は が き 通 信 | Number.13 |
POST CARD CORRESPONDENCE | 1992.1.25 |
あんなに強かったソ連でさえ倒れる・・・・・何が起こるか、わからない世の中です。我々が歩けるようになるという希望はあります。医学も進歩しています。歩けるようになったら私は、夏の日に、焼けるような砂浜を歩いてみたい。
向坊
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TT
私は昭和40年、15歳のとき、第5頚椎を圧迫骨折して頸損になりました。私の頸損人生をふりかえると、一□で言うと、“褥蒼との戦い”という言葉に尽きるのではないかと思います。 もともと仙骨部に月のクレータのようなケロイドがあるのですが、それに加えて、昭和50年ごろから座骨に圧迫創が周期的にできるようになりました。 私は臆病なものですから、褥蒼ができると一切車椅子に乗りません。褥蒼がなおって車椅子にのると今度は起立性低血圧がひどく、お尻や足にうっ血がひどくなって、祈瘡がでさやすくなるという悪循環でした。 そういう生活に変化が訪れるのは、松井先生が制作された「自立」というビデオを見てからでした。MIさんという、わたしと同じ程度の重度障害者が車椅子にのりっぱなしで、行動範囲も広いし、何よりも身体的に、精神的に、経済的に、自立をはたそぅとしている姿を見て、ショックを受けたし、やる気がおきました。それで、当時のわたしとしては一大決心で、天井走行型のリフター“パートナー”を自分の部屋に入れました。次にローホークッションを使い始めるようになりました(ローホークッションの意義は実に大きい。これによって座骨に褥蒼ができなくなりました)。そうすると電動車椅子に乗れるようになり、ひとりで外出が可能になりました。
(ここまで書いたところで、91/12/6に十二指腸潰瘍にかかり、近所の内科病院に入院していました) 次回はJRの利用方法などについて報告したいと忠います。
呉市 TH
今年こそは患者という立場から脱皮して、おもいっきりパソコン、アマチュア無線などの趣味や障害者の為の福祉活動に、今まで以上に力を注ぎたいと思っていますがどうなるでしょうか?。
自立研参加ミニレポート
少々時間がなく自立生活について余り深くは語れませんでしたが、あれだけの障害者が一度に集まり、私たちの共通の問題である生活の場について考えられ、それに参加できたのが私にとって大きな戌果でした。 受傷当時より、食事や排泄さえ一人では出来ないという障害に、高位頸髄損傷者が生活をするのが一番困難な障害者と感じ続けてきましたが、言葉に障害のある方が、何度も何度も参加者に訴える姿を見て、失った手足の自由より残された目や耳、ロで四麻痺をカバーしていく事の大切さを、改めて感じさせられました。 92年は名古屋で全国集会を予定しているそうです。次会も是非参加したいと思います。
沢渡温泉病院にて TF
あと、自分の紹介はねー、紹介つうか近況は、ここ群馬の沢波温泉病院でリハビリやってます。電動車椅子の練習とかパソコンとか、やってます。あと、自分のとなりの部屋には、麩沢孝さんがいるんですよ。だから毎日、顔合わしています。
そんでねー、自分からだ動かないんだけど、まだ音楽やりてー!(笑).でもほんと、曲書いたりして。だからパソコンで音楽やっている人やそれについて知っている人がいましたら、ぜひ、ぜひとも教えて下さい。あー、でもこーいうからだになっても音楽やりてーよ一!!おねがいします。
また何か聞きたいことや相談事ができたらどうぞよろしくお願いします。
沢波温泉病院 TETSU−YA
山形県 SM(奥さんの手紙より)
ここは、療護施設としては、ハード・ソフト両面ともに、日本ではトップレベルの施設といえそうです。まだトイレ・溶室までは各宝にはありませんが、居室はすべて個室で、個人が思い思いの家具を持ち込んでいます。食堂は、トイレ・溶室とともに4つに別れた生活棟ごとに配置されてあり、11〜13人の小人数で利用するようになっています。 介護を担当する職員は、入所者現員47名に対して77名です。国の配置基準では、手厚い介助行われている重度身体障害者厚生援護施設でも、この規模の場合、指導員2名、療母8:1、介助員1名、心理判定員1名、OT・PT各1名で、計12名です・他の施設と比べて格段に職員数が多いため、入浴なども日にちを決めることなく、入りたい日に、また夜でも入れるようになっています(たいていの施設では、職員の勤務時間の都合で、入浴は日中行われます)。