はがき通信ホームページへもどる No.139 2013.2.25.
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【特集! 「はがき通信」懇親会in福岡2012(その2)】


 前号に引き続き、昨年10月6日(土)〜8日(月)に開催された福岡懇親会のご投稿(後編)をご紹介いたします。




 特集 ウワァー、パンク?! 


 「はがき通信」懇親会in福岡に参加するため、Sさんと横浜から博多まで新幹線を利用。博多到着後すぐにホテルにチェックイン。夕食レセプション会場であるハイアットリージェンシーホテルに向かった。
 着いたとき、突然電動車イス右前輪のタイヤの空気が「スー」と抜けてペチャンコに。パンク? このまま動くとチューブがダメになってしまうのでホテル入口から動けず。介助者のHさんに頼んで近くのガソリンスタンドから空気入れを借りてもらったり、Oさんがパンク修理剤のスプレーを買ってきてくれたり、いろいろ試してみたがパンクは直らず。本当に困った。大ショック! なにしろ動けないのだから……。電動車イスの一番の弱点だ。充電とタイヤだけは、本当に自分の足と同じなのが身に染みてわかった。
 パンクのままレストラン会場へ移動するとすでに夕食レセプションは終盤。腹ペコだった。残してあった食事に食らいつく。食事は、Sさんがレストランに残すように伝えてくれていたので助かった。
 ここからどのようにして宿泊ホテルに帰ろうかと悩んでいたとき、S家さんにバッタリ。事情説明すると自分が乗って来られたリフトカーを貸してくれて、ホテルまで送ってもらった。翌日、故郷の直方(のおがた)市に帰る予定にしていたが移動が難しいのでリフトタクシーをキャンセルし、帰らないつもりでいた。
 そんなとき、S家さんのスタッフの方がS家さんの古い電動車イスのタイヤを外して部屋まで持って来てくれたのだ。取り付けたところサイズがピッタリ。私のタイヤサイズが8インチなので、使っている人が少なく奇跡的な一致であった。凄い! 深夜、大きな感激に包まれた。感謝の気持ちで一杯だった。
 翌日、S家さんのリフトカーを運転手さん付きで貸してくれて、故郷の直方で母や親戚に会うことができた。諦めていたので、S家さんのお陰で7年ぶりに母に会えて嬉しかった。ありがとうございました。故郷の味を大いに堪能した。特に博多駅2階のとんこつラーメンは最高。
 昨年は転倒、今回はパンク。災難続きである。二度あることは三度あるというが……。来年こそは、良い年にしたい!



 今回のトラブルで、ホテル玄関前でデカイ電動車イスが陣取って迷惑をかけたにもかかわらずホテルスタッフの方たちが親切で、出張パンク修理屋やバイク屋さんの地図などを探してくれて、とても親切にしてもらった。そして、福岡懇親会のスタッフの皆さんと参加者の皆さんにも、大変ご迷惑をお掛けしてしまった。申し訳ございません。
 S家さん、そしてスタッフの方には、何から何までお世話になりました。同行してくれたHさん、今回もお世話になりありがとうございました。また、多くの方に感謝の気持ちで一杯の旅行だった。

神奈川県:M.I.



 特集 呼子、唐津〜日本三大夜景「皿倉山」(後編) 


 最終日懇親会を終え、北九州市八幡東区にある「皿倉山」へ行きました。何年か前、門司にお住まいの友達Nさんから教えられた皿倉山、ずっと気になっていました。新日本三大夜景の1つだとのこと、でもこのたびのスケジュールでは、夜景は無理だな……。でもでも夜景がきれいなら、日中でも見晴らしがいいのでは……と悩みつつ、半分あきらめていました。
 ところが、懇親会で地元の方に聞いてみると「日中でも絶景ですよ。ぜひ行かれて下さい。ケーブルカーで登りますが、完全バリアフリーで大丈夫」とのこと。最強の高所恐怖症の私、ケーブルカーにちょっと引っかかりましたが、夫は行く気満々というわけで、行ってみました。皿倉山登山口に着くと、想像の何倍もの人出と大人気。駐車場にあふれた車が、道路の端にずらっと駐車しています。ワクワクしてきました。
 ワクワクしたのもつかの間、入場口から正面を見上げてがく然。ケーブルカーまで長い階段が続きます。ケーブルカーに乗るには、この階段を昇降機に乗って上がらなくてはいけません。乗る前から怖くて震えます。「やめようか?」と夫に言ったのですが、「せっかくだから。」と決行。
 ケーブルカーに乗ろうとすると、ケーブルカーとホームの間に隙間(すきま)があり、傾いた変な段差がある。怖いと思いながら乗ると、傾いてこけそうになりました。夫もかなり焦った模様。
 出発と同時に「乗るんじゃあなかった。怖いーーー!!」体にめちゃくちゃ力が入り、心臓の音がどんどん速くなる。最高傾斜28度、私にとっては急勾配に見える。みんな楽しそうに、窓から景色をのぞきこんでいる……。走ること5分、山上駅でスロープカーに乗り換え(3分)やっと山頂到着。広がる景色に、少しずつ気持ちが落ち着いて来ます。



