2005年3月に「外泊許可問題」を「はがき通信」92号に掲載していただいたのですが、その後について報告します。「外泊許可問題」とは、私が利用している療護施設が私の個人計画の外泊を許可してくれない=2004年5月、6月、9月と施設と交渉したのですが、許可は得られなかったというものです。家族同伴ならいいというのですから、呼吸器・吸引という医療的ケアを私が必要としていることがNGの理由のようです。そんなに頻繁なことではないので、施設職員に付き添いをしてもらっての外泊というのもサービスとしてあっていいと思うのですがそこまで手は廻らない、また職員ボランティアという案もありますが、それは認められないとのことです。私には同伴してもらえる家族がいないので、吸引もしてくれる付き添いボランティアを個人的に頼んで外泊したいと主張したのですが、認めてもらえません。
私は一方において自立を望んでいます。これについては個人的に自立生活センター=CILとコンタクトをとって可能性を検討してきたのですが、検討の次の段階はCILの体験室に1泊してみることが必要ということになり、2005年9月になって施設に外泊を許可してくれるよう再交渉しました。自立のためにも外泊が必要であることを訴え、データとして夜間のコールの実績(=就寝時、呼吸器と吸引に関するコールは8月1ヶ月間皆無だった。)とそれまでの外出の実績(=東京までをも含んで、個人計画の外出は9回実施して何の問題も起こっていない。)をつけました。
客観情勢においては、2005年3月にそれまで在宅ALS患者に限定されていたヘルパーによる吸引がALS以外の疾病にも拡大適用が認められました。しかし、施設の回答は「責任」が持てないということでNOでした。「誓約書=事故が起きても一切施設の責任は問いません。」を施設に提出しているので、施設に責任を意識して欲しくないのですが……。
ある人は外泊してしまえばいいと言ってくれますが、外泊準備でどうしても施設職員を煩(わずら)わせるのですから、そういう訳にもいきません。正式に苦情解決システムに載せるくらいしか打開策はないのか? と思いつつ、次の外泊の機会をうかがっていました。
光明は主治医から出てきました。実は、初期2004年6月の時点で「外泊許可問題」を県の福祉サービス運営適正化委員会に上げたのでしたが、その時は計画している外泊までの時間がなくて委員会にはかからず、「主治医の了解」を得たらどうかという委員会事務局からのあっせんを受けて、主治医に相談に行ったことがありました。主治医の答えは外泊自体には反対とは言いませんでしたが、主治医に「責任を持ってくるのか」ということで了解は得られず、結果として外泊を断念したのでした。それから1年半、主治医も私の外泊許可問題を気にしてくれていたようで、2ヶ月1回の定期受診の時々に外泊はどうなったと聞いてくれました。そして2006年1月、具体的計画を持ってきてごらんということになり、3月になって6月上旬横浜での頸損の大会に参加するための計画を持っていくと、「了解書の類へのサインはできないが、当日何かあった時に飛び込む医療機関への紹介状を出してくれる」と言ってくれました。つまり、問題打開のアイデアを提供してくれた格好です。
4月、この主治医の約束を基に施設と再交渉し、「試験的に」という副詞がつくのですが、ついに外泊許可が得られたのでした。主治医から例の紹介状を書いてもらい、6月上旬、私の外出において吸引の実績のある付き添いボランティアを頼んで1泊旅行を実現することができたのでした。発起してからちょうど2年かかりました。といって、2年前との違いは紹介状があるかないかだけであり、そして何事もなく帰ってこられたのでこの紹介状は使わなくてすんだのですから、紹介状はすこぶる形式的です。こんな形式を踏むまで2年間も待たねばならなかったのかと考えると、悔しい気持ちにもなってしまいます。
何故こんな回り道が必要だったのでしょう? やはり、施設という特殊環境が災いしていると考えざるを得ません。施設の管理意識が利用者の自由をどうしても束縛してしまいます。施設には入るものではありません。自立支援法が施行され、今市町村レベルで作成中の福祉計画への国の基本指針においては「新規の施設入所者については最小限にとどめる」となっています。これからは家族の介護力がなくなっても、どんなに障害が重くとも地域で生活する=自立するようがんばって欲しいと思います。
最後になりましたが、横浜の頸損の大会でお世話になった皆さん、ありがとうございました。
2006年8月30日記
新潟県:T.H.
