介護保険先行に思うこと&モヤモヤ
地球規模で猛威を振るう新型コロナウィルス。メディアの報じる情報に振り回されるばかりです。月1回、翌月のケアプランを持って訪れるケアマネージャーからも、訪問自粛との電話連絡が入ったが、ホームヘルパーにまでも影響が及んだら死活問題です、恐怖。うかつに咳もできない昨今、皆さんの周りはいかがでしょうか。
さて、前置きが長くなりましたが、本論の介護保険先行についてです。
65歳になり介護保険優先と聞かされたときは、高齢者の仲間入りと同時に負担が軽くなるのなら話は分かるが、大幅な負担増になる逆行制度の不条理さに、障害者支援制度のみの選択を含め、行政とも大分やり合った記憶があります。
八十路に入った今、思うんですよ。加齢のみで頸損と同じように身体の不自由な人もいるわけで、この人たちは介護保険制度しか利用できず、とてもじゃないが受けられるサービス量は、必要量からすると微々たるものと思われます。が、われわれ頸損者は、介護保険支給量の不足分は、多分こちらの方がダントツ多いと思うサービス量を障害福祉制度で、満足とはいかないまでも賄(まかな)うことができるんですよね。
因みに私の場合ですと、介護保険と支援費で受ける1ヶ月のサービス合計金額のうち介護保険が35.4%、支援費が64.6%で、負担額は実費比4.6%です。介護保険では、福祉用具のレンタルも重宝だし、私の場合は、受けるサービスの内容は両制度同じだし……で、加齢のせいか、思考が丸くなって、まっ!いいかって感じです。
むしろ、2012年からスタートした介護職員処遇改善加算制度の実効が見られず、未だに全職種平均給与より10万円低いまま。ヘルパーの質量の充実が急務であると考えます。
今、私が尖(とが)っていることがあります。キシロカインゼリーの医療機関での取り扱いです。排便ケアに訪問看護ステーションを利用し、浣腸、座薬、摘便、指での刺激などの組み合わせで30年間も続けている。肛門、直腸が劣化し痛くない訳はなく、キシロカインゼリーは必需品である。次の2点であるが、何れも、資料のコピーを提示しながら質問したが、押し切られたままのモヤモヤ状態である。
①は医療保険対象の適否:以前は保険対象であったが、途中から対象外となり、現在は自費処方箋である。単に潤滑油としてではなく、疼痛回避のためであることを説明し、保険適用処方を申し出たがスルーされた。
<資料>*表面麻酔として検査・処置・手術に用いるもので、疼痛を伴わない、単なる浣腸又は座薬挿入時の潤滑油としての使用は、原則として認めない(社会保険診療報酬支払基金・審査の一般的な取り扱い H29年4月の抜粋要旨)。通知文には、「本公表事例に示された適否が、すべての個別診療内容にかかる審査において、画一的あるいは一律的に適用されるものではないことにご留意願います。」とある。*摘便、高位浣腸については認める(H15年2月の山口県医師会報で社保・国保審査委員連絡委員会合議結果として紹介)。
②は調剤薬局での取り扱い:以前は病院から自費負担(多分薬剤料のみ)で購入していたが、院内交付は不適だとなり、院外自費処方箋となった。薬剤料の負担は当然だが、他に調剤技術料、薬学管理料が加算される。疑問に思い訊ねたら、薬局の判断に委ねられているとのこと。
<資料>*処置に用いる薬剤であるので、調剤料は取れない(薬剤料のみ)[管理薬剤師.com]。*表面麻酔で、用途は局所麻酔であり処置薬のため、薬剤料のみの算定になる[薬剤師専門サイト・ファーマシスタ]。
たかがキシロカインゼリーごときで……と思われるだろうが、一事が万事ってこともある。使用されているあなたの場合はいかがですか、ぜひ教えていただきたい。
この原稿を書いていたら〝智に働けば角が立つ 情に棹(さお)させば流される 意地を通せば窮屈だ とかくに人の世は住みにくい〟……漱石の『草枕』の一節を思い出した。
