はがき通信ホームページへもどる No.104 2007.3.25.
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 <特集> 頸損腹? ガス溜まり? 麻痺性イレウス? 


 向坊さんが亡くなられる直前、「はがき通信」98号に、「頸損腹はきついよ」という一文を寄せられている。腸の働きが弱くなり、排便、排ガスがスムーズにいかなくなり、腹部膨満と吐き気など不快な体調に悩まされる状態を「頸損腹」と呼んで、頸髄損傷者にとって大切なテーマであると指摘されている。向坊さんご自身が当時「大変な毎日」と書かれている。吐き気とげっぷに悩まされる状態はおそらく、癌の進行に伴う腹水とも重なり合ってそうとうにお苦しかったに違いない。その中で彼は、加齢とともに悩みの種となる「頸損腹」を工夫によって乗りきろうと呼びかけている。彼は、「はがき通信」に投稿される多くの頸損者が「ガス溜まり」を共通の特色とする腹部膨満と排泄不調を抱えていることをよくご存じだった。
 私も長い間「頸損腹」に悩まされてきた。しばしば私のお腹は妊娠7〜8ヶ月ぐらいの膨満状態となる。2006年にはその最終局面かとも思われる経験を3度した。今年はこうした事態を回避する自己管理の方法を見出したい。私の「頸損腹」報告である。

[ガス溜まりとガス抜き]
 私は体重35〜39kgで痩せているほうだが、腹部のみは豊満かも知れない。正体はガスである。自力でおならは出ない。お腹がガスでせり出すように膨らんでくると脚部も突っ張りだし苦しくなる。このガス対策として私は手っ取り早く物理的に抜く工夫をしてきた。「ガスコン」などガス抜きの薬や温湿布はほとんど役に立たない。まず左側臥位(横向きの姿勢) をとり、胃部を押して胃に溜まった空気を押し出すようにしながら努力してわざとげっぷをする。3回ぐらい繰り返す。少しでも空気が抜ければ楽になる。さらに、ナースかヘルパーに頼み、摘便の要領で肛門を少し押し開けるように空気の通り道を作ってもらいながらS字結腸から直腸に溜まっている空気の固まりを押し出すように腹部を強く押してもらう。コツがいるが慣れればかなりガスが抜ける。便汁を伴うこともある。うまくいけばお腹がすっきり平になる。グリセリン浣腸による排便のときもまずガスを抜いてから取りかかると比較的スムーズに排便を達成できる。ガスが詮をしている場合が多いからである。

