は が き 通 信 | Number.45 |
POST CARD CORRESPONDENCE | 1997.5.25 |
毎日寝たままで、車イスに乗れない頸髄損傷者も多いようです。家族のじゃまにならないように精一杯おとなしくする努力をしていると言うのです。だから、行動を自由に選べる人たちは大変恵まれています。
1997年5月25日 向坊
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「はがき通信」のことは、昭和大学病院の主治医、笠井先生から紹介していただきました。松井先生著『頸髄損傷』も拝読いたしました。多くの皆さんが頑張っておられる様子を知りまして、私どもも少しずつ、周囲に目と耳を向けていく気力が出てきました。 夫は何もできないのでテレビを見て過ごしています。みなさんからもいろいろ学んでいこうと思います。とりあえずお便りさせていただきます。
東京都 MHの妻M
それでは、まず自己紹介から。HF36歳、頸損(レベルはC5)です。高校2年生のときにミニバイクで走行中、対向車が突然センターラインをオーバーして突っ込んできて正面衝突しました。何メートルも飛ばされて他の車の屋根に落ちました(アスファルトだったら生きていなかったかも?)。新聞の記事には全治3ヶ月の重傷と書いてあったので、3ヶ月で学校へ行けるのかとしばらくは思っていました。 昨年の暮れに、保健婦さんに「同じ障害を持つ方を紹介してほしい」とお願いしたところ、倉敷市のFさんを紹介していただきました。そして、彼から「はがき通信」のことや在宅入浴サービス、訪問看護サービスなどを教えてもらいました。
知らないことが多くて驚きました。市役所の障害福祉課には何度か電話をしたけれど何も教えてくれなかったです。市はもっと積極的に情報提供をするべきだ!(障害者だって税金払ってんだからな、なめんじゃねぇ〜ぞ!)。
岡山県 HF
子供(19歳)がプールの事故で首の骨を折り、医学用語は詳しく分かりませんが、C3・C4脱臼骨折、C4頸髄損傷と言われました。
姫路市 MIの母K
この非対称性のために脊柱が湾曲してしまいました。受傷から6ヶ月経過した時に、当時話題になっていた“大網移植術”を北大医学部脳外科で受けましたが、特に予後に影響はなかったように思います。環境制御装置・天井走行式電動リフト等を利用しており、車イスは手動(自力移動できる訳ではないので、介助用と言ったほうが適切です)と電動を使い分けています。 一杯飲み屋で焼酎をすするるのが好きなのですが、私好みの居酒屋や焼鳥屋は大体が段差の宝庫で(北海道では降雪期のことを考慮して入口部分に階段を付けている店舗が多い)、しかも必要最小限のスペースしかない店が多く(それが魅力でもある)、人1人がやっと通れるぐらいの狭い店内で椅子をどけて無理矢理カウンターの片隅に着いても、他の酔客がトイレに立つたびに車イスを移動してもらわなければならなかったりして、なかなか落ち着いては飲めません。 いつの間にか居心地の良さそうな店を探して夜の街を徘徊するのが趣味のひとつになってしまいました。ちなみに酒を飲む時には右の手首にデヴァイスを装着し、ふた付きのプラスチック製マグカップをベルトで固定してストローで吸い込んでいます。鍋物が好物で、夏の盛りに「湯豆腐が食いたい!」などと言っては非難を浴びています。 現在は家内との2人暮らしです。家内は陽気で元気で呑気な人で、私のことを“もへ”だの“への”だのと呼びます。彼女曰く、考えごとをしている時の私は口をへの字型にして不機嫌極まりない顔をしているのだそうです。そして私の変人ぶりを替え歌にしては大笑いしています。今日も♪どおせオイラはもへぇもへあにいきい〜♪と歌いながら車イスに乗せてくれました。これからもよろしくお願いします。
北海道 MK
自分で、仕事に行き詰まったとき、理想と現実のギャップに悩み「福祉ってなんだろう」などと、今更ながらの疑問に突き当たったときなどは、あいかわらず「はがき通信」を読み返すことで自分を奮い立たせています。
埼玉県 MN
自己紹介です。S15生、受傷8年め。受傷レベル:3・4・5不全麻痺。
小生の場合、受傷数ヶ月前の職場検診の胸部X線検査の際「頸椎狭窄」との助言を受けていましたが、その時は頸椎狭窄が何を意味するか、ましてや頸髄損傷の何たるかも考えませんでした。 今、最大の悩みは排便コントロールの乱れと、ガス=便意の問題です。外出はもちろん、体を動かすことすらしたくないです。ともあれ松井先生の『頸髄損傷』、他「はがき通信」「ワーキング・クォーズ」などを拝読し、小生よりはるかに重度と思われる皆さんの行動力にはただただ感服のほかありません。これからよろしくお願いします。
佐賀県 KN
白血病も確かに大変だったけど、僕にとっての7年半の入院生活は、痛みとの戦いでした。6年間毎日何回も痛み止めの注射をしていました。普通マヒになると、シビレや痛みがあると言われますが、僕のばあい末期ガンの痛みも残っていると言われました。
