はがき通信ホームページへもどる No.147 2014.6.25.
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 人生最後の東北の旅/紅葉と被災地巡り(3) 

手動車イス、車運転可

 全行程:2013年10月17日・福岡県〜滋賀県〜福島県〜青森県〜岩手県〜宮城県〜福島県〜山形県〜福島県〜滋賀県〜10月26日・福岡県

 ◇10月23日(水)曇小雨 宮城県〜福島県〜山形県
 伊達政宗公の銅像で有名な青葉城址(仙台城址)に向かいました。朝早いせいか、人もまばらで、ゆっくり見物することができました。城好き歴史好きの私は、伊達政宗公の銅像を見るのがとても楽しみでした。青葉城の見学を終え、高速に乗り南下、福島県相馬市にある「道の駅そうま」でトイレ休憩と昼食をとりました。施設内に3.11の映像が流れており、津波被害を伝える曲がった標識等も展示してありました。
 津波といえば三陸(岩手・宮城)というイメージがあり、福島は原発事故のイメージしか浮かびません。しかし、実際に車で走って分かったのですが、福島も三陸と同じような津波被害を受けており、特に、南相馬市の海岸沿いを走ったとき、被害の大きさと復興の遅さに驚きました。道路は至る所で寸断され、アスファルトはめくれ上がったまま、迂回路は当たり前の状態でした。農地だったと思われるところにも、どこからか流れてきた瓦礫(がれき)の山がそのまま放置してありました。また、メイン道路らしき道の脇にも津波で破壊された車が放置されており、明らかに、三陸の復興の様子とは違っていました。
 そのようになった理由に、原発事故の影響が考えられます。原発事故当初、そのような場所は放射能の影響により、立ち入り禁止になっていたと考えられます。現在立ち入りが緩和され、ようやく復興に着手したのではないでしょうか。三陸の復興が遅れているとニュースなどで良く聞きますが、福島については原発事故後の処理が優先され、復興については2の次3の次のような気がします。住民たちは放射能という目に見えないモノと戦い、故郷やそれまで築いてきた生活基盤そのものが全て奪われてしまったのです。私たちには計り知れない苦しみと悲しみを抱えておられることを考えると、心が痛んで仕方ありません。その意味では、福島は3.11の最大の被害地であるといえるかもしれません。
 車でしばらく走ると、街の雰囲気が一変しました。スーパー・コンビニ・車の販売所・飲食店等々、生活感あふれる建物であふれていました。しかし、なぜか違和感が、そこには人の姿がまったくないのです。しかも、地震で壊れた建物がそのまま放置され、ゴーストタウンのようでした。原発事故により、逃げることだけを優先し、取るものもとりあえず、そのまま放置したようでした。そんな街並みを見ながら走っていると、目の前に立ち入り禁止の看板が見えてきました。とうとう浪江町まで来ました。ここから先は、許可証のある住民か原発事故処理関係者しか入れません。そんな緊迫感いっぱいの検問所の写真だけを撮り、道を引き返しました。


●道の駅「そうま」:津波の展示場(上)
  福島県浪江町:原発事故により通行止め

 かなり雨が強くなってきました。今日の宿は、山形県東根市にある保養所です。部屋はバリアフリーでトイレも充分すぎるぐらい広く、電動車イスでも使えそうでした。なお風呂は別にあり、大浴場を自分の入る時間に貸し切るようになっていて、案内の人が、「電動リフトを使って入ることができますよ」と専用の椅子と移動リフトを見せてくれました。しかし、誰かが操作しないと入れないので、せっかくの温泉でしたが諦めることにしました。


●入浴用移動リフトとリフト用の椅子
 
◇24日(木)曇 山形県〜福島県(前編)
 朝7時前に出発。雨は降っていないので、御釜を間近で見られるワクワク感で蔵王山頂へ向かいました。蔵王山麓は紅葉真っ盛りで、美しさに目を奪われそうでした。蔵王山頂レストハウスに着くと、車イス用駐車場が2台分ありました。他のマイカーより近いところに設置されていましたが、バスの駐車場と同じで大勢の観光客でごった返していました。
 そこから車イスを転がし、少し急な坂道を上がり、開けた場所に着きました。すると、目の前に碧(みどり)の火口湖の絶景が現れました。こんな山の上に湖があるなんて、目の前で見ていても信じられません。周りにいる観光客も素晴らしさに感激を隠せないようで、歓喜の声を上げていました。熊本県の阿蘇山火口は見たことがありますが、そのイメージとはまったく別物です。前日は、雨と霧で御釜の姿は拝めなかったようでした。今回の旅は台風の様子を窺(うかが)いながらの旅でしたが、ここぞというところでは天候に恵まれ、本当に幸運続きの旅でした。30分ほどその場にとどまり、写真とビデオ撮影を行いました。御釜の姿を充分に目に焼き付け、その場を後にしました。


●蔵王御釜(上)と蔵王山頂からの雲海

車に乗り込もうとしたとき、山形県側の山麓に雲海が発生しているのを見つけました。駐車場を出て、雲海がよく見える位置まで移動しました。外には降りず、車の中から雲海の写真を撮りました。その光景は『天空の城ラピュタ』のように雲の上にいるようで、とても不思議な感じでした。(続く)
  

