は が き 通 信 | Number.40---P1 |
POST CARD CORRESPONDENCE | 1996.7.25 |
夏の暑さは生命のあかしです。真っ赤な太陽がすべてを引き込むように沈んで行くとき、体調の限界を確かめながら、生命を噛みしめます。痛さ、苦しさを忘れさせるやさしい夕暮れに、しばし通信の友へ想いを馳せます。 向坊弘道 |
よく寝れるので、このあいだ2年ぶりに外に出ました。といっても府立の時の主治医につれ出されたんですが。それでパソコンの講習会の見学にビジネスパークのNECまで行ってきました。 なんでも大坂のプロップステーションというところが障害者の経済的自立を支援する、といったら大袈裟ですが、まあパソコンを教えてものになったら自宅でできる仕事を斡旋してくれるということです。ボランティア組織だそうで、あちこちの企業に呼びかけて支援してもらっているみたいだから、組織の基盤はしっかりしているようです。 ちょうど行った日にNHKがきていて、在宅勤務をしているなんとかさん....名前は忘れた‥‥の生活ぶりを取材していました。 でも今回は大変でした.総勢6名で福祉タクシーで行きました。このタクシーが高くて1回3万5000円もしたので、毎週受講するのは無理だなあということになりました。パソコン通信でも受講できるそうだから行かなくてもいいんですけどね。それでも3年ぶりに桜が見れたのは貴重な収穫でした。それではまた。
大阪府 KY :QZR05431@niftyserve.or.jp
ここのところ、アマチュア無線交信を1日20分くらいやっています。免許証も5年切り替えの時期に来たので、忘れないようにと、張り紙を部屋の見やすい所へ張っています。 そもそも、パソコン通信目的で4級アマチュア無線を取得したので、口答交信はほとんどしていませんでした。でも、知人が開局したので、現在、口答通信をしています。 泌尿器科のほうは、退院後と変わらずです。もう一度入院して膀胱痩のカテーテルを外す気持ちになれなくて(入院が抵抗で)、時期を見て考えます。
宮崎県 KF : GHC03227@niftyserve.or.jp
盛岡は春というのに春らしい天気がなく、肌寒い日が続いております。さいわい体調の方は良く、1日89時間ほど車椅子に乗ってパソコンなどをいじっております。 私は、カートップリフト(普通車の屋根に取り付けるトランスファー機器)の中古がないものかと思っています。何か情報ありましたらよろしくお願いします。いろいろと、こういう物があったらと考えていることがありますので、原稿に書き込んでいければと思います。 私は、パソコン操作は口に棒をくわえて行っておりますが、1日の入力量は1万文字1.5万文字可能です。何かお手伝いできることがあれば、急ぎの仕事が入っていない限りお手伝いできますので、ご連絡下さい。 NIFTYへは、はぼ毎日アクセスしています。
//////////TOMO////////// :KFR05061@niftyserve.or.jp
電動リクラ車椅子の座高が高いと次の点で困ります。
というのが共通の悩みだと思います。 この座高の高い理由はアンダーシートの下にリクラ用のモーターがあるからで、アンダーシートと背もたれの接続部分の横にモーターを持ってくれば1015cmは低くできるはずです。 ならば高級乗用車のシーマとかクラウンの電動シートを利用できないかと思いつき、解体屋さんに分けてもらって(5000円)、スズキMC13型のアンダーシートから上を乗せ替えてみるとわずかな改良で利用できます。どうして自動車屋のスズキが気が付かないのか不思議です。
実際に乗って半年近くなりますが、身体自体の座高も高い私でさえ、地面から138cmと一般のリクラしない電動よりも低いと自負しています。車の座席にスプリングが内臓されているので円座は敷かず、尿漏れに備え紙オシメだけ敷いています。
トヨタのマスターエース(入口高さ138Cm)に頭を下けずに乗り込めますし、もちろんリクライニングも自由に操作できます。スイッチは自分で購入します。 私は技術屋ですし、1級整備士の友人が作業してくれたので家のガレージでできたのですが、皆さんもこのアイデアを自動車修理工場などへお願いしてみてはいかがでしょうか? 改良工事自体はとても簡単です。
これは椅子だけで20万くらいするらしいですが、上記方法なら10万以下でできると思います。参考になれば幸いです。
宮崎県 HF :PFG01761@niftyserve.or.jp
私は愛知県に住んでおりますTIと申します。年齢は23歳で、頸損歴6年め、受傷レベルはC4です。怪我の原因は車での事故です。現在、人数としてはそれほど多くはないですが、ボランティアに介助的な面などを手伝ってもらっています。しかし、トイレ(摘便)の面ではほとんど母に頼っています。
それで皆さんはトイレの時は誰に手伝ってもらっているのか教えていただきたいと思っています。また何日の間隔をあけてるのか?座薬、下剤、浣腸は使用してるのか?
