向坊氏の通信
自立のあゆみ ②外出用ズボン
へルパーを雇っている場合など、車イスに移る度にクツ下、靴、ズボンなどを着用し、排尿装置まで装着するのは時間がかかりすぎて大変です。そこで、図のような寝袋の半分くらいのを作り、車イスにあらかじめ置いておいて、乗り込んだらファスナーを締めて終わり、というのはどうでしょう。私は20年以上も使っていてズボンは持ちません。
外国に出かけるときもこれを使用するので、秘密ポケットが内側にあり、現金などを入れています。空港の検査ではウサン臭いぞという目つきで見られますが、ファスナーを開けなさいと言われたことはありません。ピストルの密輸などもやろうと思えばできますね。この寝袋式の利点は2500cc入りの排尿袋を下げられる点と、失禁のチェックがひんぱんにできることです。冬は暖かいですよ。肩吊りをつけておけば、移動中に体を抱えてもらうときも袋がぬけません。
ジーンズの布地でオシャレをしてください。
腰から下は寝袋のようなものにスッポリ入っています→ |
|
(向坊さんは5月の連休にSさんのお宅で2泊し、博多どんたくを見物されたり、博多の秋葉原という店でビデオデッキやワープロの買い物をされ、たいへん楽しい時を過ごされたそうです。清家さんが送って下さった、地下鉄に乗車中の写真などに外出用ズボンがよく撮れていましたが、写真よりイラストが良いとのことでした。)
Uさん訪問記①
春の連休前に、東京蒲田に住むSUさんの自宅をお尋ねしました。Uさんは27才で、頚髄4番損傷です。大学生の時に受傷し、2年ほど病院生活を送りました。自宅生活は5年目です。ご自身の収入は、特別障害者手当と、他に都と区から出る福祉手当があります。
Uさんはご両親と一緒に暮らしていますが、おかあさんが仕事に出かける午前10時頃から夕方5時頃までの6~8時間を、一人で過ごしています。そのような長い時間をどうして一人でいられるのか、Uさんの生活に関心を持ちました。
一人で留守番をする生活には、やはりいろいろ迷いがあったそうです。現在、その生活は環境制御装置(ECS:Environmental
Control System)によって可能となっています。ESCの導入には、本体価格約50万円と工事費用がかかりましたが、それによっておかあさんは職場復帰できました。そこで次号では、ECSの活用を中心としたUさんの生活の実際について紹介したいと思います(W)。
自己紹介
KM氏 1966年4月4日生 24歳
1979年7月10日体育の授業中プール事故で首の骨を折ってしまいました。C5・6です。以後、最初の病院では約1年寝たきりの生活が続き、その後鹿児島県にある霧島労災病院へと移り、リハビリをはじめました。しかし褥瘡や膀胱炎がひどく、高い熱が続く日が多くありました。それでもまわりの人たちに励まされ、刺激されリハビリを続けた結果、服を着替えたりベッドからの車椅子の移動ができるようになりました。
それから宮崎市にある国立宮崎東病院にへ移り、そこから養護学校へと通いはじめました。ここでは勉強はもちろんのこともう一つ尿路管理ができなかったで、カテーテルを外すことから始めて病院の看護婦さんたちと試行錯誤しながら自分でできるように一様はなりました。
現在はコンドームと市販されている集尿袋を改良して日常は使っています。夜はコンドームを外し尿器を砂袋で固定しています。まだまだ改良の余地があると考えているので今でもいろいろと自分に合うものをためしています。
養護学校を3年前に卒業して今は家の仕事を少しだけ手伝っています。これからは現在の体調を維持してできるだけ外へ目をむけていきたいと思っています。
うまく伝えられなくて残念です。文章表現がうまければといつも感じています。これからもはがき通信を楽しみにしています。5月14日。
Mさんは今年全脊連に入会して「はがき通信」を知りました。受傷後もうすぐ11年になるが、これまでこのような全国におよぶ組織の存在を全く知らず、全国には多くの頚損者がいることを知り、また同じような悩みをもっていることに驚きましたと、はがきで連絡されてきました。
本の紹介
ホワイトネック他編『高位頚損の管理』(1989年)−その②−
今回は、アメリカの高位頚損者の生活実態を、調査結果からみていくことにしましょう。用いられたデータは、3つの病院を1973年から1983年までの間に退所した216人についての追跡結果です。調査は1985年に行われました。対象者は、すべて頚損4番以上の完全麻痺者で、調査時点では199人が生存していました。頚髄4番損傷が過半数を占めていますが、3番17%、2番13%、1番以上10%と、もっと高位の損傷者もいます。人工呼吸器をつけている人は、35%です。
