どたばた、パパ!(その3) 『あ〜、ど・ど・どうしよう!』
桃太郎が産まれて2ヶ月が経ちました。身長60cm(+8cm)体重5000g(+800g)順調に育ち、親としては嬉しいかぎりです。この頃になると、あやすと笑顔を見せてくれるようになりました。その笑顔に心が和み、疲れを忘れさせてくれます。自己主張も強くなり、怒ると手足を伸ばしてバタバタと動かし「キー」と声をあげるようになりました。泣き声も大きく、時には泣いたふりもするようになるなど知恵もついてきたようです。ますます可愛くてたまらなくなりました。 唯一心配な問題がありました。それは、私たちの疲れが限界に近づいていたことです。朝は、午前中いっぱい訪看さんやヘルパーさんが来てケアを行い、夜もヘルパーさんが来てケアを行うため時間を費やします。妻は、「人が来るため家はきれいにしておかないと」とか「調子が悪くても起きていないと」などと言い、無理をして精神的なストレスが溜まり、何より落ち着いて子育てができていなかったようです。かといってヘルパーさんたちが来ないと困ってしまいます。桃太郎は、数時間毎には泣いてミルクをやりオムツを替えていましたので、肉体的にも精神的にも限界だったのです。そんな矢先、大事件は起こってしまいました。妻が、ギックリ腰を起こして動けなくなったのです。「大変だぁ〜。どうしよう〜!」一瞬頭の中が真っ白になりました。幸い時間か経ち、少しは動けるようになりました。産まれる前から、両親には頼らず自分たちで子育てをしよう、そう決めてここまで頑張ってきました。しかし、今回はどうすることもできず、2人で話し合い両親に相談することにしました。両親は、快く実家での静養を提案してくれて迎えにまで来てくれることになりました。とてもありがたく、感謝の気持ちで一杯でした。もう一つ、ヘルパーさんの都合をつけないといけませんでした。幸い事情を話すと来てもらえることになり、とりあえずホッとしました。 次の日、妻は桃太郎を連れ実家へと帰っていきました。不安はたくさんありましたが、妻が治るまで乗り切らないといけない、と気持ちを引き締めました。しかし、1人になると家の中はシ〜ンと静まり返って、まるで家が冬眠したような静かさに感じました。それに、以前自分が何をしていたのか思い出せません。いかに、桃太郎中心の生活を送っていたのか実感しました。笑顔を見られない、泣き声を聞けない、あやすことのできない寂しさが湧いてきました。昼間は1人なので、今までできなかったパソコンの勉強をすることにしました。でも、あまり身が入りませんでした。「いつ妻は治るんだろう?」「何日1人でいるんだろう?」「桃太郎は何してんだろう?」「自分に何かあったらどうしよう?」など心配が尽きません。今は父親になったのです。これしきのこと、乗り越えなくては桃太郎に見せる顔がありません。以前は、家事もヘルパーさんにお願いしていたのですが、思ったことをしてもらえないため頼めません。食事の用意、電子レンジでの温め、食器洗いなど全部を自分でしなければならず大変苦労しました。失敗もありました、ご飯を弁当で済ませたのですが、野菜が足らず便秘になり辛い思いをしました。 妻のありがたみをより痛感しました。妻が完治するまでの間は、1日1日を必死に生活していたので非常に疲れました。夜など、お酒を飲んでも桃太郎の泣き声が聞こえないので眠れない日もありました。でも、楽しみもできました。妻や桃太郎の様子を電話で聞くことです。今日は腰が少し良くなったとか、桃太郎が笑ったとか、泣いたとか、何気ない話ですが静まり返った家で唯一明るくなる時間を過ごし、夜、寝ることができました。妻から送られた桃太郎の写メールを見て、数日で顔が変わっているのにビックリしました。子供の成長の早さは予想以上でした。 10日ほどで、妻の腰も良くなり安心しました。この出来事で、私は妻にいかに多くの負担を与えていたかを思い知らされました。今後は、問題が起こる前に早めに対応できるよう、話し合っていきたいと思いました。10日ぶりに迎える桃太郎との再会は、出産のときと同じぐらいに嬉しかったです。 パパさん 【いいモノ見つけた! 〜4〜】
商品名:携帯用「ミストファン」 商品紹介:夏季の一時的な暑さしのぎに。安価で小さいので持ち運びにも便利。 接触するとハネが止まるので顔を傷つけません。 値段:440円(電池式・別売) 会社名:類似品いろいろあり 代表的なサイト:http://www.amazon.co.jp 紹介者:神奈川県:M.I. 『臥龍窟日乗』 私にとっての9・11①
