し込みます。 申込み手続きが完了すると、サービスの利用に必要となる「利用者カード」等が送られてきます。申込み時に希望した各サービス(電話を通じた音声案内による「テレホンサービス」、専用のWebサイトで提供される「インターネットサービス」、携帯電話各社のネットワークサービス上で提供される「モバイルサービス」)で利用ができます。 そして、ご本人が通帳をお持ちでない場合、ご家族の通帳からの振替でもかまいません。その場合、後日必ず会計担当の占部さんまで「購読者名」のご連絡をお願いいたします。 また、新しい振込用紙には通信文欄がありません。購読料か寄付金かの内訳のご連絡もしていただけますと、会計管理がスムーズにいき大変助かります。メール・FAXを歓迎いたします。 [会計担当:占部] E-mail: makkoti_1007_u@ybb.ne.jp 2.購読料未納のお知らせ 今号では振込用紙の同封と合わせて、「はがき通信」購読料の未納額をお知らせいたしますのでよろしくお願いいたします。帯封(おびふう)の「未納年数:」の後に数字を印刷してお知らせしてあります。たとえば、「未納年数:2」というふうに表示してあれば、2は2年間未納という意味です。1の場合、昨年の1年間未納だったという意味です。 前年度もお知らせいたしましたが、2年以上購読料を未納の方は時期をみて発送を停止させていただくこととなりました。しかし、購読を希望されていて購読料を納めることが諸事情で難しい方は、発送停止される前に「はがき通信」スタッフまでその理由を添えてご連絡いただきますようにお願いいたします。スタッフ会議にてご検討させていただきます。 「はがき通信」は、年間購読料1000円(年6回発行・1冊あたり約166円)で運営されております。また、さらなる誌面の充実を願われてご寄付されたありがたい寄付金が、購読料を納付されない方の購読料の補填(ほてん)になっている現実も否めません。どうかご理解いただければと存じます。発送停止後に再度購読を希望される方は、新規にお申し込みください。 しかし、寄付金や購読料の多少にかかわらず、購読者すべての皆様のおかげで「はがき通信」は続いております。それは「はがき通信」スタッフの励みです。今後も皆様の期待に応えてがんばっていきますのでどうぞよろしくお願いいたします。
世界初! 電動車椅子サッカー・ワールドカップを東京で開催
「電動車椅子サッカー」を皆さんはご存じでしょうか? 世界で初めての電動車椅子サッカーのワールドカップ 、「第1回 FIPFA ワールドカップ 2007」が日本電動車椅子サッカー協会主催により東京で10月に開催されました。世界的には「パワーチェアフットボール」と呼ばれていて、2005年には国際電動車椅子サッカー連盟(FIPFA)を設立しました。 試合は、ゴールキーパー1名を含む4名の電動車椅子に乗った選手で構成されたチームにより、体育館のバスケットボールコートを使用して、前後半20分で得点を競い合います。運動機能の制約が比較的に大きい重度の障害を持つ方々でも、数少なく残された機能の「手・足・顎」などを使って電動車椅子の操作をすることにより、性別や年齢を問わず誰でもプレーできます。中には、人工呼吸器をつけている選手も活躍しています。電動車椅子前部には、金属など硬質な材質のフットガードを取り付け、通常のサッカーボール(5号球)の約1.5倍の直径32.5cmのボール(国内試合は2007年度まで直径50cm球使用)を蹴り、パスやドリブル、そしてシュートをします。 <図1> コート図 <写真1> フットガードを装着した電動車椅子 <写真2> 左から、①5号球 ②32.5cm球 ③国内使用50cm球 W杯で競技に使用する車椅子のスピードは、国際統一ルールによって10km/h以下となっていますが、日本国内での大会では6km/h以下でプレーされています。試合開始前には、選手全員が審判員によるスピードチェックを受けます。 基本的なルールは通常のサッカーのものと変わりありませんが、フットサルと同様に自由に選手交代ができます。