も く じ | |
★ ごあいさつ | はがき通信ホームページ管理人 ポスト |
★ある日常生活用具取扱業者の心意気 | 福岡県:DRY |
★『臥龍窟日乗』 -83- 宇宙の果ては無? | 千葉県:出口 臥龍 |
梅雨明けの暑さはひとしおですね。どちらかと言うと暑さに強いほうなので、活動が活発になるのですが、今シーズンは、これまでのように外出できないでいます。外に出ると感じる日差しの強さには、恐怖すら感じます。しかし、夏を乗り切ることができれば冬が乗り切れる、冬を乗り切ることができれば夏が乗り切れると信じ、頑張っております。これから夏本番に入りますが、皆様、どうぞお気をつけてお過ごしください。
さて、今年はパリオリンピック・パラリンピック開催ですね。ついこの間、東京オリンピック・パラリンピックが終わったと思っていたのですが、1年延期されると、3年がこんなに短く感じるのか、それとも年齢とともに時が経つのが早く感じるのか、定かではございませんが、楽しみたいと思います。
海外で、開催されるスポーツイベントで、気になるのが時差です。調べたところ、日本とフランスとの時差は7時間、日本のほうが7時間、進んでいるそうです。また、フランスでは夏時間(サマータイム)を導入しており、冬時間になると、日本のほうが、8時間、進むようになるそうです。夏時間、冬時間の文化に慣れていないため、メリットデメリットいろいろありそうですが、オリンピック・パラリンピックで、知らない国の文化を知る機会もありそうですね。
コロナ禍が収束し、対面で直接、誰かと会って言葉を交わすことが、どんなに貴重で素晴らしい体験か、1人1人が実感したと思います。戦いはスポーツの中だけで、ルールに則って行い、公平なジャッジ、試合終了後は、敵味方なしのノーサイド、争うのではなく話し合いを重ねて、お互いを尊重し合う世界を実現させてほしいと願っています。
はがき通信ホームページ管理人 ポスト
ある日常生活用具取扱業者の心意気
私の在宅生活は多くの日常生活用具に支えられています。その中でも電動ベッド(特殊寝台)、電動リフト(移動用リフト)、そしてシャワーキャリー(入浴補助用具)はずっと同じものを使い続けています。ただし、電動ベッドは体位変換機能付きで故障が多く、コンピューター、モーター、電気周りと修理・交換を重ねてきました。また、シャワーキャリーも水に濡れて使用することからキャスターを毎年のように修理・交換してきました。電動リフトはベッドの両側に立てた2本のアルミ合金の支柱とそれらに渡したレールから成る枠組み(レールシステム)の居室据置型で、リフト本体がレールを自由に往来できるのでベッドサイドの車椅子とベッドの間の移乗が楽になります。購入価格はリフト本体とレールシステム一式で50万円程度であったと記憶しています。重量物の上げ下げのためにモーターを正転と逆転で回転させるだけのシンプルな構造なので故障とは無縁でした。
その電動リフトの上げ下げが突然スムーズに行かなくなりました。昨年6月のことですからちょうど在宅20年目になります。今すぐに使えなくなるわけではありませんが、それなしでは1日も生活が成り立たない大事なものなので、早めに手を打っておく必要があります。
上げ下げのために押すボタンが効かなくなることがあり、数回押していると回復するという不具合の状態からボタンの接触が悪くなっているであろうことは想像がつきました。昭和の時代であれば電気こたつのスイッチのようなものはドライバー1本で分解して調節して直していました。今の時代はそうはいきません。リフト本体と3ピンコネクターでつながっている有線ハンドコントローラー(ペンダントスイッチ)は密閉されていて開けることを許さない堅固な構造です。自力で解決できる問題ではありません。介護用品のレンタルが可能となる介護保険が適用されるまでまだ数年ありますので、自治体の日常生活用具の給付制度を活用するしかありません。
まずはメーカーに助けを求めました。私が使っている旧モデルはすでに生産中止されていて、修理対応も2015年度末に終了していること、現行モデルはコードレスリモコンであることは知っていました。
