もう一度歩きたい 第2部・リハビリの現実
突然の事故などで不幸にも脊髄(せきずい)を損傷し、車いす生活となる人が日本では毎年五千人もいる。損傷後の治療やリハビリはどうなっているのだろうか。第一部の受傷者の現状に続き、第二部では、治療やリハビリについてリポートする。(山田博文、吉永亜希子) (1)残された機能 最大限 http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyotama/kikaku/054/1.htm (2)「二次損傷」で症状悪化 http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyotama/kikaku/054/2.htm (3)米国流、患者にやる気 http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyotama/kikaku/054/3.htm (4)“奇跡”求め小樽へ 手足まひの泉川さん 桜が満開の三月三十一日、泉川寛助さん(45)は埼玉県所沢市の国立身体障害者リハビリテーションセンター(国リハ)を退所し、府中市の自宅へ戻った。在宅でリハビリを続けていくという選択肢を選んだのだ。 造園職人の泉川さんは昨年六月、トラックの荷台から転落し、第五頸椎(けいつい)(C5)を完全脱臼(だっきゅう)骨折した。手足はほぼまひ状態になった。受傷後数日して、入院先の都立府中病院の医師は「一生治らない、寝たままですよ」と宣告した。「まさか……」。数か月もすれば治る、と思っていただけに絶句した。「医師に治らないと言われれば、患者には希望も何もあったものではない。死んだ方が良かったって、ずっと思ってました」 急性期を過ぎ、九月中旬に国リハへ移った。すぐに次の転院先を見つけておくように言われた。リハビリ施設は不足し、待機者があふれ、どこも三—六か月などの期間を限定して患者を受け入れている。入所期間が長引けば、保険料金が安くなる現在の診療報酬制度が背景にあることは言うまでもない。 泉川さんの当面の目標は、少し動く左手で補助具を使って食事をできるようにすることだった。水曜、土日、祝日はリハビリが施設の都合で休みのため、それ以外の日に午前、午後で計一時間半の訓練を受けた。理学療法士ら訓練担当者が複数の患者を掛け持つのは、国内トップ級の国リハでも当然のことだった。 決して満足のいくリハビリ内容ではなく、泉川さんは「実質は一日一時間もなかったのでは」と当時を振り返る。だが、入所希望者が殺到する国立の施設に「入れただけでも幸運だ」と周囲に言われると、自らを納得させた。不平不満を口にして「それならベッドを空けてください」と言われるのが怖かった。 やがて左手で食事できるようになった。しかし補助具の影響などで手首は外に反り、ひじは「くの字」になった。当面の目標が達成されると、その後はマッサージ中心のリハビリになった。 入所して数か月後、同部屋の男性から「まぶたしか動かなかった重度の脊髄(せきずい)損傷の女性を歩けるようにした人がいるらしい」と聞いた。信じられなかった。いったいどんな人なのか。泉川さんは居ても立ってもいられず、ツテを頼って情報を集めた。 北海道小樽市在住のその人物の元には、病院で「一生動かない、治らない」と宣告された脊髄損傷者が全国から殺到しているという。しかも、医療資格などは持たず、独自のリハビリ内容で患者の期待に応えているらしい。歩けるようになった女性は頸椎の二—五番(C2—5)損傷。泉川さんよりかなり重い。「治る治らないというより、もうそこしかない」。二月にリハビリを申し込むと、「四月十六日から八日間なら可能」との返事があった。 わずかな期待を胸に、介助者と小樽市を訪れた泉川さんを待っていたのは、想像を絶するリハビリ内容だった。 (5)独自の訓練法を考案 「9人が歩行取り戻す」 府中市の泉川寛助さん(45)が訪ねたのは、北海道小樽市で写真館を営む右近清さん(62)だった。親類づきあいをしていた近所の森照子さん(66)が十一年前、自転車事故で頸椎(けいつい)の二—五番(C2—5)を損傷し、医者から見放されたのを機にリハビリ研究を始めた。当時、森さんはまばたきと自発呼吸しかできず、「自殺すらできない」寝たきりの人生が待っていた。 脊髄(せきずい)を損傷すると、ほとんどの医師は「一生動かない」などと告げる。患者と家族らはその言葉に絶望する。右近さんは違った。「無数にある脊髄神経がすべてだめとは考えられない。万に一つの可能性はあるはず」とあきらめなかった。地元の脳神経外科医の助言を受け、書物で知識を得て、独自のリハビリ法を考案。森さんも「何もしないよりまし」と、親類の塚本美子さん(48)の手を借りて訓練を始めた。 