道を1本隔てた目と鼻の先に実家の八百屋があって、食事は作って持ってきてもらい、洗濯も済ませてもらっています。またちょっと用事があれば電話で呼んで1分2分ほどで来てもらえます。店が忙しいときは待ち時間も長くなりますが、家族ぐるみで店を経営しているので、誰もいないということはありません。 そして、私の住まいはどうせ建て直すのだからということで、県には許可をもらわずに、畳をはずしてフロア状感にし、風呂場もシセワーだけにし、車椅子の生活が送りやすい環境にしました。
この県営住宅には以前、祖母と兄が住んでいたのですが、祖母は亡くなってしまい兄も自分の住むところを見つけたので、「じゃあここを私の住まいにしてみては?」ということになり、建て直し工事がはじまるまでここに住もうということになったのです。 そこで、親からできるだけ離れて、おふくろの負担を減らす意味で、第三者の手をどんどん借りていこうと思いたちました。行政のサービスをはじめ、個人でボランティア募集を呼びかけたりして、現在は15人ぐらいの方に手伝ってもらっています。 しかしボランティアということで安定性がなく、予定したときに来れなくなることもあります。そうなるとやはり家族に頼ってしまうことになり、「結局家族がいないと今の俺は何もできないな」と思ったりしてしまいます。まあ今の時点では家族を手助けするボランティアという感じです。だったらいっそのこと、一人で暮らしてみればいいじゃないかと思ったりもします。 それで試しに、いろいろ経験したい、自分に自信をつけたい、という気持ちから、名古屋の自立の家で10日間の自立体験をやってみることにしました。 しかし介助者は自分で探す必要があり、トイレ(摘便)をどうするか悩んでます。皆さん、族行中のトイレの問題はどうしてるのか、よかったら教えてください。
本当かな。でもトイレはやっぱり心配なので、自宅にボランティアで来てくださっているおばさんにお願いしました。しかし、トイレは最低2回はありますから、あと1回のトイレは市の保健婦さんに相談しています。 この方法だとスムーズに便が出てきます。トイレチェアーにすわるより、楽ですね。このペースで体験室のあいだも順調に出てくれれば最高です。いろいろ経験してきます。
愛知県 TI :PCVAN lD: PRE31110
今春からパソコン通信ができるようになり、メールでご挨拶いたします。今後ともよろしくお願いします。
5月29日 広島県 HT : CQA07707@niftyserve.or.jp
車は大阪の中心地、繁華術を横目に下町の込み入った路地へと入っていった。車1台がやっと通るほどだ。M氏からFaxで高速インターからの地図を送ってもらったが、途中で迷ってしまった。予定よりだいぶ遅れて会館へ着いた。 中へ入り、スタッフルームベと向かった。挨拶をすると、皆にとても歓迎された。M氏から紹介されたH氏もその中にいた。 皆で記念写真を撮ると、しばらくのあいだ、H氏と旅の話をした。その後スタッフの1人に入浴室へと案内された。浴室は広く、とても手入れが行き届いていた。清潔感が漂っている。ただ寝台ストレッチャーがなかったために、上半身が起こせない私はスノコのあるマット上に直接寝土ろんでシャワーを浴びた。 浴室をでると、更衣室に真新しいタオルやティシュ箱が準備してあった。そのことが私にはとてもうれしかった。おかげで心からくつろけた。両親も交代でシャワーを浴びると扇風機の前でくつろいだ。 その後H氏から、「近くで夏祭りをやっているから見に行こう」と誘われた。福祉関係の催しで、「ピア大阪」を紹介してくれたM氏やその仲間も参加しているようだ。 車で10分ほどの所に夏祭りの会場があった。にぎやかなおはやしや太鼓の音が聞こえてくる。後で知ったが、音はスピーカーのものだった。車から車椅子で降りてH氏とともに会場の中へと入っていった。中央には櫓があり、その周りにたくさんの出店が並んでいる。場内は、流暢で人なつこい関西弁が飛び交い、大阪らしい独特な雰囲気だった。 出店の一角でM氏が仲間と一緒に「たこ焼」を売っていた。彼はふだん、家の仕事を手伝っていると聞いていた。私はM氏とその年の5月、栃木での障害者団体総会で初めて会った。今回が2度めである。私と同年代である。 彼の格好は車椅子にランニングシャツ、首にタオルをかけ、髪は短く坊主頭という姿だ。私はゆっくりとM氏に近づいて、これまでお世話になった礼をのべた。 初めて会った時に感じたが、彼には気取らないたくましさがあった。またふところの大きさを感じさせた。あまり長話はできなかったが、またいつか会ってみたいと感じた。 別れぎわ、彼らと、記念写真を撮った。撮ったあとでM氏が片手を挙げ、大きく「アディオス!」と言った。
96/6/11 鹿児島 RG : GED03005@niftyserve.or.jp
自宅トイレの改造の相談で、必要に迫られたということもありますが、別府から香川の実家までひとりJRで往復してまいりました。目豊線では車内販売の荷物を置いてある乗車口で窮屈な思いを、小倉駅では階段乗降機なるものを体験し、新幹線では障害者用トイレを試し、瀬戸大橋を渡るときにはうるうると感動も覚えました。ひとりで帰ると決めたものの、当日の朝までは不安な気持ちでいっぱいでした。 しかし、案ずるよりも生むが易し!? JRの職員の方は皆さん親切で、無事にわが家まで帰り着くことができました。 復路の別府駅でわずか10分ほどでしたがエレベーター内に閉じこめられるというおまけ付きで締めくくったひとり旅、次回は帰省ではなく本当の旅に出かけてみたいという誘惑に早くも駆られています。
別府市 MS
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