追跡中の死亡率
退院時に生存していた199人の長期の生存状態を分析した。呼吸器を使っている人と使っていない人の間に大きな差が見られた。受傷後1、3、5、7、9年後の人工呼吸器離脱者の生存率はそれぞれ93%、83%、79%、77%、73%であった。
人工呼吸依存群では、生存率はそれぞれ86%、70%、63%、63%、59%であった。全ての数字は1、3、5、7、9年前に受傷したケースを基にしたものである。退院後の追跡中に死亡した33人のうち8人は肺炎によるものである。心不全による死亡は8人であった。呼吸不全によるものが3例報告されている。敗血症と腎う腎炎でそれぞれ2人が死亡した。遺伝性舞踏病、栄養失調、えそ、肺塞栓、肺萎縮、頭部外傷、いんとうに異物が詰まることが主な原因で死亡した人がそれぞれ一人であった。3人の死亡については原因が分からなかった。
次の機会には症状や生活面について述べたいと思います。 一月三日朝、全脊連支部の佐々木さんから「今日の読売新聞に脊連再生の記事がでている」と電話があり、早速、図書室の新聞で見つけたのが、上の記事でした。 このニュースは同じ日の朝日や毎日新聞でも報道されました。でも私は読売の記事に特別な関心を持ちました。それは読売の記事だけにあった研究グループの一人、川口三郎という名に覚えがあったからです。
その方は、それまで不可能と考えられていた「哺乳動物の中枢神経の再生の可能性」を1982年の日本生理学会に報告されました。それが新聞に「せき損治療の朗報」として報道され、当時、全脊連の機関誌「せき損ニュース」の編集者・井沢隆氏はその記事に注目し、学会会場まで川口先生を尋ね、実験結果と「せき損治療の可能性」について説明を受けてきました。
その直後、川口先生は、井沢さんにつぎのような手紙を送っています。 中枢神経繊維の再生が場合によっては起こりうることを実験的に証明したが、そうした知見がせき損者対して神経繊維の再生構築といった治療が行いうるようになるかどうかは全くわかりません。もし将来それが可能になるとしてもそのあいだには途方もない距離があり、非常に多くの人たちの膨大な努力なしにその距離が埋まるとは考えられません。現在では夢のまた夢です‥‥‥。 その手紙は「せき損ニュース」110号(1982年5月)に「研究学者からの手紙」として掲載されています。私は井沢さんから直接経過について何っていましたし、川口先生の手紙にもたいへん探い感銘を受けました。
その手紙から11年後、今回の新聞報道について川口先生はどのような見解を示されるか、その点も機会があったら伺ってみたいのです。なお発表論文はできるだけ早く入手して、できれば次号で紹介しましょう。
『向坊弘道さん』 明けましておめでとうございます いかがお過ごしですか。私はおかげで元気です。 懸案のネパール民宿仏教研究所は3月ごろ完成の予定です。ぜひどうぞお越し下さい。 空港から車で10分、素泊まり1泊5百円、往復航空券13万円。ヒマラヤやインド方面に行かれる方の情報も豊富です。合掌 『KSさん』 あけましておめでとうごぎいます 退院して、地域での2年間のお正月を迎えることができました。昨年は、環境制御装置を送ってもらったことが私の生活を変えました。 そして、友人だけとの旅行、エアーマットの購入、付添さんの交代、同居人を求めての講演とビラまき、日曜日のボランティアの手配、海遊館での授業といろいろありましたが、友人、卒業生のお父さん、お母さん、ボランティアの人たち、病院や保健所、ほんとうにたくさんの人に支えられての1月1日を過ごすことができました。ありがとうございました。 今年の目標は一人でできることを増やしたい。(ペンで文字をかけるようになりたい)そして、学絞に復帰すること(これは相手があるので)。家での生活を改善することです。あゆみはのろいですが皆さん焦らずに見守ってください。今年も皆さんとともに充実した日々が送れるよう祈っています。 (この年賀状は、コンピュータで入力しました) 『本島総合病院リハビリテーション科・YHさん』 新年明けましておめでとうございます。 いつもはがき通信を送って下さりありがとうございます。 毎回、患者さん(C5レベル)と共に楽しませて頂いています。送って頂くばかりでちらから何もせずに申し訳ありません。表現したり、文章を考えたりすることが下手な患者者さんですので、お許し下さい。どれだけ心の支えになっていることかしれません。