また、「2on1(ツーオンワン)」という独自のルールがあり、ボールをキープしている選手の半径3メートル以内で、2名以上の相手チームの選手(A・B)がボールを奪いにいこうと動き出した時点で、「2on1」というファールになります。このルールの適用によりボールがスムーズに動き、選手が団子状態にならずにゲームスピードが格段に向上しました。 <図2> 2on1ルール図 パワーチェアフットボールは、1978年フランスで重度身体障害の学生のために「仏式電動車椅子サッカー」が考案されたのを初めとし、それとは別に、1979年カナダで独自のルールによる「パワーサッカー」が考案されました。 日本では、1982年にO市身体障害者スポーツセンターに勤務していたY氏(現協会顧問)によって、USAやカナダなどで行われていたパワーサッカーをヒントに考案されたのが始まりです。日本各地にチームが誕生していく中で、1995年に「日本電動車椅子サッカー協会」を設立しました。各地域ブロック協会を組織し、2007年度現在34チーム(会員334名)が登録しています。各地域ブロック予選を勝ち抜いた16チームよる「日本電動車椅子サッカー選手権大会」を主催するほか、各地域ブロックでも独自の地域大会が毎年定期的に行われています。また、普及活動にも力を入れ、2001年にはイングランドへ代表団を派遣し、この競技がまだプレーされていなかった「サッカーの母国」へ伝えるとともに、プレミアリーグ名門のアーセナルでも講習会を開催しました。 さて、第1回となる電動車椅子サッカー・ワールドカップは、10月9、10、12、13日の4日間で行われました。出場国は、ベルギー、デンマーク、イングランド、フランス、ポルトガル、USAと日本の7ヶ国で、それぞれ8名の代表選手を選出し、7ヶ国の総当りで1〜7位の順位を決め、上位4チームが最終日の決勝トーナメントへ進めます。決勝トーナメントはリーグ戦1位と4位、2位と3位の準決勝となり、その勝者が決勝戦をおこないました。 日本代表チームのリーグ初戦は、ヨーロッパの強豪・ベルギー代表。3−0で大事な開幕戦をものにしました。同日にデンマーク代表とも対戦し、4−0で勝利し2連勝と幸先の良いスタートを切りました。 大会2日目は山場となりました。1試合目はイングランド代表と対戦。激しいタックルを得意とするチームでしたが、チーム一丸となって4−0の無失点で勝利しました。2試合目の対戦はUSA代表。実はこのW杯開催の1週間前にUSA代表は事前来日し、日本代表を含む有志チームと親善試合をおこなっていました。結果は1分1敗。事前に対戦しデータなども揃っていましたが、パワー溢れるUSA代表のプレーの前に0−2で敗れました。 <写真3> 開会式の様子 <写真4> 日本代表vsイングランド代表(14番がT選手) 休息1日を挟み、疲れを癒して臨んだ大会3日目は、日本代表はやる気がみなぎっていました。USA代表との試合に敗れた夜、宿舎で緊急ミーティングを開き、チームの意思を統一したからです。その結果、1試合目のポルトガル代表には7−0で快勝しました。2試合目は、優勝候補といわれているフランス代表と対戦しました。しかし、電動車椅子の充電のトラブルなどから、主力を温存せざるを得なかった日本代表は0−5で敗戦しました。リーグ戦は結果3位となって、決勝トーナメントへ駒を進めました。 翌日、準決勝の相手は、リーグ戦2位、昨日と同じくフランス代表でした。お互いに力を出し切り、迎えた延長後半2分、豪快なシュートからフランス代表が1点をもぎ取り、そのまま試合終了となりました。 同じくもうひとつの準決勝は1位USA代表vs4位ベルギー代表。こちらは3−0でUSA代表が快勝し、決勝戦はUSA代表vsフランス代表となりました。 日本代表は3位決定戦へまわり、ベルギー代表と対戦しました。延長戦でも1−1のまま決着がつかずPK戦へ。お互いに1回ずつ外し、サドンデス2本目で日本代表はPKを外し、結果4位となりました。 