は が き 通 信 | Number.20 |
POST CARD CORRESPONDENCE | 1993.3.25 |
春は名のみの・・・・・という歌のように冷たい風が吹いていますが、外出ができるということはうれしいことです。今冬のフィリピンは見学者・滞在者が相次ぎ忙しい3ケ月の滞在でしたが、身障者の自立生活の選択肢が一つ増えるということはすばらしいと思いました。外出や旅行の便りなど、またお寄せください。お待ちします。
1993年3月25日 向坊
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拝啓 厳寒の侯、おかわりなくお過ごしのこととお喜び申し上げます。パソコンを初めてからの、念願でしたパソコン通信を始めることが出来ました。
現在は、PC−VANだけですが、NIFTY−Serveなどいろいろ始めようと検討中です。まだまだ説明書と格闘中ですが、パソコン通信をしている方がおりましたら、地元草の根ネットワークや障害者関係の情報をお待ちしています。これからもよろしくご指導の程、お願いいたします。敬具
1月28日
私はC4の損傷で残存機能は首から上の機能だけです。去年の9月上旬に退院しました。3年ぶりの退院でした。施設に入りたくなかった私ですが、身内の全然いない私が在宅生活をするについては随分と難しいことがありました。私には常時だれかがそばにいなくてはなりません。昼付き添ってくれる人、夜付き添ってくれる人、日曜日に付き添ってくれる人などを探すだけでも大変でした。しかし、夜付き添ってくれる人が泊まれるような部屋がある所、そういう場所を探すのも大変でした。それから資金、こういう点が何とか克服できてやっと退院できました。退院後の生活はテレビにひたっている毎日といっても過言ではありません。これではいけないと思っています。何とかもっとハリのある生活をしようと思っているのですが…。 去年の12月下旬に復職願いを出しました。私のような最重度の障害者の復職願いがどのように判断されるのかわかりません。2月6日の休職期限のきれる時までに、結論が出されるはずです。それまで落ち着きません。これからもよろしくおつきあい下さい。
2月1日 尼崎市 KS
Sさんは復職が一部認められて、2月8日から教育総合センターで「理科の教科書を比較検討し、現在の理科教育の課題を探る」という仕事に就かれました。Sさんの復職の経過や運動についてはプロツプ・ステーション設立準備委員会発行の「FLANKER」の最新号で報告される予定だそうです。
病院とはみんなそういうものだと思い込んだ私は次の転院先の老人病院で病院の認識を変えることになりました。おむつ交換にきた人達が余命いくばくもないような患者に対して聞くに耐えないような暴言を俗びせかけたり、食事の時にうっかりして床に落した食器から床にこぼれおちたご飯を食事介助をする人がみんな掻き集めて食器に戻し平然として食べさせてしまう、それもおむつ交換の時、大便で汚れたおむつを投げ出す辺りにこぼれたご飯です。そんな行為を実際に自分の目でみたり耳で聞いたりしたとき、私はこのまま居たら次は私の番になると思いとても不安になりました。そしてこの病院で私の46年間の人生で生まれて初めて火の気のない冷たい正月を過ごしました。私が子供の頃は人に言うのが恥ずかしいような貧乏暮しでしたが、それでも冬には必ず暖かいこたつがありました。しかしこの病院の私たちの病室には壊れた暖房器があるだけでした。 ある時、他のことで主任看護婦から「気に入らなければもっとお金を出してほかの病院に行きなさいよ」とまで言われた事もありました。患者に対する思いやりなんてまるきりありませんでした。 老人病院や他の施設は皆こんな状態なのでしようか。可山さんもきっとロでは言えないような苦しく、悲しい生活を送られた事と思います。でも今は施設生活に柊止符を打たれ自立されたとの事、お体に気をつけて頑張ってください。 私も現在は県立のリハビリ施設におり人並の気持ちで毎日を過ごしておりますが、何年か後には必ず退所することになるので、そのとき次に行く所が施設か病院かは分かりませんが、そこが優しさに包まれている所であるように今から願っています。当施設にきてまもなく一年が過ぎ去ろうとしています。