 標高622mの皿倉山。東京スカイツリーとほぼ同じ高さなんですよね。目の前にはスペースワールド、ちょっと向こうには若戸大橋、門司、下関までぐるっと一望。関門海峡大橋まで見えました。夜になると100億ドルの夜景に変わります。
 皿倉山には、たくさんのパラグライダーが飛行していました。自由自在、空中散歩です。パラグライダーは、見上げてばかりでしたが、見降ろすなんて……感激!
 と、パラグライダーと景色に夢中になって、いつしか緊張もほぐれていましたが……帰る時間がやって来て、またもや恐怖のスロープカーに、階段昇降機、ケーブルカー……。下りの方が恐怖感が強く、ケーブルカーは地獄でした。まっさかさまに落ちて行くような感じ。
 高所恐怖症でなければ、最高に楽しい登頂になったのでしょうね。きれいな景色を見ようと思ったら、すっごいエネルギーが必要ということ、身をもって教えられました。皿倉山登頂はもうこりごりです。でも冷静になって考えたとき、足元が見えるから怖いのかも……? ということは、夜暗くなると大丈夫ってこと? かな。あの夜景にはあこがれるので、ほとぼりも冷めてまたチャンスがあれば、今度は夜景を見に再チャレンジ? するかも……。
 

広島県:M.K.



 特集 九州ローカル線の旅 


 福岡懇親会ではお世話になりました。感想をと聞かれましたので簡単に書かせていただきます。
 1日目は時間の都合上、夕食レセプションから。久し振りに会う皆さんの元気な様子と近況を伺うことができました。ホテルでは、大竹さんの部屋にお邪魔させていただき楽しい会話をしました。もっともベッドで横になられていたのに申し訳なかったです。
 2日目は佐世保へ。ローカル線の旅を楽しみたい私は、調べていくうちに松浦鉄道(長崎)を知ることになりました。早朝に博多から地下鉄で姪浜(めいのはま)、唐津、伊万里へ。九州といえども玄界灘の風は厳しい。亡くなられた向坊さんの言葉が思い出される寒さでした。
 始発の伊万里駅で車両を見れば1両だけ。2両編成は見たことがありますが、1両は初めて。だが侮(あなど)ることなかれ、車イススペースやスロープの設置場所もあれば一般のトイレもあり。外のデザインもカラー。海岸沿いも走るが、山間部も走る。まさにローカル。
 やがて本州の最西端の駅へ。佐世保まで50半ばの駅の数があります。残念ながら車イス対応の駅は厳しいです。ホームが平らで道路に出やすいとか、駅の端がスロープみたいになだらかなところもありました。このへんは要確認です。ただ、道路から先の移動は車になりそうです。やがて佐世保へ到着。2時間半の各駅列車の旅でした。
 佐世保では護衛艦を見学に。神奈川県民、横須賀基地は近くなのに、なぜか行かない。入場門で住所を記入。護衛艦「あさぎり」が迎えてくれました。本来の目的に使用されますと困りますが、この勇姿はあこがれます。乗艦は付添に任せて岸壁で別の船や海を眺めていました。
 ここで付添が「佐世保バーガー」が食べたいと。昨夜検索していたらしいです。どうやら有名なようで、町に案内の看板があり。どちらのお店へと聞かれて「元祖」の言葉に惹かれました。しばしアーケードを歩き、交番で場所を訪ね、目的地へ。
 人気店で行列があり。付添に順番を任せて近所を散策。ほっかほっかのバーガーを食べながら空を見上げれば晴天、お天気で良かった! 遅い昼食後は、海上自衛隊の資料館へ。最上階からの眺めは素晴らしかった。やがて夕刻。私自身の燃料も空に近くなり、佐世保駅周辺を散策後、特急列車で博多へ。ドア幅が心配でしたが、何とかデッキの上に乗車、付添は展望車両の前席へ。眺めが良かったようです。

