はがき通信ホームページへもどる No.71 2001.9.25.
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どうも8月が苦手な、独居老人です


 今年の夏は暑さが厳しく、体温調節で苦しい思いをされているのではありませんか? そんな日々の中で、私ごとを書いて投稿です。
 まず、昭和20年の8月に中国(旧満州)にて敗戦、6歳でした。小学1年生の昭和21年8月に引き揚げ、2年生の夏休みのはず、しかし幼稚園、小学校には一度も行ったことがない。
 小学校1年生の2学期から、学校生活は始まった。落第だった、だけど学校は初めてだから何も分からない、本当の馬鹿だと担任の先生にも思われ、げんこつの嵐でした。それでも、4〜6年で普通に、中、高、大学もごくごく普通に通い卒業、化学会社の研究室へ就職しました。
 ダンスで知り合った看護学校の学生と結婚、子供も娘1人を授かり千里の藤白台で普通の生活を送っていましたが、昭和40年8月に次女が生まれて(かみさんは、福井が実家)その子に会いに出かけた数時間後に、助手席に乗ったまま崖から転落。危篤状態で入院、気が付けば、頸損に。星ヶ丘年金病院に転院、5〜6年後に夫婦間崩壊(離婚はしていない)、しかしかみさんも数年前に胃癌を患い、胃を3分の2強切除、そうやって36年。
 今年の8月には孫2人(あの時の娘の娘、小6と長女の息子小5)が、初めて子供たちだけで、枚方からやって来て3日間、パソコンと、冷蔵庫、財布を、独占された。この子たちのためにも、生きていて良かったのかな〜?
 それにしても、猛烈に暑い夏です。皆さんもお大事に。
鳥取県 :HY hy0025@ncn-k.net



 一人暮らしを始めました 

C4、17年目、45歳

 皆さん! お久しぶりです。Oです。「家を出る!」と声高らかに宣言したのは、家探しを始めた昨年3月のことです。2000年の正月を迎え「ふっ」と「将来どうしょうかなぁ」と考えているうちに「なんとかやって行けるかも?」と思ってきたのです。……というのも「はがき通信」を通じて、C4レベルの一人暮らしの前人者を数名知ったこと。そして東広島市のホームヘルプは必要と認めると24時間派遣すると鼻高々に言っていたからです。
 「ホンマかいな?」と思いながらホームヘルプ7.5時間/日の週間ケアプランを作って提出したところ、とうてい無理という回答に愕然。土地を買って手付け金を払ってすぐのことで、もう後戻りできなくなっていました(今思えばこのことがなければ止めていたかもしれません)。
 結局すったもんだの末、ホームヘルプが24時間/週で決まりました。再度組み直したケアプランの一例をあげます。

《火曜日》
6:00 巡回 (地域サポーター、500円)
7:30〜 9:00 朝食・身支度・離床(公的ヘルパー)
10:00〜11:00 雑用(有料サービス、700円/h)
12:00〜13:00 昼食(ボランティア、500円+食事)
15:00〜17:00 着床・排便(訪問看護)
18:00〜19:00 夕食(公的ヘルパー)
20:30 巡回 (地域サポーター、500円)
22:00〜22:30 就寝準備(公的ヘルパー)
 夜間緊急時      下宿人

 約6万円/月の出費ですが、これについては全身性介護人派遣制度の導入で埋め合わせてほしいと要望を提出したところです(期待せずに待ってます)。
 住居はJR駅から1.2kmの比較的新しい団地内に2階建てを新築しました。2階には下宿人を入居させ、緊急時の対応にあたることを約束に安価で貸しています。自家用車は持ちません。移動はJR、タクシー、無料福祉バス、有料移送サービスなどです。
 家さがしを始めてから1年半、一人暮らしを始めて4ヶ月、ものすご〜く忙しかった(今も)けど多くの人たちの協力を得ながらここまでたどり着きました。新しい出会いや数十年ぶりの再会もありました。受傷して一番充実した時間を過ごしているのかもしれません。
 皆さんに感謝してます。ありがとう!
広島県:O ohtake@enjoy.ne.jpメール



わたしの排便コントロールの工夫 

 前号でMKさんが、ご自身の排便コントロールの工夫を書かれ、同時に皆さんの排便コントロールの工夫をお聞かせくださいとありましたので、わたしの例を紹介いたします。
 この件につきましては、以前投稿したのですが、現在排便の方法が当時と変わったこともあり、再度投稿しました。

