| も く じ | |
| ★ ごあいさつ | はがき通信ホームページ管理人 ポスト |
| ★低血糖には甘い炭酸ジュース | はがき通信ホームページ管理人 ポスト |
| ★『臥龍窟日乗』 ‐88- 岩倉使節団 |
千葉県:出口 臥龍 |
つい先週まで半袖を着て、冷房をつけていたのに、一気に、ダウンと暖房が必要な気温になりました。皆様、ご体調いかがでしょうか? 毎年暑さが更新されているような感じがしますが、より危険を感じる夏でした。
大阪・関西万博、惜しまれながら、盛大に閉幕し、収支はこれからのようですが、終盤には来場者も増えたようで、何よりでした。3回ほど万博に行ったのですが、3回目9月に行ったときには、1回目4月に行ったときよりもはるかに来場者が増えていて、驚きました。万博会場内で昼食を食べているとき、相席になった女性に話しかけたところ、「ここに来ると、どんどん元気になる」と言われた言葉が印象的でした。大阪在住の方で、通期パスで何度も来場されているようで、暑い中、たくさんの距離を歩くので、そのように感じておられるとのことでした。この女性の言葉だけでも、万博の意義があったのではないかと感じました。
さて、暑中見舞い兼ご投稿お願いはがきは届きましたでしょうか? はがきを購入するにあたり、はがき通信資金の残金を当てさせていただきました。重ねて、はがきが届いた方、お時間がよろしいときに、ご投稿を何卒よろしくお願いいたします。
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低血糖には甘い炭酸ジュース 
健常者の頃は、大抵食べたいときに食べることができたので、低血糖症状になることがなかったと思うのだが、数年前から数ヶ月に1度の頻度で、主に夕食前の空腹時に低血糖症状と思しき症状になった。低血糖なのかどうかはわからないが、空腹感が強く、飴やチョコをお腹に入れると、症状が治まるので、おそらく低血糖症状だと思われた。しかし飴は回復が遅く、チョコは脂肪分が高いので、胃もたれ感があった。
先日、一人でいるときに、低血糖症状になり、ヘルパーさんが来るまで、あと1時間と我慢していたのだが、耐えられず、力が入らなくなり、頭が起こせなくなった。そこで、以前、何か頸損関連冊子でどなたかが、低血糖のときにはコーラが一番よく効くと書いてあるのを思い出した。母にコーラかペプシを買ってきてほしいと頼むとグレープの炭酸を買ってきたので、これでも大丈夫かなと試すことにした。すると、何と回復が早いことか。あっという間に、脳に糖分が行き渡り、空腹感が治まった。すごい効き目である。
以上の結果から分析すると、甘い炭酸ジュースは、もちろん糖分が多いことに加え、液体であることから、個体のものよりも吸収が早いため、脳に届くのが早いのだと感じられた。そして、何より炭酸が、お腹に満腹感を与えるのだと感じた。低血糖症状を改善するには、甘い炭酸ジュースは理にかなっているのである。どなたが書かれた記事か思い出せないのだが、今、自分にとって必要でないと感じられる情報も、後に自分にとって必要になることがあると実感した出来事であった。
追記
炭酸飲料には、たくさんの糖分が含まれているので、摂取には充分お気をつけいただきたい。
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『臥龍窟日乗』 ‐88- 岩倉使節団 
大学での専攻が日本史なので、幕末から明治維新には少なからず愛着があった。とくに戊辰(ぼしん)戦争やら京都見廻組などには馴染みがある。1868年、明治政府が発足したが、新政府の歴史にはあまり関心が向かなかった。
昨今、日本の政治は大混乱しているのだが、その遠因が明治政府あたりなのではないか、とふと思った。改めて明治政府の歴史をおさらいすれば、何かが分かるのではないだろうか。明治維新は江戸時代の幕藩体制から近代国家へ発展したのであるから、社会がどんでん返ししたはずだ。キーワードは自由民権運動にあると当たりをつけた。