病院もいろいろ行きましたが、痛みが楽になることはありませんでした。そして苦しんで苦しみぬいて今では、自分で自分の痛みを客観的に見て感じることができるようになりました。 あと抗鬱剤や安定剤など、少しでも痛みに良いとされる薬は何でも試しました。中にはこの薬が、なんで痛みに効くのか?と思うようなものもありました。しかし今ではMSコンチンと安定剤を少量飲むだけで、どうにか日常生活ができています。今痛みで苦しんでいる方、僕の8年間の痛みの経験でお役に立てることがあればなんでもお話します。
MSコンチンはモルヒネだけど、副作用などは僕にはほとんどありませんでした。僕も退院して8ヶ月が経ちますが、今車の免許を取りに行ってます。リハビリも近所の病院へ行っています。昔からの友人や、病院でできた友人、看護婦さんもよく遊びに来てくれます。
私たちに痛みはつきものですが、それを克服することは可能だと思います。誰よりも痛みで苦しんだと思っている僕ができたからです。
福岡県 TT
以前よりパソコン通信をやっていましたが、最近ではインターネットなるものへも手を出すようになりました。ずっとホームページをあっちこっちへと見に行っているだけでしたが、インターネットはホームページを見ているだけではなく、メーリングリストやニュースといったものがあったそうです。 それでこのたびSさんが管理されている「重度四肢麻痺者メーリング・リスト」(sakaue@butaman.ne.jp)へ参加することになりました。参加したばかりでまだ具体的な姿を理解していない私なので、どのような情報が流されているのか分かりませんが、情報源の一つとして今後利用していきたいと思っています。
神奈川県 MS : sawafuji@ca.mbn.or.jp
「DEEP SKY」&××××
TETSUYAYUKOの2ndCD「DEEP SKY」の宣伝させてください!!今作は8曲入りで、うち4曲がオリジナル曲です。イージーリスニングなBGM的CDです。タイトル曲のDEEP SKYは“雲ひとつ無い、真っ青な空の下で、精神的な身体の重荷を全部取っぱらったら、身体がすごく軽くなって空を泳いでしまった。突き抜けて突き抜けて、そして突き抜けたら、太陽が眩しくなり、ナンダカ、スゴクラクニナッテキタ”っていう(笑)幻想的な曲で、間奏は口笛生録です。 その他にもノリノリのオリジナル舞曲や、おなじみのクラシックナンバ−もあるんで、聴いてねっ。テクニックは打ち込みもマンドリンも前作以上でしょう×××!! で、今回のCDのジャケット絵は同じく四肢麻痺でグラフィックやってるセニョ−ル小林さん(「はがき通信」にも出てるゼ、YEAH!!)に描いてもらいました。ハッキリ言って“イルカが空を泳ぐ”超FANTASICでメチャメチャNICEな絵です!!曲以上のセ−ルスポイントかもね(笑)。 小林さんとはこれからも音楽と絵で何か楽しめたらなって感じ。CDぜひ聴いて、見てくだせい。今すぐTELME!!!!
殺害塩化ビニールレコード 他の収録バンドは放送禁止用語バリバリなゲテモノPUNKバンドばかりで、曲も色んな意味で過激です。俺の曲以外は、かな〜りFUCK(笑)。なんつーか、こっちのCDは聴かなくていいね、やっぱり(笑)。DEEPSKYの曲とは対極にあるCDです。
でも、ここの会社が企画するライブは悪役プロレスラーや、若手お笑いタレント入り交えてのPUNKYなライブで人気あるみたいです。行くのはある程度の覚悟要です。な、感じで、私事の宣伝ばかりになちゃってSORRYです。なにはともあれ、どっちも宣伝よろぴくーっ(クサッ!!)....コードネームC→G→Cで、またっ。
群馬県 TS
みなさんお元気ですか。昨年の3月号(多分)に自己紹介で長めのお便りをして以来、ごぶさたしています。あの時は、司法書士に合格して初めて家族の付き添いなしに行った沖縄研修のことや、ダスキンの留学プログラムに落ちたことなどをだらだらと書いたのですが、掲載された後、たくさんの方からお電話をいただき「はがき通信」っていい人たちの集まりなんだなあと、つくづく思いました。もう一度この場を借りて、電話を下さった方にお礼を言いたいと思います。ありがとうございました。
ところであの掲載の後、東京に住む「はがき通信」のメンバーである川内さんという方が私の文章に目をとめて下さり、電話をいただいたのです。川内さんはリーガルアドボカシー育成会議(通称LADD ラッド)という非営利組織を主宰されていて、簡単に言うと法律活動を通じて障害者の権利意識を目覚めさせ、社会を障害者にとって住みやすいものに創りかえていくことを目的とした組織なのです。その川内さんから「今、ラッドでアメリカに人材を派遣しているからあなたも行って勉強してきませんか?」とのお誘いを受けたのです。
