は が き 通 信 | Number.21---P1 |
POST CARD CORRESPONDENCE | 1993.5.25 |
ごあいさつ
春は一年中で一番いい季節です。
1993年5月25日 向坊
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多摩市で自立生活を始めて3か月経過して
可山優零国立市にある「ライフステーションワンステップかたつむりの家」の協力のお蔭で、私は3か月前に寝たきりの状態であった施設を退所して、東京都多摩市内のアパートで一人暮しの自立生活を始めました可山優零です。私は第4・第5頚髄損傷を負った手足の全く動かない最重度障害者ですが、現在私自身に固有な私らしい生活基盤を確立していくために、協力してくださる沢山の介助者を探し求めている最中です。
介助者は、出会った全ての人に私自身のありのままの容態と生き方をありのままに見せて、私の介助者になってくださるようにお願いしています。学生や社会人などなど・・・・。お願いするのに、躊躇は禁物です。理解してくださる人だけがきてくれます。私に協力してくださる人が、次第次第に増えてきております。皆さん、御安心ください。
早いもので私のアパートでの一人暮しは、もう既に3か月が経過しました。自立生活を始めた当初は、私が直ぐにでも死ぬのではないかと多くの人に心配をかけました。それらの不安は時間の経過にともなって、拭い去られていき、次第に私自身に固有な生活へと向上してきております。
先日は九段下から、夕方のラッシュアワーの時間帯に電車に乗ってみました。予想とは裏腹に、案外スムーズに乗ることができました。美術館に赴いたり、様々な公共施設や公園を散歩していると、私が自立する前の施設で寝たきりで過ごして来た8年間がまるで嘘のように思えてきました。不思議でなりません。
黙ったまま呑気に暮らしていても決った時間になると医学的な処置や食事が与えられる施設と自分自身が全てにおいて自己決定して生活を自分らしく形成していかなければならない主体性のある自立生活の相違は、どこに潜在しているのでしょうか。ある事柄に対しては自己決定不能な施設生活、生きているのかそれとも生かされているのか、判別は至極困難です。『飼育』されていると表現した方が適切な状況が、多々あると思います。主体性を略奪された『繰り人形』でも、生きていると言えるのでしようか。『繰り人形』は魂のない抜け毅、この状況はもはや人間とは呼ぶことができない状態です。 主体性を保持している自立生活が、私には人間らしい生き方に思えます。主体性があるからこそ、殺那殺那で臨機応変な自己決定の必要性が生まれてくるのです。そこには決りきった型通りのプログラムなど、決して存在するはずがないのです。一寸先は闇のように思われがちな自立生活、当事者がそれぞれの人間関係によって発見し深めていった介助者との個々の人間関係、だからこそ初めて主体性のある生活が実現できるのだと思います。私の将来には介助者の確保が満足いく水準に達しないために、生命を落す可能性も潜在しています。介助者とは、私の意志にしたがって私の主体性を実現してくれる存在です。私自身以外の人間では、私の生命を守って下さる唯一無二の存在です。
1か月先や1年先の生活の安定を黙っていても提供される状況でありましたならば、これはまさに主体性を喪失した『飼育』されている状態です。当事者と個々の介助者を結び付けていく上でのリスクの尊厳こそ、まさに主体性の有無を確認するリトマス試験紙になっていると思います。リスクを恐れずに、生命ある限り自立生活を勇往邁進し続けたい。
1993年3月8日
息子が人を励ます立場になり感無量
AM
<この通信は、編集の不手際で前回20号に掲載もれになったものです>
20号で昨7月に受傷された中二の方のことが出ていて、他人ごとならず筆をとりました。
私どもも受傷後、はがき通信により一人でないことを知り、どんなに生きる元気を与えてもらったかわかりません。祈しも子ども(雄一郎)の記事が目にとまったとのこと、長い間(約2年間)多くの方々の励ましを受けるばかりで、この厚意にどうやって報いたものかと思っていましたので、やっとどなたかをカづけることができたのかと思い感無量でした。 中二の子どもさんのお母様、まだまだきつい毎日でしょう。一日一日を耐えて下さいませ。いつか笑える日も来ます。どうぞ、どうぞお一人ではありません。 子どもは4月1日より福岡市の職員として勤めが始まりました。市の方も周りの方も本人も初めてのことでとまどうこともあるようですが、互いの知恵で一日一日を過ごしています。本人も出ていくことで、他の多くの頚損者の励みになれるかと、密かに思うところがあるようです。今のところ慣れるのに精一杯のようですが、いずれ職場での様子など投稿するものと思います。スタッフの方々にお礼申し上げます。 かしこ
4月7日
15年ぶりに電車に乗りました