決勝戦では、USA代表とフランス代表はお互いに1点ずつ決めたが、延長戦でも決着がつかずPK戦へ突入。サドンデスでフランス代表のPKが止められました。 第1回W杯の初代王者はUSA代表。準優勝フランス、3位ベルギー、4位日本、5位イングランド、6位デンマーク、7位ポルトガルとなりました。 今後は、障害者スポーツとして、世界的にもっとも有名なパラリンピックでの正式種目になるためのステップとして、2012年ロンドンパラリンピックの公開種目になることを目指して世界でさまざまな活動を続けています。 ●日本電動車椅子サッカー協会 http://www.web-jpfa.jp/ ●第1回 FIPFA ワールドカップ 2007公式サイト http://web-jpfa.jp/wc/ ●モバチュウ(全試合無料で見られます・VOD配信) http://www.i-project.jp/stand/mobachoo/w-cup/ 東京都:H.T.(日本電動車椅子サッカー協会常務理事) 新・今昔物語 第三話『日本赤軍のトバッチリ』
今は昔。 (承前)しこたま酒をくらってもさして酔うこともなく、手術に際しては追加の麻酔薬が必要になるという「特異体質」がたたってか、初めてのハシッシは全く効かなかった。 それにしてもオランダというのは、ケッタイな国である。街にはコーヒーショップという店があるが、喫茶店はコーヒーハウスという。ならばコーヒーショップには何を売っているかというとハシッシなどの大麻類だ。すなわち一般成人がドラッグを入手しようと思えば簡単に購入することができるのがこの街だ。 よく知られている「飾り窓」だってわれわれにはちょっと理解しにくい。ダム広場の王宮の対面にクラスナポルスキーという由緒正しいホテルがあるのだが、その裏手一帯が「飾り窓」である。女性が身体を元手に商売するのも商売には違いないのであるから、公に認めてしまおうという発想である。後年、受傷の前年のことだが、長女、次女、長男の3人をヨーロッパに連れ出したことがある。「何でも見せてやろう」とばかり社会の表も裏も連れて歩いたのだが、この「飾り窓」も案内した。長女と次女が興味津々のまなざしを向けていたのに比べ、20歳を超えたばかりの長男が、怒ったような顔つきで正面を向いて歩いていたのが面白かった。 件のカメラマン君だが、だんだん親しくなるにつれアパートに誘うようになった。ペンションなんてもったいないからウチにきなよと、ある時シナをつくった。「なにっ、おまえホモかよ」、こんなウラナリ野郎のケツなんかほらされてたまるかと、金輪際、ダム広場に近づくのはやめてしまった。 ライクス・ミュージアム(国立博物館)の館長さんとのアポイントは4日目となった。レンブラントやフェルメールなど、有名な絵のオリジナルがここでは観られる。学芸員の女性がざっと館内を案内してくれ、館長とはレンブラントの『夜警』の前でお会いした。博物館の役割や収蔵画についてなど、ひととおりのレクチャーを受け、大きな『夜警』の前で記念写真をパチリ。これで今回の旅行のノルマは終了である。 周辺は広大な公園になっており、有名な劇場であるコンセルト・へボーを回ってレンブラント広場へ。公園を囲むようにレストラン街がある。 ここでちょっとオランダの食事について触れておく。オランダといえばフランスの隣だから、さぞかし食べ物もうまかろうと思われるだろうが、家庭料理の域を出ない。唯一私が太鼓判を押せるのは海鮮料理である。レンブラント広場の南側にシーフードと大書した看板のレストランがあるが、ここの白ワイン蒸しムール貝は絶品だ。毎年秋になると現地ではマッセルと呼ばれるムール貝が解禁となり、この店ではバケツみたいな大きな容器に山ほどのてんこもりで供する。白ワインをぐいぐいやりながら、最初こそナイフとフォークでお上品に食べてはいるが、そのうち面倒くさくなってきて腕まくりして手で食べる。後年、秋になるとこのためにわざわざ仕事を作って、アムステルダムへ通ったくらいである。 この街の締め括りはアンネ・フランクの家だろう。