は が き 通 信 | Number.42---P1 |
POST CARD CORRESPONDENCE | 1996.11.25 |
自分の苦しみは他人にはわからない、と誰もが思います。でも年月が後ろから見つめる目を養わせます。自分は特異ではなかったと思えてくるとき、たくさんの友だちに気づきます。メッセージのやりとり、それは心のやりとりです。
向坊
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医者には、「ICUにいても冬は越せない、褥瘡が手遅れだ、肺炎になった、敗血症になった、精神的にたいへんだから宗教を……」とか、「治る見込みがないので意識のあるうちに家に連れ帰って思い残すことがないようにしてくれ」などと言われ続けました。 「呼吸器は一生とれませんよ、褥瘡も一生治りませんよ」と言われて1年がようやく過ぎ、何とか呼吸器がはずせましたが、1分に30〜40回も呼吸をしています。 見放された命をなすすべもなく見守るよりほかなかった1年でした。ですから本当は「はがき通信」を知って以来、元気になって活動されている方々お1人お1人に、どのようにして今日があるのか、伺いたい気持ちです。 時々異常に上下する血圧(平常は110−70前後が230−90または50−30)、37〜38度の体温で頭だけ熱く、手足が冷え切ってしまう現象等々、ただただ見守るだけという現実にどうしたらいいのでしょうか?あなたにはこんなことありませんでしたか?と聞いて回りたい気持ちでいっぱいです。 過日、医学書院に本の注文をした際、「はがき通信」の No.38をいただき、主人に読んで聞かせましたところ、同じ境遇の方々のお話なので関心を持ち、ほかのも読んでみたいと申します。 町会議員1期めで議長に選ばれて間もない事故でしたので、絶望も大きく、医者にも見放された感じです。今は病院で褥瘡の手当てだけの毎日です。でも、同じ境遇の方のお話が一番信じられて興味を持てたようです。できれば、バックナンバーをわけていただくか、貸していただけるか、お願いしたいと思って書きました。直接お電話していいものやら迷いましたが、強制しているようになってもお困りでしょうから、取りあえず手紙にて、送料だけ送ります。勝手なお願いですが、よろしくお願いいたします。どうぞご自愛ください。
長野県SK
僕は91年にバイク事故で受傷しました。ああ、愛車の Kawasaki GPZ400R は無残、大破。それでも僕は何とか助かって、現在28歳のC4頚髄損傷男です。現在、首のみ可動状態です。 ですから、パソコンを使う時はマウススティックを口にくわえて、キーボードをつついて文章を入力しています。その姿はまるでキツツキの様。また、マウススティックの先に、ペンタブレット用のペンを取り付けて、ペンタブレットも併用しております。 ですが、最近、マウススティックをくわえ続けると、前歯がいたくなってしまいます。マウススティックの素材は、口にくわえる部分に、オルフィット(商品名)という熱可塑性樹脂を使っております。この素材は熱を加えると柔らかくなり、冷えると固まるという性質の素材です。ですからお湯にいれて口にあうように型を作って使える便利な素材なのですが、僕には少し固いみたいなのです。 何かもっといい素材はないものか? もしくはもっと使いやすい入力機器はないものか? と、現在探しているところです。もし、これをお読みになっている方で、何か良い素材のマウススティックをお使いになっている方がおられたら、ぜひ教えていただけないでしょうか? また、僕も、何かいいものを見つけた場合は、ぜひ報告させていただきます。 ようやく暑い夏も過ぎたと思ったら、今年は残暑が厳しそうで、やだなあ。はやく涼しくなって欲しいですね。しかし寒いのもヤダなあ。ではまた。
群馬県HK : MXF04471@niftyserve.or.jp