   ●松浦鉄道&海上自衛隊・護衛艦


 3日目は皆さんとお別れしてから、鹿児島へ。付添に知人がいるので延泊することにしていました。九州新幹線、座席が2列ずつ。通路が広い感じで、ひとつをカットした部分に私の車イス。いつも新幹線ですとデッキの上が定番なのですが、座席は久し振り。両側の車窓が見えて2時間弱で鹿児島へ。さすがに速い。
 鹿児島市内は市電が走っています。試しに乗車してみましたが乗り心地も良い。松山(愛媛)と同様。ノンステップの車両を待ちますが利用しやすいです。夕食は、ご当地のシャブシャブで有名なお店で味を堪能。そして、宿泊ホテルの東横インへ。過去には批判を受けた同ホテルですが、身障ルームあり。1週間前に電話をしたら空いていました。
 4日目、レンタカーを借りて付添の運転で『知覧』(南九州市)へ。名前を聞いただけでピーンと来た人はさすがです。ご存じ神風特別攻撃隊の記念資料館です。私の周りの鹿児島県人から強く勧められました。時間の都合上、ゆっくりと見て回れなかったのが残念。
 場所を移動して武家屋敷へ。が、階段だけで選定ミス、ガッカリ。代わりに付添に写真を撮ってもらいました。ここで私にとって奇跡が起きました。帰ろうかと思いましたが、戦時中に特攻隊員を世話した方の資料館「富屋旅館」へ。写真に納め、昼食を思案。入りたいと思った食堂は階段、諦めていたが付添が聞きに行く。どうやら脇にスロープという緩やかな坂があり。和服姿の女性が対応。昼食も和食。
 食事後お店の中を見回しましたが和風で落ち着いた雰囲気。珍しく店内にお土産があり購入。宅配の手配、後日、なんと手紙が添えられており、最後に「富屋旅館」「あ!!」ようやく気がついた私でした。旅館は資料館だけでなく、いまも現存していて宿泊も対応しているようです。偶然でしたが「富屋旅館」で昼食ができたのは感激です。帰りは桜島を見ながら空港へ。楽しい4日間でした。

神奈川県:F.H.