向こうでは、自立生活センターや障害者の人権問題を専門に扱っている弁護士事務所でお話を聞いたり(もちろん通訳さん付きです)、障害者自身の手で運営されている権利擁護団体主催の年次大会に参加しました。 変に遠慮して、やってほしいことを言わないでいると、結局自分がきつい思いをするわけで、最初はほんとそんな感じでした。でもだんだん私自身のそんな心のバリアも不必要なものなんだと思えるようになって、次第に、妙な言い方ですが「人の使い方」を会得できたような気がします。 現在24歳で、まだ親元で生活していますが、この派遣を通じて1人暮らしというものを自分の中で具体的にイメージすることができるようになりました。費用面など、解決すべき問題はいくつかありますが、近い将来、そのイメージを実現させたいと思っています。 さらに、サンフランシスコ湾岸地区の使いやすいバスや地下鉄を実際に体験し、またいろんな関係者の方とお話しすることを通じて「日本はまだまだ障害者にとっては住みにくい社会なんだ。これを改善していくためにはやっぱり当事者である私たちが、変な遠慮をせず、動いていかなければならないんだ」と思うようになりました。これもこれから私が生きていく上で、重石が1つとれたような気がして、よかったなと思える点です。
この「はがき通信」のおかげで、あこがれのアメリカに行けたので、本当に感謝しています。
NIFTY-SERVE ID: CYI00736 CYI00736@niftyserve.or.jp
ゴールデンウィークが始まりましたが、いかがお過ごしですか。私のほうは、この1ヶ月間就職先を見つけるべくいろいろ動いてきましたが、ようやく先週、司法書士の研修先が内定して、少しほっとしているところです。 追伸:インターネットに入りました。メールアドレスをお知らせしますので、よかったらメール送ってください。
北九州市 YT : yuhei@seafolknet.or.jp
気を取り直し今回は、トドのお節介オジサンなのだ。今の嬶阿(カカアー)と一緒になれたのも多くの支援があってのことと感謝、感謝の還元に一役、二役買って出ようと意欲の空回り。
広島県 YS
追伸:妻の真実子と共著で本を出版することになりました。題名は『車いすでカリフォルニア』で、日本評論社から6月下旬発売予定です。詳細はまた報告いたします。
東京都 AK
たとえば、肺炎になったり、気を失ったり、この頃は痰が多いとまずいと思い、がんばり、冷や汗が出て苦しくなると、(ひどいと頭も痛くなる)おなかの石を思い出し、呼吸器をつけたり氷まくらをあてたりしています。
埼玉県小児医療センター RW
主治医の先生も日中のウィーニングのように急速な伸びはないにせよ、いずれは睡眠時のウィーニングも可能になるはず、とおっしゃっていただき、CO2、SPO2をモニターしながら少しずつ睡眠中のウィーニングもはじめています。 わずかな動きのみられた手足も今では左手でスプーンやおはしで食事をしたり、ペンを持って絵を描いたり、まったく動かなかった右手も腕の上下運動ができるようになりました。1人で寝返りをしたり、補助なしで30分ぐらい座位の姿勢が保てるようになり、毎日リハビリに励んでいます。 4月20日のお誕生日には入院以来はじめて自宅へ、一時帰宅をしました。外出するにあたって私たちはサクション(吸引)はもちろん、アンビュー、気管切開のガーゼ交換、カニューレ交換なども一通りのことを習いました。特注の車イスに(下の段にバッテリーや呼吸器などいろいろな物を積めるようになっていて上の段に娘がすわるように2段になっているため、スチール製でとても重いものです)。呼吸器(笹井建二さんと同じIMI社のLP10を在宅で使用)他、一式を持っての外出となりました。 わずか4〜5時間の帰宅でしたが、娘はとても楽しい誕生日を過ごせた様子でした。その反面、私たちは緊張と戸惑いの連続のうちにあっという間に病院へ戻らなければならない時間となりました。今後は外出、外泊と繰り返した後に退院し、在宅看護となる予定です。
『あの子の笑顔を永遠に』(笹井裕子著)、『5秒間ほどの青空』(藤川景著)を読ませていただきました。今後の在宅に向けていろいろと考えさせられ、とても参考になりました。『愛と友情のボストン』では山崎康広さんのアメリカ的な前向きな考え方に元気づけられ、勇気と希望が湧いてきました。また、夢運び人さん、ビデオとお便りを送って下さってありがとうございました。
札幌市 Tの母K: ray-kako@mud.biglobe.ne.jp
