はがき通信ホームページへもどる No.119 2009.10.25.
Page. 1 . 2 . 3 . 4 .

前ページへ戻る

 母の夢

C3〜5、頸損歴20年、69歳

 超久し振りの投稿です。
 先日、ひょんなことから、深なおししていた歌誌が出てきました。
 受傷直後、知人に勧められるままに、恥かしげもなく投稿した歌が載っているものです。
 その内の一首です。

 退院には大島紬に杖つきて母の見し夢いまだ叶わじ

 当時、闘病期間中ずっと泊り込みで看病してくれていた74歳の母が、ある日、話してくれました。「昨夜、あんたが大島紬(つむぎ)ば着て、杖ばつきながら退院して、山路を歩いていた夢ば見たよ」って。一層リハビリに励みました。一生懸命、一生懸命……多分その頃詠んだ歌だと思います。
 その母も4年前、92歳で他界しました。身体は不自由になったけど、母の愛を独占していたあの幸せな一時期は、忘れることはできません。

佐賀県:K.N.



 ヘルパーって何?(ヘルパーの立場から)(3) 


 私がヘルパーをやってみたいと思ったのは、職業訓練校の一日体験入学で体験してみたのが始まりでした。当時の私は何をしていいのかわからず、担任の先生に「とりあえず行って来い」と言われ、行ってみたらすごく感動しました。
 教えてくれる人の気づかいや車椅子を押す姿、着脱の仕方、人とのふれあい等。早くこの人たちのように、ヘルパーになりたいと思いました。初めてヘルパーの仕事をJIRITAMAでやらしてもらったのですが、感動の嵐でした。ユーザー様の不自由な体なのに、いろいろ工夫しながら何でも自分でやろうとする真剣な姿勢、それをいろいろ考えながらサポートするヘルパーの姿。早く慣れていきたいと思い、必死にやりました。
 老人介護のボランティア等はほんの少しやったことがあったのですが、障害者の人と接するのは初めてだったので緊張しました。コミュニケーションのとり方やリフターの使い方や人それぞれの介助の違い、覚えることがいっぱいあり、やりがいがありましたが大変でした。ユーザー様は若い人が多くて、友達感覚になりがちになってしまい、直そうとして仕事と思うと硬くなりすぎちゃう。その中間がすごく難しかったです。だんだん慣れていき、だいたいお互いわかり合えてきてからいろいろ壁にぶつかりました。人間いろいろな人がいますし、考え方が合わなかったりする時はかなりへこんでしまいます。
 なんでも「ハイ」と素直に従うのはいいと思いますけど、疑問を持つのも大事かなと思います。あまり私は強く言えないのでやさしく注意しても全く耳を傾けてくれないとか、少し言っただけなのにかなり落ち込んでしまう人、いろいろいます。「自分のことばかり考えてヘルパーのことをぜんぜん考えてくれてないんじゃないかな」等を思ってしまうこともあります。この仕事は、対人関係がうまくないとできない仕事だと私は思います。
 ヘルパーはなんだ?
 ごきげんとりかと思ってしまうときも多々あります。最近は、すごくマイナスに考えてしまいます。結局ヘルパーは何なのか、今だにわからないままでいます。
 [JIRITAMA事業所さんの機関紙から転載] 
 

