は が き 通 信 | Number.49---P2 |
POST CARD CORRESPONDENCE | 1998.1.25 |
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広島県 HT: tutiya@hiroshima-cdas.or.jp
岡山県 HF: heki@okym.enjoy.ne.jp
お風呂上がりにベッドで足の指を拭いていたら、右の小指の皮がズボッとズルむけちゃったのです。よく見るとナント爪もない! ヒェ〜!! そのうちあれヨあれヨと言う間に、中に黄色い液体のたまった水ぶくれが両足の指に“ボコボコ”と出現! しかし、ここまできてもまったく火傷をしたなどとは思わなかったのです。なぜかと言うと、去年の冬も左足の指に同じモノができたから。今回もちょうどホルモン剤を使っている時で、何かそれと関係があるのカナ〜などとも考えました。去年は寒さによる血行の悪さと、靴の長時間の圧迫による凍傷(?)だったと思います。その時も近所のお医者さんにかかり、時間はかかったけれどもらった軟膏を塗り乾燥させることで何とか治せたので、今回は両足で前回よりひどかったのですが楽観していました。 でも、水泡をつぶして消毒して様子を見ているうちに、中の黄色い液体は、3〜4時間くらいで靴下がビショビショになるほど後から後からたまって出てくる。熱は出るワ、右足はももまでむくんでくるワで、運悪く連休にぶつかってしまい、地元の救急医療センターの外科に仕方なく行きました。
そうしたところ、診てくれた若い医師が「右足はバイ菌が入って化膿していて(蜂穿織炎)、表面的な治療をしただけではもう手遅れで治らない。入院することになるかもしれない。お風呂はだめ、足を高くして横になり、安静にしていたほうがいい」と言うではありませんか。もうあせりましたヨ。連休の3日間、抗生物質の点滴と包帯を換えに救急医療センターに通い、連休明けに地元の病院にするか迷ったのですが(3人の先生が3人とも違うことを言うので)、やはり脊髄損傷の患者を多く診ている神奈リハ病院の主治医がいい!ということで、万が一のため入院準備をして診てもらいに行きました。 「これからのシーズン、多いんだよ。ストーブとかも気をつけないと。足でまだよかったよ。股間だったらオシッコ出なくなっちゃったりするんだゾ」 ヤァ〜ッ、コワッ! 入院準備をして来たと言ったら、先生は大笑い。でも、ホント笑い話になってヨカッタです。一時はどうなることかと思いました。 いただいたクロマイ−Pという軟膏がよく効いて、それから1週間でほとんど浸出液も出なくなり、むくみも引いてきて皮膚の色も乾いて落ち着いてきました。お風呂もOK。抗生物質の処方もなし。右足が特にグシャグシャで足の甲は紫色、くるぶしがなくなるほどむくんで、見るのもワーッという感じだったのがうそみたいです。先生がおっしゃっていたのですが、私のように火傷をして水泡ができた時は、まずはつぶしてジャガイモじゃないけれど皮をきれいにむいて、とにかく赤むけの一番ひどい状態にする(感覚がないとはいえかなり勇気がいりますが……。そうしないと中の浸出液が止まらないそうです。素人はコレができないんだよとおっしゃってました)。そして消毒と軟膏とガーゼ交換。私は朝晩2回しています。やはり軟膏は素人判断ではなく、専門医で処方してもらうのがいいと思います。 それにしても、救急医療センターの医師には脅かされました(バカヤロー!)。いくらマヒしているとはいえ、化膿しているのと火傷の見分けぐらい外科医ならつけろと言いたいです。2度と行きません。その他にもムッとするようなことを言われ、脊髄損傷患者への認識、知識のなさが目立ちます。だから、病気をしたりして一般病院にかかるのって不安なんですよね。 