福岡県:匿名希望


 改造尿器 

74歳♂、C3〜5、頸損歴26年

 まだ5月というのにクーラーがんがん、皆さんご機嫌如何でしょうか。
 前号No.146のUさんの“尿管理”を読んで、私の場合を書いてみたいと思います。
 受傷以後ユリドームを使用していますが、いつの頃からか炎症を起こしやすくなり、ある日、真っ赤に腫れ上がり止む無く泌尿器科を受診。患部を処置してバルーンカテーテルを装着、ガーゼで保護して帰宅しました。
 その翌朝のこと、介護していた妻の悲鳴に驚いてその部分を覗(のぞ)いたら、カテーテルが出ている部分が真っ黒な茶椀を伏せたような形で、しかも全体がモゾモゾと蠢(うごめ)いているではありませんか。よく見ると、蟻の大群が形作っていたものでした。どうやら、塗布された薬品の香味が原因だったようです。
 そんなことがあって、せめて夜の間だけでもゴムから解放させようと就寝時は尿器を当てることにしました。それ以来大きな皮膚のトラブルは起きませんが、その代り尿漏れで、ガードしているオムツやシーツを汚したり、夜間の尿器交換などの負担が必要になってきました。
 そんな中でつい最近のことですが、ふとしたことで、昔、向坊さんが「はがき通信」に多尿対応のため尿器に細工を……みたいな提案がされていたことを思い出しました。それから、通信のホームページの中から苦心して掲載号No.4を見つけました。
 次は誰にやってもらうか思案しつつ、訪問リハのOT氏に相談してみたら快く引き受けていただき、試行錯誤の後完成し、使い始めて2ヶ月ほどになります。
 工作要領と使い勝手等を記します(写真参照)。

 〈1〉尿器のお尻部分に、熱したカッターナイフの先でチューブサイズと同じ8mmを慎重に開けます。
 〈2〉チューブを尿が流れ出る角度をイメージしながら慎重にプラスチック用瞬間接着剤で固定した後、取り付け口を防水性の強いグルーゲルで接着し固めます。





この作業は、グルースティックをグルーガンで注入しましたが、高熱になるので要注意です。※何れも百均ショップで入手可。





 〈3〉ベッドの下に置く蓄尿容器は、5リットル用の洗剤空容器を安定性のためにアイス菓子が入っていた発泡スチロールの箱を利用しましたが、これ等は重宝しています。



 〈4〉使い勝手⇒以前のようなトラブルはほとんどなく、満足しています。
 エアーマットを使用しているので、尿器の傾きの調整が課題のようです。他にチューブの口径や長さ、ベッドと床の高低距離などで微妙な影響があるようですが、物理に弱い私にはわかる由もありません。
 ただ、蓄尿容器内のチューブの端は、尿に浸からないようにした方がいいようです。





 以上、手伝ってくれたOT氏と、ヒントを残してくださった故向坊さんに感謝しつつ終わります。

佐賀県:K.N.










【編集後記】



 ジトジトと蒸し暑い季節になりました。湿度が高いのが身体にこたえます。
 今年の懇親会は、福島で他の頸損連絡会支部と一緒にコラボして交流するという形になりました。現在の段階ではまだ未定の部分もありますが、私も被災地の見学は一度してみたいと思っていましたので、実現することを期待しています。
 さて、最近の私の身体の変化等を列挙しますと……足首から先の浮腫(むくみ)がひどくなったように感じること。一晩寝ても浮腫が完全にとれることはありませんが、今まで履けていた靴が履きにくくなったような……。脊損の友人は、利尿剤を服用したら浮腫が改善したと言っていましたが、薬まで飲む気持ちは湧きません。
 昨年の12月、突然左眼が「飛蚊(ひぶん)症」になりました。今も、3ヶ月に一度、眼科を受診して眼底検査。Fさんから、眼の周囲の三叉(さんさ)神経を刺激すると良いという情報を得て実践。人生、初メガネも作りました。武田鉄矢がCMをしている「神経障害性疼痛」に効くという“○リカ”も、Fさんからのお勧めで服用開始。疼痛への薬効は微妙ですが、寝ている姿勢での痙性が緩和され、眠剤との相乗効果で以前より眠れるようになりました。
 結石は、3月の検査でもありませんでした。ようやく、検査期間を半年に伸ばせるようになりました。しかし、特にベッドへのトランスファーの際、力を入れることで尿もれするようになり、尿取りパッドの位置に神経過敏に。
 育ったお尻に、履けるズボンやパンツを見つけるのにも悩んでいます。そして、パソコンをWindows XPから、8.1に乗り換えました。根がアナログ人間の私には、これまた悩ましい日々が続いています。
 次号の編集担当は、藤田忠さんです。



編集担当:瀬出井 弘美





………………《編集担当》………………
◇ 藤田 忠  福岡県 E-mail:stonesandeggs99@yahoo.co.jp
◇ 瀬出井弘美  神奈川県 E-mail:h-sedei@js7.so-net.ne.jp

………………《広報担当》………………
◇ 麸澤 孝 東京都 E-mail:fzw@nifty.com

………………《編集顧問》………………
◇ 向坊弘道  (永久名誉顧問)

(2012年4月時点での連絡先です)

発行:九州障害者定期刊行物協会
〒812-0054 福岡市東区馬出2丁目2-18
TEL:092-292-4311 fax:092-292-4312
E-mail: qsk@plum.ocn.ne.jp

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