ヘルパー・E



 神奈川頸髄損傷者連絡会会長・星野さん和医大訪問記 


 9月5、6日京都で開催される全国頸損連絡会代表者会議に出席するので、その帰り、和歌山医大の松井研究室を訪問したいとのメールが8月下旬ころ星野さんから送信されてきました。大阪のT屋さんが「遠い!」という和歌山へ京都から遠路来ていただいていいのだろうか、と心配になり、何度かメールで訪問の意思を確認しました。星野さんの返信は、「大学に行ったことがないので、どんなところか見学したい」とのことでした。
 9月8日夕方、メールでの約束どおり星野さんが和医大の松井研究室に来られました。
 8日は夕方から大学院生の講義があり、私の出勤日です。せっかく来て下さるなら校内の見学だけではもったいないので、院生に地域での自立生活を話してもらえないかと依頼しました。当日の講義は前期最後であり、すでに院生2人のプレゼンテーションが決まっていました。事前に履修生たちに了解を得て、星野さんに最初の30分、話していただくことにしました。私の申し出に星野さんはだいぶ戸惑ったようですが、京都に出かける前日、現在のお住まいである福祉ホームの建物や室内、パソコンの入力方法やトランスファーの方法などたくさんの写真を送信してくれました。
 8日、私は午前7時半に自宅を出て外房線の大網から東京へ出て、のぞみで新大阪へ、そこから阪和線特急“くろしお”でJR和歌山駅下車、普通列車の紀勢(きせい)本線に乗り換え2つ目・紀三井寺(きみいでら)駅で下車、徒歩約10数分で大学到着が13時40分、1週間ぶりの出勤で配布資料などに眼を通してから、パソコンに向かってメールをチェック、星野さんから写真5、6枚を添付したメールが6通あり、その写真をパワーポイントに取り込み、講義の準備を終了したのが午後4時過ぎでした。星野さんを迎えに1階正面玄関に出るとすでに到着され、図書館をバックに写真を撮られていました。





 現在私の職場である和歌山県立医科大学保健看護学研究科は、保健看護学部の建物内にあり、見学するものと言っても学部の実習室と図書館くらいしかありません(医学部と大学付属病院は紀勢本線の線路をはさんで反対側にあります)。1時間程度で見学を終えて、大学院生の研究室へ向かいました。私の講義の履修生ではないのですが、けい損者の生活習慣病を修士論文の研究テーマにしたいという院生に星野さんを紹介するためです。その院生は、カナダBC州の調査訪問から帰国直後、バンクーバでは上野久仁子さん、ジャネットさん、ウオルトさんに会ってきました。和歌山では急性期のよわよわしいけい損者としか交流してこなかった彼女は、バンクーバで自立したけい損者に会ってたいへんショックを受け、同時に強烈な刺激を受けてきました。とくにウオルトさんから日本の生活習慣病予防対策について批判されたとか、自身の研究の意義を見失いかけていました。神奈川から電動車いすで訪問された星野さんから研究の意義を説得され、短時間でしたが、彼女にとって有意義な出会いとなったようでした。
 さて、18時から大学院の講義「在宅ケア看護学特論」です。履修生は13人、大半が病院で働く看護職、地域の保健師が数人含まれ、皆さん社会人入学、年齢も20歳代から50歳代と多様です。看護職としての現場経験が豊富ですし、学部生に比べると学習意欲も旺盛で、また機転も良く効きます。星野さんが入りやすいように机を奥によせ、講義室入り口付近のスペースを広くしておいてくれました。温かい雰囲気で迎えられ、星野さんも事前の心配のようにあがることもなく、自己紹介から始まり、スライドを使ってホームの紹介、トイレ、浴槽、居室、パソコン操作、トランスファー、1週間のスケジュールなど説明されました。院生は星野さんの自立生活にびっくりしたようで、質問といってもすぐ対応できませんでした。つぎにプレゼンテーションを行った院生が「星野さんにぜひ聞きたい。再入院を想定してどこでどのような医療を受けたいか、意思表示はどうされているのか」と質問し、星野さんを一瞬どぎまぎさせていましたし、講義終了後、私の研究室まで質問に来られた院生もいました。短時間では答えられないような地域間格差に関する質問でした。星野さんはもっと話し合いたい様子でしたが、帰りの紀三井寺駅の門限が迫ってきました。
 紀勢本線紀三井寺駅は夜7時になると無人駅となり、車いす用通路が使えなくなります。星野さんには事前に、和歌山駅まで戻るなら7時前に紀三井寺駅に到着しないと車いす通路が使えないと連絡しておきました。ところが星野さんは慣れたもので、事前にJR和歌山駅に連絡し、20時26分の和歌山駅行きの電車に乗れるよう手配をされていました。つまり、JR和歌山駅の職員が紀三井寺駅まで迎えに来て通路の鍵をあけ、和歌山駅までエスコートしたのです。紀勢本線は1時間に2本の電車のみ、電車を待つ間、その駅員さんは星野さんと楽しそうに話され、星野さんもローカル線の旅マニアのように楽しまれていました。