と言うことで、改めて感覚のなさの恐ろしさを痛感しました。私の体験が皆さんの参考にもなればと思います。お風呂上がり、寒い時期に長時間靴をはいた後などに(すぐとは限らず数時間後だったりします)、中に黄色い液体のたまった水泡ができたら要注意! 特に低温火傷はこわいです。冬はカイロ、電気毛布等は気をつけましょう。お風呂も40度以上の熱めのお風呂は避けるか、短時間で出たほうがいいです。ちなみに私は2分弱の44度ぐらいのジャグジーで、右足のひどい指で皮膚の白い部分の組織まで露出してしまいました。元通りになるのカナ〜? どっちみち当分治らないと思うので靴もはけません。感覚はないけれど、何となくうずくんですよね。感覚があったら悲鳴モンですね。
神奈川県 HS
この日から4年、今年もKの大好きだった三浦カズ選手、中山選手を中心にWカップアジア地区最終予選B組として、本大会フランス行きの切符を目指し9月7日、第2予選第1戦ウズベキスタン戦が国立競技場で行われました。私は、カズ選手の所属するハットトリックの事務所へ応援のFAXを試合の日に向けて送りました。どうしても勝ってほしい、そんな思いで無き建二と心を1つにし、応援しました。日本は、前半からスピードのある攻撃をし、カズ選手のPKで先制後、中田、城、両選手のゴールで6:3とウズベキスタンに勝ちました。キーパー川口選手のすばやいキャッチに思わず拍手する私でした。
応援FAX 「オフィスハットトリック関根様。アジア最終予選一家で応援しています。三浦カズ選手他、選手の皆さま頑張ってくだい」 UAE戦、見た目にも強そうな相手です。ドキ、ドキ、ハラ、ハラする試合の進み。両国とも前半、後半得点なく0:0で引き分けてしまった。キーパーの川口選手の活躍が素晴らしい。 9月28日、韓国戦の日(国立競技場にて)
応援FAX「韓国戦、家族で応援しています、最後まで頑張ってください」 10月4日、カザフスタン戦の日
応援FAX「第4戦カザフスタン戦、最後の5分、あきらめないで最後まで大切に頑張りましょう。家族で応援しています」 10月11日、ウズベキスタン戦の日(この試合は、浜松懇親会へ出向き観戦していない) 応援FAX「最後まであきらめずに頑張ろう。必ず奇跡は起こる」 10月26日、UAE戦の日 応援FAX「この試合も最後まであきらめずに頑張ろう。奇跡は起こる」 夕方7時、UAE戦が始まった。今日は勝ってほしい! ドキ、ドキしながらの観戦でした緒戦ロペス選手のゴールが決まり、応援サポーターによる歓喜の大合唱が響き、大きな日の丸の旗、ドラエモンの大きな旗も踊り素晴らしい一瞬でした。ところが後5分またも1点ゴールされ1:1と引き分けてしまった。本当に残念。2位でのフランス行きは、より遠くかすんでしまった。残りの試合で奇跡を起こそう! 11月1日、いよいよソウル五輪スタジアムの戦いの日。 応援FAX「最後まであきらめないで全力を尽くそう! フランスへ行く奇跡を起こそう!」
応援FAXは、試合当日午後1時、直前に送りました。この小さな応援が少しでも選手に届くように祈る気持ちで……。午後3時、いよいよ日本対韓国戦が始まった。韓国へ渡った応援サポーターは15,000人、ソウル五輪スタジアムも青の色で埋め尽くされ異常ともいえる熱気が漂っている中試合は進んでいる。この韓国戦に勝たなければフランスへの道はない、追い込まれた戦いとなった。 11月8日、第3代表カザフスタン戦の日。 応援FAX「今日のカザフスタン戦、全力を尽くし、奇跡を起こそう」 あと1戦と迫ったカザフスタン戦の日、国立競技場の応援サポーター56,000人が応援する中、前半中山、高木選手がゴールを決め、3得点をあげた、後半井原、中田選手により2点追加、5:1と勝利を決めた日、今日も勝利と嬉しい応援ができました。 