昨年7月にご主人を亡くされ、大きな悲しみの胸中でおられたようです。Kと同様に人工呼吸器をつけての長期入院生活、看護に通われる奥様の苦労も大変だったでしょう。少しでも自宅に近い病院へと、都立府中病院から地元の大宮病院へと転院されました。 そして自宅介護に万全な設備を整えようと家を設計され、新築中でしたが、転院後まもなくご主人は肺炎を併発され、家族と一緒の楽しい生活を目の前にして他界されました。何とも残念でならない気持ちで一杯です。 私は昨年「はがき通信」を通じて、Sさんが亡くなられたことを知りました。あまりの驚きにすぐお電話もできませんでした。Sさんの辛く悲しいお気持ちがよくわかるからです。やっと今年3月になり、わたし自身の気持ちも落ち着いたので、勇気を出してお電話をしてみました。 すると、Sさんはお元気そうな声で、明るく話してくださり、ほっと安心する心地でした。やはり、ご主人を亡くされた当時は、人に会いたくない、外へ出たくない、という心境だったのです。ただ、じっと家の中に静かにしていたいという気持ちだった、と言われました。 私もKを亡くしたときは心に大きな穴があいてしまって、しばらくは外へも出られないような状態でした。お話の中ではいろいろと共通する点が多く、すっかり気持ちが通じ合いました。呼吸器を付けた看護の大変さ、無我夢中で過ごしてきた日々のことなど、同じ体験をしてきたもの同志なので、すっかり意気投合して、長い長い電話をしてしまいました。
最後にSさんも私も、いい呼吸さえできれば、また呼吸器さえつけなければ、大切な命は守られたはず、と辛かったときの思い出を話し、慰め合うことができました。
埼玉県 HS
けれど道南(南北海道)には重度の中途障害者の集まりがなく、「はがき通信」の皆さんのご様子を読みながら、こちらでも何かしたいと思うようになりました。そこで昨年の秋、地元上磯町の保健婦さんに頼んで数人の方に声をかけていただき、今、会ができつつあります。 メンバーは脊損、難病、脳卒中や脳炎の後遺症など、おのおの違う障害を持っています。まず気楽に世間話をするところから始め、日々の悩み、情報交換、行政への意見、要望などを話し合っていける会にしたいと思っています。自分たちがそれぞれに違う障害を持っていることや年齢、生活環境が異なること(これはどんな場合でも言えることですが)で、会そのものがどのようになっていくのか不安と期待で次回の集まりを待っているところです。
このような会に対し、皆様からの御指導、御意見をいただきたく思っております。もしよろしければお願いいたします。なお、会のメンバーにも「はがき通信」を読んでもらっています。
北海道 AS +NS: YRX01041@niftyserve.or.jp
発行に携わるスタッフの皆さんのご尽力に対し感謝申し上げる次第です。
ちょうど第1信を投函したその日に母が亡くなるという報が入り、とても続けて第2信をというわけにもいきませんでした。それから母の1周忌も過ぎ、わずかばかりの切手と第2信を送りましたが、おそらく№37が出た後で送ったと思います。№39の末尾に「№38に漏れた通信が受け継ぎ事務のゴタゴタで……」ひょっとするとこの中に私の通信文が……と思いました。 施設に入って3年が過ぎ、1年を通して6時起床から5時前から始まる夕食を済ませてすぐにベッドイン。あまりにも規則正しい(過ぎる!?)生活をしていると身体的健康は保てますが、2日前は何をしたっけなぁ、昨日の昼食のメニューは何だったっけ、と思い出せないことが(最近特に)あります。40代前半にしてボケ症状が始まったのかなと、苦笑したり不安になったりしています。 ここに入っての最初の1年ぐらいは日記を付けていましたが、1年ほど中断していました。しかし前述のことがあって、ボケ防止の意味からもまた付け始めました。 趣味としては、葉書に1手ずつ書いて指し進める郵便将棋というのを6年以上続けています。対戦相手は通常10数人、そのほとんどの人は顔も見たこともない人(日本郵便将棋連盟の会員)です。この記録などの保存のためにパソコンをはじめ、毎日やっています。 №43でFさんが紹介されていた「障害者情報ネットワーク(ノーマネット)」は福祉に関するいろんな情報が得られそうです。しかし施設は居室までは電話線を引いてくれず、現状ではパソコン通信はやりたくてもできません。乱文にて失礼。
FM
主人ですが、昨年の夏に同じ年代の頸損の男の人が入所しまして(C4レベルで自分で動かせるのは首だけです)、話し相手が増えて喜んでいます。 彼の場合、労災病院で使っていた環境制御装置を自費でベッドサイドに取り付けてテレビ、ビデオ、ベッドの上げ下げ、ナースコールなど呼気で操作しています。最近電動車イスも買ったのですが、あごで操作する部分の調整がうまくいかないのかあまり乗っていないようです。 彼が電動でスイスイと動き回れば主人も車イスに興味をもって電動車イスに乗ってみる気持ちになれば面白いのですが…・・。施設の対応も変わったと思います。主人の時は呼吸器もあるからなのですが、機械類が多くていやな顔をされました。彼の場合は環境制御装置をすんなり認めたのですから時代がそうなってきたのでしょうか。
電機等のメカに強い男子職員の存在も大きいと思います。施設での生活は担当の寮母さんがよく気のつく方で、トラブル等もなく平和な日々を送っています。寮母さん等のぐちの聞き役になってみたりと変なところで人の役に立っているようです。信用されているということでしょうか。