 帰宅後いただいたメールによると、翌日、和歌山駅から和歌山市駅へ出て、南海電車で大阪の難波駅へ、そこから近鉄電車で名古屋に向かい、名古屋から名鉄で豊橋へ、JR東海道線でつぎの駅で下車、タクシーで天竜浜名湖線の始発駅に向かい、天竜駅を経て掛川へ。掛川からJRで焼津、静岡、三島、沼津、熱海を経て、小田原、13時間の列車の旅を堪能されたとのことでした。
 京都から和歌山も直行ではなく、天橋立(あまのはしだて)を回り、ローカル線を回って来られたとか。途中車いす通路の門限が17時のところもあり、紀三井寺駅門限19時には驚かないとのこと、私などずっと時間に追われた生活に適応しきっており、昨年から開始した朝のウォーキングまでふと近道を探している自分に苦笑を禁じ得ないでいる身にとって、なんとも羨ましい限りでした。



        ●天橋立(あまのはしだて)

 星野さんがこのような旅を実現できたのもガイドヘルパー・A海さんのご尽力があってのこと、遠路和歌山への旅をヘルプされてきたA海さんにも感謝申し上げます。

編集顧問:松井 和子



 ひとくちインフォメーション 



 ★ 神経細胞ニューロン たんぱく質操作で生後も生産 東大チーム脊髄損傷など回復に光

 脳の情報処理を担う神経細胞(ニューロン)の生産を止めるたんぱく質の機能を、東京大などの研究チームが動物実験で確かめ、10日付の米科学誌「ニューロン」に発表した。ニューロンの減少や機能不全で起きる神経難病などを治療できる可能性があるという。
哺乳(ほにゅう)類の胎児の脳では、神経幹細胞からニューロンが盛んに作られるが、出生後、脳の形成が終わると止まる。
 チームは、マウスの脳では、ニューロンを作る遺伝子が出生後に働かなくなることに着目。この遺伝子に結びつくたんぱく質「ポリコーム分子群」の機能を止めたところ、遺伝子が出生後も働き続け、新たに作られたニューロンで大脳皮質が大きくなった。同分子群が遺伝子を働かなくさせていることを確かめた。
 成人でニューロンが減るパーキンソン病などの神経変性疾患や、事故で脳や脊髄(せきずい)に損傷を受けた患者は、ニューロンが作られないため治療が難しい。現在、人工多能性幹細胞(iPS細胞)などから神経幹細胞を作り、ニューロンに分化させる研究も進んでいる。
 研究チームの後藤由季子・東京大教授(分子生物学)は「ポリコーム分子群の働きを止められれば、患者の神経幹細胞からニューロンが新たに作られ、機能回復につながるかもしれない。iPS細胞などから効率よくニューロンを作り出す技術への応用も期待できる」と話す。
 (情報提供:2009年9月10日 毎日新聞)