11月16日、第3代表 マレーシア(ジョホールバル)にてイラン対日本の戦いの日。 応援FAX「最後の一戦です。全力を尽くし最後まであきらめないで頑張ろう。そしてフランスへ行こう」 午後10時、4年前、引き分けて負けたイラン戦が始まった。建二と一緒に応援し忘れることのできない同じイランとの戦いです。今は、亡き建二のためにも勝ってほしい。そんな願いをこめて試合を見守り応援しました。きっと天国の建二も胸をときめかせ応援しているでしょう。前半中山選手の見事なゴールで1点を決め、1:0で折り返し、後半戦すぐイランに2点をゴールされ、2:2の同点となった。一瞬不安な予感のする私でした。残り時間15分にもう1点ほしい、しかし日本の得点が入らない、とうとう延長戦に持ち込まれ、最初に1点入れたほうが勝ちとなる。早く決めてほしい……。延長後半13分、その時、素早い岡野選手の劇的ゴールが決まった。素晴らしいゴールで3:2と日本が勝ちました。とうとう奇跡は起きました。自力でフランス行きの切符を手にします。天国の建二もきっと喜び感激しているでしょう。
最後の最後まであきらめずに頑張ることの大切さ、体力、気力ともに鍛えられたアジア第3代表決定戦でした。
埼玉県 HS
障害者情報クラブでは、10月に作業所ILセンター設立、障害者生活支援事業の作業部会への参加、11月に障害者自立生活フォーラムin宝塚の開催、12月にアテンダント養成講座の開始など、今までの活動から何歩も踏み込んだ事業をスタートさせました。また、会員向けのメーリングリストや街づくり・交通環境の情報収集のためのアクセス関西メーリングリスト(Access-Kansai@butaman.ne.jp)をインターネット上に設置、情報収集に勉めました。 一方で、大学院生のころ開設を要望し続けて1988年に開講した関西学院大学の障害者問題論の非常勤講師として招かれたり、ダスキンのホームヘルパー2級養成講座の講師、被災地障害者センター長期セミナーの講師に招かれるなど、今までの活動が社会的に認知されつつあることを肌で実感するできごともありました。 また、頸髄損傷者関係の活動に関しては、1月に重度四肢麻痺者メーリングリスト(SQuadsML@butaman.ne.jp)の開設、頸損連全国総会大阪大会、カナダのBC州から人工呼吸器の管理責任者アイリーン・ハンリー氏を浜松に招いた「はがき通信」懇談会などへ参加し、情報交換ができました。人工呼吸器を付けた高位頸損者のことを真剣に考えざるを得なかった1年でした。 さて、個人的に一番興味のある街づくりと交通環境の分野では第2回障害者政策研究全国集会の街づくり分科会スタッフを中心に結成した「バリアフリー社会を実現する会」の世話人となり、研究会を開催するのと平行して、兵庫県ならびに兵庫県福祉の街づくり工学研究所と3者で学習会を2ヶ月に1度のペースで開催してきました。さらに、宝塚市中筋JR南土地区画整理事業にともなって結成された「宝塚市中筋JR南街づくり委員会」の委員にもなりました。
その他、プロップ・ステーションやT-Net、NMC、Simなにわ、ハートランドなどでも皆さんにお世話になりました。
宝塚市 MS: sakaue@butaman.ne.jp
私たちにとっては、初めての大きな会となったので進行に不備がありましたが、皆さまに協力していただき、あっという間に時間が過ぎてしまいました。
会の準備のため、疲労が重なり入院されたHさん、次回はあまり負担をかけません、早く元気になってくださいネ。
「はがき通信」によりこんな素敵な出会いができて本当に感謝しています。今年も「はがき通信」によって、楽しい1年が送れました。来年もよろしくお願いいたします。
広島市 SK母
今年は佐賀新聞「リレー随想くわるてっと」の1年間の連載(月1回)などが予定されていますので、ますます責任が重なってゆく感じです。