 『臥龍窟日乗』 —「50年目の筝曲(そうきょく)」その後— 

63歳、C5損傷、受傷歴25年

 受話器の向こうではエミちゃんの声がゴムボールのように弾んでいた。
 「ワタシ今、胸がドキドキしてる」
 と言いながらも、話題は恩師のこと、級友のこと、そして自分の家族のことへ、次つぎに移っていった。こちらは貪(むさぼ)るように付いていくのがやっとだった。声は変わらない。でもこんなによく喋る人だったかな、ふと思った。
 私の記憶の中にあるエミちゃんは、無口でお淑(しと)やかなお嬢さんだった。
無理もない。50年、いや半世紀もの時が大河(たいが)のように流れ去っていた。梅の木だって半世紀経てば形が変わってしまう。
 「本読ませてもらった。でもデグチ君ってこんな人だったっけ?」
 同じことを言っている。
 昨年9月に私が出版した本のことだ。10月に同窓会があって、出席できない私は本の宣伝方を幹事さんに頼んでおいた。それを買ってくれた。
 エミちゃんはある老人ホームの責任者をやっていて、同年代以上の高齢者の世話をしていた。本の内容に感ずるところがあって電話をくれたようだ。手を握るどころか、ろくに話をしたこともない憧れの人と一時間以上も話すなんて。人間、長生きはするものだ。
 本誌135号の『50年目の筝曲』で紹介した杉浦充(みつる)さんが、昨年末に大ブレークした。大手通信社やテレビ局の取材を受けたと聞いたとき、「時こそ至れり」と直感したが、どうやらその通りになったようだ。
CD『琴が奏でるおめでたい調べ』は全日空、東海道・山陽新幹線の車内サービスに採用され、人物紹介が全国の地方新聞社に配信された。隠れた才能が世に出るというのは、実にうれしいことだ。老人ホームの慰問や小さなイベントなどを丹念に積み上げてきた人だけに、素直に喜びたい。
 杉浦さんは生田流筝曲正絃社(せいげんしゃ)准師範だが、エミちゃんは正派生田流准師範だそうだ。同じ流派でも異なるのだろうか。本家、元祖の違いかもしれない。
 正月前に杉浦さんのCDを送ってあげた。礼状が届いた。〈六段の調べに、弾き方と押し手に違うところがありました〉との指摘だ。門外漢にはさっぱり解らぬ。〈杉浦氏の演奏は、男性ですので力強く、一つひとつの音をとても大切にしておられる〉ともある。男と女で音に差が出るのかと興味を持った。CDは正月、館内放送で流したそうだ。
 杉浦さんとコンビを組んで活動している五十川眞子さんのことは、同じ135号で紹介した。千葉市美浜の文化ホールで1月19日、女性ばかりの「新春邦楽演奏会」を開いた。箏は女性だとどうなるのか。
確かに杉浦さんの力強さはないが、「しなやか」という言葉が浮かんだ。絃に対して、しなやか。細やかな表現の部分では、曲へのスタンスというのか、理解の方法が異なっている。これは、あるいは個人的な違いなのかもしれない。
 余談だが9人の演奏者の姿勢が美しい。合奏では寸分の乱れもない。着物姿の日本女性のすばらしさも再認識した。翌日、ヘルパーさんにこの話をしたら、いま邦楽が静かなブームなんだとか。テレビでもラジオでも露出頻度が高まっている。そういえば文化ホールもほぼ満席だった。もっと詳しく言えば、60歳以上の高齢者で客席の8割が埋まっていた。この世代は日々の食べ物にも事欠く生活を、身をもって経験している。現在の生活が多少落ちたって、人間は生きていけるということを知っている。
 「日本人よ、原点に戻ろうよ」と言うメッセージを、邦楽ブームがもたらしているのかもしれない。
 さてエミちゃんだが、願わくば海を見下ろすレストランで、日がな一日、ワイングラスを傾けながら、半世紀の人生を語り合いたいものだ。色恋沙汰はさっぱり洗い流して……。

千葉県:出口 臥龍



 ある投稿を読んで&拙歌一首 

C3・4不全、73歳♂、頸損歴24年

 起稿の今日は、寒波の襲来で日本列島大荒れの予報です、お変わりありませんか。今年もよろしくお願いします。
 さて、昨年12月の本誌138号に〝Kさんと私と黒猫と犬〟と題したK.Sさんの投稿文が掲載されていました。私は、これを読んでホオ〜ッ!というか感心と言うか心打たれました。
 それは、Kさんの作画や努力でもなく、K.Sさんがモデルを買って出たことでもありません。後半の、ヘルパーとして自分に向き合うその姿勢に感じ入ってしまいました。殊に、歳も若く経験も多くない彼女が、ヘルパーと利用者との距離感にまでも真剣に心をめぐらせていることに感心させられたのです。
 私も、1年365日ホームヘルパーさんのお世話になっていますが、いつもケアの仕方の良し悪しばかりが気になってしまいがちですが、利用者として大いに反省せねばと思っています。K.Sさんガンバレとエールを送ります。

 【拙歌一首】

 ☆咳く妻の背をさすらんと頸損の手は定まらず眼鏡のくもる


 暮れから体調を崩し気味だった妻がインフルエンザを発症しました。熱と食欲不振で極度に衰弱した身体で、弱々しく咳き込む。何一つ看病らしいこともしてやれず、せめて、背中でもさすってやろうと手を伸ばすが角度の具合が上手くいかず辛い。マスクのせいか眼鏡までが曇る。大分落ち着いてきたが、早く元の笑顔と声に会いたい。
 ※12月号拙歌一首の〝幸〟は〝孝〟の投稿ミスでした。
 

佐賀県:K.N.

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