 排便は中3日の間隔です。例えば月曜日に出したら、次回は金曜日の間隔です。普段の食事は基本的に朝、晩の2食です。1日2食とはいうものの昼まったく食べなければお腹が晩まで持ちませんので昼ヨーグルトを食べています。ヨーグルトにはお腹の健康に良い善玉菌が含まれているそうなので牛乳からヨーグルトに転向しました。排便前日の食事は、いつもの朝晩の2食から、朝昼の2食にします。これは空腹にして下剤の効きを高めるためです。以前朝1食にすればその効果はさらに高まるのではと思い試していたのですが、朝1食も朝昼2食もその効果に変化はありませんでした。

 排便前日の夜9時、下剤アローゼンを2袋飲みます。朝6時に新聞を敷き身体を左側臥にして通常座薬2つと浣腸半分を使って出します。座薬だけでは軟便が残り、この軟便があとになって出ること少なくありません。それで浣腸半分を使い最後の軟便を出し切ります。なぜ浣腸半分かと言いますと、座薬で大方出してしまえば必ずしも浣腸1本使わなくても良いようです。ただしこれもケースバイケースで軟便が十分出ない時には1本使うこともあります。排便に要する時間は、2時間程度です。座薬を入れてお腹をマッサージするまでの待ち時間がありますので、その間水を飲み、前日つくっておいた握り飯を電子レンジで温め食べます。便を出す前に握り飯を食べるのは胃腸を蠕動させ排便を促すためです。

 現在の方法にしてから便失禁少なくなりました。皆さんの参考になれば幸いです。
宮崎県 :RS ryouzz@mx61.tiki.ne.jp



まだまだ捨てたもんじゃないよ、日本も


 浴衣を着てお祭りに行ってきました。最終目標も何とか達成できました。これも全て市民・県民の皆様のおかげ。私たち山口県立大学・大学院の学生3人で始めたプロジェクト、「車椅子で浴衣を着てお祭りに行こう!(浴衣のバリアフリー&ユニバーサルデザイン)」という、一大イベントも無事終えることができました。お祭りに参加したのは10人の車椅子ユーザー。そして、食事や移動のサポーター33人、プロのバスドライバー1人(当日のバスでの送迎)。その他にも浴衣を縫ってくれた縫製ボランティア8人、不要になった浴衣の提供は約100枚。浴衣提供やサポーター募集の呼びかけを手伝ってくれた新聞やテレビの報道。などなど言葉では伝えきれないほどの人々にお世話になりました。約5ヶ月間、必死で動きました。私たち3人も頑張りましたが、これだけの多くの人々の支援があったからこそ成功をおさめることができたと、感謝の気持ちでいっぱいです。この5ヶ月間、いろんな出会いがありました。縫製を手伝ってくれた和裁教室の先生は「30年間和裁をして、浴衣や着物を作ってきたけど、車椅子の人が着にくいものだとはじめて気がついた。私は着れないものを作ってきていた」と。この言葉には感動しました。私たちが言ったのではないのに気がついてくれた、わかってくれたんだと思うと嬉しさを覚えずにはいられませんでした。当日のサポーターの人にお礼を言ったら「こちらこそありがとうございました。誘ってもらってお祭りを楽しむことができました」との返事。何かジーンときて涙が出てしまいました。お祭りは車椅子ユーザーもサポーターも浴衣を着ました。一方的にサポートを受けるのではなく、そして障害者がお祭りを楽しむためのサポート(ボランティア)ではなく、サポートする側もされる側も一緒に楽しむことができたのでは……と思います(自負かもしれませんが……)。このように共に楽しめてこそ、地域の中での共存ができるのではないかと身をもって感じました。多くの人が参加するお祭りには、障害を持った人だって参加したいはず。「車椅子だから危ない、やめよう!」ではなく、行けるように考えればよいだけのことだと思います。この考え方が当たり前になる日の来ることを願います。
山口県 :ミカリン mikarin@c-able.ne.jp