外出したい場合には、職員のスケジュール表の空欄に入所者が希望を書き込み、介助を依頼します。外出希望者が同じ時間帯に集中する場合には、入所者問の話合いで調整が行われます。入所者問の話合いは、施設内でかなり尊重されているようで、予算の執行などにも関与しています。 このような恵まれた施設での問題は何でしょうか。前画の通信で提起したように、公正・公平の観点からより多くの障害者を入所させるべきだという議論も、外部からは起きるでしょう。けれども、これが本来人間として受ける当り前の介助の水準と考えるならば、内部的には、入所者のプライバシーと自主性の問題があるだろうと思います。私が入所者であるなら、介助者が多いのはありがたいけれども、その反面職員に濃い密度で接触されるのは、少々煩わしい気もします。この施設では、食堂などは大食堂でなく小人数利用としていますが、介助の職員は棟別担当ではなく、全棟体制になっています。 これは、細かいところまで行き届く介助であっても、極力、個人を監視する・保護するという姿勢を回避するためのやり方であるように思われました。 施設の規模は大きいよりも小さく家族的である方が好ましいということが、いわば常識化しています。けれど今回の訪問で、「適正規模」という問題はそれほど単純ではないのではないか、と感じました。
東京都神経科学総合研究所社会学研究室 W
手術を受けたのは、脊髄腫瘍などで手足がマヒした恵者で、ケーオ博士に直接手術を依頼。博士の知り合いが在籍する同大で実施した。手術は2例とも成功したが、機能の回復は1,2年後という。
手術は、ふくらはぎの感覚神経を、切断された脊髄を結ぶ形で移植する。その際、感覚神経から抽出したシュワン細胞を神経繊維のつなぎ目に埋め込む』(1991/11/28の毎日)という新聞記事がありました。 なおこの手術代は約60〜100万円ですが、その費用をどこで負担するかは未定だそうです。 (向坊さんの挨拶にもありますが、神経再生にはたいへん関心が高いので、ケーオ博士らの文献を探して、この通信で紹介していきたいと考えています)
全脊連長野支部より
1990年7月に成立したADA(Americans With Disabilities Act;障害をもつアメリカ人法)のことは、みなさんもご存じだと思います。ADAは簡単にいうと、アメリカ社会における障害者差別を撤廃することを目標とした法律ですが、日本でもテレビや福祉関係の雑誌で紹介されていますね。この本は、ADAのすばらしいところだけでなく問題点も含めて、当事者である障害者や、障害者とともに長い年月を生きてきた研究者など、多彩な専門家16人が執筆しています。 第1章「ADAって何だろう」では、マイケル・ウィンター、レックス・フリーデンらのADAの成立に貢献した障害者運動のり一ダー達の来日講演が収録されており、またアメリカの公民権成立史などとも絡めて、ADAが解説されています。 第2章「ADAのフィーバーにもの申す」は、重い脳性マヒや知恵遅れなどの人たちの立場から、ADAがこれらの人たちを落ちこぼす危険性があるとの問題点を、指摘しています. ′ 第3章「ADAを支える四つの柱」では、障害者差別を具体的に禁止したADAの4つの領域一顧用、交通、建築、通信・電話−について、より詳細に解説しています。 節4章「ADAを複眼的に眺める」では、精神発達遅滞者と関わりのある研究者の立場からの「援護就労」の問題、アメリカ法研究者の立場からの「差別概念」の法律学的検討、電子技術者の立場からの障害者のコンピュータ利用、日本の自立生活運動のリーダーの立場からの運動の軌跡概観、障害者福祉の研究者による大学における障害学生教育事業の紹介、政治家の立場からの障害者の人格をめぐる世界的な潮流、などの記事が収められています。これらのテーマについて、ADA成立前はどうであったのか、ADAによってどう変わるのか、日本で取り入れることができるのはどのようなことか、などについて論じています。 複数の著者によって書かれているため、重複している部分が多いのが気になりますが、とても読み手のある本です。解説調になっていて読みにくい箇所も一部ありますが、読書会などに利用して討論するのに適していると思います。この本が欲しい方、入手しにくい方は、神経研・渡辺までご連絡下さい。出筆者の一人である東京都立大学の秋山哲男先生から、2割引き(2800×0.8=2240円)で購入できます。 インターネットのYAHOO!で検索したところADA HOME PAGEが見つかりました。これは、アメリカ司法省(U.S. Department of Justice)が作ったページみたいです。
