送信アドレスは、act@b6.easyml.com です。 内容として、もちろん車椅子に限ったものではありません。主に首都圏のアクセシブルな鉄道駅・車両・バス・多目的トイレ・お店・公共施設・身体障害者用駐車場などの情報交換を考えています。首都圏以外の方、障害のない方も大歓迎です。メーリングリスト荒らしを防止するため、「登録制」にさせていただきます。登録希望の方がいましたら、fuzawa@par.allnet.ne.jpまで。「アクセス東京メーリングリスト入会希望」の件名で送信ください(登録していないと参加できません)。よろしくお願いいたします。 アクセス東京メーリングリスト管理者:麸澤孝 ホームページ fuzawa@par.allnet.ne.jp
福岡での「はがき通信」懇親会に、初めて参加して仲間入りさせてもらいました。私は、ALS(筋萎縮性側索硬化症)という全身の運動神経が侵されていき、筋萎縮の症状となり自発呼吸が困難になっていく疾患です。現在、四肢麻痺状態になり昨年から自宅療養の身ですが、ALS協会福岡県支部の役員や福岡市の障害者生活支援事業のピア・サポート生活支援協力員などをさせてもらい動き回っています。また、旅行も好きでこのALSに罹患してからも続けています。杖・車椅子・電動車椅子とそのつど私の足は替わりましたが、それなりに楽しんできました。今は、電動リクライニング車椅子を使用して外出していますが、もちろん旅行にも行きました。 9月3日〜10日までカナダへ旅行してきました。「あったか旅倶楽部」企画で、旅行会社はJR九州ジョイロードです。参加者は添乗員、介助スタッフ(看護婦含む)を含めて10名とミニツアーです。障害者は、脳性麻痺(1人は全介助)の方2名と私(ALS)で3名と家族を含め7名に、添乗員・介助スタッフの3名という参加人員構成です。車椅子は、脳性麻痺の方の手押し車椅子と私の電動リクライニング車椅子の2台です。 3日の、福岡空港13:00発日本エアシステム522便で関西空港へ。そして、エア・カナダ航空894便でトロントまで12時間の空の旅でした。私の電動リクライニング車椅子は、福岡空港JASカウンターでバッテリー2個を外し、本体と別々に二重に梱包されてトロントまで手荷物として運ばれました。昨年、北欧に行った時はドライバッテリーだったので、機内搭乗直前まで乗っていきました。飛行時間が長く、機内での対策として「はがき通信」の件で向坊さんからお電話をいただいた時に、座席を確保して横になることと助言をもらいました。行きはたまたま空席の近くで、帰りは乗客の方に席を変更してもらい空席を確保し、横になったりして過ごしました。 トロントには3日の現地時間16:30に着き、大型リフトバスでナイアガラへ2時間の移動で、宿泊先のヒルトンホテルに着きました。ここのホテルでビックリしたのは、1階の受付ロビーの奥がガラス張りでその先は25mくらいのプールになっており、利用者の方が楽しまれていました。こんなホテル、他にないよ。屋上のレストランでナイアガラの滝を見ながら夕食タイム。寝る前に電動リクライニング車椅子の充電を、持ってきた電圧変換コンバーターを使ってコンセントに差し込み充電しました。 4日は、圧倒的な迫力のナイアガラの滝を「霧の乙女号」でまぢかに見て、ナイアガラ・パークのレストランでランチタイム。ナイアガラの滝の周辺は、段差もなくすべてスロープ対応で移動はスムーズでした。それから、世界一小さな教会(2mくらい?)を横目で見ながら、19世紀の街並みナイアガラ・オン・ザ・レイクを観光する。この日はトロントヘ移動し、市内のシェラトンホテルに泊まりました。 5日は、トロントから国内線でプリンスエドワード島のシャーロットタウンへ移動。7日までデルタプリンスホテルに3泊して、「赤毛のアン」の家のモデルになったグリーンゲイブルズ・ハウスや、モンゴメリーの生家等を観光しました。移動は、ミニツアーにピッタリのミニリフトバスでした。ここの田園風景は絵に描いたように美しかった。ガイドさんの説明によると、この島は愛知県くらいの面積で人口がわずか13万人だそうです。シャーロットタウンで、電動車椅子利用の方2人に「グッドナイスデイ」と気軽に挨拶されました。 8日はフェリーを利用してハリファックスへ移動、タイタニック号にまつわる資料館や郊外では白い灯台で有名なペギーズ・コープ等を観光しました。宿泊先はウエスティンホテルでした。ハリファックスは95年、村山総理のときサミットが開催されたところです。 