 主人と子猫 


 「通信」の皆様、15年ぶりの暑さといわれた猛暑の夏をいかがお過ごしでしょうか。私は、毎日暑い暑いの一言で過ごしておりましたが主人も私もおかげさまで何事もなくこの厳しい暑さに耐えることができました。
 7月14日は、わが家に一つの出来事がありました。それは、裏庭で親猫に捨てられた3匹の子猫がミィー、ミィーと泣いていたことから始まりました。白黒のブチ猫2匹と、黒のトラ猫1匹です。皆メスの3姉妹です。その内の1匹、白と黒のブチ猫は他の2匹より体も小さく(200グラム)たいへん弱っていました。そして5日ほどで死んでしまいました。本当に短い命でした。でも他の2匹は、体重も500グラム(トラ猫)、450グラム(ブチ猫)は、餌も良く食べミルクもスポイトで少しずつ飲ませました。体重も順調に増え、元気に育ちました。ペット病院にへ行きノミ取り駆除と血液検査(猫エイズ)と、検便をしたり、一応健康診断を受けました。血液検査も検便も(−)で一応安心しました。子猫たちは生後2週間ぐらいで健康な猫でした(眼が見え、可愛い歯が生え、やっと離乳食が食べられる状態)。
 野良猫だった子猫たちも今はもうすっかり主人や私に慣れ、名前を呼ぶと駆け寄ってきます。トラ猫はメルちゃん、ブチ猫はミニーちゃんです。拾われてからちょうど1ヶ月半ぐらいになります。体重も約2倍になり順調に成長しています(そろそろ生後2ヶ月になります)。自分で食事もできます。トイレも決まった場所でできます。子猫は、毎日目覚ましく成長しています。急にいろいろなことができるようになり、個性も見えてきました。活発な動きをするトラ猫のメルちゃん、おとなしく女の子らしいブチ猫のミーちゃんです。
 主人は毎日2匹の子猫を膝にのせ(椅子をよじ登って来る。)可愛い可愛いと撫でては笑顔で喜んでいます。この可愛らしい姿や顔の表情に主人も私も自然に家族が癒されているようです。猛暑の夏も可愛い子猫たちにより家族が皆元気で明るく楽しく過ごすことができ、子猫たちに感謝する夏でした。まだまだ残暑も厳しい日も続くことと思いますが元気に明るく子猫たちと過ごしたいと思います。可愛いペットがいることにより心の安らぎを覚えます。
 では「通信」の皆さま残暑厳しい折お身体に気を付けお元気でお過ごし下さいますように。
埼玉県:HS



 第一回在宅リハビリ研修会へのお誘い


 兵庫県在住の西村みどりと申します。突然お便りする失礼をおゆるしください。
 昨年4月末、17歳の次男がバイク事故で頸椎を脱臼骨折、2週後に、医師から、完全麻痺で回復不能と宣告されました。リハビリセンターでは残存機能強化しかできない上、空きもないから、半年間自宅で待機するようにとのこと。途方に暮れていた時、アメリカで事故に遭った方が、集中的なリハビリで完全に回復されたという、日本せきずい基金の記事に出会いました。
 それがきっかけとなって、事故後5週目に次男と共に渡米。シアトル市ワシントン大学病院リハビリセンターで、2ヶ月のリハビリを受けることになりました。初めは1分間立っているのも困難でしたが、帰国時には歩行器で歩けるところまで回復。現在では、杖でバランスを取りながら、どこへでも歩いていけます。あの時諦めて、自宅で待機していたら、一生車椅子の生活だったことは間違いありません。
 アメリカのリハビリは、今は動かなくても、刺激を与え続け、動かし続け、できる限り立たせてゆこうというものでした。それに対し、現在の日本では、動けない状態を受け入れさせようとするのが一般的です。集中的なリハビリを継続すれば、もっと回復するかもしれないのに、医師に根拠のない絶望を宣告され、諦めてしまった方が、他にもあるはずではないか。絶対に立てないと言われた息子が、今歩いているということが、その証拠ではないかという疑問がふくらみました。
 その後、息子の回復を伝え聞いた数人の方が、アメリカのリハビリを受けに行かれました。彼らは「日本での入院生活は、1時間足らずのリハビリの時間を除いて、ほとんど寝かされているだけだった。アメリカでは、1日中、次から次へと訓練を行うし、排尿排便も自立を促される。いろいろ大変な面もあるが、やはり日本にいたら考えられないほど回復したと思う」とおっしゃっています。
 けれども、あまりにも費用がかかりすぎるし、言葉の問題や移動の問題もあります。何とか日本でも、アメリカのような積極的なリハビリを継続的に受けられるようにできないのだろうか、とずっと考え続けていました。
 そんな折、インターネットのはがき通信に、右近清さんからの奇跡的なリハビリの報告が届きました。8ヶ月間瞬きしかできなかった、最重度の森照子さんが、杖で歩いているという事実、しかも、自宅で、右近さんという「医療の素人」が、自力で研究し、独自の画期的なリハビリを実践し、この奇跡を可能にしたという事実は、背損やリハビリについての今までの常識を完全に覆すものでした。
 さらにその後、十数人の方が、右近さんの助言を受けて、自宅での集中トレーニングを始めています。なかには、座位も保てない状態から、立ち上がるまでに回復された方もあります。その方は事故後6年を経ていたそうです。せき髄は再生しないというのが、医学界の常識で、それが、絶望宣告の根拠とされているようです。しかし、実際に諦めずに努力を続けた人のなかから、次々に著しい回復の報告が寄せられています。これでも、単なる例外や奇跡として片づけられるのでしょうか。
  とはいえ、自宅で家族と共に、なかなか成果の見えない単調な訓練を続けるのは、大変なことです。がんばろうというかけ声だけで、続けられることではありません。
 「自宅での息の長いリハビリを支えるための具体的な方法、介助の仕方、訓練器具などについて学びたい」「実際にリハビリを中心にした生活習慣を身につけたい」「アメリカの、進んだリハビリを学ぶ機会がほしい」そういう声が集まって、1週間の在宅リハビリ研修会という企画が生まれました。
 幸い、右近清さん、森照子さんも、はるばる小樽から参加して、一人一人にあったメニューを組み、独自に工夫されたさまざまな訓練法や、器具を紹介して下さいます。また、ワシントン大学病院のベテランPTの ポール・メリックさん、ヴィッキー・スティヴンスさんも、一週間日本に滞在して、全面的に協力・指導して下さることになりました。さらに、せき髄損傷患者の排泄の問題を研究されている和歌山県橋本市民病院泌尿器科の小川隆敏先生も、相談にのってくださいます。
 リハビリセンターが満床で自宅待機されている方、あるいは、右近さんの報告を読まれて、再度挑戦したいが具体的にどうしたらよいかわからないという方にとって、新しい目標への第一歩となること、また、生活を共にするなかで、お互いの体験を共有し、学びあう機会になることを祈っています。また、本人は参加できないけれど、代わりに学びたい、というご家族、友人のみなさん、あるいは、新しいリハビリの可能性を探りたいと考えておられる医療関係者の方々や一般の方々にも、ぜひ参加していただきたいと思います。    