[麻痺性イレウス] 
 ところが、昨年の1月、この状態がにっちもさっちもいかなくなる経験をした。1度目のイレウスである。胃部も授乳後の赤ちゃんのようにぽっこりと膨らみ、お腹も臨月状態、げっぷをしようとすると吐き気がくる、という状態になった。いつものガス抜きもうまくいかない。そこでナースは排ガスと排便を目的にグリセリン浣腸を試した。使用したグリセリン液は110cc。ところが、直腸出口に溜まっていた便汁がほんの少し出ただけでグリセリン液も出てこない。ウンともスンともいわず腹部膨満はすすむばかり。ついに嘔吐が来た。冷たい水を飲めばすっきりするかと思い、水を口に含んだ途端さらに嘔吐。聴診器をお腹に当てたナースは「腸が動いていない」という。これは完全に胃と腸がストライキを起こしている! ちょっとあわてた。そこでホームドクターにSOSを入れた。往診まで2時間かかったがその間この状況に変化はなかった。医師は、聴診器で確認して、「多分これは麻痺性イレウスですね」といった。麻痺性イレウスとは、腸管の運動機能麻痺によって腸管内容物の通過障害がおこる病状のことである。
 そこで、対応は、経管栄養補給に使う胃管チューブを肛門からガス塊があるあたりまで挿入し、お腹を押してまずガスを排出することから開始。やがてグリセリン浣腸液と混ざり合った便汁もチューブを通って排出され、次いで泥状便も出てきた。押すだけでは出なくなったとき、管に装着した注射器で吸引して泥状便を出せるだけ出すという対応となった。吸引によって腸壁に負荷をかけないように1時間くらいかけてゆっくりと出す。お腹がかなりへこんで、聴診器で腸の動く音も少し聞こえるようになったとき、吸引を停止。次の処方として、胃腸の働きが弱いため、吐き気止めでもあり、胃腸蠢動(しゅんどう)剤でもある「プリンペラン」という薬剤10mgを静注し、まる1日絶飲食で補液点滴することになった。ラクテックという電解質主体の補液剤の点滴をセットして医師は帰った。その後12時間かけて1,500ml点滴。プリンペランのせいか1晩に5回ほど便失禁があった。
 1日絶飲食、便失禁5回、排尿700ccと差し引き脱水にならない程度にバランスといえようか。医師は、「お腹を空にして胃腸を徹底的に休ませてリラックスしてください。よく眠るようにしてください。睡眠薬服用はOKです」といった。餌をやらなければ胃腸は働かない。自律神経が崩れ、ストレスで弱りきった胃腸を徹底的に休ませる・・・か。ウム納得・・・。1日半絶食した後最初に飲んだポカリスエットはおいしかった。お粥から徐々に食事を再開。絶食から3日あけてグリセリン浣腸で排便を試みた。スムーズに便が出た。しかも、5回も便失禁し、絶食し、お粥程度しか食べていないのに、どこに隠れていたのか予想外に大量の便が出たことにナースは驚いていた。恐らく、腸が自然な機能を取り戻したことで、残っていた便や宿便が直腸まで運ばれたに違いない。これで万事OKとは行かなかった。
 2度目のイレウスが春の季節の変わり目にやってきた。再び臨月状態のお腹を抱えてホームドクターのお出ましを願った。手順は前回と同様だが、再検討事項は3点。(1)胃管チューブでガスや便汁、泥状便を可能な限り排出し、プリンペランは使わない。絶食と点滴だけで行く。強制的に胃腸を働かすことはそれ自体ストレスをかけることになる。ダラダラと便失禁が続くと度重なるその後始末で体動痛が増悪する。仙骨部の褥瘡にも悪影響がでる。これらを避けたい。(2)腸内に滞留する泥状便はガスを発生させやすいので、それまで服用していた酸化マグネシウム(カマ)を止めてみる。それまで便秘対策として便軟化剤のカマを真面目に服用してきた。たびたび「巨峰」のような硬便が栓をする便秘に悩まされていたためである。しかし、かといって必ずしも排便が楽になったわけではない。確かに酸化マグネシウムの副作用には麻痺性イレウスがあげられている。(3)その代わり整腸剤(例:ラックビー、ビオフェルミンなど)、胃腸薬(例:FK散など)を適宜利用する。(2)、(3)はその後の改善要因となったが、油断するとガス溜まりに難儀することになる。
 3度目は、残暑厳しい8月末から9月の始めであった。排泄のリズムも狂っており、冷たい飲み物を一気呑みすることが多かったせいかもしれない。車イスに座位を取るどころではなくベッド上での座位も辛いほどガス溜まりが大きくなり始め、妊娠7〜8ヶ月状態であった。このときは医師を呼ばずに自分で対応しようと試みた。
 まだ腸が動く音は聞こえ、吐き気はなく、水分を飲める状態の段階で絶食に入った。こまめにヘルパーにガス抜きをしてもらった。ポカリスエットのお湯割りと温いお茶、水を交互にいい加減に飲むだけにした。整腸剤のラックビー(1g)を1日3回服用した。胃管を常備していたが、その世話にはなりたくはなかった。1日絶食し、睡眠薬を増やしていつもより長時間眠ることで、お腹は平になった。翌日はハーゲンダッツのアイスクリーム半カップでのカロリー補給から始めた。お粥やうどんなどお腹に優しそうなところから少しずつ食事再開である。翌日の排便は、スムーズに運んだ。
 脊損は自律神経がこわれており、特に頸損では交感神経と副交感神経のバランスの崩れは強く現れる。その上加齢やストレスによって副交感神経の働きは弱くなり、消化器官の働きも弱くなる。頸損腹はその結果でもあろうか。麻痺性イレウスはその極致かもしれない。窮地を脱するための手の1つは、薬など使うよりも単純な物理的な方法でガスや便汁を排出させ速やかに上昇した腸管内圧を除圧してストレスをとること。とりあえずは胃管チューブを用意しよう。ガス抜き用ネラトンカテーテルというのもある。その2は、絶食して胃腸を徹底的に休ませる。ということになるかもしれない。そしてなによりもリラックスだろうか。
 

東京都:Y.A.