【はがき通信】のスタッフの皆様、それに会員の皆様、これからも宜しくお願い致します。それでは、又。
93年2月21日 伊勢崎市 県立リハビリセンター更生部内
「冥冥なる人間」の延長上として、私は現在東京都多摩市で一人暮らしの自立生活をしています。多くの理解して下さる人々の協力によって支えられている生活ではありますが、ピエロにならず飽くまでも私自身らしさを実現する生活をしていきたいと思います。ありのままの事実を文章化したり、多くの人と関係性を持った生き方をしていきたいと思います。そしてもし可能ならば、強い者も弱い者も健常者も障害者も共に町中で生きる『共存の社会原則』を社会に対して主張していきたいと熱望しております。 どんな重度の障害者でも、自立することは可能です。どんな事があっても自立したいという、絶対に挫けない意志さえ持っていれば可能です。例え無一文でも。手足が全く動かずに、カテーテルを挿入している最重度障害者でも。只、自立生活を軌道に乗せるまでには、何度か命を懸けた意志の強さを試される試金石に遭遇するかもしれません?自立生活に意欲と関心のある方は、下記のところへお知らせ下されば協力してくれます。この協力の意味する内容は、介助者サービスなどの提供ではなく、主体制のある生き方をしていくための助言が主なものです。
国立市 「ライフ ステーションワンステップ かたつむりの家」
風邪などを引かないように、くれぐれもお体を大切にお過ごし下さい。草々
昨年の11月には「膀胱尿路逆流防止手術」をしました。毎年1〜2回ほど熱が出ていたので、腎臓に負担をかけないためにもと思い、10日ほどで退院できるという事だったので、手術を受けました。 別に開腹するわけでもなく、「自己血注」といって自分の血を30ccはど尿路に注入して逆流防止弁を作って、後は3ケ月後に検査して、手術の結果がわかるのです。私の場合、先日検査した結果は良好で、無事手術は成功したことでほっとしました。 術後の経過もよく、昨年の春から始めたバスケットと卓球も大分うまくやれるようになり、楽しくなりました。体力もつき、生活にリズムがあり、充実した日々を送っています。試合がある度、いろんな所へ出かけ、多くの人と出会い、いろんな話しをして、とても勉強になります。5月には、宮崎県身体障害者スポーツ大会に7年ぶりに出場することになり、今から楽しみです。練習に頑張りたいと思います。(ちなみに100m走です)
1993年2月27日(土)
元の職場で知っている人も多く、精神的に緊張感もなくリラックスして勤務できるのが何より助かります。”気負わず、無理せず、今の自分にできるベストを”と心がけてきましたが、実際の仕事をしてゆく上で、少しづつ自分自身納得できるようになってきた気がします。 怪我をする前から携わってきた仕事ですから、あせりを感じ始めるときりがありません。こなせる仕事量、ペースは雲泥の差です。”いらだたしさ、もどかしさ”はもう気負いなのです。人間関係でも人の動(健常者の言動ともいえますが)にいちいち敏感に神経を尖らせていると、精神的ストレスから無理がきます。”アツケラカンと明るく”が、今の私の職場での人間関係の重要なポイントです。できないことはできないこととして甘えるのではなく、心身ともゆっくりマイペースでしょうか…。良い意味での開き直りー”柳に風”のような自然体の大切さを痛感しています。
2月28日<本格的な春のおとずれももう間近ですね> 横浜市 県警掘ノ内公舎
HS
ようやく日差しも強くなりはじめ、過ごしやすい日も多くなってきましたが、皆さんは今年流行の風邪などひかずに、元気に過ごしていますでしょうか。私は運よく風邪ひとつひかずに元気に過ごしています(少しお尻に傷ができてしまったことをのぞけば)。ものすごく大変ご無沙汰をしていますので、もしかしたら忘れられてしまったのではないか少し心配していますが、ちゃんと思い出してください。 今回お手紙するのはこの四月から川崎市が開いているワープロ教室の講師を引き受けることになった報告です。この教室は以前から開かれていたものですが、施設の空き時間を無くすということと、以前の教室の対象者が主婦と障害者であったため、障害者が少しづつ授業から遅れてしまうということもあって、それならば障害者だけを対象にやってみようということになり、以前通ったコンビュー夕一講座の関係もあって私にこの話が持ってこられたという訳です。 