この号が発刊される頃は、新型コロナウィルス騒動が収束に向かっていることを祈りつつ……。
佐賀県:天邪鬼
胆のう結石
「はがき通信」の皆さん、こんにちは。
熊本地震から4年が経ちました。妻の実家は全壊でしたが、未だに家は着工されていない状態です。わが家は一部損壊でしたが、屋根、外壁、風呂場、トイレ、内装等、修理が終わったのは去年でした。
今は、新型コロナウィルスで大変ですが、熊本では地震の後遺症もまだまだ引きずっています。
さて、今回投稿したのは、頸損の方にもわりと多いと聞きます、私が経験した胆石のことをお話ししたいと思います。
2017年暮れに、突然8度ちかく熱発し、尿が赤ワインのように真っ赤になり、感覚が残っている胸や首が痒くなりました。
痛みが分からないせいで、どこも痛みは感じなかったのですが、鳩尾(みぞおち)辺りが圧迫されるような違和感がありました。ロキソニンを飲み3日くらいで少し落ち着きましたが、念のためにかかりつけ医に往診をしてもらいました。
エコー検査と血液検査で、胆のうに石があるのと胆管結石の疑いがあるということで、2018年1月にK医療センターで入院の仕度をして受診しました。
「総胆管結石」という診断で、普通でしたらすごい痛みだそうですが、私は胸の違和感だけでした。口から内視鏡を入れ、胆管にステントという15cmくらいの管を入れ、石を出し易くする施術をしました。内視鏡の施術では、麻酔でまったく痛み等はありませんでした。ただ私の場合、うつぶせの姿勢が取りにくいのと、十二指腸の位置が予定外ということで、予定より数日長い2週間の入院になりました。
ステントは3ヶ月くらい入れておき、4月にはステントを抜くため再度4日間の入院をしました。胆のうには石が残っていましたが、こちらの手術は全身麻酔でリスクがあるので様子見ということになりました。
それから約2年、2019年の12月にまた尿が真っ赤になり、軽い黄疸が出て3日で治りました。今回は2回目でしたので、すぐにかかりつけ医と相談して、近くにできた市民病院にお願いし、すぐに入院して胆管にステントを内視鏡で入れました。今回は、今年の1月に胆のうの再検査をして、お腹の数か所に穴をあける腹腔鏡下胆のう摘出手術をすることになりました。2月に1週間予定で入院しました。
手術は全身麻酔です。頸損は痛みが分かりませんが、身体が勝手に震えたりするのを防ぐため、同時に硬膜外麻酔をすることになりました。これは、脊椎の中にある脊髄のすぐ近くの硬膜外腔という場所に麻酔薬をいれて、手術部位の痛みをなくす、あるいは軽くする麻酔法です。この麻酔が私にはあわなくて苦しみました。
術後すぐに、全身特に脚がだるくて我慢できないほどのだるさで、寝ることもできずに、付き添っている妻に30分置きくらいに擦ってもらいました。寝ることもできないので睡眠薬をもらいましたが、今度は幻覚まで現れるようになりました。
この麻酔は、麻酔液がなくなる3~4日間しなくてはいけないと言われましたが、3日目の夕方主治医に強硬に中止を要請し、聞き入れてもらいました。中止したらすぐにだるさが取れて眠れました。
除去した胆のうと取り出した石を見せてくれましたが、黒い5mmくらいの石が10個くらいありました。胆のうも、普通は弾力があるのに、私のは固くなっていたそうです。
胆のう除去手術は成功でしたが、退院後1週間して排便のとき15㎝くらいの管が出てきました。驚いて主治医に電話すると「まれにステントをひっかけていた部位の腫れが正常に戻り抜けることがある」ということでした。
ステントを抜く施術が省けたと喜んでいたら、最後に胆管をきれいに掃除する必要があるので、再度入院して内視鏡による施術を4月にしてきました。
これで、やっと悩まされた胆石の病が終了しました。以前より食欲が出るようになった気がします。
新型コロナはまだまだ長引きそうですので、皆さんくれぐれもご用心ください。
熊本市:K.I.