長いながい坂を大柄な男が上ってくる。どこかで会った顔である。懸命に記憶を呼び戻そうとするが、思い出せない。こうした場合、ともかく挨拶をしておく方が無難である。すれ違い様「こんにちは」と声をかけると、相手もニッコリ笑って返してきた。しばらくたって「なあんだ、タブチ君じゃないか」と気がついた。サンフランシスコでのことであった。 10日ほど前まで私はニューヨークに滞在していた。その日たまたま仕事の合い間ができた。タクシーを拾いWTC(世界貿易センター)に向かう。ところが到着すると大勢の警察官による厳重警戒態勢だ。1人の警察官に尋ねると「イスラム教徒が爆弾を仕掛けた。すぐに離れろ」と硬直した表情で叫んだ。昔のことなので、その日が何年であったか皆目見当もつかなかった。だが手がかりがないわけではない。 タブチ君を引き合いに出したのは、その日付を特定したかったからだ。当日スタンフォードでは、マイアミ・ドルフィンズとフォーティナイナーズのスーパーボウル優勝決定戦がおこなわれた。たぶん彼は観戦かテレビ番組の解説者としてきたのだろう。 「どちらが勝っても街は大荒れになるから、夜は外出しない方がいい」とホテルのフロントで言われた。とくに酒場などで両チームのファンがかち合おうものなら、ウイスキーの瓶で殴り合いのケンカになることもあるそうだ。現にその夜は車のクラクションや怒鳴り声で明け方近くまで眠れなかった。「何という野蛮な奴らだ」と腹が立った。 インターネットでこの試合を検索する。両チームによる優勝決定戦は過去44回開催された中でたった1度だけ。昭和60(1985)年1月20日である。試合は38対16でフォーティナイナーズが大勝している。その10日前とすると1月10日前後ということになる。9・11事件のちょうど16年前である。 9・11は6000人もの犠牲者を出した悲惨な事件であった。16年も前からイスラム過激派はWTCを狙っていたことになる。平成5(1993)年2月には実際に地下駐車場を爆破した。なぜWTCなのかというと、ユダヤ金融資本の象徴だと読み解けばわかりやすい。 ナチスドイツのホロコーストによって600万人ものユダヤ人が犠牲になったが、救いの手を差し伸べたのがアメリカだった。多くのユダヤ人がアメリカに亡命した。質屋という日陰の商売を手始めにコツコツとカネをため、半世紀を経てアメリカの経済界を牛耳るまでになった。大統領就任前のオバマ氏がイスラエルを表敬訪問しているが、今やアメリカの政治も経済も軍事も、ユダヤ人を除外しては語れない。虐げられてユダヤ人は強くなりすぎた。 彼らの悲願が祖国イスラエルの建国であった。イスラム教アラブ人居住区のど真ん中である。小競り合いがエスカレートし数十年にわたる戦争に発展した。アメリカはパレスチナとその支援者をテロ組織と決めつけるが、パレスチナ側から見ると、イスラエルとアメリカは侵略者ということになる。 なにごとも「複眼」で見ないと本当のところは分かってこない。 9・11には全く別の説もある。ブッシュ政権が自ら手を下したとか、CIAが事前に情報をつかんでおきながら犯人を泳がせていた(出処『9・11事件の省察』凱風社、『華氏911』マイケル・ムーア)というものだ。一見荒唐無稽な作り話のようにも受けとれるが、柳条湖事件のような前例もある。日本軍が自ら南満州鉄道を爆破し満州事変を引き起こした。 それにしてもアメリカは、16年も前から9・11を予測できたにもかかわらず、なぜ対策を強化してこなかったのだろうか。「イスラム教徒ごときにアメリカ本土攻撃などできるはずがない」とタカをくくっていたのだろうか。個人的にはアメリカ人ほど、陽気でアホでシミッタレで人のいい連中はいないと思うのだが、ことナショナリズムが絡んでくると、総てにおいて星条旗こそ唯一の正義であり真実であると信じて疑わない。その頑迷ぶりに何度辟易(へきえき)させられたことであろう。 千葉県:臥龍 私の排便時の工夫
自分は、排便の20分ぐらい前にバンコミン(医者で簡単にくれる)という、弱いビタミン剤を飲んでから座薬を入れてもらっています。あと、排便日以外に時々チオビタドリンクを飲んでいます。そうすることで、便の出が良くなる自分に合った方法です。 それから、年配の皮膚の弱っている人はボーン(折れ曲がり防止?のために縦に入っている柔らかい針金状の金属)で床ずれになったりするので無理だと思いますが、「ボーン入りマジックテープ式ウエストニッパー(男女兼用サイズもある)」をして、ちょっとですが血圧を上げています。現在、自分の使っているメーカーはわかりません。 もうひとつ書き忘れましたが、朝、排便での場合、前の日の夜にお菓子かチョコレートみたいなものを少し食べると便の出が良いこともあるような気がします。 偉そうに細かいことをいろいろ書きました。頸損の場合個人差が大きいと思いますので、参考になるかどうかわかりませんが判断よろしくお願いします。 匿名希望 |
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