講座の内容は週1回2時間を12回で、ワープロ<一太郎>の基礎を教えるということでず。普通でしたらそんなに大変な事ではないと思うんですが、説明するのに黒板などに書けないというのがちょっと気掛かりです。初めてのことなのでどうなるやら不安でいっぱいですが、一度やってみなければどんなものかわからないし、やるだけやってみようということになりました。とにかく一回目の講座を受ける人には我慢してもらうしか無いですね。講座が始まったら、またお手紙したいと思います。
3月3日 川崎市
SSさん、ストレッチヤータイプの電動車イスの情報、有難うございました。小生だけではないことが解り、勇気がわいてきます。もう見られて緊張することもなくなりましたが、運転には初めの頃より慎重になりました。迷惑はかけられませんからね。 昨年12月1日、思いがけず、若松の向坊さんに逢うことができました。彼の敏捷な行動力には驚くばかりです。フイリッピンに旅立つ前の多忙な時間をさいて小倉まで訪ねてくださったことに、素直に謝意を表したいと思います。図々しくいわせてもらえると、”友遠方より来たり”の友に、これからは小生自身もなりたいと強く思いました。 言葉において、行いにおいて、”傲慢”を教えられた思いです。価値ある時間を生きることもいろいろな生き方で、春を生き抜けたいですね。はがき通信の皆さんに倖せを祈っております。
1993年3月10日 北九州市
追伸 : 小生の愛車を製作したのは、株式会社有薗製作所です。
はがき通信の皆様、初めまして、FOです。私は5年前、交通事故で頚椎5・6番を損傷し、現在、車椅子生活をしています。25歳です。 今回は2月3日から・2月10日まで、障害者仲間と研究所のHWさんとルセナ市の向坊さん達の家を訪問し、貴重な体験をさせていただきましたので、私の感じたことを報告させていただきます。 今回のルセナ訪問は、私の初めての海外旅行であり、見る物、聞く事、体験する事、すべてが新鮮で、驚きと感激の毎日でした。 今回、私は向坊さんの家へ泊めていただきました。そこには、向坊さんの雇っているヘルパーの女性2人と新婚のSさんと奥様のNさんが、生活されていました。(Sさんは2月4日にルセナ市で結婚式をされ、私達も出席させていただきました。) 近くには、SさんとTさんの家が、それぞれありました。家の周りには、ココナッツ、パパイヤ、バナナ等が至るところに植えられており、まさに南国の雰囲気です。また行った時期が良かったのか、気候は昼間日差しが強く署いのですが、さらっとしていて汗をかかず、気持ちの良い暑さでした。 まず感じたことは、向坊さんを初め、Sさん、Sさん、Tさん、皆さんが生き生きとした顔をしていた事です。そして、ヘルパーさん達の笑顔、なんと表現したらよいか分かりませんが、純粋で本当に素敵な笑顔が私にとって新鮮で、感激しました。また、今回は私達を毎日いろいろな所へ、向坊さん達が連れて行ってくださいました。中でも一番心に残っているのは、船で無人島へ連れて行ってもらったことです。青い海、青い空、白い砂浜、木々の緑、ココナッツの林、そして車椅子ごと海の中へ連れて行ってもらい、生まれて初めて味わった海水の味、まるで夢の中にいるのではと、自分の目の前に広がる風景が信じられない位、素敵でした。
最後の夜、私達のお別れパーティをしていただき、ちようど停電していたので、ローソクとランプの明りの中で食事をし、皆さんが歌ってくれる歌を聞いていたら、自然と涙があふれてきて、日本へ帰りたくない、もっとルセナにいたい、ルセナを知りたい、皆さんと別れたくない…日本へ帰ってくるのが、なんだかとても悲しかったです。 今の自分は、住みなれた村があり、家があり、職場があり、頼れる家族がいます。本当に恵まれていると思います。だけど、いつかは1つ1つが私から遠ざかっていくでしよう。今回のルセナ訪問は、自分にとって本当に必要な事ってなんだろうと考えさせられる貴重な体験となりました。 8日間の短い滞在でしたが、向坊さん、Sさん、Sさん、Tさん、N君<注:向坊さんが親代りになっている青年>、ヘルパーの皆さん、大変お世話様になりました。そして、素敵な思い出をありがとうございました。 今回、はがき通信に投稿させていたださましたが、もっとルセナでの生活で良かったことを具体的に書いた方が良かったのではと、自分でも思います。訳のわからない様な事を書いてしまい、皆さんに申し訳ないと思っています。ただ最後に言えることは、私にとってルセナは魅力的な所であり、自分はルセナで生活してみたいと思うし、自分の将来に選択する道が1本増えたと思います。人それぞれ感じる事は違うかもしれませんが、機会があったら、皆さんがルセナを訪問される事をおすすめします。