 ★ 障害者自立支援法廃止へ 厚労相強調「1割負担」を変更

 長妻厚生労働相は19日、厚労省内で記者団に、障害者自立支援法について、「廃止していくと申し上げている」と述べ、、廃止して新制度を導入する方針を強調した。同法の廃止は、障害者にも相応の負担を求めてきた障害者行政の転換につながることになる。
 ただ、廃止時期や新制度の内容については、厚労相は「どういう制度にするのか、今後詰めていく。論点整理に取り組んでいる」と語り、今後、検討する考えを示した。
 2006年4月に施行された同法は、福祉サービスの利用にかかった費用の原則1割を自己負担させる「応益負担」の立場をとっている。これに対し、障害者団体から「負担が重い」「サービス量を減らさざるを得ない」と強い批判が出ていた。昨年10月には、同法が憲法の保障する生存権を侵害しているなどとして全国一斉訴訟も起きている。
 先の通常国会では、政府が自己負担の軽減策を盛り込んだ改正案を提出したが、審議入りせず、廃案になった。民主党は衆院選の政権公約(マニフェスト)で、応益負担の原則を変更し、負担能力に応じた利用料を求める「障がい者総合福祉法」(仮称)を制定する方針を掲げていた。
 また、長妻氏は、10月にも復活させる生活保護の母子加算の財源に今年度予算の予備費を充てる案について、「選択肢の一つだが、ほかにもある。一番早い方法を検討している」と述べた。 
 (情報提供:2009年9月20日 読売新聞)


 ★ 障害者支援新制度の導入まで負担軽減策

 厚生労働省は28日、障害者自立支援法に代わる新制度導入までの間、利用者負担の軽減策をとる方向で検討を始めた。同日の長妻厚労相ら政務三役会議で方針を固めたものだ。
 厚労相は福祉サービス利用料の原則1割を障害者に求める同法の廃止と、負担能力に応じた利用料を求める新制度創設の方針を示している。三役会議後、足立信也政務官は記者団に「法的整備をかなり大きなビジョンを考えている。出来上がるまで何も進まないということにはならない」と語った。2006年4月の同法施行以降、自公政権も負担軽減策を行ってきたが、障害者からは「不十分だ」との声が出ていた。
 (情報提供:2009年9月29日 読売新聞)










【編集後記】



 先の衆議院選挙で民主党が圧勝し、社会情勢や政治施策はどう変わってゆくのか……。というところですが、皆さんは選挙はどうされていますか? 私は、自宅で郵便での投票を行っています。この在宅投票制度を、周囲で意外と知らない人がいました。投票所に行くのが一番だとは思いますが、我が地区の投票所は小学校なのですが遠い上に坂の上にあり、両親も事前に行政センターで不在者投票をしています。
 さて、在宅投票制度ですが、地元の選挙管理委員会事務所に行って「郵便等投票証明書(7年間有効)」の交付を受ける必要があります。このとき、確か障害者手帳のコピーが必要だったと思います(事前に確認を)。そうすると、選挙が近づくと投票用紙の請求書が郵便で届きます。それに住所・氏名を記入し、証明書を添付して郵送で返却します。選挙間近になると、投票用紙が郵送されてきます。それを返却用の速達封筒に入れて投函すればOKです。
 実は受傷前の若い頃、選挙には行ったり行かなかったでした。政治には正直、関心が薄かったと思います。しかし、障害者になってからは国民の義務と権利として、一度も欠かさず選挙の際には投票しています。
 次号も続けて瀬出井が編集を担当いたします。

 ※現在、藤田さんは体調不良のため、連絡が行き届かない場合があります。どうぞご容赦ください。ご投稿など、瀬出井か他の編集スタッフまでご連絡くださいますようよろしくお願いいたします。


編集委員:瀬出井 弘美







………………《編集委員》………………
◇ 藤田 忠  福岡県 E-mail:fujitata@aioros.ocn.ne.jp
◇ 瀬出井弘美  神奈川県 E-mail:h-sedei@js7.so-net.ne.jp

………………《広報委員》………………
◇ 麸澤 孝 東京都 E-mail:fzw@nifty.com

………………《編集顧問》………………
◇ 松井和子 和歌山県立医科大学
◇ 向坊弘道  (永久名誉顧問)

(2008.4.1.時点での連絡先です)

発行:九州障害者定期刊行物協会
〒812-0069 福岡県福岡市東区郷口町7−7
TEL&FAX: 092-629-3387
E-mail: qsk@plum.ocn.ne.jp

このページの先頭へもどる


HOME ホームページ MAIL ご意見ご要望