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★『臥龍窟日乗』 -85- 怖い本に遭遇した…… | 千葉県:出口 臥龍 |
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寒中お見舞い申し上げます。立春とは名ばかりの寒い日が続きますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。私は、例年、年末年始にトラブルが起こることが多いので、平穏無事にだけ過ごせるよう心がける時期になっております。この度は、おかげさまで、通常通りの日を過ごすことができました。当たり前のことが当たり前でなく、日々に幸せを感じられるよう生活していきたいです。
さて、投稿が少ないので、お時間のある時にでも、近況やお気持ちなどをはがき通信へお気軽にご投稿いただければ、幸いです。もう一つ、今年は新たな読者様を呼び込めないかと考えております。読者の皆様からも何か良いアイデアがございましたら、お気軽にご提案お願いいたします。
本年も皆様がご健勝でご多幸でありますよう、心からお祈り申し上げます。
はがき通信ホームページ管理人 ポスト
『臥龍窟日乗』 -85- 怖い本に遭遇した……
くどいようだが、私は太平洋戦争敗戦後に生まれた団塊世代だ。だから戦争は知らない。つまり生涯、戦後史を生き抜いてきた。戦後を体験した生き証人だと自認している。1963年に発表された林房雄の『大東亜戦争肯定論』も知っている。敗戦後のごたごたから、国を揺るがす大事件までこの目でしっかり見詰めてきた。
アメリカ側の資料としては『菊と刀』がある。戦時中、ルース・ベネディクトというアメリカ人女性によって書かれた。歴史資料や伝聞によった。この本を読んだのは学生の時だった。菊は皇室を意味し刀は武士道を意味した。日本の文化や精神構造を説いたものだ。アメリカ文化がプラグマティズムならば、日本文化はなにやら得体のしれない不気味なものだった。
実態の見えない敵ほど怖いものはない。真珠湾攻撃にしろ特攻隊にしろアメリカ人に理解できるはずもない。だから米軍は日米開戦直後、日本軍を極端に恐れた。ところがいざ戦ってみると、ヘビー級ボクサーとライトフライ級アマの3回戦ボーイの戦いだった。米兵はゲーム感覚で日本兵と戦った。日本兵を一人殺すごとに10セントくれてやるという冗談まで飛び交った。
その戦後史が、これからの10年で大幅に書き換えられようとしている。80年に近い生涯に経験しえなかったエポックメイキングな変動の予感がする。
明治維新から日清、日露戦争を経て第一次世界大戦、第二次世界大戦、つづく太平洋戦争などの話は、旧い本を紐解いて時代の変遷を追うしかなかった。
ただ太平洋戦争だけは母から聞いた。敗戦時の母は二十歳前のおちゃめな娘だった。屋根の上で日向ぼっこをしていたら米軍機から機銃掃射を受けたなどの経験を、苦笑いしながら話してくれた。私が生まれたのは山口県だが、広島原爆の朝、東の空がパーッと真っ白になったそうだ。かつて見た憶えもない爆弾は、新型爆弾と呼ばれた。敗戦の詔勅(しょうちょく)はラジオで聞いたが、間もなく米兵が上陸してくるだろうから竹槍で抵抗しろ、と周囲に言われた。もし暴行されそうになったら自決せよと叩き込まれた。
太平洋戦争開戦前からの歴史書はいろいろ読んできたが、今回紹介したいのはヘレン・ミアーズという女性の書いた『アメリカの鏡・日本』である。この著者は大学で東洋史について教鞭をとっていたが、1946年、敗戦後の日本に渡りGHQの一員として戦後処理にあたった。
これは怖い本である。私がこれまで読んできた日本人の書いた太平洋戦史とは一味も二味も異なる。アメリカ人の目で見た戦後占領史である。
1941年12月8日、日本軍が米軍の真珠湾を奇襲した事件が、事前に米政府に漏れていた事実は今や通説になっているが、半年後のミッドウェー海戦では日本軍が壊滅的な反撃を受けた。その後、日米の直接対戦では日本軍がことごとく敗れている。大本営発表は、日本軍が連戦連勝と偽りのラジオ放送を重ねた。日米の戦力は米軍が圧倒的に上回っていた。戦況は従軍記者によって、逐一米本国に送電された。例えばこんな具合だ。
「われわれは突然一つの小屋の前に出た。歩兵が小屋を取り囲み、われわれ空挺部隊が匍匐(ほふく)して山の斜面を登った。三人の日本兵が袋の中で寝ており、一人が机の前に立って仕事をしているのが見えた。われわれは立ち上がり、拳銃の撃鉄を引いて近づいた。一人がわれわれを見た。彼は恐怖にすくみ、女のように悲鳴をあげた。病人と思える二人が失神したが、三番目の兵士は強そうに構えていた。四番目はベッドから出なかった。彼は飢え死にしていたのだろう。われわれが少し前進すると、強そうにしていた一人が急に暴れだした。彼は自分のシャツを切り裂き撃て!撃て!と叫んだ。そして逃げ出した。われわれは彼の願いを聞いてやった」(ニューヨークタイムズ)
南方戦線は、もっとひどかった。米軍に包囲された日本兵の一群は、戦うどころか自分の武器で集団自決した。見ていた米兵は、あまりの惨たらしさに反吐(へど)を吐いた。
この本がアメリカ本国で発刊されたのは1948年だった。著者はこれを日本語で発行しようとマッカーサーに申し出たが、即座に彼は拒絶した。なんと日本語版が角川によって出版されたのが2015年であった。67年後のことである。
ポツダム宣言はアメリカのトルーマン大統領、イギリスのチャーチル首相、中華民国の蒋介石の3人(ソビエト連邦スターリン共産党書記長は参戦前だったので署名は控えた)によって日本に向けられた降伏勧告だった。日本は外交ルートを通じて連合国側に降伏の意向を示したが、3ヵ国はこれを受け付けず、広島と長崎に原子爆弾を投下した。
降伏を受諾しているのに、なぜ原爆投下が必要であったのか。「神国日本が戦争に負けるはずがない」と豪語していた日本側高官の中には、密かに貢物を携えてGHQを訪問した者もいると明記されている。そんな裏話がこの本には暴露されている。
千葉県:出口 臥龍
全員参加企画
『いいモノ見つけた!』 ~45~
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