平成5年3月12日 長野県
結構、いったり、来てもらったりしてるんですけど、障害者どうしっていうのは殆どないんですよ。だから、今は障害者の友達、募集しています(笑)。あとは、音楽もとりあえずはかどってるかなー。目指せ!!印ぜい生活ですかー(笑)。う−ん、なかなかどうして、最近は、デステクノやユーロにハマっています。すぐ飽きるんですけど(笑)。聴いてくださる人、連絡下さい。速攻、送りますとっ。夜露死苦ねっ。 で、今回、書きたいのは、ECSについての情報やパソコンのキーボードの改造etcについての情報を丁寧に教えて下さった、U-SAN、U-SAN、F-SANに感謝感激の雨、アラレを降らせたいということです。 キーボードについては、ほんとに3分の1位になっちゃてマウスとの共用がすごくしやすくなりました。ほんとうにありがとうございました。また何かあったらよろしくおねがいします。ということで、さようなら。TETSU−YAでした−つ チヤンチヤンっと××××
93年3月15日 new adress…群馬県 TEL:anytime OKです。
昨年、8月に道路交通法が「改正」され、一定の仕様(奥行き120cm・帽70cm・高さ109cm)以上の大きさの電動車イスについては地元警察署長の許可が必要。そして、その確認証を電動車イスを利用するときは常時携帯が必要となった。それをうけて補装具給付されている電動車イス(規定以上)に関しては福祉事務所長から警察署長に通知し、確認証を得ることにする。(昨年10月27日に厚生省より通知。93年度4月より実施予定) まず、道路交通法の「改正」自体、障害者にはほとんど知らされずに行われた可能性あり、この「改正」では、一定の仕様以上の電動車イスは例外規定的に扱い、地元の警察署長が「用いることもやむを得ない」ことを「確認」し、初めて規定外の電動車イスが歩行者と認められるそうです。 この記事を見て早速、私の電動車イス(イマセンEMC−37BC)を計ってみたところ、奥行きと帽は規定以下でしたが、高さに関しては109cm以上ありました。リクライニングの電動車イスではバックレストがあり、とうてい規定以上ですし、頸随損傷者の中には膝関節の拘縮や起立性低血庄によりリクライニングを倒したままや、フットレストを上げたまま走行する方も多いはずです。私達、電動車イスを日常生活に使うものにとって、電動車イスは身体の一部になっています。改造に関しても一人ひとりの体に合わせ、一番快適で安全に移動・生活しやすいことを目的としているわけです。何故、電動車イスの大きさが、いちいち「確認」をもらわなくてはいけないのでしょうか?例えば、平均体格以上の人は警察署長の確認をもらい、道路を歩くときは常時携帯しろと言っているのと同じだと思います。 私が思うのに、一番心配なのが、「確認」という形で改造電動車イスが、例外規定的に見なされることにより、補装具給付に当って「改造はできるだけせず標準仕様を基本に給付する」なんていうことになり、自己負担が増えたり、給付が難しくなることにならなければと思います。 この問題に詳しい方、連絡お待ちしています。
3月18日
また新居の移転のご挨拶では、「在宅生活にはいり、2週間、まだ慣れないためか、気ぜわしく、バタバタした日を過ごしていますが、二人でがんばっていきたいと思っています」と奥様の添え書きがありました。 Iさんの奥様は軽しか運転したことがないけど、ご主人と一緒にドライブしたいからとSさんと同じ車イスごと助手席に乗れる自動車を希望されていました。お手紙にはいつも「二人でがんばります」と書かれてきますし、前回のKさんのお手紙でも奥様への思いやりが記されていて、とても仲の良いご夫婦と、お便りをいただくつどとても温かい雰囲気を感じています。