9日は国内線でトロントへ行き、国際線の895便10:45発で関西空港まで14時間30分の空の旅でした。この時が一番バテ気味でした。10日の14:30に着いて、関西空港から日本エアシステム525便18:35発で福岡空港へ、楽しい思い出と共に帰ってきましたが疲れた。 旅行期間中の介助は妻のほか添乗員・介助スタッフの方で、入浴・着替え・ベッドへの移動・清拭・体位交換・朝のケア・排泄介助等をしてもらいました。この添乗員・介助スタッフがいなければ妻はダウンしていたと思います。昨年の北欧旅行の時と比べ座位時間に不安がありましたが、電動リクライニング車椅子で所構わず背もたれを倒すことができたので、臀部の「圧」を分散できたのがよかった。また、ナイアガラの滝を見学している時は、肌寒さで手が麻痺し何回か電動車椅子のレバーコントロール不能になり、手をさすってもらいました。現在の私の症状の限界を再認識した次第です。 天候は、3日のナイアガラの滝を見学した時だけが曇りときどき小雨模様でしたが、他の日は晴天に恵まれました。気温は、朝夕が12度ぐらいと肌寒さを感じましたが、昼間は20度前後で日本での猛暑から逃れて快適でした。 アクシデントが2件、JASで旅行ケースを預けた後に取っ手が破損したことと、電動車椅子をシャーロットタウンの空港で受け取った時に、右側のコントロールBOXから肘掛けの支柱にかけてキズがあったことで、それぞれ補償してもらうことにしました。 電動リクライニング車椅子で動き回るだけの私でも、介助があって楽しい旅行ができました。観光先ではすべてスロープがあり移動の不自由さはありませんでしたが、ショッピングストリートの古いギフトショップの入り口の段差が気になったくらいです。車椅子ツアーも、メニューの中から選べる時代になってきたと思います。 「はがき通信」購読のみなさん、これからもよろしくお願いします。 福岡県 :KK fwhk3996@mb.infoweb.ne.jp
本誌への投稿も初めてですので、今回は自己紹介を兼ねて書かせていただきます。私は脊髄神経性筋萎縮症という、進行性筋ジストロフィー症に類似した病気を持っています(生後3カ月の乳児期に発症)。症状としては、体中の筋力が破壊、低下していくというものですが、現在はどうにか独歩が可能、手動式車椅子や電動スクーターを併用しています。昨年の3月に自宅にて転倒し腰椎を圧迫骨折し、3カ月間の入院を余儀なくされました。寝たきりの生活の中でいろいろと考えるところがあり、本年4月より学生に戻りました(そこで妻となったミカと知り合ったわけです。周囲の多くの人々から、「美女と野獣」「口も早いが手も早い」などメチャメチャ言われて傷心の今日この頃です)。 幼児期発症による障害ですから、小さいときからずっと病気と付き合っています。しかし、人格形成が不十分だからなのか(?)、はたまた健常者へのあこがれか(?)、まだまだ達観できない日々なのです。よくいう「もう一度生まれてきても、同じ自分になりたい」という境地にはなれず、自分の中にある醜さや貧しさと葛藤している状態です。 自分の中に閉じ込めてきたものを(奥さんの力をかりて)、これから少しずつ紐解いていきたいと思っています。そして、その中で感じたこと、悟ったこと(じじくさいかな?)を本誌へ投稿していければ嬉しいです。今後ともよろしくお願いいたします。 山口県 :DI hartbeat@po.cisnet.or.jp
今年6月に福岡のマリンメッセ福岡で行われた「福祉機器展」に参加したときに、「福祉車両」のコーナーで車椅子の収納補助装置を見つけました。私は即座に「これだ!!」と思いました。その装置は日産のCUBE(キューブ)に付いていました。私の車はホンダのSM-X。ホンダ車にも付かないかな!? 私の車にもこれが付いたら……という気持ちがいっぱいで、日産の人に尋ねました。しかし、その答えはNO!「日産のCUBE用に特別に開発されたものだから難しいです」ということでした。 そこで次に、ホンダのコーナーに行きました。福祉車両ということで、ホンダ特装というホンダの改造など、特別部門の人が来ていました。ダメもとでその人に「日産のアレ、付きませんか!?」と尋ねました。「日産(オーテックというホンダ特装のような日産の子会社)の部品なので付くかどうかわからないけど、オーテックに知り合いがいるから調べてみましょう」との快いお返事でした。 お返事に1ヶ月かかりましたが、ホンダが日産からその部品を買い、SM-X用に加工して付けましょうと言ってもらいました。