山形県 SM+妻MM
車いすになってから、まさか2度もテレビに出ることになるとは夢にも思っていませんでした(入賞に続き2度ビックリ!)が、ご覧になってお電話やお手紙を下さった方々どうもありがとうございました。やっぱりこの年でスッピンで出てしまって、内容に被写体がマッチせず絵になりませんでしたね。ハハ……。 普段お化粧をしていないのでたまにして化粧ノリせず、白浮きしたらどうしよう?!などとくだらないことを考えてしまいました。でも、室内で使う照明ってまぶしいくらいに明るいのです。特に今回はインタビューより、お店で外食した時が他のお客さんはいるし一番緊張してしまいました。(ここの代金が自分持ちだったのに少し納得いかず) とにかくNHKって受信料で自前で作っているせいか人材、経済的、時間的にも余裕があるのか、こだわると言うかとても丁寧なのですよ。運転手さんも専属みたいです。実際の映像は14〜15分でしたが、神奈リハ病院まで取材に行き、横須賀にも計4回の4日間で約15時間ぐらいかかりました。Fさんも3分で3時間だったと言っていました。1時間のドキュメンタリーもので密着でもされたら大変ね。1時間以上もかけて、使われるのはほとんど数秒のワンシーンでした。
インタビューもほとんどボツで、私が手紙を書いているイメージシーンを全部カットされていたのにはさすがにムッ。準備から約2時間、ケイ性と闘いながら、直筆で緊張して一番疲れたのに……! 謝礼はなかなか立派なボールペンと錦織りのような敷物でした。NHKのマーク入りの専用の包装紙で、ヘェー。カメラマンさんが俳優の橋爪功にソックリで、後で写真を撮っておくのだったと……。ザンネン。
神奈川県 HS
ご参考までにC5、6の私の場合は、30㎝ばかりのかための針金(両端を鈎型に折り曲げたもの)を、いつもコントロールボックスの下にぶら下げています。 それから、部屋の中で低い棚などにある物を取り上げるのも苦労しますよね。そこで私はコンビニなどでもらった大小のビニール袋をためておき、何でも種類別にその中へ放りこんで、サイドテーブルの下段の籠の中に入れておきます。これだとビニールの取っ手に指を引っかけて持ち上げることができます。割れ物などはビニールを2枚3枚と重ねておけば弾力になりますし、手首に引っかければ一升瓶ぐらいは持ち上げられますよ。またサイドテーブルの枠木や電動車いすのコントロールボックスなどにも、市販のプラスチック製のフックを貼り付けて、小さな袋をぶら下げておけば何かと便利です。よかったらお試し下さい。
ですから、世間で使い捨ての代名詞みたいに言われるビニール袋や、その他の耐久消費財のような物は、使いようによっては、いくらあっても邪魔にはなりません。 工夫すれば工夫するほど自分の生活が楽になっていきます。頸損といえどもエコロジーにのっとったリサイクルな生活を心がけるには遠慮は入りませんからね。
そうしてみると、毎日の新聞に折り込まれてくる広告チラシの白紙などももったいなくてたまりません。再生紙に回されればよいですが、たいていはゴミ屑行きでしょう。私は自室でやっている学習塾のため束ねて計算紙にしたり、編集している同人雑誌の見本を作るのに利用したりしていますが、それくらいでは高が知れています。何とかあれも再利用する方途がないものでしょうか。
佐賀県 TN
さて、那覇市の場合、問題は空港から2㎞の市内にどうやって行くか、ですが、これも格安なリフトタクシーにお任せ下さい。日本各地のタクシー会社は出迎え料を5000円か、それ以上取るので、たった2㎞で6000円台という“法外な”値段を吹っかけるようですが、那覇市にある2社のリフトタクシーは空港から3㎞離れた国際通り(那覇市随一のショッピングセンター)までわずか1000円です。
宿泊費はホテルによって異なりますが、1泊2食付きで7000円以上です。
ひめゆりの塔は市内から約40分の所にありますが、1時間の見学で学ぶことは、戦争の悲惨さでしょう。ここも階段はありません。なお、リフトタクシーには2台の電動車イス、または3台の手押し車イスが乗れます。
沖縄の人たちの人情豊かな性格は、戦争で痛みを知った結果でしょうか。大変な犠牲を払って体得した“弱者への思いやり”を忘れずに、車イスの皆さんをやさしく受け容れたいと思います。車イスのみなさん、めんそーれ沖縄!! 大栄タクシー・福祉係:098-857-0778