元日以外は休まず、一日六—八時間、約百四十種類のメニューをこなし、徐々に目標を高めて体を慣らした。森さんはリハビリ開始から半年で座位が、二年で立つことが出来た。その後も訓練を続け、受傷から四年、ついに自らの意思で足を動かすことができた。森さんは今、松葉杖(づえ)を使いながら歩いている。 二〇〇〇年十一月、右近さんはこの経緯を四肢まひ者のネット情報欄に紹介。現在までに全国から千五百件近い問い合わせが殺到し、百人以上の脊髄損傷者が小樽市を訪れている。その九割は頸椎損傷の重症者という。泉川さんが右近さんを知ったのもこのネットがきっかけだった。 「私のことをいろいろ言う人もいるが、批判は甘んじて受ける。要は患者がどう判断するか。すでに九人が杖などで歩行を取り戻し、もうちょっとの人も何人もいる」。右近さんの口ぶりは自信にあふれていた。 ◎ 今月十六日、右近さんは泉川さんを迎えた。リハビリ場は、森さん宅の約十六畳のリビング。ここで、まひした手足に「動け」という指令を伝達する命令回路をつなげ、知覚神経を呼び覚まし、手足を動かす筋肉を付ける訓練法を伝授する。そのため、事前に「百の設問」を送り、個々にあったメニューを組む。 「リハビリは毎日最低六時間。神経が遮断されているのに、病院のような三十分足らずの運動で動くようになると思います? 他力と自力で『動け』と筋肉に命令を流し、連結する運動細胞を活性化するしかないんですよ。これをあきらめずにやること。あきらめたら終わりですよ」。また、右近さんは「残存機能とは、まひ部にかすかに残る能力。指が少し動くとかね。これを訓練してよく動くようにするのがリハビリで、動くところばかりを強化するのは本来のリハビリではない」と語った。 そして、泉川さんの手足に触れ、「動かして」と機能を確かめ始めた。約三十分後、「じゃ、立ってみようか」。受傷以来、機械の力を借りても立ったことはない。泉川さんの顔は恐怖にゆがんだ。傍らで森さんがにこにこ眺めていた。 (6)支えられ一気に立つ 人手必要、病院では困難 右近清さん(62)はまず、泉川寛助さん(45)の鼻に水泳用の鼻栓をして腹式呼吸をするようにした。立つには腹筋背筋の強化が不可欠で、腹式呼吸が重要と考えているからだ。足も素足。これは「すべて感覚は足の裏から」との持論からだ。 「ハァー、ハァー」。体を動かす度に苦しげな息がもれる。介助者が両脇を支え、右近さんがひざを押さえ、一気に立たせた。この際、貧血を起こす人もいて注意が必要だが、泉川さんは仕事柄、足腰が強かったのか、すっと立てた。「このバランスを覚えてね。これが立てる姿勢だよ」。正面の鏡にその姿が映し出される。「まぎれもなく自分の足で立ってるでしょう」。右近さんが続けざまに言った。そこには、やや前かがみで顔を紅潮させて踏ん張る泉川さんの姿があった。 次に右近さんは、立ったまま、上体を上下左右に動かす運動を指示した。最初は動かなかった。やがて三十センチほど動くようになる。「オーッ」。介助者から感嘆の声が上がる。これが励みになったのか、泉川さんは何度も繰り返した。 「腹筋背筋が強くなれば、もっと速く動く。そして、他力で立つ訓練を続けるうちに足の筋肉がよみがえり、体を支えられるようになる。そうなると自分で立ち、歩ける日も近い」と右近さん。泉川さんが立っていた時間は約三十分にも及んだ。 泉川さんを横目に、「まばたきと自発呼吸しかできなかった」森照子さん(66)が、松葉づえを使ってトイレへ行った。泉川さんの最終目標は「自分でトイレへ行き、自力で排せつすること」。森さんの姿は「頑張れば、あなたにもできるのよ」と無言で励ましているかのようだった。 リハビリは昼食をはさんで夕方まで約七時間続いた。「まだ序の口だよ」と言う右近さんの言葉に、泉川さんは「病院のリハビリとは全然違いますね。体が疲れているのかわからないですけど、『もう、へとへと』という感じです」。だが、表情は充実感に満ちあふれた様子だった。 取材する立場から見ても、著名病院などのリハビリとは明らかに異なっていた。右近さんは「立って歩く機能は誰にも残されている」との考えから、まず立たせる。「難しいものから簡単なものへ」という発想で、「動かない、治らない」との前提で徐々に難しいものを行う病院などとはまったく逆だ。 ただ病院などで“右近式”を行うには人手などの問題がある。立つ訓練には最低三人の介助者が必要だ。「人手不足」に悩む病院では恐らくできない。そして、六時間以上に及ぶ訓練時間もだ。家族や友人の協力を前提とした自宅ならではのリハビリ法なのである。 取材中、右近さんに一本の電話があった。かつて小樽市を訪ねた青年が近況を知らせてきたのだ。現在、右近さんの元には、月平均二十本の在宅訓練ビデオが送られてくるという。それを見て、どの程度動くようになったか、リハビリ法が間違ってないかを確認し、激励する。 「あきらめるなよ、あきらめたらすべて終わりだよ」 (おわり) (情報提供:読売新聞多摩版 平成16年4月23日〜25日) http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyotama/kikaku/054/main.htm ひとくちインフォメーション