 <特集> 花粉症に効く薬 


 こんにちは! 今年は暖冬でほんとうに暖かいですね。雪深い地に住む私は大変喜んでいましたが、おっとどっこい! 花粉が例年以上に早く飛び始め、花粉症の私は2月に入ってからうんざりです。
 花粉症の要因となる植物は、スギ以外にヒノキ、ヨモギ、ブタクサ、イネ・・・といろいろ種類があります。受傷前から花粉症はあり、私はブタクサ、イネの反応が強いようで、春よりも秋に花粉症状が出ていました。それが受傷後、食べ物アレルギーと共にいろんな花粉やハウスダスト、動物と反応が出るようになり、365日アレルギーの薬「エバステル」を服用しています。大好物の「うに」が食べられなくなったのは大きなショックで、死ぬ2時間前におもいっきり食べよう、と思っています(笑)。
 医師からは、「花粉症にしては珍しくスギ反応がありませんね」と言われていたのに、今では体内のスギ花粉対応許容量満タン状態です。今の住居環境がスギやヒノキに囲まれているから仕方ないと言われました。鼻水、鼻詰まり、くしゃみ、咳、涙から始まった春のスギ花粉症状(鼻詰まり点鼻薬は何種類か試してみましたが、私には「トーク」が合うようです)。
 それが4年前、口の中のすごい痒みで夜中に目覚め、それ以来、皮膚、目、耳、鼻、喉、口の中の舌、歯茎まで痒みが伴うようになりました。目には朝晩、点眼薬「リボスチン」を点しておけば、何とかしのげますが、他については痒み止め「ポララミン」を服用すると異常な睡魔に襲われ困ったので、すぐ止めました。「冷す」か「我慢」しかありません。
 この痒みは、例年4月の約1ヶ月間だったのにもう症状が出ています。人の出入りや、窓を締め切っていても強い風が吹いた時、外出した夜は症状がひどくなります。痒みでおもいっきり掻けないのと、たらーっと勝手に流れて来る鼻水を思うように拭けないのは辛いです。
 

広島県:M.K.



 <特集> 「軍足」のススメと「爪水虫」の治療法 


 頸損の場合、どうしても足の指と指の間がくっつき、入浴時の水気の拭き取り不足、汗、また蒸れなどから足指の股の皮がふやけて垢のようにむけやすい。水虫の温床ともなる。私も長年、いろいろなものを試してきたが、最終的にたどりついたのが5本指の「軍足」。
 とにかく、安価なのがいい! 作業着などを売っているワークショップで、10足くらいまとめ買いをするとお得。女性的には見た目はあまりカッコよくはないが、私は家では1年中愛用して履いている。綿なので湿気や水分も吸い取るし、安いので何度でも洗ってヨレヨレになれば、惜し気なく捨てられる。愛用し始めてから、足指の股の皮はまずむけたことはない。
 しかしながら、私はいわゆる“爪水虫”を10年以上、足の指の爪に棲まわせている。復職中に毎日ストッキングを履いていたせいもあるのか、いつの間にか爪に白癬菌(はくせんきん)が感染してしまっていた。治そうと思ったが、服用薬の副作用でめまいが出てしまいやめてしまった(爪の白癬菌は外からの治療だけでは治らないとのことで)。それ以来、爪はぶ厚くもろけやすくて汚いが、爪の周辺がジュクジュクすることもなく、それこそ痛くもかゆくもないので「まっ、いいか」と棲まわせ続けている。家族にうつることもない。マヒをした足は水虫ができやすく、また治りにくいそうだ。褥瘡と同じね。
 最近になって、なぜか治せるものなら治したいと思うようになり、現在、服用している薬や肝機能の問題から薬は極力飲みたくない。もし、皆さんの中で薬を服用せずに“爪水虫”を外部薬だけで完治された方がいらっしゃいましたら、ぜひ情報をお寄せください。よろしくお願いいたします。 

編集委員:瀬出井 弘美



 <特集> 『痛みと麻痺を生きる』が教えてくれたこと 

C5損傷20年、58歳♂

 私の一日は、痛み対策に始まり痛み対策に終わる。日中だけではなく、夜中も痛みで目覚めるたびに体位交換してもらう。背中全体に「しびれ痛」があるのだが、とくに左の肩胛骨から上腕二頭筋にかけてはひどく痛む。痛みさえなければもっといろいろなことができるのだがとなにかにつけて思う。
 何か解決の糸口を見つけられないものかと『痛みと麻痺を生きる——脊髄損傷と痛み——』(脊損痛研究会、日本評論社)を読んだ。日本せきずい基金と脊損痛研究会が、2003〜4年に6000人の在宅脊髄損傷者に対しておこなったアンケートをもとにして書かれた本だ。脊損の75%に痛みが発症し、全体の26%が生活に支障をきたすほどの痛みに苦しんでいる。あまりの痛みに耐えかねて自殺におよぶひともいる。にもかかわらず医師にまで「麻痺しているのだから痛くないはず」といわれるほど世間の認知度は低い。そこで障害者の生の声をぶつけて問題提起をしようというのが本書の趣旨だ。