今でこそ周辺の建物を買い取り、壁に通路をブチ抜いて博物館のように広大な施設になってはいるが、当時はフランク家の居住区域は、天井裏への急階段を窮屈な思いで上り下りするような塩梅だった。アンネの一家は言うまでもなくユダヤ人である。テルアビブの空港乱射事件では日本赤軍によって多くのユダヤ人が殺害された。ヨーロッパにおいても連日のようにニュース報道はされていたが、なぜ日本人がユダヤ人を殺さねばならないのか、両者の接点はどこにあるのかなんて記事がまじめに取りざたされていた。 ごく一般的に言って、ユダヤ人には親日的な人が多い。欧米社会では日常的に差別にさらされるユダヤ人も日本で差別されることはまずない。われわれ日本人にとっては、イエス・キリストも彼を裏切ったユダも生活に密着した存在ではないからだ。「仏教」に相対峙するのは「その他の宗教」でしかない。この段階ではまだ、アムステルダムに多くのユダヤ人が居住していることなど気にも止めなかった。 パリからアテネまでは航空券をきってもらっていたので、アムステルダム=パリ間は列車で移動することにした。それも特急なんぞではなく各駅停車みたいなのがよい。それにしてもヨーロッパの終着駅(ターミナル)って、どうしてこうも重量感があるのだろうか。プラットホームに立つと高い天井、総てのホームを見渡せる広大な空間、まるで大伽藍(だいがらん)の中に1人たたずんでいるような喧騒と虚無感に包まれるのである。人生の節目節目に出くわす出会いと別れ、興奮とむなしさが混然となって重くのしかかってくるかのようだ。 ヨーロッパの鉄道には、日本のような1分1秒を刻む正確さはない。「次に○番線に入る電車は……」なんていうアナウンスもなければ出発のベルもない。すーっと入ってきてすーっと出ていく。しかも時間はいいかげんだ。常に車輌に書かれた行き先を注意して見ていないととんでもないところに連れていかれる。 目的の列車が入ってきた。何やら横っちょに書かれているが「パリ」という文字が確認できた。急いで乗り込む。中はコンパートメントになっていて、とりあえず無人の部屋に入ってキスリングを棚に放り上げる。列車はすぐに市街地を抜け田園地帯にでた。どこまでいっても牧場である。 ベルギーとの国境辺りであろうか。車掌が入ってきて切符を見せろと言う。ポケットから取り出して渡すと、なにやらブツブツ言い出した。さらにパスポートを要求する。羽根をむしられた鶏のような風貌のこの車掌は、おのれの言葉に感情を増幅されるかのように、見るみるうちにテンションを上げていく。そして老いさらばえた雄鶏が鬨(とき)の声を上げるかのごとく叫んだ。「出ていけ」と。何がなんだかさっぱり分からない。車掌は顔を真っ赤にして、犬でも追っ払うような仕草をした。 とりあえず別の車輌に移って様子をうかがったが、車掌が戻ってくる気配はない。小1時間もたったであろうか、列車はパリに近づいた。意を決して車掌室を探す。雄鶏はすぐに見つかった。パスポートを返せと迫ると、まだブツブツとなにやら言っている。こうなったら実力行使である。頭から日本語で「この泥棒野郎」と怒鳴りつけてやった。 千葉県:T.D. 腰折れ俳句
初富士やそは静けさを生むところ 謎ひとつ解けてまた謎おらが春 音が好き匂ひが好きで落葉焚 陽当たりぬ室咲(むろざき)抱(いだ)き来るひとに 忙しくありますやうに初詣 ※ネズミの絵もSさん作 熊本県:K.S. 短歌(2)
父母のする夫婦喧嘩の傍らに われゐてわれもそれに加はる 夫婦喧嘩は犬も喰わないと言いますが、かつてわたしの家で飼っていたマルチーズは父母の夫婦喧嘩がはじまると隣の部屋へ逃げて行くのでした。 わたしも歩くことができるならばマルチーズ同様にその場から静かに逃げ去りたいのですが……。 尤も母曰く夫婦喧嘩は父とのコミュニケーションのひとつであるとか、レクリエーションなどと嘯(うそぶ)いています。(笑) 宮崎県:R.S. |
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