はがき通信ホームページへもどる No.147 2014.6.25.
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 M氏と箱根の旅 

スタンダードタイプ・ジョイスティックコントローラー電動車イス使用

 5:30家を出て、7:00新宿でM氏と合流。小田原で乗り換え、箱根湯元駅で下車。バスで、元箱根。徒歩で、杉並木、関所跡を見て、箱根町から、海賊船で桃源台。桃源台からバスで小田原駅に。小田原駅—新宿・一之江駅16:30着。今回は、バスで回った。まったく問題がなかった。
 もうバリアフリーにこだわる時代ではない。ソフト面も充実して、あちこちで車イス客を見た。海賊船もエレベーターがあった。中国人の車イスも乗船していた。芦ノ湖の海賊船には、海賊姿の船員もいた。箱根の交通機関は完璧。駅やバス停のスタッフが親切。旧東海道は、所々に数cmの段があるが、横わきのほうから入れば、旧道を楽しめる。カーブで車に酔ったりしなければ、箱根は良い観光地である。
もう1度、確認しなければならないが、ケーブルカーや登山鉄道(平成26年、今年秋、ステキなおしゃれ新型車になる)も十分乗車可能。

 ◇おまけ
 折り紙:1枚の紙を折りたたんで、おのおの1/2〜1/10の正方形にすることに成功! これが可能なのは、折り紙がコンパス・定規以外に3等分をずらしながら決定できることによる。この成功は、折ることで√2〜√10を表現できることに他ならない。つまり、ルートの数字を図で測定できる。Try!!
 

東京都:M.K.



 携帯スロープ、便利だけど…… 


 皆さんも一度は、見たり使ったりした方も多いと思います。鉄道会社やバス事業者など、車いす使用者の乗降に使っているものです。皆さんも駅係員の対応の遅さ、連絡ミスなどの接遇の悪さで時間がかかったり、降りる駅で係員がいなくて降りられず困った経験などありますよね?
 私は遠方(特に地方)に出かけるときは、写真のようにスロープを持ち歩き、介護者にお願いして使っています。駅員を待たずスムーズに乗降でき、時間短縮や急な行き先変更などにも対応できます。とても便利な反面、女性介護者には少々重いこと、絶対にあってはなりませんが他の乗客にぶつけてしまうこと、そして使用については「自己責任」であり、乗降時の脱輪・転倒など注意しなくてはなりません。
 最近では、店舗などで段差のある入り口などにも使えるので行動範囲の拡大にも役立っています。



 現在は、2種類のスロープを場所などで使い分けています。
 〈1〉デクパック:長さ70cm 重さ4kg 耐荷重300kg
 〈2〉■パラレール:長さ50cm 重さ2kg 耐荷重300kg

 都内を移動するのであればそれほど必要性は感じませんが、ホームと車両の段差が大きい場所もあり、まだまだ移動制約者がスムーズに移動・乗降できるようになるには時間がかかりそうです。
 エレベーターはできても乗降に介助が必要であり、他の乗客が乗降する中、車いす障害者だけが待たされることのないように早急な改善が急がれます。



 2020年、東京オリンピック・パラリンピックで各国から障害を持った多くの方が日本に来たときに、スムーズで快適な移動ができるようになることを願います。
 この携帯スロープについては、下記のような福祉制度があり助成されます。

 【設備改善費・屋内移動設備の助成】
 重度身体障害者(児)の日常生活の利便のために、浴場・便所等の住宅設備の改善や、屋内における移動を容易にする設備に要する費用を助成します。
 詳しくは、各市区町村担当課にお問い合わせください。
 

広報担当:麸澤 孝



 ……何もない不幸と何もない幸福…… 

 もう3年が過ぎてしまったのですね。早いものです。
 朝6時起床、7時朝食、12時昼食、17時夕食、21時消灯。後は何もない。繰り返される人生消化のための日常。50メートル四方の、擁護という名の安全な壁の中の生活は、がんじがらめの規則に則った放置そのもの。
 長い長い24時間。館内を切り裂く罵声(ばせい)、怒声、号泣。各4人部屋に備えられている1台ずつのテレビ。個人の所有は許されてはいない。そのテレビの電源を入れてよいのは昼食後から14時までと、夕食後から21時まで。しかし、チャンネルの選択に関するトラブルは事実上不関与。
 食事は、全員そろってからの15分間。出される食事以外のものを口にしてはいけない。もちろん、出前あるいはカップメンなどは御法度。20数日ごとに巡ってくる献立の、冷えたご飯と冷えたおかず。冬など、まるでわざわざ冷蔵庫に入れておいたよう。昨夜の残り物のような、名ばかりのスキヤキ。表面が乾いて反っている、竹輪とコンニャクのおでん。健康のためにと、塩抜きされたシジミの味噌汁はご馳走の部類。
油抜きされていないラーメンが食べたい。9時から放送される映画が観たい。ヘッドホーンからでない音楽が聴きたい。せめて……せめて人の目がない時間が持ちたい。あれがしたい、これが欲しいと、まるで子供のよう。けれどかなえられない欲求は、次第に体内に蓄積されていく。
 いつしか得たいの知れない圧迫感、重圧感といったものに悩まされるようになる。じっとしていられず、わっとわめきたくなる衝動。逆に、襲ってくる脱力感、倦怠(けんたい)感。30代後半に強要された、余生のような日々の呻吟(しんぎん)。まだ夢があるから、まだ希望を捨てられないでいるから故の苦しみ。失って初めて身にしみた自由という宝物。
 身ひとつっきりの何もない人生。
 けれど、何もない拘束下でおもいっきり四肢をのばせるこの開放感。何でもないあたり前のことができるこの幸せ。「幸せだァー!」と、空に向かって声を出さずにいられないこの至福感。
 春も終わりだというのに、まるでかたきのように食べ続けた湯豆腐。深夜放送を、部屋いっぱいに流しながら迎えた朝日。夜となく昼となく徘徊した周囲の道路。この五官に触れるすべての事象が喜びの対象。そして、そのたびに発した「幸せ!」。
 私は今、もちろん幸せです。この○○ホームに救い出された当初の感激は、今でも少しも失われてはおりません。私の未来に、たぶん劇的なことが待っていることもないでしょう。けれども、私は一度失ったものを取り返し、以前よりずっと人生を、楽しむことができるようになったと感じています。
 人より優れた何ものも持ってはいないけれど、日々を楽しみながら、ゆっくりと年老いてゆく、ゆとりを得ることができたように思えます。四季を堪能するゆとり、小さな子供と話をすると、無性にその子が愛しくなってしまうゆとり、夜毎窓辺を通る猫に挨拶をするゆとり、その度に、何故か私は嬉しくなってしまいます。
 そして、今ではすっかり口癖になってしまった言葉をもらします。
 「幸せ」と。
 

K県:S.S.

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