はがき通信ホームページへもどる No.102 2006.11.25.
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 向坊さんからのハガキ 


 向坊さんが亡くなられたことを「はがき通信」で知り、「そうですか」という感じです。主人の入院中も、施設での生活の中でも、まわりにはいつも人の死があります。自分も含め、人生の最後はどんな終わり方をするのかと考えることがあります。
 向坊さんの場合、100号によせられた本人の文面より「身のまわりのことを整理する時間がある」とありました。ある意味、理想的な人生の終わり方だったのではないかと思います。
 本人に直接お会いしたことはなかったのですが、以前ハガキを2通いただきました、口にペンをくわえての口書きです。そして、それが達筆なのです。
 私たち夫婦が精神的につらかったころ、「何年か後に笑える日がくる」とありました。そして、ペーシングの情報収集のために忙しい時間をさいて動いて下さったころに「人の見通しは悲観的になりがちですが、思いのほかうまくいく場合もありますから」とはげまして下さいました。
 ただあのころの私たちは、その言葉を素直に受け止める心の余裕がありませんでした。今にして思えば、あの当時で頸損歴30年の大先輩だった訳です。その言葉には人生の重みがあります。
 手元に2枚の写真があります。ベッド上の様子と、海岸を散歩中(車イスで)の様子が写っています。おだやかな笑顔です。
 向坊さん「はがき通信」をありがとうございました。今ごろ、かの浄土で自分の両足で立ち、両手両足を思いっきり動かしていることでしょう。自分の意のままに・・・。
(平成18年9月1日)

M.M.(山形県)



 広島での懇親会はいかがでしたか 


 ぼくは行けませんでしたが、これまで以上に多くの人たちが集まった懇親会はいかがでしたか。向坊さん亡きあと、初めて開かれた懇親会の結果が良いようになっているといいのですが、ただそのことが心配でなりません。日本中、特に九州からの参加者が多く、どんな意見が飛び出したのか分かりませんが、なんとか「はがき通信」が存続するようになったようで、取りあえず、ホッと胸をなでおろす次第です。これから購読料・2000円を検討していくことになったと聞きましたが、それでも続けられるのはありがたいことです。急性期で何をしていいのか分からなくて、パソコンが使えない頸損患者の家族はひと安心ですね。
 ここで排便後や入浴後に急激に血圧が下がり、車イスにも乗れなくなる人へ朗報をお知らせします。ぼくは排便後や入浴後に血圧が下がり、それは最高血圧が50をも下回り、意識をなくしてしまい、すぐにベッドへ移らなければなりませんでしたが、脚に弾力包帯を巻き、腹には腹帯を締め、ドプスカプセル100mgを毎食後に服用すれば、まったく血圧低下は見られなくなりました。ここまで来るのに丸20年以上もかかりましたが、これで外出の一つもできるというものです。あと、長年不眠症に悩んできましたが、サイレース1mgとデジベル25mgを服用しさえすれば夜も安心して寝られて、旅行へも行ける自信がつきました。もし、それでも駄目な場合は、深夜にアモバンを1錠服用すれば、それも簡単に解消されます。
 眠れない人、血圧低下が激しい人はぜひやってみて下さいませ。これはぼくの経験ですが、頸損患者はたいてい効果があると思っています。それではみなさんお元気で。
(平成18年10月10日)
 