これまで何回か「全国頸髄損傷者連絡会」機関誌において「盲腸ポート」手術のことを紹介してきましたが、今年の4月下旬に私はこの手術を受けました。3ヶ月を経過しようとする現在、まだ途中経過ではありますがその報告をさせていただきます。関心のある方への参考になれば幸いです。
頸損受傷後まもなく44年、この間ずっと便失禁に悩まされ続けてきた私としては、手術を受けてとても満足感を感じています。一人ひとり状況が異なりますし、手術の結果が必ずしも自分の期待していたものとはならなかった人もいるようです。費用の問題もあります。しかし、排便で苦労している頸損者の選択肢の一つであることは確かだと思います。
●概要
・本人情報:男・59歳・1962年受傷・C6(完全)
・病院名及び場所:O市立総合病院(東京都O市)
・手術の目的:
便失禁防止(軽減)、便秘の解消などのために行う手術であるが、私は長年苦しんできた便失禁の軽減(できれば防止)のために手術を受けた。
・手術の内容:
腹部の盲腸の位置に「ポート」(シリコン製の小さな管)を取り付け、排便時にこのフタを開け、ここから直接「腸」に浣腸液を注入し、腸の中の便を肛門より排出する。
・入院日数:12日間(入・退院日含む)
・病室:個室
・費用:60+3(税金)=63万円(保険対象外手術のため全額自費)
●手術が決まるまでの経緯
・N医科大学のT先生に、O市立総合病院において「盲腸ポート」手術を受けたい旨を連絡した。早速日程が組まれて、「O市立総合病院外科のM先生の事前診察を受けてください」との連絡あり。
・後日(指定日)診察及び事前の血液、心電図などの検査を受け、特に問題はなかったので手術を受けることが決まった。
このとき、「例外的ではあるが、必ずしも本人が望む最良の結果でない場合もある」旨率直に話されて、その上での意思確認をされた。私の場合は事前に情報を得ていたし、これまでの便失禁の苦労も長く多大であったので何の迷いもなく手術をお願いした。
●入院前準備
・じょくそうが心配だったので、病院側の了解を得た上で日常使用しているエアマットを持ち込むことにした。
●手術前準備
・前々日(入院日):入院中(手術のことなど)の各事項説明を受ける。
・前日午前中:腸の中をきれいにするために2リットルの下剤を飲む。(これは腸の検査・手術など、腸内をきれいにしたいときに行われているものだそうである)
・前日夜:下剤(錠剤)服用
・当日朝:高圧浣腸
・昼頃:手術(手術は全身麻酔で行われ1時間弱くらいで終わったようだ)
●手術後排便(練習)
・5日目:1回目排便(当初は3日目に1回目を行う予定だったが、胃腸の働きが不活発だったのと、血圧が不安定であったため遅れた)
病院の看護師さんの説明を受けながら、手術で取り付けた「ポート」よりグリセリン浣腸液を注入してもらった。このとき、退院後対応してもらう予定の訪問看護師さんが同席して、私と共に説明を聞きながら実際に見学していってくれた。(とても心強い思いだった)排便は順調であった。
・7日目:2回目排便(入院中排便はここまで)
今回は排便がスムーズではなく、非常に時間がかかった。医師・看護師さんから、浣腸液の量など自分に合ったやりかたを見つけるまでにかなり時間がかかる場合があるので、あせらず気長に続けることが必要だとの話をされた。(長い場合は安定するまでに半年くらいかかる人もいるとのことだった)
・入院中の排便は全部ベッド上で行った。退院後も当面はベッド上の予定。
●退院から現在までの排便状況
・浣腸の回数:1週間に2回
・浣腸液の量などいろいろ試しながら、現在は浣腸液の量80cc。