小さなおじさん 其の2
親父の死を迎えても気丈に振舞っていたお袋であるが、実は相当に堪えていたものと思われる。すでに耳はすっかり遠くなり、目もぼんやり程度にしか見えなくなっていたのだが、コーヒーカップに手を伸ばして倒したり、おかずを1皿見逃すなどということも日常となっていた。
それでも週に3度の透析にバスで通い、帰りにはスーパーで食材を買ってきて晩飯を作り、週に2度のわしの入浴を補佐するという日常は続いていた。
親父の死後の事務手続きも大方が終わったため、最後に残った相続をすっきりさせようとお袋と相談して弁護士を依頼することとなる。というのも我が家には縁を切った弟がおり、お袋とわしは病院からの電話を受けて駆け付けるも間に合わず、親父の最期を看取ったのがこの弟であったのだ。弟は親父とわしから金を借りており、この返済が滞っていた。この事情を知っている銀行の担当に相談すると「それならば信託銀行が専門、ただし最低でも100万は掛かる」と聞き、それは痛いとケチって困ったときの愛子ちゃんに相談して弁護士を紹介してもらう。
この愛子ちゃんとはわしの出先にて20年以上にわたり付き合いがあり、最も信頼している相手である。全てを包み隠さず伝えてその広い人脈から選んでもらった。そして、弟が喜んで飛び付くであろう条件(こちらが借金の返済を求めない代わりにそちらは相続を放棄せよ、なぜなら借金は相続の3倍もあるのだから)を提示したのだが一切無視。代わりにやって来たのが地元署のお廻りで、「保護責任者遺棄」で告発されたので事情を聞きたいという。親父が死に至ったのはわしが親父の骨折を知りながら、お袋に救急車を呼ばせなかったことに原因があるというのだ。
ただただ驚き、怒りを通り越して哀れみさえ感じるも、これに関してはお廻りより「送検した」との連絡以降何もない所をみると、不起訴処分となったものと思われる。問い合わせれば書類を送ってもらえるらしいのだが、金を払ってわざわざ聞くまでもあるまいと今も放置している。どうやらこれは、わしを前科者にして「相続欠格」なる相続資格の消失を狙ったものだったらしいのだが、日々の生活に追われていたわしと違い、弟の布石がとうに打たれていたことを思い知らされるのはまだまだ先のこととなる。
そんなときに事件は突然に起きた。お袋が近所のスーパーの帰りに突風で転倒して腰を強打。幸い隣の小学校の下校を見守るボランティアの方が気付いてくれ、自治会倉庫より車椅子を引っ張り出し、お袋を我が家まで連れて来てくれた。緑のおじさん、その節は大変お世話になりました。
「(伊藤)みどりちゃんのように回ったのよ」と楽しそうに説明するお袋であったが、翌日整形で診てもらうとなんと腰椎の圧迫骨折。早速、ごついコルセットのお世話となる。
この装着がなかなか難しい。2人がかりで引っ張るも目印の位置まで引き込めない。立っているときはまだいいのだが、椅子に座るとズレ上がってしまうのだ。そこにちょうど顎(あご)が乗り、その状態で居眠りすることが多くなったためだろう、顎が擦れて赤くなり後にかさぶたとなった。「勲章ね」と笑っていたが、痒かったらしくつい手が伸びていたっけ。
そして、この居眠りが石油ストーブ横であったため、怖くてガスファンヒータに切り替えた。これで灯油の買い出し、運搬に補充から解放されいやはや楽なものである。なぜにもっと早くにそうしなかったのか。
さて、ここからが大変。おとなしく時を過ごせばくっつくものと思っていたが、3ヵ月もすると後遺症であろう激しい腰痛に悩まされるようになり、1時間と立っていられない、座っていても我慢できない。「ちょっと横になる」という日々が始まるのだが、その限界時間が30分となり20分となり、あるときなどまっぱのわしを風呂場に残して2時間戻らず、幸い穏やかな陽気だったがために身体が冷えることもなかったが、いろいろと考えるに充分過ぎる時間だった。
「ごめんね、寝ちゃった」と苦笑するお袋であったが、その顔からは痛みからくるのであろう疲労が隠せずにいた。これ以上家事は厳しい。わしの面倒も、通院も1人では心配だ。2階に上がらせるのも怖いので、1階のわしの寝室兼出入り口である6畳間にベッドを2つ並べての生活を考えねばなるまい。自動車事故で頸損になって以来の最大のピンチである。
ここで登場するのがまたしても愛子ちゃん。現在は地域包括支援センタのドンにあり、相続以前にも親父の問題、ケアマネさんについて助言を頂戴していたのだが、今回は家に他人を入れることに抵抗のあるお袋を説得して要介護認定、意見を押し付けずにこちらの希望に耳を傾けてくれるケアマネさんの選抜。そして、柔軟なヘルパ事業所の選定及びお袋のデイサービス利用をお願いし、快く承諾してもらった。