熊本市 KI+MK
<問い合わせは向坊まで>
体験者の一人K先生によれば、ECSとは長時間の飛行機旅行などの後に発生しやすい深部静脈血栓症そのDVTであり、そのDVTは、腸骨・大腿静脈などの深部静脈に血栓ができ、悪化すると壊死をおこして下肢切断、最悪は血栓遊離により肺塞栓をおこして死亡することもあるそうです。同席していたもう一人の体験者はその肺塞栓で死亡寸前から生還したと恐ろしさを強調しました。2人とも再発しないように肉食から魚食に切り変えたといわしのマリーネを注文していました。 “長時間座り続ける”という点では車イス生活の皆さんにも関係してきますので、K先生からいただいた資料でECSを紹介してみましょう。 飛行機内は湿度が低くて脱水を起こしやすく、気圧も低いので毛細血管庄が高まって浮腫現象がみられるようになり、運動不足とカロリーの高い機内食+アルコールの影響など、血栓のできやすい条件がそろっています。 そこで予防として
が必要と説明されています。 K先生は、4年前欧州3ケ国へ調査出張中、深夜、右足に激しい痛みを感じて、翌日午後ホテルで医師の往診を受け、レントゲン検査の結果、DVT(右下肢に15センチにわたり血栓発生)の診断で、ウィーンで緊急入院されました。行きの機内では座り続けて、読書、食事、睡眠を繰り返し、目的地に到着するころには「右足がひどく重い」感じだったそうです。 帰国後、先生は肉食をなるべく減らし魚食を多くすることと、「長時間のフライトに伴いDVTを起こす人がいることにつき、乗客にりーフレットを渡すなど保健教育をすること、機内食のカロリーを減らすか、メニューを選釈制にすることなど」の対策を講じるよう航空会社などに申し入れをされているそうです。 みなさんを脅かすつもりは毛頭ありませんが、痛みが感じられない頸損者は血栓ができてしまってからでは手遅れになりかねませんので、食事にはとくに配慮する必要がありそうです。如何でしょうか?
松井
参考資料:片平洌彦(東医歯科大)、肉食より魚食を…「エコノミークラス症候群」の一事例からの考察、第4回社会医学研究会関東地方会
その後、松戸市立病院の藤塚先生から1万円のカンパを送っていただき、切手を送って下さった方も何人かありました。ありがたく頂戴し、通信の発送に使わせていただきます。
神経研社会学部
あとがき
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*はがき通信の写真はゼロックスのコピーで見づらく、先日、HSさんがホワイトスクリーンを使うともっときれいになりますと送って下さいました。イメージスキャナーも、昨日、研究室に入りました。それで、今回は早速イメージスキャナーにトライしてみたのですが、なぜか、せっかくの大平さんの笑顔がだいなしになってしまいました。次回までにマスターしておきます。これからはもう少しきれいな写真を入れられると思いますので、どうぞ写真も送ってください。 *昨年7月プールで頚損になったという中学2年生の息子がはがき通信に興味を示したので定期的に読ませたいからというお母さんが研究室へ見えました。昨年暮れ、新宿にある大学病院からリハビリを目的に神経研の隣の府中病院に入院されたそうです。読まれた通信は18号で、お母さんは明るいTETSU−YAさんに惹かれたそうですが、息子さんはまだTETSU−YAさんの気分になれないらしく、YSさんの真面目さが気に入ったそうです。お母さんのお話を伺っていて、この通信は単なる情報交換の機能だけでなく、新来の頸損者や家族にとって将来の生活設計などの資料としても役に立つ貴重な役割を担っているのではと思いました。 *毎号通信を送って下さっているTHさんは、3月中旬風邪を引き40度も熱を出して点滴や薬で落ち着き、やっと車イスに乗れるようになったと先日お電話をいただきました。皆さん、おからだをたいせつに。 次号の通信締切は5月15日です。よろしくお願いします。 *毎号手書きのカットを書いて下さっているのはHWさんです。スキャナーが入りましたので、みなさんからも季節にあったカットをお待ちしています。
松井
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