ペンネーム 夢運び人



  ひまわりの人 


 彼に初めて会ったのは去年。その頃の彼は色白で生気がないように見えた。高位頸損で四肢麻痺だ。ある会合に母親と一緒に参加していた。少しだけ話しをしたが、声もよく聞き取れないほどであった。
 ある夏の日、一枚の絵葉書が父宛に届いた。ひまわりの絵だった。口に筆を銜えて描いたであろうその線は、細いけれども芯が通ったものだった。おや、この絵と彼はちょっと結びつかないな、と思いながら表を返すと、宛先の横に言葉が添えられていた。「やっぱり、くやしいですよね。だから、がんばりましょう」。彼の言葉とは思えなかった。小刻みに震えているけれども、しっかりとした意志が伝わってきた。
 それからややあって再会した時、私は自分の目を疑った。見違えるほど強い目をして
いた。日焼けした締った顔つきで、髪もさっぱりと切っている。聞けば受傷以来、初めて電動車イスで散髪しに行ったという。その声も張りがあり、はっきりと声帯を震わせている。何がそうさせたのかと問うたところ、今年3月に行なわれた某勉強会で右近清氏のリハを目の当たりにし、飛び込みで実演に参加して目覚めたのだと言う。
 それからというもの、自宅で黙々と自主トレに励んだのだそうだ。もちろん、実演で使用した椅子やテーブル、マジックバンドなどは特注品であるから、容易には手に入らない。そこで、食卓の椅子にストッキングで手をぐるぐる巻きつけて、見よう見まねでやってみたら成果があった、と嬉々として言うのだ。
 右近氏は凄い人だ。たった一度きりの講演で、ひとりの頸損者の暗澹たる日々を変えてしまったのだ。後に私も介助者として右近氏のリハを体感するのだが、むしろ心のケアのほうが強烈なインパクトを残す。退廃した精神にザクザクとメスを入れ、神経を呼び覚まそうと檄を飛ばす。俺はできるんだと信じ込んだ脳は徐々に本領を発揮する。身体は喜び、それを微かな震えで表現する。当人だけでなく、家族の心の澱までも洗い流してしまうのだ。
 彼には、どんなことがあっても自主トレを止めないでほしい。すでに尊厳を取り戻し始めている、そんな精気の宿った顔だった。

W.



 痛む腰で主人の介護 


 「通信」の皆さまお元気でお過ごしでしょうか、今年も後2ヶ月余りと残り少なくなってまいりました。
 私は、昨年7月にギックリ腰のような状態となり、S大整形でレントゲンとMRI検査を2度ほど行いました。検査は椎間板ヘルニアが2ヶ所もあること、それから腰椎変型症があるということでした。別に悪い病気(ガン)等はないということで、まず一安心でした。
 そのような検査から1年が経ちました。痛い時は、痛み止めの薬を飲むようにし、日常的にコルセットを着用しているということくらいで、痛みが快復することはなく腰の左側から足までも痛み、座骨神経痛のような痛みに辛い思いをしています。痛み止めの薬といってもあまり毎日飲むことも良いことでなく、長時間歩かなければならない時だけ飲むようにしています。腰や足の痛みに疲れを感じ、主人の介護も苦痛を感じるようになってきました。
 特に今年の夏は一段と暑さが厳しく、主人は夏風邪を引き10日ごとに3回も熱を出して大変な思いをしました。8月のお盆休みのころには、病院(かかりつけの医院)が夏休みとなり診察も薬も取りに行くこともできず、近所の薬局もお休みということで9度5分という高熱を一刻も早く下げなければなりません。
 そこで冷たく冷やしたタオル(冷凍庫へ30秒ほど入れる)をビニールの袋に入れ、主人の胸から首のリンパを冷まし、何回となくタオルを取り替え様子を見ました。すると熱はどんどん下がり始めました。抗生剤を使わずに落ち着きました。このような方法は昭和医大病院で学びました。亡きKが入院していた時に学んだことが、大変役に立ち嬉しく思いました。やっとお盆休みも終わりすぐに診察を受け一安心しました。
 しかしその後10日熱を出し(夏風邪を繰り返す)、病院へ行ったり本当に大変な夏でした。主人は倒れてからそろそろ8年目を迎えます。風邪ばかり引くのは身体的に衰えがきているのではと医師が話していました。
 これから寒さに向かう季節です。だんだん介護も大変になってくることと思います。私自身の身体もあまり無理のないよう十分に注意をし、毎日の生活には、ゆっくり、ゆっくり時間にとらわれず過ごしていくように心がけています。
 今年は、モーツァルト生誕250周年ということで、モーツァルトに関するいろいろとたくさんのCDやテレビ放送もあります。私は毎日モーツァルト(BS2)を楽しみにビデオ撮りをしたりしています。毎日10分間のモーツァルトの時間です。美しい映像と、美しい音楽に私の心は癒やされる思いです。大好きなモーツァルトですから・・・・・・。これからも心静かに健康に気を付け、主人と共に過ごしたいと思っております。
 どうか「通信」の皆さまもお身体に気を付けお過ごし下さいますように、心よりお祈りいたします。

Y.S.(埼玉県)

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