さすがは愛子ちゃん! わし自身も登録のみで利用していなかったサポートセンタに出向いて事情を話し、申請と同時進行にて紹介、面談、そして調整とフルピッチで進められることとなる。デイの方でもすぐさまわしの入浴を受け入れてくれ、さらに3回の入浴にと利用も週3回と増やしてくれた。ありがたや。
また、これと同時進行でベッド2つで窓からの出入りができなくなる6畳の寝室を考慮し、長年お世話になっている近所の業者さんに玄関の改造もお願いした。
実は、お袋から「弟が合いカギを持っているので玄関のカギを変えて」と言われ続けていたのだが、「そこまで馬鹿じゃないだろう」と軽く考えていたことも、のちに強烈なボディブローとして襲い掛かってくることとなる。
ともあれ、こうしてお袋とわしの2人と頼もしい支援者による新たな生活の準備が始まることとなるのだが、これはまだ序の口に過ぎなかった。
鈴木@横須賀
今日の一枚
まんが日本昔ばなし『母の面と鬼の面』は、奉公先での重労働終わりに母親の面と話をすることを楽しみにしていた娘が、いたずら好きの下男にすり替えられた鬼の面を悪い知らせと思い夜中に家路を急ぐ途中、盗賊に捕まりたき火の番をさせられるが、火除けにかぶった鬼の面に驚いた盗賊が置き去りにした小判とともに、母の元に帰ることができたというお話です。
つらい生活に耐えるため、心の支えとなるお面が必要だったのでしょう。母の面影を偲(しの)ぶために、お面を見つめる娘の心根がいじらしい。
肺活量の低下について掛かり付けの呼吸器内科で相談した際、気管内挿管を伴わない非侵襲的陽圧換気療法を就寝時に取り入れることを提案されました。昼間に酷使する呼吸筋を夜間に休ませるという説明でした。鼻と口を覆うマスク、さらにマスクを固定するための頭と首のバンドが必要であることを聞き、その場で断りました。
顔先の異物にはつらい思い出があります。受傷して運ばれた救急病院で気がついたとき、経口気管内挿管で人工呼吸器につながっていました。喉まで入れられた管で開きっぱなしの口の周りに、マウスピースを固定するテープが貼られていました。数日後に気管切開され顔先の異物はなくなりましたが、吸う、吐く、止めるという呼吸の自由を奪われたつらい生活はしばらく続きました。
入院中は、将来に対する不安で頭の中が一杯になるものです。将来のことを建設的に考えることは必要ですが、ただ不安がるだけでは、受傷原因を後悔するのと同様に時間の無駄です。しかし、わかっていても後悔と不安の脳内支配は強力です。この支配から逃れるために、私は「今日の一枚」という技を身につけました。より強烈なイメージを脳内に描き、そこに逃げ込むものです。MRI検査の20分以上の時間もこの技で耐えました。
アンビューバッグという手動ポンプを押し続けてくれた担当医が、私の平静さに驚いていました。棺桶のように感じた撮影装置の中で私の意識が逃げ込んだのは、その日に会った妻のイメージでした。オレンジのタートルネックセーターの妻の姿、それを心の支えにするとは、なんといじらしい中年男でしょう。
人工呼吸器が煩(わずら)わしくて眠れぬ夜に、臍下丹田(せいかたんでん)に気を感じる実験をしたことがあります。おかしな話です。へその下にある丹田に気が集まり、力の源となるということは知っていても未経験者です。自分のへそがどこにあるのか、見ることも感じることもできません。それなのに温もりを感じたのです。
部位に関する情報と温度に関する情報が脳内で一致したということですが、どちらの情報も不確かな身ですから、ただの思い込みかもしれません。それでも、達成感はありました。
在宅になってからも「今日の一枚」の技を使うことはあります。後悔と不安を振り払わなければ息もできないようなときに逃げ込むのは、ある島から見た青い海と青い空のイメージです。その海に浮かんでいる思い込みを加えることもあります。30代に訪れたその島は監獄として使われた要塞跡しかない島ですが、そこからの景色は人生最高のものでした。あの海に散骨してほしいという思いは今も変わりません。
気を感じる練習を臍下丹田以外の部位でも行っています。肩の痛みや手足のむくみ感が和らいだ気にはなれるのですが、臍下丹田に温もりを感じることはできません。やはり、あれは真夏の夜の夢だったのでしょうか。
茨城県:DRY