いろんな史料を漁っていたら、『明治維新と西洋文明』(田中彰著、2003年刊、岩波新書)という本にぶつかった。岩倉使節団を知らなかったわけではない。江戸幕府を倒した官軍の主な指導者たちが、明治4年、アメリカから欧州各国を視察して、スエズ運河を経てインド洋、香港、上海にも寄港して日本に戻る。二年近くをかけて世界を一周するという大旅行だ。乗組員は岩倉具視(ともみ)全権大使、大久保利通、木戸孝允(桂小五郎)などを筆頭に、百人近いという大所帯であった。政治経済、文化人、科学者などあらゆるスペシャリストが集められた。なかには十歳前後の津田梅子(彼女はアメリカでホームステイして帰国後津田塾大学を創立した)もいた。
長年にわたって鎖国を続けた江戸幕府によって彼我の文化は大きな隔たりができていた。とくにイギリスは産業革命を成し遂げて、蒸気機関車まで創り出していた。その落差を一気に取り戻そうというのである。百人ほどの人々が二年近い歳月を米欧で滞在したのであるから、三食宿泊費、交通費などを含めると、今のお金で言うと数十億円はかかっただろう。
『明治維新と西洋文明』を一読してびっくりしたことがある。この使節団に記録係りが随行して能(あた)う限りの見聞を本にしていた。ヘルパーさんが検索していたら『米欧回覧実記』(1977年刊、岩波文庫)が見つかった。一冊数万円はかかるとハラハラしていた私は「全5巻揃いで千円ですよっ」と言われ、これまたびっくり。アマゾンから届いたのは、化粧箱に入った美本だった。
纏(まと)めたのは久米邦武(くめくにたけ)という人だ。回ったのは政府機関や博物館、学校、病院(なかにはハンセン病も含まれていた)などだが、街の真下に張り巡らされた下水道の中にまで探索した。それぞれのスペシャリストに説明をしてもらうほどの意気込みである。
私事だが五十数年前、オランダ政府の招きで欧州に渡ったことがある。ガイドも通訳もなしで単独旅行。もちろん各種観光ガイドや欧州映画などを観ていたから、さほどカルチャーショックは受けなかった。しかし岩倉使節団はまるまる一世紀を遡るのであるから、見るもの聞くもの初めてである。カルチャーショックは如何ばかりであっただろう。
封建時代から民権時代に世が様変わりしたのだから使節団はなんでもかんでも学ぼうと必死だったはずである。とくに感銘を受けたのが地下下水道の見物だろう。都市が成型される土台として地下下水道は欠くべからざるものだ。江戸時代の隅田川は糞尿垂れ流しの川だったが、ロンドンやパリなどの地下下水道は汚物の臭気などまったくなかったとある。
実は岩倉使節団に関心を持つ切っ掛けは、自由民権運動にある。『自由民権運動(デモクラシー)の夢と挫折』(松沢裕作著、2016年刊、岩波新書)である。明治時代の最大の問題は政治基盤の在り方だった。自由民権を唱えたのはジャン・ジャック・ルソーだが、これに影響を受け日本で運動を興したのが土佐の板垣退助だった。板垣に呼応して日本全国で憲法制定、国会開設を叫ぶ運動が興った。
岩倉使節団には一人の重要人物が欠けている。西郷隆盛である。西郷は使節団には目もくれず、政府要人の抜けた日本国内を支える破目になった。
学生時代の私は、西南戦争の激戦地である田原坂(たばるざか)や西郷切腹の地などを歴訪した経験がある。田原坂の記念館では、弾丸の横っちょに別な弾丸が食い込んでいる実物を見て戦の激しさを思い知った。西南戦争の遠因は不平士族を含む自由民権運動だったと思う。西郷というと上野公園にある銅像が有名だが、のちに銅像をみた西郷の細君が「うちのトウチャンはこんなんちゃうわ」と叫んだ。実は西郷隆盛の写真は1枚も残っていない。
千葉県:出口 臥龍

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