平成13年9月7日

               

第一回せき髄損傷在宅リハビリ研修会

発起人  西村みどり

◆第一回せき髄損傷在宅リハビリ研修会

☆場所   大阪市舞洲障害者スポーツセンター
(JR大阪→環状線西九条→ゆめ咲線桜島駅 大阪駅から約30分)
      宿泊施設  ロッジ舞洲・アミティ舞洲 (宿泊希望者のみ)
  
☆期日   前期 平成13年10月30日午後3時から11月2日正午まで 
後期 平成13年11月2日午後3時から11月5日正午まで
          (全期参加・一部参加も可能です)

☆参加費  研修参加費(1名)   
      全期参加            ¥16000   
      前期または後期のみ参加      ¥9000      
      一部参加        1日   ¥3000
      個人セッション     1時間  ¥5000  
      (希望者のみ・個別にリハビリプログラムを作成)
    
      宿泊費 (希望者のみ)一泊朝食付き¥7000
* 昼食・夕食代は、食堂で自由に選んでいただくため、含まれません。

       * 経済的な理由で参加が困難な方はご相談下さい。

☆講師    右近 清氏
       ポール・メリック氏 
       ヴィッキー・スティヴンス氏 
(シアトル市ワシントン大学付属病院リハビリセンター 理学療法士)
  小川 隆敏 氏(和歌山県橋本市民病院泌尿器科医師)

☆連絡先     
      西村みどり 兵庫県篠山市 (0795−56−2896)
            E-Mail:midori@hk.sun-ip.or.jp
      杉山えり子 和歌山県橋本市(0736−39−1125) 
      内田啓二  東京都大田区 (03−3722−5035)

    *詳しくは、上記連絡先まで、お問い合わせ下さい。
    *参加ご希望の方には詳しい案内と申込用紙をお送りいたします。
    *お申し込み締め切り日 平成13年9月30日

◎ 希望者多数の場合は、必要度その他を検討し、今回参加していただける方には、
10月9日までに、その旨通知させていただきます。

    来年4月上旬にも、第2回研修会を企画しています。

カンパにご協力下さい
 参加費は、施設使用料・講師航空運賃・宿泊滞在費・連絡費に充て、さらにできれば、経済的な理由で参加困難な方の支援にまわしたいと考えています。日本のリハビリの現状を何とか変えていきたい、とお考えの方は、ぜひカンパにご協力下さい。
  振込先  在宅リハビリ研修会
郵便口座  口座名 杉山えり子  記号14720 番号9392151

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