1ヶ月の東京までの長旅を終えた私の車には、リフトが付いて戻ってきました。「はがき通信」から帰り、さっそく試乗を終えた感想は「これで一人でもどこへでも行ける!!」でした。 ホンダクリオ山口・ホンダ特装・オーテックジャパンといろいろなところの人にお世話になり、私の車は快適になりました。ホンダ特装でも今回のようなケースは初めてということでしたが、利用者の必要だという訴えと、協力者の裁量で不可能なことも場合によっては可能になるという成功例でした。 主人は7月に夏風邪を引いて急に高熱を出し、肺炎を併発しました。びっくりした私は、急ぎかかりつけの病院へ連絡し対処しました。(夜間であったため)次の日一番に病院へ行き、レントゲン検査、タンの検査、血液検査と一通りの検査を行いました。早い内の対処に入院はせず、4、5日で熱も下がり安心しましたが、連日の病院通いは本当に疲れました。 熱の出ている間は夜間に何度もアイスノン枕を取り替えたり、2時間おきに体温を計ったりと介護に疲れ、私までが風邪を引き、声が出なくなるなど辛い思いをしました。主人は熱も下がりよくなったように見えましたが、咳がなかなか止まらず、すっかりよくなるまでに二ヶ月余りもかかりました。10月に入り、やっと病院通いから開放され落ち着きました。 10月1日、今日は上福岡市のお隣りの町、大井町中央公民館へウインフィルハーモニーのメンバー11人による、「アンサンブル“11”」のコンサートへ主人と一緒に行くことができました。11人と少数メンバーにもかかわらず、素晴らしい迫力のある演奏でした。 美しい音色のフルート、クラリネット、オーボエ、明るく力強いトランペットの響き、さすが音楽の都ウイーンの音楽でした。 私の大好きなヨハンシトラウスの曲、楽しいポルカや春の声、ハンガリー万歳、ラデツキー行進曲などウイン少年合唱団も歌った懐かしい曲ばかりでした。また、モーツァルトの歌劇予曲(魔笛)なども演奏され、余りの素晴らしさに心から感激した一時を過ごすことができました。 余り外出する機会の少ない主人ですが、心に残る素晴らしい音楽にふれることができたことは、きっと何かよいことがあるような気のする一日でした。これからもチャンスを見つけ、いろいろなことに参加できるようにと考えています。家族が一緒になって楽しめるコンサートなどが一番よいのではと思います。 10月も後半となり、秋も深まってまいりました。これからは菊の花の季節となり、庭の菊もきっと美しく咲き揃うことを楽しみにしております。どうか気温の変化も大きい季節の変わり目を迎え、皆々様お身体を大切にお元気でお過ごし下さいますよう、お祈り申し上げます。 埼玉県 :HS
事故に遭って16年、自分の家族を守ることだけに生きてきた自分が多くの人に支えられ、愛されていることを知りました。頑張ることで答えていけたらと弱い自分に負けず、自立を目指し、必死に頑張りました。自分の事、主婦として日常の事、一つ一つをクリアーしました。そんな私を一番理解し支えてくれた主人に先立たれた事も、人生の節目に立たされ大きな痛手でした。あれから1人暮らしも9年になります。人生の支えなしでは優しくも強くも生きられません。障害者になって多くのことを悟ることが出来ました。 自立を目指す日常の中で、握力のない手を口を使って孫の浴衣から大人の浴衣、和紙工芸品、小さい箱作りから一番大きいのまで完成の喜びと満足感を味わってきました。書くことは凡て主人を頼っていました。1人になって、原稿書きをきっかけに習字を習い始めました。筆を持つのも親指から、中指と薬指の間に挟み込んで一線を引くのも重い腕を動かすのは大変でした。口や足で書く人だっているんだからと強い意志で続け、初段を取得した時は涙がボロボロこぼれました。書く事は指のリハビリになったようで、中指が動くようになりました。始めて7年、1年前に五段の資格を得ました。1人でやっていては回りとの比較はなく、納得のいく作品は書けず、小筆で書ける様になりたい目標は程遠く、これまでのように満足感を味わえず、他のやりたい事には手がかりがなく悶々とした日々を過ごしていました。 懇親会で頑張っておられる皆さんの笑顔に励まされ、勇気づけられました。又、お逢い出来る日を楽しみに目標を持って頑張ります。よろしくお願い致します。皆さんの健康をお祈り致します。 長崎県 :YS
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