MIお元気ですか。私の方は相変わらず元気にしております。 4月1日に、チンコントロールの電動車椅子で、念願の相模鉄道に乗って横浜駅まで買物と県総合センターの福祉プラザを見学に行ってきました。14〜15年ぶりに電車に乗りましたが、あれほど、電車の横揺れがひどいとは思ってもみませんでした。でも、私の電動車椅子はびくともしませんでした。 相模鉄道の職員の方も親切で、思っていたより簡単に乗り降りができましたが、駅のホームと電車の出入口の隙間を狭く、高さを同じに(パークレの地下鉄みたいに)すれば職員の介助なしに自分で乗り降りが、もっと楽にできると思いました。
14〜15年ぶりに横浜駅や高島屋や新しくできたそごうなど、買物しながら見て回りましたが、昔とまるで変わっていて迷子になりそうでした。
人が多く、歩く人の足を踏みそうになったり、また、子供とぶつかりそうになったり、電動車椅子の操作がむずかしく、大変、神経を使い苦労しました。
5時間の外出で精神的に疲れましたが、また、電車を利用して絵の画材など、買物に横浜駅まで出かけて行きたいと思いました自分で品物を選ぶことはいいものですね。
やはり、電動車椅子などで電車にのれるようになると行動範囲が広がり、積極性が出て、明るく過ごせるのではないかと思いました。早く、全国の駅で電動車椅子などが利用できる設備にすることが大事であると実感しました。そして、私は電動車椅子に乗った姿を、多くの人に見てもらって、理解してもらう事も大事だと思いました。 このたびは、良い経験になりました。 昨年、初めて冬景色を描いてみました。季節はずれですが、絵はがき見てください。
4月16日
2週間がかりで書いた手紙
KNどんよりとした冬の雲も薄らいで春らしい風が吹いてくるようにはなって参りましたが、まだ肌寒い今日この頃です。お忙しい毎日とお察し致しますが、お変りはございませんでしょうか。 いつも会報をお送り頂いて感謝して拝読させてもらっています。私も出来たら会報に載っている皆様とお友達になれたらと思ってはいるのですが、ワープロも週に一、二回しか打てませんので、親しい友達にも音信が途絶えがちです。
フィリピンのSさんが挙式されたとの事、松井先生も出席なされたのですか(私が出席しました:渡辺)。その時の写真などはありますか。もしあればいただけないでしょうか、お伺いします。
それと次回の会報を頂けるついでで良いのですが、フィリピンのアドレスをお教えください。以前、向坊さんのお手紙で教えて貰っていたのですが、なくしてしまいました。 当病院の周りの桜も八分近く咲いてとても美しいです。冬の間は、山茶花にメジロやぐみの木にはヒヨドリ等、次つぎに名も知らぬ野鳥が飛来して美しい姿を見せてくれます。田舎育ちだからでしょうか、山や素朴な自然が大好きで、心が洗われるようです。(これまでは4月2日に書いたものです)
一度にワープロを打てませんので、すでに2週間が過ぎてしまいました。実は私も友達の家にリフターを買っているのですが、背もたれのない椅子には座位保持のできない私には難しくて使えないのです。だけど、Sさんに見せて貰った写真では彼はうまく日常生活に役立てておられる様子でしたが、それきりで参考の写真もありません。もしも、私のように全介助の者でもアイディア次第でリフターを使用されている方を御存知ならば、是非、写真と詳しく教えてもらえないでしょうか。
毎回の会報に感謝して少々で申し訳ありませんが、切手を同封します。桜も今はすっかり葉桜になって、今日などは初夏を思わせる暖かさですが、気候の変わり目で体調をこわされませぬよう、くれぐれもご注意くださいませ。
1993年4月19日(月)
おじさんと3人の若き乙女達
KM今季のGWゴールデンウィークどこか行かれました・・・(編集:元原稿には、ここに電車と飛行機のマークが入っているのですが。Mさん、ごめんなさい)いつもなら寝て過ごす私も今年のGWは、近年になかった・・・いえっ、今までになかった幸福な日々を送る幸運に恵まれたのです・・・。ナント!21・・22・・23歳という若くてカワイイ女性三人を引き連れて食事に行くという。ちなみに私は34歳になります。 神戸肉の美味しい肉を食べさせるというステーキ館《ここいら田舎で人気の》に招待し数時間の楽しい時を過ごしました。何故この様な幸運に恵まれたのか・・・2年前おふくろが病に倒れ、その後少しでもおふくろの負担を軽くできればと町内にある老人ホームの入浴サービスを受けるようになったのです。 3人の若き乙女達は老人ホームの寮母さんと看護婦さんです。週に一度、電動リフター付きのワゴン車が迎えに来ます。血圧と体温を計り異常なければワゴン車に乗り込み老人ホームへと向かいます。これからの季節“湯冷め”をする心配がなくなるので一安心です。厳しい冬の間は、辛いものがありました。でも、あまり自分を可愛がり過ぎるといざという時に踏んばりが効かなくなりますから、自分をいろんな環境や状に置くことも必要だと思います。病気やケガをしない程度にネ! 