・排便時間:浣腸液注入後1時間くらい。(日によっては20〜30分くらい幅がある)
・最初は訪問看護師さんに全面的に対応をお願いしていたが、現在は前半ヘルパーさん、後半看護師さんという分担をしてもらっている。(朝ヘルパーさんが帰り、その後に看護師さんが来るように時間調整をしている)
・浣腸日以外の日も看護師さんにより、肛門近くに降りてきている便がないかの確認をしてもらっている。
・1ヶ月弱、ベッド上で行った。現在、取り外し式便座を設置し、リフトを使いそこに座って排便をしている。
・便失禁の状況:
初期の頃、なかなか便が出ずに途中で浣腸液を追加したため、どろっとした多量の水様便が出てしまったことが2度ある。これは方法の失敗であった。
・約1ヶ月後、排便の翌日に手術前と同じような量と形状の便失禁があった。臭いもけっこうきつかった。ただし、3ヶ月近く経過した現在までにこのような形での失禁はこのときだけである。(下痢気味であったときの1度の失禁は除く)
・排便後は肛門の中にスポンジ状の栓(商品名:アナルプラグ)を入れて置くようにしている。夜ベッドに上がってこれを抜くとき稀に、残っていたと思われる柔らかい便が極く少量出ることがあるが、この程度の状況は生活上問題ないと理解している。
これ以外に浣腸した日の午後に、残っていたとおもわれる水様便の失禁が2〜3度あった。これは結構困ったが臭いはあまりなかった。2度目からは紙おむつのあてかたで被害を最小限に抑えることができるようになった。なお、アナルプラグは手術前から数年間使用している。
・いくつか便失禁の例を書いたが、現在は浣腸日以外の日にこのことでの不安は感じないし、当日の午後でも交通機関を使って外出をしている。
・ 紙おむつカバーは手術前も現在も車椅子に乗っているときは常用している。将来これも改善できればよいと希望している。
●「ポート」まわりおよびその周辺の対応
・ポート周りの肉芽状の部分からは現在でも浸出液が出ているが、その量は少し減りつつあるようである。入浴時はガーゼをはがしシャワーで洗い流し、その後処置をしている。
ガーゼ交換は日曜日以外、毎日行っている。これらの対応は訪問看護師さんにお願いしているが、指の動かない状態の頸損者が自分でするのはかなり難しいように思う。
●手術をしたことへの総合的感想
・以前は下剤、摘便、浣腸を併用してできるだけ電動車椅子での生活時間を確保し、いろいろな日常活動に対応することに苦心してきた。それでも週に何回も便失禁があり、生活上および精神的負担は非常に大きなものがあった。いくらか自信をもって遠くへの外出ができるのは週に3日位の午後だけという状況であった。(こういう場合でも失敗して辛いことになってしまうことも多く経験している)
現在は生活に支障をきたすような便失禁はほとんど起こらず、交通機関を利用した外出も比較的自信をもって出来ている。自分の時間が増えたことはすごくありがたい。また、便失禁によるただれなどの皮膚に対するダメージの軽減も忘れることはできない。
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※全国頸髄損傷者連絡会・機関誌『頸損』より転載させていただきました。
またT.K.さんにご質問などある方は、「はがき通信」経由でお答えくださるとのことです。T.K.さんへのご質問などは編集委員の瀬出井までご連絡ください。他の方の参考になるかもしれませんので、もし質問などあった場合、質問内容と回答を「はがき通信」へ掲載させていただきますのでどうぞご了承ください。(もちろんQ&Aという形式で匿名にて)
東京都:T.K.