メーカーのホームページの問い合わせフォームで「旧モデルのスイッチだけ購入できるか?」、「エンジニアを派遣してもらえるか、その場合の費用は?」と質問しました。2日待っても回答がないので、新たに「旧モデルのレールシステムに現行モデルのリフト本体を設置できるか?」、「現行モデルのリフト本体だけを購入できるか?」、「私の自治体の購入後のアフターケアも含め技術的に信頼できる業者を数社ご紹介ください」と質問しました。
どうせ回答はないだろうと、翌日メーカーに電話したところ、担当者によれば、本年9月まで販売停止処分を受けており新規の販売はできない、リフト本体のみ入れ替えるのであれば修理という名目で販売できるかもしれないが内部で決裁をとる必要がある、旧モデルのレールシステムに現行モデルのリフト本体を流用できる、現行モデルのリフト本体は価格50万円程度と見込まれるとの回答でした。
同日、自治体窓口に電話しました。修理に対し助成がないことは知っていたので、リフト本体だけの購入が認められるかどうかを照会しました。担当者が本庁まで確認してくれた結果、レールシステムを含めた全体の購入しか認められないとのことでした。しかも助成費用の限度額は16万円です。
週末を含め4日間をじりじりした気持ちで過ごした後、月曜日にメーカーの担当者と話すことができました。リフト本体の現行モデルへの入れ替えは販売になるのでできない、無理に販売したとしてもアフターケアなどの保証をできないのでお客様に迷惑をかけるとの回答でした。
この時点で手持ちのレールシステムに現行モデルのリフト本体を流用するという選択肢は消えました。
後日談となりますが、メーカーは9月に、介護リフト製品の開発・生産・販売・レンタル・メンテナンスを含むケアシステム事業の一切を同業他社に譲渡しました。
メーカーに助けを求めるのと並行して、地元の日常生活用具取扱業者に連絡して情報を集めていました。
K社によれば、据置式電動リフトの現行モデルの代替は3つ、価格はコロナ以降高騰しておりどれもフルセットで80~90万円、現行モデル以外はバッテリー駆動で停電時も使えるが故障や交換の心配がある、現行モデルは単純な構造で故障が少なく信頼性が高い、65歳前に3年間レンタルするのであれば購入の方がお得とのことでした。
A社によれば、旧モデルのペンダントスイッチのデッドストックはない、旧モデルのレールシステムに自社が扱う代替品のリフト本体を使用可能、リフト本体だけで50万円程度とのことでした。翌日A社から電話があり、リフト本体の価格は50万円でなく100万円程度、レールシステムを加えたフルセットだと150万円程度とのことでした。
リフト本体を更新するための100万円の支出を決断する前に、どうしても心残りを潰しておく必要がありました。以前住んでいたT市近郊のJ社のI氏が旧モデルのリフト本体だけを持っていると言っていたのを思い出したのです。J社からは移動用リフトを購入したわけでもないのですが、T市内での引っ越しとT市からF市への引っ越しで世話になりました。そのとき、労働と対価という関係だけでなく、助けていただいたという気持ちを強く抱きました。
電話先のI氏はこちらの話をすぐに分かってくれました。私が最初から懸念していた「接点」という言葉も口にされました。最後に「スイッチだけであればあるかもしれないので倉庫を探してみます」と言ってくれました。この言葉を待っていたのです。今回電話で話したA社やK社の担当者からその言葉は聞けませんでした。2社の担当者が不誠実だという気はありません。ビジネスのスタンスにおいてJ社と決定的に違うということです。
翌日、I氏から発見の報告がありました。その3日後、I氏からのスイッチが到着し、動作確認したところ問題なく使えました。中古品と言われていましたがまるで新品のような外観でした。
あれから1年経ちましたが大事に使わせていただいています。ありがとうございます。
(2024年7月24日執筆)
福岡県:DRY
『臥龍窟日乗』 -83- 宇宙の果ては無?