1月も中旬になり4週間に1度のカテーテル交換(膀胱瘻)の時期になり、予め泌尿器科の診察日を確認し、ジプニーで私とアテンダントでルセナ市内の病院に向かった。昨年の滞在中に長期滞在の準備のため同じ病院でカテーテル交換のための診察を受けていたが、こんなに早くカテーテル交換する機会が来るとは思わなかった。 病院は待合室などなく車イスの人、ギブスを巻いた人など多くの患者が廊下や外で待っている。20分すると名前を呼ばれ、手術台のような診察台にドクター自らトランスファーを手伝ってくれ、アテンダントに冗談を言いながら、まるで以前より主治医だったくらい、スムーズに交換してくれた。抜いたカテーテルの先に付いた異物を指さし「これに注意しろ!」と水分を多めに取るようにと言ってくれ、最後に私が「このカテーテルはこの病院にあるか?」聞くと「もちろん、ここは病院だよ!」と笑顔で答えてくれた。帰りに薬局を覗いたが、日本のメーカーの医療器具や薬の箱があったり、救急車で急病人が来たり、建物は古かったが、玄関の拳銃を持った警備員を除けば日本の病院と同じ気がした。 今回の診察料はカテーテル持ち込みで300ペソ(約1350円・日本では保険が利いても1500円)だった。もし交換後、尿の流れが悪かったりカテーテルにトラブルがあれば帰国も考えていたが、その後もトラブルなく、初めての異国でのカテーテル交換はうまくいった。 1月15日にはルセナ市内にあるダラヒカンという港に電動車イス6台で出かけ、体温調節のできない頸損者が炎天下、約2時間走り続けた。みんな辛そうだが何故か頑張れてしまう。もし、日本でしたらすぐギブアップして、コンビニや銀行に逃げ込んでしまうだろう。しかし、そんなのあるわけないが、通過していく車やいろいろな店や建物を見ながら走ったり、沿道で手を振る人たちや、電動車イスについてくる子供たちを見ていると、いつの間にか走りきってしまう。それが、フィリピンの良いところかも知れない。 アテンダントたちは近くの砂浜で泳ぎ、お昼にはバーベキューをした。帰りも約2時間電動車イスで帰り、上肢の少々動く人に水を飲ませてもらったり、顔を拭いてもらったり皆さん助け合いだ。確かに辛い時もあるが、GLIPに着いた時の壮快感は日本では味わえない。 以前、私は2度ほどフィリピンに滞在している。その時は日本人の介助者と一緒で、フィリピン人アテンダントに介助をお願いし、言葉がうまく伝わらない時だけ補足的に日本人介助者にお願いした。しかし、今回は100%フィリピン人のアテンダントに頼まなくてはいけない。そのため、時にはぶつかることもあった。 ちょっぴりのタガログ語と、少しの英語では食い違いが出るのも当然だが、私もカテーテルの管理や褥瘡を作らないよう体調維持に必死で、細かいことを言い過ぎたかも知れないが、時には本気で言い合ったこともあった(もちろん英語で……)。喧嘩をしても、日本人だとその日は1日気まずいが、30分もしない内に部屋に入ってきて頼んでもいないのに、私の爪を切りはじめたり自分の子供の頃の写真を見せたりする。まったく、よく分からない。でも、今から思うと「これも勉強のひとつかなぁ」なんて思っている。 1月も終わりに近づき帰国が迫ってきた。滞在最終週にはルセナの港より船でマリンドーケという島にでかけた。電動車イス5台、ポーターに持ち上げてもらい高速船に乗り込み、約2時間の船の旅だ。これは赤道近くのサンボアンガに長距離旅行をするための予備訓練だった。港に着くと皆さん初めて見る電動車イスに大騒ぎ。港から街までジプニーで行くのだが、日本人だと高額な料金を提示してくる。2時間ぐらいねばり向坊さんが半額にまけさせ、やっとジプニーに乗り込む。街に着いて市場を散策していると「電動車イスの日本人」にどこへ行ってもすぐに黒山の人だかりになってしまう。 夕食を済ませ、その日は薄暗いようなホテルに泊まった。翌日、午前中は海に行き、昼食は向坊さんが以前より学費を援助している、マリッサというポリオで車イスの女の子の家に招待された。そこでは近所の人たちも集まり、歌を唄ったり花を貰ったりの大歓迎を受けた。日本とはちょっと違う生まれて初めての歓迎に涙をこらえるのが必死で、これだけでもフィリピンに来た甲斐があったくらいだった。港までマリッサ家族が送ってくれ、同じ高速船でルセナに向かい日本人身障者の家に着くと19時を回っていた。 これ以外でもルセナ市内に、買い物に行ったり映画を見に行ったり、そして毎日のように付属農園に出かけた。日本人身障者の家も農園も身障者自身が経営する。行事が多彩で一日として同じ日はない。現地の人が向坊さんに相談を持ちかけたり、毎日いろいろな人が訪ねて来て名前を覚えるだけでも大変だったが、今回は長かったこともあり沢山の友達ができた。
2月1日、いよいよ帰国の日が来た。GLIPを早朝3時に出発し、マニラ空港に6時着。来るときは無我夢中で来てしまったが、帰りは少々緊張した。それは、マニラ空港は警備のため旅行者以外は入れず、空港入り口で大きな荷物と共にひとりになる。荷物チェックの後、ノースウエストのカウンターに直行し、電動車イスのままゲートに行きたいことと、機内で食事介助が必要なことなどを告げ、ポーターと一緒にゲートに。