今後ともよろしくお願い致します。 『KKさん』 謹賀新年 皆様のご多幸とご健勝を心よりお祈り申し上げます。 昨年は発熱や床ずれに一度も悩まされず、これで丸2年しごく健康に過ごしてまいりました。これも皆様のお陰と感謝しております。 また相模原市の自宅にもいつでも泊まれるようにベッドやリフターを少しづつ揃えはじめ、暮れには・最後の大物のスロープも取り付けました。そして実際この夏からは施設から電車を乗り継いで相模原の自宅へ戻り、マイルドライフケア社の介助を受けながら月に数泊づつの帰宅を始めました。 そんな帰宅は、年老いた母や子だくさんの女房の負担になることもなく気が楽でしたし、当然心も和みました。今年こそ、そんな機会を利用して皆様と私の育ったあの家でお会いしたいものです。 とは申せこの様な自宅生活を持続するほど裕福なはずもなく、他人介護手当が実現するまでの間は月に数日から一週間の帰宅となる予定です。 『TTさん』 謹賀新年 ざ・夢社会と言う障害者グループで活動しています。姫路は市内交通がとても悪いうえタクシーの補助もありません。問題は山積です。 『可山優零さん』 謹賀新年 おかげさまで、私のアパートでの一人暮らしも1年を経過しました。最近の日々の生活は、次から次へと予定の行動を消化するのに忙殺されて、じっくりと文庫本を楽しむ余裕のない状況であります。多くの人と会って会話を交わす事に終始する毎日であります。まさに東奔西走と言った感がありますが、今の人生を甘受して楽しみたいと思います。これからも、ご指導ご鞭撻をよろしくお願い致します。 『清家さん』 A HAPPY NEW YEAR l994 1993年12月、「就労問題研究会・会報」9号を編集・発行しました。 「特集:自営業と重度四肢麻痺者」 ぽくも、アマチュア(セミプロ?)ながら、執筆、翻訳.などの仕事をしています。1993年2月末入居した大手門公団で、「会報」⑨の編集発行作業も行いました。 今回の会報は120頁を超えました。一太郎 Ver.5は、文書を16編集でき、編集機能も強力ですが、100頁を超える文書をいくつも並べて作業していると停止してしまうことがあります。メモリを17.6MBまで増設していますが、NEC PC9801−FAは約15MBまでしか認識してくれません。 第9号は、初めて、印刷製本によるものとなりました。写真と英語をできるだけ多くとり入れ、英文タイトル、著者紹介(和文、英文)をつけさせていただきました。海外の人にも伝わるものになれれば、思います。 今回の会報からは、生き生きと仕事をしている寄稿者の皆さんの姿が伝わってくると思います。 今年も「就労問題研究会」をよろしくお願いします。 『うめ吉さん』 頚髄損傷になって今年の1月1日で丸12年が過ぎましたが、その間、皆様には一方ならぬお力添えにあずかり誠にありがとうございました。 1990年3月大学院修了後、父と共に不動産事業を創業いたしましたが、昨年2月より手始めに賃貸マンション「アジュール宝塚」の経営をスタート致しました。現在、日中はアジュール宝塚2階の管理事務所にて仕事をしております。地道な努力を続け、一歩一歩進んで行きたいと思います。 なお付近にお越しの節はぜひおたち寄り下さいますようお待ちしております。 (以下略)
宝塚市
あとがき
*新年早々、研究室にたくさんの年賀状が届きました。昨年より一段と多くなった年資状に通信の広がりを実感しています。はがき通信も5年に入りました。マンネリや自己満足に陥らないよう、先走りしないよう配慮しつつ、皆さんと交流を楽しみながら通信を続けていきたいものです。今年もよろしくお願いいたします。
*今回は郵便料金の値上げがあり、その前に発送できるよう準備する予定でしたが、やはりぎりぎりになり、相変わらず佐藤さんに負担をかけてしまいました。ゼロックスでの両面コピーは枚数に限度があり、有志のカンパにのみ頼るわけにもいかず、はがき通信もそろそろ有料化を検討する必要に迫られてきたようです。
*普段は98中心の仕事なので、すっかり御無沙汰していたせいか、いざ25号編集を始める否やマックの機嫌が悪く、途中理由も分からずロックしてしまい、あせってしまいましたが、何とか間に合いました。
*前号から中谷さんが校正や印刷を手伝って下さっています。
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