身の回りに、有り余るほど物がある現在の人間にとって、無という概念はなかなか理解しづらい。物が存在することが当たり前となっているが、無という概念が根底にあってこその有と考えるべきではないだろうか。
子どもの頃に夏空を見上げながら、宇宙の果てはどんなになっているのだろうと想いをめぐらせたものだ。宇宙は無限だと思われるが、宇宙そのものが物体でできている以上、宇宙の果ては無ではないだろうか。
現在、仰ぎ見る天体は何百光年(光の速さは毎秒29万9792km。光が1年かかって到達する距離を1光年といい、9兆4600億kmにあたる)も離れた星雲だが、その果ては無であるとしかイメージできない。
いきなりややこしい話から入ったが、人間社会にとって無とは大変貴重な概念だと言いたかったのだ。
余談だが、まだ10代の頃に岩波新書の『零の発見』を読んだ。人類が無、すなわちゼロという概念を発見したのは、インド人だといわれる。この発見は極めて重要で、ゼロの概念なくして現代科学は有り得なかった。つまりゼロを発見したからこそ十進法が成り立ち、現代社会の根幹となっている。数学に強いといわれるインド人ならではのエピソードだろう。
西洋から数学という学問が導入されるまでは、日本には十進法はなかった。例えば封建時代までの日本人は、数え年で年齢を示した。生まれた瞬間から1歳になり、1年経つと2歳となる。満年齢は西洋から十進法が入ってきてからの数え方だ。人が亡くなったとき、享年(きょうねん)という言葉を使うが、これは数え年である。仏教界では現在でも数え年がまかり通る。
ここまで書いてふと思いついたのだが、大航海時代のヨーロッパでは、地球は平坦であり天体が地球の周りを回っていると考えられていた。いわゆる天動説である。古代ギリシャではすでに、地球球体説が唱えられていたが、民間では地球は平地だという観念が一般的だった。
ポルトガルやスペインの冒険家たちは、海の向こうに未知の大陸があると信じて西の海に船を漕ぎ出した。
1519年9月20日、ポルトガル人探検家フェルディナンド・マゼランがスペインの資金援助を得て、スペインのセヴィーリャを出発。南アフリカ大陸を南下しマゼラン海峡を回り込んで太平洋を横断。東南アジアの諸島を通り抜け、アフリカ南端の喜望峰を北上し1522年9月6日に出発地点に戻った(マゼラン自身は1521年にフィリピンで戦死)。
ひたすら海上を進むと、やがて地の果てに到達し海は崖のように落ち込むと信じられていた。そんな時代にマゼラン艦隊は太陽の沈む方角を目指して進んだ。
実は新大陸を発見しようという野望が目的だったのだが、恐れを知らぬ冒険の旅でもあった。そのマゼラン艦隊が地球を一周してスペインに戻ったのであるから、世間はどんなに驚いたであろうか。これによって地球球体説が証明された。
宇宙の果てがどうなっているかについては、諸説紛々だ。天文学の先端を行く学者たちの間でも意見は異なる。なんせ宇宙の果ては450億光年とも470億光年とも言われるが、我々には想像を絶する距離だ。どんな方法を使っても行き着く場所ではないから、科学者たちの間でも想像で考える他ない。宇宙の果ての先にはまた別の宇宙があると唱えたり、あるいは宇宙そのものが球体となっていて突き進んでいけばまたもとに戻るという奇想天外な仮説もある。地球レベルでさえマゼラン艦隊が球体であることを証明するまでは、地球は平地であると信じられていたくらいだ。
物理学や天文学にはまったくの門外漢だが、筆者は、宇宙の果ては無であると信じたい。すなわち宇宙という天体が、無限に広がる空間にぽつんと浮いている方が自然ではないだろうか。物体が「有」という世界観よりも「無」という状態が普遍的なのであって、「無」の中に宇宙という有限の世界が存在するという方が、ぼんくらな筆者にはイメージしやすい。
千葉県:出口 臥龍