約7週間フィリピンに滞在したが、終わってみると「あっという間」で3週間くらいに感じ、今回は「楽しかったぁ」は元より「勉強になったぁ」のほうが大きく感じた。 時には辛く、寂しく、心細い時もあるが、なぜか、また出かけてしまう。でも今回の滞在が、これからの私にとって本当に大きな自信につながったと確信している。
フィリピン3回めの滞在を終えましたが、現在の私にとってフィリピンは、観光であり、勉強の場であり、気分転換の場所です。頸損が経営する施設ですから「散歩、行って来まーす」の一言で外出し、行こうと思えばいつでも街に行けます。時間や厳しい管理の中に縛られている私にとって、改めて「自由と責任」の尊さを感じます。 向坊さん(C4・5)、Tさん(C4・5)、Fさん(C6)を始め、一緒に滞在したMさん(C6)、Hさん(C4・5)、そして現地の皆さん、ありがとうございました。またフィリピンでお会いできるのを楽しみにしています。
東京都 TF: t_fuzawa@ma3.justnet.ne.jp
今年の遠征先はフィリピン最南端にあり、赤道に近い都市、サンボアンガです。大きな客船でもマニラから2昼夜かかる遠い場所です。目と鼻の先はインドネシアとマレーシアです。タイ、シンガポール、ベトナムにも近いため、巨大な密輸基地になっていて、絶えず外国人の誘拐事件が起こる所です。回教徒の独立運動の拠点でもあるため、以前はイスラム解放軍兵士が数日間市庁舎を占拠し、市長以下職員を惨殺したというフィリピンでも有名な都市です。 2カ月前から慎重に練られた計画では、電動車イスの参加者5名(F・C6、M・C6、H・C4-5、T・C4-5、向坊・C4-5)、付き添い7名、旅程は2月14日から8日間、往復は7800トンの豪華客船で4泊、現地ではホテルに4日間滞在、1人あたりの費用1万3000円(これは日本だったら10倍以上になるでしょう)、車イスの後ろ側に「 Social Welfare!」(社会福祉を)という大きな標語を掲げること、などが決まりました。 いざ実行の段階で、「無事に帰れればいいが」と弱気になる人もありました。案内役のフィリピン人男性職員(40歳)は怖くなって、腹痛を理由に乗船前に帰ってしまいました。「1人分費用が浮いて良かったよなー」なんて、私は強がりを言いながらも、内心は不安でいっぱいでした。ただならぬ緊張感に包まれながら、巨大なスーパーフェリー3号は低い汽笛を残してマニラの4番埠頭を出航しました。 船中、フィリピン人ヘルパー全員が船酔いで寝込んでしまい、身障者5人は狭い2段ベッドに寝かされたままという悲惨な船旅になってしまいました。期待していた美しい島影は幻と消えました。 サンボアンガの町は雨でした。朝4時に下船して暗がりを電動車イスで走りながら、ホテル探しや情報収集などに懸命です。夜明けの市民は人なつっこく、敵意を感じさせる人は見かけません。沿道の人々は5台も並んで‘走る椅子’をはじめて見るわけですから、手を振って声援を送ります。子供は目を輝かせて親切にも伴走し始めます。新聞社の取材班が写真を撮りに来たり、機械に熱心な人に電動の機能を説明したり、どこに停まっても黒山の人だかりです。なんだかホッとして嬉しくなりました。 毎日、午前中は浣腸・清拭・関節運動などでみんな忙しく、11時頃にやっとホテルのロビーに集合して町に繰り出します。猛暑の中を大きな通りから小さな路地へ、車イス部隊は1列になってただ走り続けます。果たせるかな、熱暑のために誰かが熱射病状態になり、電動車イスの進行はやむなく頓挫することもしょっちゅうです。 そのたびに見知らぬ市民に濡れタオルを頭にかぶせてもらったり、冷えた飲み物を注文しました。下町の市場では群がる人の多さに車イスが進めなくなることもありました。「なぜ日本から来たの?」「車イスは何で動くの?」「電動車イスはいくらで買えるの?」など、質問ぜめです。
サンボアンガ市は人口15万人くらいで、直径8㎞の小さな都市です。こぎれいな町並み、経済を支える華僑、親切な人々などが印象に残ります。犯罪都市の臭いはまったくありません。
争いと不信の町に不自由な身障者が潤いの一滴を落とせたのだろうか。彼らの心に戦いを嫌い、平和な社会建設を促すきっかけをつくれただろうか。観光はほとんどなく、ひた走るだけならば、今後ともこういう旅行のしかたに意義があるだろうか。いろんな疑問を残しながらも、無事に終わってホッとした緊張の旅でした。
北九州市 向坊 BXE06432@niftyserve.or.jp
連絡先 大久保: KFR05061@niftyserve.or.jp (TEL&FAXの番号は情報交換誌「はがき通信」を御覧ください) ● 出た! ヤマハの新製品。手押し車イスの電動化が簡単、廉価になりました。タイプJW-1。 資料請求・お問い合わせ先 また、他社の新製品情報もリンクされていて、充実したホームページです。 ● 身障者が所有する自動車を他の所帯の介助者が運転する場合でも、自動車税、取得税が免除されることになりました。福祉課にお問い合わせを。 ● 本の紹介