佐賀県 TN
重度四肢まひ者の就労問題研究会の活動は、 ①会報『ワーキング・クォーズ』の企画、編集、発行 ②"WORKING QUADS" home pageの制作提供 ③国際ネットワーク活動(国際的な情報交換活動、英語プレゼンテーション作成など)
が中心です。
"WORKING QUADS" ホームページは、介助を必要とする重度四肢まひ者のハイテクを活用した知的生産活動を支援することを目的としています。ご覧いただければ幸いです。
しかし、ポルポト派の時代に国民の3分の1が処刑され、現在の人工は930万人、時として狂ってしまう歴史を織りなす糸は人の実際の証です。この原っぱでも2万人の人が棍棒で殺されそのうち2千人は子供であったのです。あちこち大穴が掘り起こされ、その1つ1つが5mの深さで5人ずつの遺体が発掘されています。そしてまだ発掘されていない43個の穴。 昨日と同じように今日も小鳥の群が語らい蝶が舞っている同じ場所で次々と打ち倒されていったこれらの人々の阿鼻叫喚が、午後の涼しい風に乗って聞こえてきます。車イスが思わず踏んづけた白いものはあごの骨でした。
肩を落として逃げるように立ち去ろうとする私の背にまたもや村人の声。
北九州市 向坊 BXE06432@niftyserve.or.jp
アメリカンフットボールの試合中にセキ髄を切断、手足が完全にマヒした米ニューヨーク州ロチェスター市のラルフ・モンテマロさん(29)のセキ髄機能回復手術が15日埼玉医科大(埼玉県毛呂山町)で、日米合同スタッフにより15時間がかりで行われた。セキ髄に末しょう神経を移植し、胃の腸間膜の一部の大網(だいもう)膜で覆い、移植した神経の活性化を促すという手術で、世界初の試み。中枢神経系を構成するセキ髄が切断されると、機能回復は不可能とされているだけに、手術の結果が注目されている。 ②地上50センチのカメラマン
田島隆宏さん。埼玉県深谷市在住。41歳。生後20日目で脳性小児麻痺となり、四肢が不自由に。しかし20歳のとき特別に開発された愛車バッファロー号を得て、意欲的に昆虫の写真撮影を開始。埼玉県民ギャラリーで個展開催の実績を持つ。
彼が写真の道に入るきっかけとなったのは、20歳を目前にしたある日友人の個展会場で見た写真作品に感動したのが始まりだった。自分も人に感動を与える写真を撮りたい。しかし彼は両手両足が使えなかった。 カメラを操作するための悪戦苦闘が始まった。バッファロー号にカメラを固定する。シャッターも、レリーズを使えば舌で押せる。モータードライブを装着すればフィルムの巻き上げも大丈夫だ。問題はピントだった。いろいろ悩み、試行錯誤したすえに彼はフォーカスリングにがっちりと固定したスポークを取り付けた。船のハンドルのように出っ張った5本のスポークでフォーカスリングを回転できるようにした。こうして彼は口にくわえた割り箸を使い、自在にピントを合わせることが出来るようになった。ベッドの高さである地上50㎝から彼は写真を取り始めた。 ③不自由な体で日本一の石段に挑戦
静岡県清水市袖師町、無職神川孝二さん(68)が10日、熊本県中央町の日本一の石段(3333段)に挑み、約10時間かけて、登り切った。
鹿児島県 SEの母YE
(医学書院、定価2,884円)
この本はわれわれ頸損にとってたいへん有益な本ですが、頸損の家族や医療・福祉関係従事者にとっても有益だと思います。 カナダ、ブリティッシュ・コロンビア州の先進的・組織的な取組も紹介されています。逆に言えば、なぜカナダでできて日本でできないのか、これは私たち日本人に与えられた宿題であると思います。
一人でも多くの人に読んでいただきたいと思います。 |
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