◇専門用語から逃げない姿勢
 第Ⅰ部は脊髄や痛みに関する総論。ここで私は、長年わからなかった「痙性(けいせい)」と「痙攣(けいれん)」の違いがわかった。《筋肉が不随意に緊張して屈曲伸展を来たし、コントロールできなくなる事態が起こるのが痙縮または痙性である。痙性麻痺ともいわれる。(中略)全身がいきなりそり返ったり、上肢がつっぱったまま固まるということもある。下肢のつっぱりが多い。》いっぽう「痙攣」は、筋肉がこきざみに不随意の収縮運動を起こしブルブルふるえることだという。それなら大きいのが痙性で小さいのが痙攣、といっていいだろう。自分を例にあげれば、指がピクピクしたり腹筋がブルブルふるえるのは痙攣、夜中に足がガクンとつっぱって眠りをさまたげるのが痙縮だ。
 話は少しそれるが、「痙性」はもともと形容詞ではないだろうか。「痙性麻痺」は「弛緩性麻痺」の対語のはずだ。激しい症状を見て「痙性麻痺者が痙攣を起こしている」というべきところをはしょっているうち「痙性が起こった」という妙な表現になってしまったのではなかろうか。痙縮というべきだろう。
 薬品名・手術名など専門用語もたくさん出てくる。いいことだと思う。とかく出版社は「一般書だからなるべく専門用語は避けよう」とする。むつかしい専門用語をわかりやすく解説するのが一般書の役目ではないか。逃げてどうする。障害者と医療従事者はなるべく共通の言語でしゃべるべきだろう。

◇悲痛な叫びのなかの微かな光
 第Ⅱ部「痛みと麻痺を生きる」では、12人の脊髄損傷者(女性7人、男性5人)がみずからの痛み体験を語っている。頸損から腰損まで、事故から病気までと幅広く、女性の声が多いのも脊損関係の書物としては異色といっていいだろう。どの治療履歴も詳細をきわめ、悲痛な叫びに満ちている。この薬もあの薬も効かなかった、あの治療法もダメだったという話が多いが、なかには「効果あり」という報告もあるのでそちらに力点を置きながら「教訓」を読み取っていこう。

 【大きな手術はしないほうがいい】
 成功した、痛みが緩和されたという声を聞かない。たとえばSさん(頭部・頸髄・胸髄21年39歳)は《頸部の負担を軽減させるためという説明のもとに、第1肋骨切除、斜角筋切除、鎖骨を削る手術をおこなったが、とくに好転せず。むしろよけいな痛みが残った。》その後胸椎1〜2番の硬膜外と後頭部に麻酔薬を注入する手術をおこなったが、感染症で髄膜炎になり、2度めの脊髄損傷を負う。痛みが悪化しただけでなく鎖骨から下の皮膚感覚がなくなり、歩行に装具が必要となった。あろうことか医師は自分の手に負えないとみるや、「働きたくないから歩けないフリをしている」と怒鳴りつけた。すっかり医療不信に陥る。
 Iさん(腰髄20年55歳)もドレッツ(知覚神経が進入してくる脊髄後角部分の神経を焼き切って痛みを断つ)という手術をすすめられ実施したが、痛みは変わらず感覚だけがなくなる。さらに脊髄電極埋め込み、大脳皮質電気刺激法などの手術を受けても効果なく、脊髄切断手術まで受けたが、完全麻痺になっただけだという。
 痛みや痙縮に悩む患者に対していともかんたんに「神経を切ればいい」という医師がいる。Y厚生労働大臣にかぎらず男は機械が好きで、どうも体を機械にたとえたがる。神経を電線にたとえるのはわかりやすい比喩だが、神経は銅線ではない。生命は機械のように単純にはいかない。

 【劇薬は副作用がひどい】
 私も以前「はがき通信」などの情報から主治医(内科)にMSコンチンの処方を申し出たことがあるが、「あれは末期癌の患者さんに処方するものだ」と断られた。モルヒネだから副作用が強いのは当然だろう。