以前神経研の松井先生のところでアルバイトをされ、「はがき通信」の編集もお手伝いしていただいていたNさんのご主人が、ボランティア関係のご本を出版されたのでご紹介します。 阪神・淡路大震災でボランティア精神に欠けると言われてきたこの日本で、全国的なボランティア活動が盛り上がりを見せました。非常時に臨機応変な対応のできない国の情けなさ、歯がゆさを国民一人一人が痛感したのではないでしょうか。「選挙で首長や議員を選んだあとは、すべて彼らに任せるのが民主主義」震災は、そんな政府のみに頼ろうとする国民の甘い心に鉄槌を下したとも言えます。 アメリカ社会は幾多の難題を抱えながらも、常に活力にあふれ、次々と独創的で魅力に充ちた成果を生みだしています。それは政府と民間企業ばかりでなく、多彩な「民間の非営利組織」が社会のありとあらゆる分野で、大きな先導的役割を果たしているからだと本書は言っています。政府と企業だけに頼っていたのでは、新しいことはなかなか始まらない。「ボランティア活動」こそが、民主主義を支える大きな活動であるのです。そしてまたアメリカは、ボランティアをとなえる国でもあります。 私たちハンディキャップのある者は、どうしても「される側」という受け身の立場に置かれがちです。しかし、する側とされる側が対等の立場で目線を合わせなければ、本当に心を寄せ合う、本書の説く人間のぬくもりに満ちた暮らしはつくりだせないでしょう。ギブアンドテイクの関係は、目に見える成果や利益として現れるものばかりではないはずです。援助される側にも日ごろの心構えが必要という言葉が心に残りました。 アメリカでは109歳のボランティアがいるそうです。「ハンドホルダー」という、患者の手を握ってあげることも立派なボランティア。日本の「自らを犠牲にする奇特な奉仕活動」というイメージからは、程遠いものを感じます。「ボランティアをどんどんほめてほしいと思う。それがあなたの社会貢献になるのだから」冒頭の帯封にこう記されています。こんなことからだったら、私たちハンディのある者も始められるのではないでしょうか。
日米のボランティアに関する考え方がわかりやすく書かれています。ボランティアの評価・表彰についても具体的に詳細に掲載されています。魅力と活力のある社会に向けて新たな生きがいを求め、21世紀を「ボランティアの世紀」とするべく、ボランティアをあたり前のものとして評価し、多くの人々に身近な日常的なものとするために、読みごたえのある、ぜひお薦めの1冊です。
書評:HS
● 京都のアクセス・マップができました。38ページ、100カ所、旅行の予定の方はお問い合わせを!
問い合わせ先: ● 就労問題研究会(WORKING QUADS誌)の主宰者、KSさんが充実したホームページを開設。 ● KSさん(『がべちゃん先生自立宣言』の著者)のパソコン通信IDをお知らせします。 ● 北海道全域の旅行ガイド。“もへ”と名乗って自己紹介のお便りを書かれたMKさんが北海道全域の旅行用に、車イスで利用できるリフトカーと宿泊のガイド冊子を用意しています。A4判20ページ。 ご利用の方をお待ちしています。(問い合わせ先は情報交換誌「はがき通信」を御覧ください) ● 松井編集長より皆さんへ お元気ですか。私も大学生活2年めに入りました。講義も3つとなりました。11月末から始まる19週の実習準備とますます超多忙な日々を過ごしています。 6月末から約2ヶ月、文部省の在外研究員としてカナダUBCに超短期留学してきます。この間、研究室が不在になりますので、7月、9月の通信は浜松医大に送らないで下さい。向坊さんか麩沢さんに送って下さい。11月以降の通信は、浜松へも送って下さい。よろしくお願いします。 ● 『去年「はがき通信」の会費をいつ払ったか忘れてしまいました。3月頃だったと思うのですが……。ほかにも迷っている人が多いのではないでしょうか』(東京都KF)という会費の支払いについての投稿がありました。 当発行部では会費納入について記入するのが精一杯で、督促状は出していません。当分、発行資金は充分に確保されていますので、自己の判断でお支払い下さって結構だと思います。「はがき通信」年間購読料1OOO円は向坊宛に、郵便振替の場合、01730-4-43973番、加入者名:向坊弘道で御送金下さい。 ● 前号の本の紹介で山崎泰広著『愛と友情のボストン そして、その後の十年・・・。』文京書房(1000円)については、書評がMIさんではなく、松井先生でした。お詫びして訂正します。 ● 年1回の「はがき通信」懇親会を浜松市で、10月10日・11日・12日の2泊3日で検討中です。詳しくは次号にて。 ● 日本せきづい基金。現在資金残高31万9000円。問い合わせは、大浜さん(03-5420-7126)まで。
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