私はNといいますが子供のHが、この2月12日に友達の車の後部座席に乗っていて事故にあいました。C4・5の頚髄損傷で、今は手・足ともぴくっとも動きません。まだ19歳です。 最初の病院で約6ヶ月間、起立性低血圧でなかなかリハビリも進まず、ベッドも直角に起こしたことはほとんどありませんでした。7月31日に小野田(山口県)の労災病院に転院してようやく電動車椅子にすわれるようになり、今スティックを口にくわえてパソコンの練習をしています。 労災に来て先生が、もう治らないことを直接Hに言われたそうですが、事故後も前の病院の時も、宣告された今も明るく、先生が「異常に明るい」と言ってびっくりされています。私も看病していても冗談が言えますので気が楽です。 「はがき通信」を読ませていただいて、いろいろ勉強にもなりました。Hが書きますかどうかは今のところわかりませんが、これからも送っていただけませんでしょうか。よろしくお願いいたします。
山口県 HN母M
「はがき通信」の会員の方の中にも、療護施設という小さな社会の中で、悶々と生活されている方々がおられることでしょう。 うちの施設は、地理的にも避地にあるためか、地域住民との交流があまりなく(慰問・見学 地元民の災害時協力はありますが)、他のボランティア活動などは、無に等しい状態です。 それで、たとえば入所者が個人的に外出、外泊をしたい場合「足」と「介護者」の確保にたいへん苦労しております。 地元出身の入所者は家族の協力でたびたび外出できますが、遠方出身の入所者には、それもままなりません。 施設内行事での1泊旅行、年に2度の買物外出だけで満足できない私たちは贅沢なのでしょうか。会員の方々のご意見、他施設の現状など教えていただけたらと思いペンを取りました。 これから末長く「はがき通信」を愛読していきたいと考えています。よろしくお願いいたします。
岩手県 SK
私は昭和40.10.04 生まれで、31歳です。1990.12.31 にアメリカのアリゾナ州で交通事故により受傷(C5)しました。フラッグスタッフ・メディカルセンターにヘリで運ばれました。1991.03.05:帰国し、伊豆の慶應月ヶ瀬リハビリセンターでリハビリをうけ、1992.02.05に自宅に帰りました。 その後、地元バスケチームに参加、同程度の仲間から自動車運転のノウハウを得て運転も限定的ながら可能になりました。昨年(1995.09.15)より工務店でデータ入力の仕事を在宅でしています。 最近、NIFTY以外にもインターネットで世界のあちこちのサイトを眺めています。できれば世界中の人たちとも知り合えたらと考えています。もちろん日本の仲間とも連絡を密にして交流を深めていきたいです。 そこでお願いなんですが、「はがき通信」の仲間のID等も教えていただけないでしょうか? 地元や以前入院していた病院仲間以外とも交流をふかめていけたらと考えています。 さて、浜松でのシンポジウムに刺激されて、今日、自宅に戻ってから初めての不在者投票に市役所に行って来ました。郵便投票証明の申請もかねてのことだったのですが、ちょっとしたことの大きな問題を実感しました。 まず市役所に到着すると身障者用駐車場スペースには出入りの業者の車が……。それでも自分のスペースがあったので問題なく駐車。不在者投票の案内にしたがい行くと階段が……。仕方なくエレベーターのあるところまで戻り、職員に投票所を訪ね行くと今度は段差が……。その場所に行くにはちょっと見渡してみると階段をのぼるか段差を越えなければいけない……。 困っていると職員の一人があちらから行けば段差なく行けますとのこと(聞いてないよ)。疲れました。 シンポジウムで権利獲得の一例としてもぐりの車椅子タクシーのことを話した方がいましたが、さぞエネルギーを使われただろうと思いました。 またいろいろ教えていただきたいこと等あるかと思いますが、これからもよろしくお願いいたします。
静岡県 KO: PBC03452@niftyserve.or.jp
/ odagi@crt.or.jp