 【抗鬱(こううつ)剤は有効だが副作用も】
Sさん(頸髄16年45歳)はペインクリニックや精神科で多種多剤の抗鬱薬を試したが、ある程度の除痛効果が得られたものの、体重増加や便秘などの副作用に苦しみ減薬したそうだ。それでも「リボトリールは少し有効かもしれない」という。M氏(胸髄・腰髄11年56歳)は、生命科学者柳澤桂子さんの痛みをなおしたクリニックで抗鬱剤治療を受けたところ痛みは4分の1まで低減したという幸運なひとだが、このひともリボトリールが効いているようだといっている。

 【東洋医学や気功は成功例が少ない】
 Hさん(頸髄16年46歳)は、ハリ治療を試したことがある。そのときだけは楽になるが、すぐ元にもどるのでやめてしまったという。だがアンケートの中には、リハビリと鍼灸・マッサージで痛みが最大時の1割まで減少したという劇的な答えもあるから一概に否定はできない。

 【効いた薬】
 H氏(頸髄24年45歳)は、ボルタレン座薬が効くという(ただしこの薬で胃潰瘍になったというひともいるから用心しなければならない)。氏はデカドロン・キシロカイン・アルツ1Aのミックス注射は抜群に効いたが3日で無効になったとも報告している。さらに氏は《「経験者の話」というのが非常に参考になった。アドバイスがなければ、間違いなく薬物依存症といったような悪い方向へ転落していただろう。》と述べている。
Uさん(脳挫傷・頸髄16年43歳)はバイク事故でひじに幻肢痛があったが、眠剤(トフラニールやアナフラニール)で楽になった。
Qさん(頸髄12年46歳)はリンラキサーが痙縮を抑えるのに効果があるという。《アルコールも適量は身体の緊張を緩和するのによいと思う。》ただしテレビを見てボーッとしているとよけい痛くなる。薬品ではないが、「なにかに夢中になること」を薦めるひとは多い。
K氏(胸髄6年52歳)は「魚の活け造り」のような激しい不随意運動に悩んでいたが、バクロフェン髄腔内注入治験を受けたら激しい痙縮はおさまったという。
 体温計のような「痛み計」がないかぎり痛みは数値化、客観化できない。仮にあったとしてもひとりひとり体や環境は異なるのだから確実に効果のある医療はむつかしいだろう。だが、われわれが日頃から自宅でできる対処法もある。みんなが口をそろえるのは、十分な睡眠、入浴、暖め、マッサージだ。痙縮と寒さは大敵。これらに共通するのは「血行」ではないだろうか。私はここ半年ほどペインクリニックにかかって神経ブロックをしている。痛みの強い部分の近くにキシロカインなどの麻酔薬を月2回注射する。以前にくらべて痛みは2〜3割減ったように感じている。
 

編集部員:藤川 景



 2人介助 


 「1人では危険だから2人介助者を連れてきてください」と言われるようになってきた。Kの重度化が進んだのだろうか? 「私は資格を持っていないので何かあったら責任が取れないので・・・」と。59年間、1度も「何か」は無かった。「何かがあったら・・・」は、言い訳に過ぎない。多くの障害者が同じことを言われて、大切な人生をむなしく過ごした。障害者側が何か言っても良いのなら、何か言っておきたい。
 最初はプールで、一番怠慢で何もしないプール職員に言われた。Kは「カッ」となったが、怒りを抑えた。急に車イスに移乗できなくなってハンディキャブの運転手に頼んだら、事務所から電話がかかってきて「ヘルパーを頼んでほしい」と言った。
 「介助」には「何かあったら責任が取れない」が常につきまとう。結果、人生全体が消極的になる。これは肢体不自由だけではなく、視覚障害者の行動を見ても介助如何によって行動範囲が規定されてしまっている。知的障害者もめったに事故はおきないと言ってもどこにも行けないで、自宅で間食をしてブクブクと太っていく。障害者側が「責任は自分で取ります」と一筆入れれば良いのか?
 「家族はだれかいないのですか?」と言う人も多い。「家族は障害者の世話をする責任がある」と言うのは世界の非常識。家族は関係ない。少なくとも日常の世話をしているのだから、「あなたが来た時はあなたにやってほしい」のよ。何があっても責めないからさ。
 それにしても常識的に考えて「重度」は、(たくさん年金をもらっているのだから)「金でヘルパーを雇うのが常識でしょう」と言う声が聞こえてくる。こわ〜い。
 

東京都:K.M.

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