インターネット版「はがき通信」編集部より----1998.7.19現在での情報
実質6日間という短期間の滞在でしたが、向坊さんはじめ「障害者の家」のメンバーのご尽力のおかげで小学校の訪問、高校生との懇親会、無人島での海水浴、民芸品の産地であり避暑地でもあるルクバンでのショッピング、永住の日本人宅訪問、「障害者の家」での夕食会と、たいへん楽しく、貴重な1週間を過ごすことができました。 雪の長野から、また寒風の強かった東京から、真夏に急変した6日間で皆日焼けして、22日午後1時、無事成田に到着しました。当日朝8時10分発の飛行機でしたが、朝5時半までにマニラ空港に到着するようにと、前日連絡を受けたため、ホテルを5時出発となりました。朝起きれない人はそのままマニラに置いていくという約束でしたので、全員ほとんど熟睡できない状態でしたが、1時間の時差では、国内旅行の延長のようなもので、時差による疲労感はなく、翌日はすぐ仕事にかかれました。 今回は帰ってきた直後ですので、詳しい報告は次号以降でいたします。海水洛やフィリピンでの人情味あふれる交流など、日本では味わえない貴重な体験ができたというのが6人全員の感想でした。 また向坊さんたち「障害者の家」のメンバーにフィリピンで生活するようになった経過、日本の家から「障害者の家」までの移動方法や具体的な生活内容などインタビューも含めて、今回の体験をビデオに収録してきました。 このビデオに説明や多少の編集などするため、少々時間がかかりますが、ビデオを希望される方は、VHSのビデオテープ1本と郵送料として切手360円を同封して神経研の松井まで申込下さい。60分以内に編集したテープのコピーをお送りします。
松井
今年当地宮崎は暖かくなったり、急に冷え込んだりで妙な感じです。私は毎年冬になると極端に活気がなくなりダウンしてしまいます。もともと寒いのは嫌なのですがそれよりもしぴれが強くなるからなのです。一年中胸から下と手にしぴれがあり、夏場はどうにかうにか我慢できますが、冬はもうだめです。体を動かすとひどくなるので食事をとるにもゼーゼーいって歯をくいしばる状態なのです。 入院も同じ受傷者に何人もしぴれのことを聞いたのですが、少しあるとかまったくない、強いと様々でした。
薬はいろいろ試しましたがまったく効果なし。
宮崎県 SA
ですが、PC98にしか使えません。
このソフトはコンピュータ雑誌「インターフェース」1月号でも紹介されていますが、今後の改善のためにと直接送られてきたもので、神経研リハビリテーション研究室の若林先生から紹介していただきました。 連絡先:〒981-32 仙台市泉区寺岡3-7-28 坂爪三津、坂爪新一
(詳しいTEL & FAX番号は情報交換誌「はがき通信」に記載)
最初、常駐させるのに苦労しました。SKL/0ではうまくゆかず、SKL/で常駐させることができました。そのあと、一太郎Ver4.3、アシストカルクで動作を確認しました。 重度四肢まひ者にとって、パソコンやワープロのキーを同時に、2つ、あるいは3つ押すのは、困難な場合が多く、このSKLは、有用なソフトだと思いました。
福岡県 S
あとがき
向坊さんの提案で通信を寄せて下さった方とすぐ交流がとれるよう、その方の電話番号を記入させていただくことにしました(ただし、インターネット版「はがき通信」には掲載しません)。連絡にご都合の良い時間帯など指定することがありましたら、通信と併せてお知らせください。 フィリピンで真っ黒に日焼けした元気そうな向坊さんやTさんにお会いしてきました。高松さんもいつかこの通信にニュースをよせて下さるそうですが、今回伺ってきたお話しは次号以降で紹介する予定です。向坊さんからそのあいさつ原稿を早々といただいてきました。14号は3月下旬です。皆さんの通信をお待ちしています。
松井
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