今日は。受障後18年/C5/35歳の男です。みなさんお元気ですか。5年ぶりに手紙を書いています。その間、両親も60歳を越えて介護が大変なのでヘルパーと訪問看護を利用するようになりました。それでは私が利用している福祉サービスを紹介しますので参考にしてください。 1、まず社協のヘルパー。月曜日から金曜日まで1回30分間、トランスファーと掃除をしてくれる。 2、市の在宅医療の看護婦さんが、月曜日と金曜日に1回1時間、洗髪と清拭をしてくれる。 3、訪問看護ステーションの看護婦さんが水曜日に入浴させてくれる。が、秦野市に訪問看護助成制度がないので1回3000円ほどかかる。 市に初めて要望書を出したが、誰かよいアイデアがあったら教えてください。みなさんの地域では、どのような福祉サービスを利用していますか。
話は変わりますがプロレスファンの人、パーフェクトTVに世界初格闘技チャンネルがあるよ。
神奈川県 SI
排尿は1日3回導尿をしてもらいます。ある程度たまると自然に出るので、昼はビニール袋を夜はシビンを付けています。 排便は週2回で、1回は母でもう1回は看護婦さんにお願いしています。前夜に下剤を飲み、当日は浣腸と摘便をします。ベッド上で行います。 風呂は週1回で、母と近所のおばさんに入れてもらいます。3日後にベッド上で洗髪と着替えを看護婦さんにしてもらいます。 薬は抗生物質(尿)・整腸剤(ガスコン)・タン切り・カユミ止めを常時飲みます。
体調は良かったり悪かったりですが、なんとかガンバッテいます。今後ともよろしくお願いします。
広島県 YO : QWE01121@niftyserve.or.jp
日帰りで1日中、17時間連続で車椅子に乗車していたため、帰ってきたら床ずれは最悪に悪化していました。次の日から9月半ばまで、1ヶ月半以上もベッド療養になり、夏はベッド上ということになってしまいました。ただ覚悟の上で行ったので後悔はしていませんが。 私たちは身体は不自由でも、頭脳は健常者と何ら変わりはありません。残された最後の切り札といってもいいでしょう。ですから脳ミソを遊ばしておくのはもったいないです。 年とともに頭の回転が悪くなるのは仕方ないことですが、毎日を何もしないで過ごしていると、よりいっそう頭の回転も悪くなっていきます。手先を使わないと頭の回転が悪くなると言われますから、手先の利かない私たちはなおさらです。 皆さん、ぜひこの機会にオセロを始めてみませんか。オセロは絶好の頭の体操になりますよ。回りの人たちにも勧めてみてください。回りに相手がいないのならば、私の所にお便りかFAXをください。そうすれば、パソコン用のオセロのソフトをフロッピーにコピーして差し上げます。 この通信を読まれて、1人でも多くの人がオセロを始められることを願ってやみません。そしていつの日か全国大会で、お互いが対戦するようになったらなんて素晴らしいことでしょう。
少し長くなりましたが、オセロについて理解してくれたでしょうか。また、何か面白いことや興味のあることがあったら投稿させていただきます。その日まで皆さんお元気で。
静岡県 HM 34歳
現在僕は北九州自立生活推進センターというところで、広報の仕事をしています。これは全国に約60ほどある自立生活センターの1つで、障害者の自立を支援するために、いろいろな事業を行っているところです。
ピア・カウンセリング、自立生活プログラムなどの言葉は、耳にされている方もおられるのではないかと思います。 僕がこのセンターにかかわるようになったきっかけをお話しますと、2年前、まだ大学を卒業してまもないころ、知り合いのソーシャルワーカーの方から、センターのある女性を紹介されました。彼女はチン・コントロールの電動車椅子に乗る、重度の脳性マヒの障害者だったのですが、1人でJRなどに乗ってどこへでも行き、そこにいた人にトイレや食事の介助を頼んでしまう、とてもパワフルな人でした。 大学時代、最も親しかった友人にさえ、トイレ介助を頼むことができなかった僕にとって、彼女の生き方は驚異でした。また、センターのメンバーたちの障害を意識し過ぎない自由な生き方は、僕の目にとても新鮮に映りました。 それまで僕にとって、障害は「最悪のもの」であり、障害を持った自分は「みじめで」「かわいそうな」存在でした。「障害はあってもいいじゃないか」という彼らの言葉に、僕はとても勇気づけられました。それ以来、少しずつセンターにかかわるようになり現在にいたっています。