かれらは、74%が自宅で生活しています。在宅者は、人工呼吸器をつけている場合には、1日の時間の59%を有料の介助者(有資格の訪問看護婦が多い)、15%を無料の介助者と過ごしています。しかし、23%は介助には関わらない人と過ごします。人工呼吸器をつけていない場合には、有料介助者と過ごす時間はずっと少ないですが、それでも一人で過ごす時間はわずかです。
かれらは、神経研の調査で対象となった方と比べて確かに平均年齢も若いですが、日常生活はとても活動的です。2人を除いて全員が毎日ベッドから起きており、9割はその時間が5時間以上です。3分の2の人が、週3日以上外出をします。ちなみに、1986年の神経研の調査では、頚髄5番以上の損傷者の3分の1が寝たきり、ベッドから起きる方でも、3分の1は車椅子使用が2時間以下でした。
ところで、医療費や介助料・福祉器機の導入など生活に必要な総費用ですが、人工呼吸器をつけている場合には年平均1500万円ぐらい(1ドル=150円換算)かかります。うち、最も高額なのは医療費で、初期退院後の入院料は570万円です。ついで介護料が520万円です。人工呼吸器をつけていない場合の総費用は400万円ぐらいとなっていますが、うち介護料は180万円です。
学校・仕事に行く、友人と交際する、トランプやゲームを楽しむ、外食や映画に出かける--そんな彼らの生活の質を支えるためには、家族以外の介助者の確保が必要条件となっているようです。
東京都神経科学総合研究所 社会学研究室 W
ニュース1
機会均等、完全参加、自立の保障など身障者の権利と保護を盛り込んだ「障害を持つアメリカ国民法(Americans
with Disabilities Act.「略称 ADA」)案が5月22日米下院本会議を403対20という圧倒的多数で可決されました。
この法案は、身障者の雇用、仕事に対する差別を禁止し、レストランや小売店など公共施設で身障者の差別扱いを禁止するとともに、公共交通などに身障者が利用しやすい施設の設置を義務づけています。('90/5/24赤旗記事より)
なお、この法案が制定される意義と背景についてはリハ協「障害者の福祉」’89/12号に掲載された久保耕造氏の論文「障害者に対する機会均等を保障する障害をもつアメリカ国民法(ADA)制定の動き」が参考になります(社事大・佐藤久夫助教授の提供)。
上記のニュースをもとにインターネットのYAHOO!で検索したところADA
HOME PAGEが見つかりました。これは、アメリカ司法省(U.S. Department
of Justice)が作ったページみたいです。
インターネット版「はがき通信」編集部より----1998.7.19現在での情報
ニュース2
町の発明家・佐藤連広氏の自動ページめくり機が完成されました。Uさんの紹介で、佐藤さんはFさん(2号で自己紹介)が呼気で使用できるように改良し、Fさんの病室で披露してくれました。
写真は東京都補装具研・松原征男研究員の提供です。また千葉のMNさんも「通信2号」を読まれて、ページめくり機と発汗の処理についてお手紙を下さいました。4号で紹介します。
ニュース3
①「フィリピンに長期滞在する頚髄損傷者」というビデオ(VHS)が向坊さんから神経研に送られてきました。向坊さんの友人の鈴木さんが日本の両親にフィリピンでの生活を見せるために撮ったビデオです。前半に向坊さんも登場します。
②マウススティックを活用した麩沢孝さんの自立生活ビデオができました。内容は次号で紹介しますが、沢渡温泉病院の職員が撮影してくださった8ミリビデオに、5月中旬、麩沢さんを訪問したときに松井が撮った拙ない映像を末尾に接続して、VHSにコピーしました。
あとがき
自分よりもっと重度なのに2人も養子を育てていると以前、Sさんから伺っていた、米国の重度四肢麻痺者が3人目の養子を迎えたと、手紙で知らせてきたそうです。
自分のこともできなくて養子などとんでもない、という風潮は米国でも根強いようですが、そういう風潮と闘いながら人並みに生活する権利を障害者自身が確立していく、それもADA法案を生み出す要因の1つかもしれませんね。
専属のヘルパー2人のうち1人が、高血圧で休み、昨日も今日もヘルパーなし、こんなピンチがときどきあるという手紙を向坊さんから最近いただきました。また藤木さんは、頚損者の平均余命が数十年もあるという調査結果を読み、今後の生活設計を変更する必要を感じた、じっくり考えてみたいという手紙を下さいました。広島の土屋さん、お葉書で知らせて下さった英国製手動リフターの写真をお待ちしています。3号について、みなさんの感想をお待ちしています。
松井
はがき通信の仲間の名簿を作りました。同封しますので、相互に活用して下さい。
向坊
|