◆郵便等による不在者投票が変わります! 公職選挙法の一部が改正され、「郵便等による不在者投票の対象者の拡大」とともに、新たに「代理記載制度」が創設されました。 ○郵便等投票制度とは 身体に障害があるため、投票所へ出かけることができない人を対象として、郵便等による不在者投票をすることができる(自宅等で投票用紙に記入することのできる)制度です。 (1)郵便等による不在者投票の対象者 下の表に該当する人 対象者 傷病名 障害の程度 身体障害者手帳 をお持ちの人で 両下肢・体幹・移動機能の障害 1級か2級 心臓・腎臓・呼吸・ぼうこう・ 直腸・小腸の障害 1級から3級 免疫の障害 1級から3級 戦傷病手帳を お持ちの人で 両下肢・体幹・移動機能の障害 特別項症から第2項症 心臓・腎臓・呼吸・ぼうこう・ 直腸・小腸の障害 特別項症から第3項症 対象者 要介護区分 介護保険の被保 険者証交付者 要介護5 ※上の表の「免疫の障害の1級から3級」と介護保険の被保険者証交付者で 要介護5は、今回の改正により追加された対象者です。 ○代理記載制度とは 郵便投票制度を利用したくても、自ら記載することができない人は対象から外れていましたが、自宅で「代理記載人」に投票に関する記載をしてもらうことができる制度です。 (2)代理記載制度の対象者 (1)の表に該当する人で、次の障害のある人 ▽身体障害者手帳をお持ちの人で上肢または視覚の障害が1級の人 ▽戦傷病手帳をお持ちの人で上肢または視覚の障害が特別項症から第2項症の人 ※代理記載人は選挙権のある人に限られており、選挙管理委員会に届出が必要となります。 また、届出には代理記載人となることの同意書・宣誓書を添付することになっています。 申請手続きなど、詳細はお住まいの市区町村の選挙管理委員会へお問い合わせください。 ◆月額4−5万円支給を決定 無年金障害者救済で 与党年金制度改革協議会(大野功統座長)は8日、国民年金が任意加入だった時代に加入しなかったため、障害基礎年金を受け取れない「無年金障害者」の救済策として、来年4月から月額4万円から5万円の「特別障害給付金」を支給することを決めた。 同協議会は議員立法を今国会に提出するが、会期末が迫っているため、成立は秋の臨時国会にずれ込む見通し。財源は年金財政ではなく、来年度の一般会計で総額約130億円確保する考えだ。 救済の対象は元学生と主婦。最大で計約2万4000人を見込んでいる。元学生の場合は、国民年金への加入が義務付けられた1991年4月以前に障害を負ったことが条件で、主婦については同じように86年4月以前に障害を負ったケース。自己申告制とし社会保険庁が認定する。障害1級で月額5万円、同2級で4万円を支給するが、高所得者には支給を制限する。支給額は物価スライドを適用する。 (情報提供:平成16年6月8日 共同通信) 【会計管理業務の一時休止について】 会計担当の石川さんは家庭のご事情により、9月まで会計管理業務を一時休止させていただきます。購読料のお振り込みはかまいませんが、購読料のお問い合わせ、新規購読のお問い合わせ、ご紹介、住所変更等は、他の編集スタッフまでご連絡ください。よろしくお願い申し上げます。 【編集後記】
今年の5月にJ2のアビスパ福岡戦を観戦に博多の杜球技場に行きました。当日はホーム側の車イス使用者観戦スペースが満員でアウェイ側にしかたなく案内されると、16年前に受傷して総合せき損センター入院時にご一緒だった頸損のKさんも観戦に来られていました。話をすると何と息子さんがアウェイのチームの選手で応援に来られたそうです。そのゲームで息子さんはみごと1ゴールを決めました。 16年前に父の見舞いに病院に来た当時小学生の息子さんが、競技人口の多いサッカーで一握りのJリーガーになっていることに感慨深いものがありました。帰路の途中に冷静になるとサインを頼まなかったことに気付いたので、今度せき損センターでお会いしたときにお願いしてみようと思います。 次号の編集は引き続き藤田 忠が担当させていただきます。 編集委員:藤田 忠
………………《編集委員》……………… (2004.5.25.時点での連絡先です) 発行:九州障害者定期刊行物協会 |
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