今では1人で旅行などもしますし、障害を持った自分のことも気に入っています。 世間にはまだまだ自分の障害を受け入れられず、希望を失っている仲間たちが大勢いるように思います。今度は自分が、そんな彼らのために何かできればと思い、センターの活動をやっています。 肢体不自由の障害者、視覚障害者、聴覚障害者、知的障害者、高齢者、幼児を持つ母親、在日外国人……みんなが地域で共に生きていける社会が、いつかくればと思っています。 最近、朝晩がかなり涼しくなってきました。みなさんもそうかもしれませんが、毎年この時期、僕はよく風邪をひいてしまいます。毎晩、翌朝の最低気温をチェックし、布団の枚数を調節するのが日課になっています。みなさんもどうぞお気をつけください。今後ともよろしくお願いします。
北九州市 K R
介助者の負担を軽くするズボンを知りたいという四国のSさんへ。 ベッド上ではどうしていらっしゃるのでしょうか。もしはだかなら、そのまま車椅子に移ればいいでしょう。 私はこうしています。車椅子の座席にローホーなどのフローテーション・マットをおき、そのうえに毛布なりタオルケットなりをかぶせ、さらに失禁にそなえて紙おむつを敷いて座席をととのえます。そこへ下半身はだかのままベッドから明電舎のパートナーでトランスファー。
毛布で左右から下半身をつつめばおわり。簡単に言えばこうなります。ズボンでなく、巻きスカートにするのです。
寒さ対策はこうしています。ももひきを足の付け根から下だけ切ったものを1年中はいています。尻から上の部分は、つかわずに捨ててしまう。
東京都 KF : CQN03007@niftyserve.or.jp
さて先日、三日間の大学院集中講義に大学院生に混じって出席してきました。私の研究分野に近い講義内容だったのと、講義終了後に講義ノートが配布されそうだったこともあって、気合いを入れて自分でノートをとってみました。私は書字用装具をつければ自分で字を書けるのですが、板書をもらさずノートに写すほど速くは書けません。この時は少しはしょったりしましたが、だいたいの内容は書き留められました。小さめの字で書いたのもよかったのだと思います。 その際、学生時代に、授業のノートを誰にとってもらうか、自分では簡単にはとれないものか、などと考えていたのを思い出しました。 中・高校生や大学生の高位頚髄損傷者が復学する際も、授業のノートをどうするかは意外と大きな問題だと思います。もちろん今はコピー機が発達していますので、誰かのノートをコピーさせてもらえばよいというのが一つの解答です。 コピーによる複写の主な難点は、コピー代がかかることと、ファイルに保存するのにかさばることがあります。コピー代は学校・大学側で補助される可能性がありますが、保存の問題は残ります。特にA3判・片面コピーで半年もためると、A4判ファイルにかなりの量です。 その代替案として、私はカーボン紙による複写を友人にお願いしていました。この方法は、私が神奈川リハに入院していた際に知人から教えてもらったもので、とても重宝しました。 必要なものは、市販のB5判程度のカーボン紙と好みのルーズリーフ用紙です。カーボン紙は最近はあまり使われないようですが、文房具屋に行けば数百円で何枚も入ったものが買えるはずです。これらをノートにはさんで、誰かにノートをとってもらえばよいのです。とりわけ、筆圧の高い人が下敷を使って書くととてもきれいに写り、コピーのものより読み易いほどです。 この方法の長所は、授業が終わると同時にノートが手に入ること、安価であること、そして保存にかさばらないことが挙げられます。一方欠点は、ノートを書いている人が消しゴムを使いにくいことです。何も考えずに消しゴムを使われてしまうと、こちらのノートの該当箇所が真っ黒になります。間違えたところに線を引いて別の場所に書き直してもらうのが、最も簡単な対処法だと思います。
ある友人は、定規を挟み込んで消しゴムでノートの方を直し、ルーズリーフ用紙には直接書き加えるという高度な技術を開発してくれました。
東京都 AK
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