多くのお年寄りの中では僕などは赤子のような存在ですが、34歳・・・完全におじさんの領域に達している訳で・・・若い娘(コ)とつき合うのも何かと考えさせられます。親し過ぎても周りの目がありますし・・・頼られれば知らん顔もできません。彼女達は、何とも思っていないのに!いろいろと噂されるのが残念です。 確かに★このまま枯れてしまうのも寂しい気もなくはありませんが・・・今回のように気の合った仲間と食事をしたり外出できれば・・・それだけで。新鮮な出会いは★・・・若いエネルギーに接して入るとき、ささやかな幸せを感じます。はがき通信で多くの仲間と出会った時の様に・・・。おじさんの心配をよそに彼女達はいろいろと計画を立ててくれている様です。≪遊びの≫笑い。 皆さん、くれぐれもお身体をたいせつに。THさん、元気な通信楽しみにしています。
5月5日
ハンディーキャブに同乗したAさんのこと
MI先日、病院の外来に行く時、市のハンディーキャブを利用しました。その時、瀬谷のAさんと相乗りすることになり、電動車椅子2台で行きました。瀬谷のAさんとは、初めてお会いしました。55〜56才の男性でC5〜6(頚髄損傷歴4〜5年)で、体格のよい方でした。
病院に着くまでの1時間、Aさんひとりでしゃべり通しの元気さで、聞く方も大変でした。話しを聞いて、私ひとり、昔の自分を思い出して笑ってしまいました。なぜなら、私も同じ経験をしてきた事があり、それを次から次へと話されていたからです。
話の内容は、突然、怪我をし頚損になった為、自由が利かない毎日でいらいらし、お見舞いに来てくれた人にも会わず、周りに当たりちらしていたそうです。本人もよく分かっていられて反省していられるのですが、性格的に怪我をしてから一層せっかちになってしまい、今でも奥さんに当ることが多いそうです。それを聞いていた私の妻は『そんな時は、ほったらかしにすればよい』とAさんの奥さんに聴こえるように言っていました。私も、そうだ!そうだ!と思いました。
また、普段はベッド上でガラスの尿器をあてているので、4〜5時間で尿が一杯になるため、奥さんの外出もゆっくりできないのだと言われていました。私もそんなことで悩んだ時期もあり、自分なりに工夫しています。それは、プラスチックの尿器に穴をあけ、ジョイントを通し接着剤とお風呂用の水漏れ防止パテで固定し、管をつなぎハルンパックに入れておけば1日そのままで過ごせます。その方法を話すとAさんはすぐに、OTに相談されたようです。
これで、奥さんも自由に外出できるようになるはずです。 介護する方も余裕がないと大変だし、外出しながらストレスの発散になると思います。また、お互いにひとりになる時間も大切だと思います。介護してもらう方は、ひとりになる不安もあるわけですが、自分をみつめ、いつかは自立できる方法を見つけていくことも大切ではないかと思います。 介護する妻や家族に、自由な時間を増やすことが、お互いに長く生活できる方法だと思います。 Aさんの奥さんは、とても疲れているように見えました。そんな姿を見ながら、自分も気をつけなければいけないと思いました。障害を持っているからと言って、自分勝手にしすぎていないか、甘えていないかを考えさせられました。 私は、妻や家族に励まされながら、辛い時期を乗り越えてきたと思います。これからも多くの人に感謝の気持ちをもって生活していきたいと思います。
5月6日
休みの過ごし方
HS
今回も買物とちょっと近くに出かけただけですが、どこへ行ってもすごい人の波!車いすだと大勢の人に立ちはだかれる恐怖ってありますよね。別に悪いことをしている訳でもないのに、うつむき加減で『すみません、すみません・・・』と何回も繰り返し言っているだけで疲れます。遊びは、平日に休んで行くのが一番と改めて実感しました。春風を心地よく全身でゆっくりと感じたいものです。私は何日も家にこもっている方が、精神的にドッと疲れてストレスがたまります。
仕事はとても疲れますが、肉体的にと申しましょうか、どこか楽しく充実感のある疲れです。本を読んだり、手紙を書くのも大好きですし、音楽を聞くのも好きですが・・・。多少なりとも外に出て人と話しをしたりしている方が元気です。どんなに疲れていても、遊びには出かけたいタイプです。『このチャンスを逃したら・・・』という思いがとても強くあります。新しい出会いや発見をつぶすことになるかもしれません。それでなくとも健常者よりずっと行動の制限された生活です。その中で体が不自由な分、せめて心の感性を磨き、いかに精神生活を高めていくか・・・。
主体性を持ちながら卑屈にならず、謙虚さと感謝の気持ちを常に忘れずにいるということは何と難しいことでしょう。いろいろと考えると本当に心休まる時がありません。『人間は考える葦である』とパスカルはいいました。健常であるということは、ただ健康であるというそれだけで、何も考えず楽しく過ごすだけの楽な生き方ができるのですね。
93年5月10日
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